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ファイル8  『前鬼・後鬼』の怪 【③】

□◆□◆



<これより降霊、そして現身の儀を執り行う。崎守桜香よ、ついて参れ>


 道満の一言で桜香の足が浮く。そのまま、見えない糸で引かれるように背中を向けた道満の後を移動していった。


  なんで……なんで身体が動かないの!?


 桜香は抵抗を試みるものの、金縛りにあっている体は動かず言葉を発することも出来ない。


 暗闇のトンネルを歩く道満が歩みを止めた。そして壁に向かって何かをつぶやくと、石の壁に歪みが起きる。


<ここだ――>


 道満が歪んだ石壁のなかへ入っていく。その壁を、浮いたままの桜香と前鬼もくぐった。


  なにこれ……気持ち悪い……


 石壁をくぐると、桜香は言いようのない悪寒を感じる。

 身が凍りそうな寒さと倦怠感。なによりも内臓で虫が這いずり回っているような感覚に抵抗する気力すら失ってしまった。


  これが、結界の内部……


 苦しいながらも、桜香は状況を掴もうと必死で周りを見回す。

 そこは現実とは思えない世界だった。壁も床もなく白と黒の模様が広がる世界。流水に墨汁を垂らし、紙にその模様をうつしたような空間に目眩が起きる。先を歩く道満がいなければ平衡感覚をも失ってしまうだろう。


「わ、私をどうするつもりなの」


 桜香は歯を食いしばって道満に問いかける。あまりの気持ち悪さに気を失いそうなのだ。それに、ここで気を失ってしまえば二度と目覚めることはないのかもしれないという恐怖もあった。


  <お前がお前でなくなるまえに私の名くらいは教えてやろう――>


 名乗る前にそう言った道満。その言葉の真意くらいは知りたかった。


<ほう、この瘴気が満ちる結界に入っても発狂せぬとは……。やはりあの者の見立て通りの人間であったか>


 何が可笑しいのか。道満は苦しみに耐える桜香に目をやり喉で笑った。


 気力も虚ろになってきた桜香に、後ろからついてくる前鬼が口を開く。


<崎守という娘よ、お前には悪いと思う。しかし――我は会いたいのだ。我が妻である後鬼に。だから……>


 だから――。先の言葉を言いかけた前鬼が口をつぐむ。その声は、桜香も思わず抵抗するのを忘れてしまうほど哀しいものだった。それで桜香は思い出す。道満が自分を憑代として後鬼を甦らせるのだと言ったことを。

 降霊というのが亡くなったという後鬼の霊魂を呼び出すというのは察するに難くない。しかし、現身とはどのようなことなのだろうか。憑代というからには幽霊が憑りつくように自分の身体が支配されてしまうのかもしれない。

 けれども、桜香にはそれ以上に恐ろしいことになってしまう――そんな確信めいた予感があった。だからこそ再び抵抗を試みる。1分でも1秒でも長く時間を稼げば、きっとジンやタマモたちが助けに来てくれる。桜香はそれを疑っていない。


<さあ着いたぞ。これより儀式を執り行う>


 白と黒の奇妙な空間に用意されていたのは祭壇であった。

 どこに根を張っているのか、そこには4本の枯れ木があり、縄で四角形を描くように立ち並んでいる。その中央の木枠からは黒と赤が混ざり合う炎が立ち上っている。


<憑代よ>


 道満が刀印で桜香を指してから祭壇の方へ向けると、桜香は炎の上まで投げ出された。そして、枯れ木の枝が蔓のように伸びて桜香の四肢に絡みつく。


  木の枝が!? こんなことって!?


 今だ金縛りにあっている桜香は僅かに身じろぐことしかできない。しかし、彼女にとってそれが精いっぱいの抵抗であった。


<さて、前鬼よ――>


 炎の前に立った道満が前鬼へと振り返る。


<今から後鬼の御霊を呼び出し、この娘へと移す。娘の魂を喰らった後鬼はこの人間の身体を変貌させ、再び昔の姿を取り戻すことになろう。その暁には、あの者の配下になるという約定は守ってもらうぞ>


<ふん。あのような小娘に仕えることは本意ではないが、この前鬼、約定は必ず守る。もっとも――>


 前鬼は道満へ目を細める。


<お主が本当に後鬼を甦らせることができるのなら――という話だがな>


<それはいらぬ心配というもの。この道満、召喚や蘇生、復活に関しては安倍晴明をはるかに凌ぐ呪術師である。だからこそあの者は晴明ではなくこの道満を甦らせたのだぞ>


 実力を疑われた道満は不満をあらわにしたが、それも一瞬のこと。


<まあ見ておれ>


 自信気に口を弛め、道満は赤黒い炎へと向き合った。


 炎の上には、枯れ木の枝によって縛られた桜香がいる。

 前鬼はそんな桜香を見上げた。


<後鬼よ、もうすぐだ……>


 その眼にはもう桜香を哀れむものはなく、そこにあるのは目的達成を待ちわびる真剣な眼差しだった――。





 廃線となっている暗い地下鉄路線に一閃の光が走った。

 断末魔の叫びを上げて霧散したのは一角を持つ鬼。前鬼がねずみに負気を込めて作り出した低級妖怪である。


 光を走らせたのはジン。彼は刃に変化させた右腕で、休む間もなく次の鬼へと斬りかかる。


「まったく、キリがないわけ!」


 住吉もしゅうばりを大きくしたような剣で鬼を突き刺し、霧散させた後にそうぼやいた。何体いるのかわからないほどの鬼がいるのである。


 タマモと山森は巨大ムカデたちを相手にしていた。

 巨大ムカデは成人の三倍はある身体を器用にくねらせ、タマモのハンマーを避けると粘液を吐き出して攻撃する。


「そんなの焼き尽くしてやるんだからっ!」


 タマモが火術を放つ。その炎の帯は向かってくる粘液を焼き尽くし、そのまま巨大ムカデの顔面を焼いた。それでも止めを刺すには至らず、巨大ムカデは鞭のように身体をしならせてタマモを攻撃してきた。


「やらせるか!」


 山森が大きな扇を開いて振り上げる。するとそこから生まれた突風が巨大ムカデを押し止める。そして、タマモはその突風に乗って巨大ムカデの頭上に舞い上がっていた。


「これで、とどめぇぇぇッ!」


 振り下ろしたハンマーは巨大ムカデの頭を砕き、その巨体を霧散させる。

 しかしこれで終わりではない。巨大ムカデは、確認出来るだけでまだ十数体いるのだ。


「安那、まだなのぉ!」


 たまらずタマモが安那を急かす。


「もう少しです――よし、解呪しました!」


 安那は結界を解呪し、地下鉄の奥へと走って行く。


 ジンたちも鬼や巨大ムカデを相手にしながら安那の後を追う。

 桜香の居場所を特定出来たのは良かったが、ジンたちはこの地下鉄路線に入ったところから敵の攻撃や結界で思うように進むことが出来ていない。


「あといくつの結界があるんだろうね」


「さあな、しかし俺たちじゃこの手の結界を破るのは時間がかかる。焦っているのは見て取れるが、ここは安那に任せるのが最も早い。俺たちはそのフォローをするしかないわな」


 タマモのぼやきに山森がそう答えた。


「しっかしさ、この結界は前鬼のものじゃないわけ。どちらかといえば妖怪よりも人間が得意とする結界っしょ? まさかとは思うけど、人間もこの件に関与しているってわけ?」


 住吉の疑問に答えられる者はいなかった。



 基本的に、妖怪と人間が作り出す結界ではその組み上げ方が少し違う。

 上位の結界ともなれば『虚空間』を創り出して相手を封じ込めたりすることができるのだが、いま安那が解呪している結界は『壁』である。

 妖怪が『壁』の結界を作る時、それは自分の妖力を具現化することが多い。自分を中心に一定の範囲を壁で覆い、相手やその攻撃を防いだり相手を逃さないようにするのである。しかし自分よりも相手の妖力が強ければ、その壁は力押しで壊されてしまうことになる。

 一方、人間が作り出す『壁』の結界は呪術で組み上げられている。

 どちらの結界も頑丈な壁を作り出すという点では同じだが、人間が作り出す結界には『鍵』がついているといえばよいだろうか――。

 妖力の力押しで壊せない事はないのだが、妖力は呪術に対して圧倒的に相性が悪い。昔から非力な人間が強力な妖怪を相手に互角以上の戦いができた理由がそこにある。

 安那が結界の解呪に専念している理由も、ジンたちが鬼や巨大ムカデを相手にしながら結界を壊すよりも、安那が『鍵』を開けて解呪した方が早いからであった。



 まだ彼らは蘆屋道満も関係しているとは知らない。しかし、安那には結界を張った人物に心当たりがあるようだ。


「ここまで四つの結界を解呪してきたけれど、この術式と呪力波動には覚えがあるわ。ずっと昔に死んでいるはずの彼がなぜ現代にいるのかわからないけれど……」


 五つ目の結界の前で印を組み、安那は呪の言葉を紡ぎ出す。

 彼女は蘆屋道満が関係しているのだと気付いているのだろう。はるか昔、因縁のあった相手だからこそ安那の言い方には確信めいたものがあった。


「桜香さん、頑張ってください……あと少しで助けに行けますから」


 桜香が前鬼にさらわれてしまったのは自分の責任。

 安那は結界解呪に大粒の汗を流しながら、桜香の無事を祈っていた――。



□◆□◆

 読んでくださり、ありがとうございました。

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