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ファイル7  『鬼女紅葉』の怪 【③】

□◆□◆




 紅葉に誘われ、人の姿をとった男は石に腰かけた。

 そして自己紹介がてら、紅葉は自分の身の上話を始めたのだが――。


「第六天魔王の申し子? お前が?」


 天之尾羽張と名乗った若者がげんな顔をする。


「都を追われる時、ある方にそう言われただけですよ」


 紅葉はくすくすと思い出し笑いをした。


「悪魔の子と言われて嬉しいのか?」


 男の言葉に、紅葉は首を横に振る。


「まさか。でも、可笑しいではありませんか。この私が、仏に敵対する悪魔の王。しかも、欲界の王の申し子だなんて。そんなに欲深く見えたのかしら。そんなつもりは微塵もなかったというのに」


 そう言った紅葉は苦笑いの口に手をあてた。


「しかし、お前は皇族の――みなもとのつねもとの側室になったのだろう? 正妻になれば権力も生まれる。こんな時代だ、正妻の座を手に入れればお前の立場も安定するはずだが?」


「そうですわね、正妻のあの方もそれを心配されたようです。だから私が呪いをかけたなどと吹聴したのでしょう。たしかに、私は経基様のちょうあいを受けて側室になりました。しかし、それは私が望んだ事ではありません。ましてや、正妻など考えもしなかったのですよ」


「嫌ならば断わればよかったではないか」


「それは、あめばりさまのおっしゃった通りですわ。こんな時代ですもの、どうして女の身で男性に逆らうことができましょう――」


 一瞬、紅葉の微笑みに影が差す。


「結局は流刑の身になってしまいましたが、側室になって良かったこともあったのですよ」


「良かったこと? かごのなかの鳥にか?」


「自由がなく、外出すらままならないから籠のなかの鳥――上手いことをおっしゃいますね――」


 紅葉の顔に明るさが戻った。


「側室であった間に読み書きを覚えました。そして多くの書物を読ませていただいたおかげで学ぶ楽しさを知りました。今は元盗賊の方たちと盗賊狩りをしておりますが、それがない時は村々を回ってその時に得た知識を役立てております。こんな私でも人々のお役に立てるのは喜ばしいかぎりです。あ――――」


 何かを思い出した紅葉がぽんっと手を叩き、男の顔を見据える。


「天之尾羽張――思い出しましたわ! たしか、きのみことが腰に差していたといわれる剣。そのかのつるぎの名だったはず……。そうですか、やはりあなた様は神であらせられたのですね」


 紅葉の言葉に、男は目を細める。


「俺はお前が思うような神などではない。伊邪那岐の怒りと悲しみ、そしてつちの無念やその体液をこの身に受けたことで自我を持った道具……。神の負気をまとい、神を殺した邪剣でしかない……」


「それでも、あなた様のお姿は神々しく輝いておりました。それは、自我を持った天之尾羽張という剣。そのお心が清らかである証しではなくて?」


「この俺が、清らかだと?」


 男は目を丸くした。

 そのように考えたことなど一度もなかったのである。


「はい――」


 紅葉はゆっくりと首を縦に振る。


「たしかに、愛する妻であるみのみことを失った伊邪那岐命の怒りや悲しみ、そして計らずとも母の命を失わせるきっかけとなってしまった火之迦具土神の無念を、そのおんに纏っていらっしゃるのかもしれません。しかし、だからこそあなた様は生まれながらにして慈愛の心を持っていらっしゃるのでしょう。それがあなた様の輝きとなっているのですわ」


 微笑む紅葉を、男はフッとあざわらう。


「知ったような事を……。俺に慈愛の心などない。今はたわむれで話をしてやっているが、その気になればすぐにでも無礼なお前の首をねることだってできるのだぞ」


 男の眼光を、紅葉は微笑んだまま受け流す。


「ふふ。ムリですよ、あなた様に私は殺せません」


「俺を試しているのか?」


「まさか。あなた様は命を奪う悲しさを知っている。と同時に、命の大切さも知っています。そんな方がむやみに刃を振るうとは思えないだけです」


「お前は――おもしろい女だ……」


 男の眼光が弛む。そして、紅葉の微笑みに同調したかのように口もとをも弛ませた。

 その表情は、長きに亘って纏わりついていた自責の念を払拭したような……そんな晴れ晴れとした微笑みである。


「それにしても――」


 立ち上がった紅葉は男の振り返る。


「天之尾羽張さま――とお呼びしたいのですけれど、少々長いですわね。よろしければ『ジン様』とお呼びしたいのですが……よろしいかしら?」


「じん――だと?」


 男の目が困惑する。


「はい。神も“ジン”、やいばも“ジン”と読むことができますので、あなた様に合うのではないかとたった今ひらめきました。――お気に障りますか?」


「気に障るもなにも、お前とは二度と会う事はない。ここでの話は戯れであると言ったはずだ。ちゃんと話を聞くクセをつけろ」


 男の言葉に、紅葉は声を上げて笑い出す。

 それはとても楽しそうな笑顔であった。


「――申し訳ございません」


 ひとしきり笑ったあと、紅葉は男に頭を下げた。


「ですが、きっと私たちはまた出会う。そんな気がしてならないのです」


「予言の巫女にでもなったつもりか?」


「いいえ。私は第六天魔王の申し子ですよ。再びジン様とお会いしたいという私の欲は、必ず叶えられることでしょう」


 第六天魔王の申し子――。初めにその言葉を口にした時、紅葉には自虐的な雰囲気があった。しかし、今の彼女はその言葉に願いを託している。

 その変化に気付いたのか、紅葉はまたくすくすと笑いだす。


「また会う縁があるとは思えないがな……」


 立ち上がる男に、紅葉の笑いが止まる。


「ジン様。もう、行かれてしまうのですか?」


「ああ、お前との戯言もそれなりに楽しめた」


「ジン様。私はお前ではなく紅葉ですよ」


 紅葉に背を向けた男は肩越しに振り返る。


「気が向いたらそう呼んでやると言ったのだ。残念だったな、気は向かなかったようだ。だが――」


 男は顔を戻して歩き出す。


「ジンというのはなかなかに面白い呼び名だ。今後、また誰かに名乗ることがあるのなら、その時はジンと名乗ってみるのもよいかもしれん」


 木の根が張り出している道なき山のなか、ジンは一歩ずつ紅葉から遠ざかる。


「名残惜しいですね――。仏でも悪魔でも構いません。どうか、再びジン様とお会いできる機会をくださいませ……」


 紅葉は寂しそうに微笑み、遠ざかるジンの背中へ手を合わせた――。





 紅葉と別れたジンは、山を二つ越えたところで動きを止める。


<……何者だ?>


 空間から人の姿をとったジンが現れた。

 来た方向へと振り向くと、そこには頭に牛の角を生やした男がいる。


「鬼……とはまた違うな。お前は? なぜ俺の後をつけてくる」


「ちょっと待ってくれ。息があがっているのだ……」


 角を生やした男は胸に手をあてて大きく深呼吸した。


「――ふぅ。あの娘と別れた後、すぐに声をかけようとしたのだがな、思いのほか移動速度が早かった。いやいや、さすがは天之尾羽張、神の力を宿した刃といったところか」


 その男は微笑む。しかし、それは友好的な笑みではなく、むしろ人を小バカにするような笑みである。


「俺の問うた答えではないな。お前はちゃんと話を聞くクセをつけた方がいい」


 ジンはその男を見据える。

 人間に近い姿をしているが妖には違いない。しかしその正体に心当たりがないという表情だ。


「それは紅葉の言葉だが――どうやら、やはり天之尾羽張の口癖になりつつあるようだな」


「やはり? まさか――お前が〝時のあやかし〟といわれる存在か?」


 ジンは目を見開いた。

 その様子に、角を持つ男は目を細める。


「ほう、この世界での天之尾羽張とは初対面のはずだが……。我が名は――」


くだん――そうなのだろう?」


 ジンは男の言葉を遮ったが、男はそれに喜びの表情を見せる。


「これは驚いた。私のことを知っているとはな」


「遠い昔、どこかでその名を聞いたことがある。妖に近いが妖ではなく、かといって神でもない。無限にあるといわれる平行世界を自由に行き来する正体不明の存在――その名がくだんなのだと……。お前が現れたということは、また時代が動くのか、それとも俺に何かが起きるのかだが――」


 ジンは緊張の色を隠せない。いつの記憶かも定かではないが、この男が本当に件ならばその言葉には重みがある。もし予言の言葉を口にしたならば、その予言は絶対に外れないといわれているのだ。

 ある意味では、神をもりょうする能力といえるだろう。


「その答えでは正解の半分にも満たないな――。だが、天之尾羽張がどう動くかは知らんが、その選択によっては半分は正解となる」


 件は腕を組んで木にもたれ掛かる。


「お前は何が言いたい」


 警戒するジンに、件は口もとを弛ませた。


「そう気を張るな天之尾羽張。俺はお前が出会った紅葉という娘のことを伝えに来ただけだ。聞くも聞かぬもお前の自由。聞いてどうするのかもお前の自由だ。しかし動くのであれば、ぜひ紅葉の死の運命を変えることに挑戦してみてもらいたい」


「紅葉が死ぬ? あの娘になにが起きるというのだ」


 眼光が鋭くなったジンの目を、件は楽しそうな目で見据えていた――。



□◆□◆

 読んでくださり、ありがとうございます。

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