ファイル8 『前鬼・後鬼』の怪 【⑤】
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安那と道満。互いに放った犬獣と黒鬼が激突した。
首を引き裂こうという犬獣の爪を受け止めた黒鬼は、大きな右の拳を犬獣の口のなかに叩き込む。
犬獣はその腕を噛み千切ろうとしたのだが、その前に黒鬼によってその口を引き裂かれてしまった。
<フンっ、たあい無い>
道満は余裕の笑みを見せたがそれも束の間。
引き裂かれたはずの犬獣は、多くの光の花びらとなって螺旋状に黒鬼を包み込んだ。
響き渡る黒鬼の絶叫。
光の花びらが消えた時、黒鬼の姿もそこにはなかった。
<相も変わらず、小細工だけは達者なものだな>
道満の歯ぎしりに対し、今度は安那が笑みを見せる。
「思い出深い15匹のネズミにしようかと思ったのですが、あなたは既に一角鼠として利用していたので……。それとも、鼠を利用したのは自分への戒め? まさか晴明に憧れていたなんて言いませんわよね?」
<ぬかせ女狐! 誰が藤原の番犬になり下がった晴明に憧れなど抱くものかッ! あやつは裏切り者だッ! 権力欲しさに儂を裏切り、民衆を裏切った愚か者であるぞ!>
道満の怒号が響いた。
歯を剥き出し、怒りの表情で全身を震わせている。
それには道満なりの理由があった――
その昔、蘆屋道満と安倍晴明は親友だった。
晴明の方が年上でかなりの年齢差はあったが、二人は互いに呪術師として認め合う良きライバルであり良き友人であった。
道満は権力を嫌い、その呪術を苦しむ民のために施していた。一方の晴明も、何度もやって来る朝廷からの誘いをのらりくらりと断り、民のために呪術を活用していた。
しかしある日、晴明は時の権力者である藤原道長の求めに応じて朝廷付きの陰陽師となった。
これに対し道満は晴明を問いただす。民を苦しめているのは朝廷。その朝廷に手を貸すということは、苦しむ民や自分への裏切り行為でしかなかったのだ。
だが晴明は「今の私では力不足なのだよ……」と返すだけだった。口数が少ない男であるというのは道満も理解していたが、あまりにも説明が少なすぎる。
怒りが治まらない道満はそれ以来、晴明を朝廷の飼い犬として軽蔑し敵対することとなる。
それが決定的となったのが、道満が藤原道長を呪詛しようとした事件である。
道満に道長への呪詛を依頼したのは藤原顕光。朝廷内での権力争いであった。
権力争いなど道満にはどうでもよい事であったが、晴明の裏切りに対する復讐には格好の口実だった。
しかしその呪詛は晴明の活躍により失敗に終わった。そして道満は晴明に追われて敗走したのである。
しかし道満は晴明への復讐をあきらめたわけではなかった――。
安那は、あえて切り取った髪を紙へと変えて道満と対峙する。
その白紙には五芒星と呪文字が描かれている。
「晴明は民やあなたを裏切ったわけではありません。むしろ、晴明を裏切ったのは道満、あなたではありませんか」
安那が静かな口調で怒りを表す。
声こそ荒げないものの、その怒りの妖気が炎のように燃え上がっている。
対する道満も九字を切り、今度は五匹の黒鬼を出現させた。
<その言葉、千年前にも聞いたが聞く耳もたんッ! あの時お前に殺されたのは儂が油断したからだ。初めから妖狐だとわかっておればそれなりの対応をしたのだ。今度は易々とやられはせんぞッ!>
道満は刀印を安那に向けて黒鬼たちを走らせる。
安那は指で挟む呪符で五芒星を描いた。
「それなりの対応? 晴明の妻に呪詛を埋め込み鬼に変え、唐への留学を終えた晴明を不意打ちした痴れ者がッ!」
描いた五芒星のなかへ呪符を突き出すと、呪符は光り輝いてその姿を変える。
光の中から出てきたのは黄金色に輝く鷹のような鳥獣と犬獣だった。
「一度は晴明に見逃してもらいながら、なぜあなたは再び民衆のために尽力しようとしなかったのですッ!」
安那は式神を操り黒鬼と激突させた。
――晴明は敗走した道満を追い詰めながらもその命を奪うことはしなかった。
それは苦しむ民衆には道満という存在が拠り所でもあり、道満も再び民のために尽力してくれると信じたからであった。
しかし道満は、そんな晴明の心を最悪の形で裏切った。
道満は晴明が大陸の唐へと留学している間に、その妻である梨花へと近づいた。そして晴明が帰ってくる直前に梨花へ呪詛を埋め込み、鬼へと変えたのである。
愛する妻が待っているものと思っている晴明は油断していた。いや、警戒すらしていなかった。
我が家へと帰ってきた晴明は変わり果てた妻の姿に驚き、そして襲われることへの反応すら出来ないまま殺されてしまう。
鬼となった梨花を操る道満は歓喜に笑い、爪を血に染めた鬼は涙を流しながら咆哮を上げる。その様子を見て、道満はまた笑い声を上げたのだという。
安那が怪しい気配に気付き晴明のもとへ駆けつけた時、すでに晴明は虫の息であった。
事情を知った安那は怒りに燃える。
晴明の怒りと悲しみと無念を晴らすには、晴明の手で道満を討たせてあげたいという想いから、安那は晴明に化けて道満のもとへ向かい、その首を刎ねた。
すでに人としての心を失い、本物の鬼となってしまっていた梨花の首も刎ねた。
そして安那はしばらく晴明の姿で生活し、陰陽道の修行に出ていた晴明の二人の息子の成長を見守った。
そして時を見て、安倍晴明という陰陽師の人生を終わらせたのである。
激突した式神たち。
数は黒鬼の方が多いものの、鳥獣と犬獣も負けてはいない。その素早い動きで黒鬼を翻弄して互角に渡り合っている。
<フハハハハ。儂が創り出した結界のなかでどこまで耐えられるかのう>
道満は余裕の表情で黒鬼たちを操っている。
対する安那には余裕がない。
式神同士の戦い。今は互角であってもその体力が違う。
この空間は道満の結界のなか。妖怪である安那は本来の力を出すことが出来ずにいた。
安那の操る式神は妖力によって生み出さたもの。対する道満の式神は呪術によって生み出されている。
ただでさえ妖力は呪術との相性が悪いのに加え、道満の呪術結界内での戦いは安那にはかなり不利である。
しかし安那は強気に微笑む。
「あら、お忘れですか。私は陰陽術を学んだ妖狐ですよ。これくらいのハンデがなければ、また一瞬であなたの首を刎ねてしまうではありませんか」
<ぬかせッ、薄汚い妖怪めがッ!>
道満が呪力を強めると黒鬼たちの力が上がり、徐々に鳥獣と犬獣が圧されだす。
安那も陰陽術で妖力を増幅しそれに対抗。
「……蘆屋道満。民に救いの手を差し伸べていたのに、一体なにがあなたをこうさせたというのですか」
安那は式神を操りながらつぶやく。
晴明を殺した道満への怒りは千年前と変わらない。しかし、安那の胸の内には道満への哀れみの心もあった。
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安倍晴明と蘆屋道満の関係についてはこの物語にあわせてかなりイジってあります。・・・(^-^;
興味のある方は調べてみてください。おもしろいですよ。




