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ファイル7  『鬼女紅葉』の怪 【②】

□◆□◆




 はるか昔。それは山の緑も濃く深く、空気も澄んでおり大気汚染という言葉もない時代。

 生き物は自由にどこまでも行き交っていた。それは動物や人間だけでなく、妖怪と呼ばれることになるあやかしたちとの境界も曖昧であった時代。


 そんな時代のある村に、汚れた着物姿の娘が刀や槍で武装した十数名の屈強な男たちを従えてやってきた。


「村の皆さん。盗賊に奪われたというものを取り返してまいりましたよ」


 か細いながらもよく通る娘の声に、恐る恐る様子を見ていた村人たちが一斉に家から出てきた。

 家といっても、それは強風が吹けば崩れてしまうのではないかというあばら家。老若男女の村人たちはみな痩せており、なかには着るものもなくボロボロの布を腰に巻いているだけという男衆もいる。


 村人たちは娘の前で手を合わせ、心からのお礼を述べる。その後、屈強な男たちが荷車から降ろす米俵や大きなつづに群がった。


「まあまあ。そんなに慌てずとも、もう誰に奪われることもないのですよ」


 そんな村人たちの様子に、娘は手を口にあててくすくすと笑う。

 心からの明るい笑顔に、男衆だけでなく女子供も照れ笑いを浮かべた。

 娘には誰もが見惚れてしまうような魅力があったのだ。


「姉ちゃん、ありがとな! これで飢え死にしなくてもよさそうだ」


 元気な男の子が娘に走り寄り、鼻水を指で拭いながら笑う。


「これ小吉。何という口の利き方じゃ」


 やって来る老人に叱られた男の子は、積み荷を降ろす手伝いへと逃げていく。

 娘は微笑みながらその子に手を振った。


「申し訳ない。まだ子供ですじゃ。許して下され」


 頭を下げた老人が、木の枝を杖にして娘の前に歩み寄る。


「なんとお礼を申しよいのやら。このたびは、本当にありがとうございました」


 手を合わせ、村人の誰よりも丁寧に謝辞を述べる老人。

 しかし体が弱っているのか、手を合わせる老人がグラついた。

 あ。という老人の声。それでも老人は地に倒れることはなかった。


「村長、大丈夫ですか?」


 娘が老人を支えている。

 間近で見るその美しい顔立ちに、その村長は年甲斐もなく赤面した。


「わ、わしなんぞにもったいない。あなた様の手が汚れてしまいます」


 それを聞いた娘は目を丸くし、次の瞬間またくすくすと笑いだした。


「なにをおっしゃるのかと思えば。汚れるもなにも、私の手はすでに汚れているのですよ。ほら――」


 村長を立たせた娘が手のひらを見せる。

 その手には乾燥した土がついていた。


「ね。汚れているでしょう?」


 娘が微笑むと、その後ろから男の豪快な笑い声が響いた。


「そいつぁ沼に落っこちた姫さんがかつだったんだ。きょろきょろと上ばかり見ながら歩いているもんだから、木の根っこにつまづいてドボンよ。綺麗な着物だったのに……どんだけ川で洗っても、もうその土の色は落ちやしませんぜ」


 娘の倍はあろうかという体格の良い男が、顎髭を触りながら肩をすくめる。

 この男、屈強な男たちの中でも群を抜いて大きい。そして、色黒で傷だらけの顔は見る者に恐怖を抱かせるであろう。

 しかし、娘を見るその目は実に穏やかなものであった。


「あ、あれは、小鳥のさえずりが美しくて、どこにいるのかと探していたのです。それに、着ているのだから着物はいつか汚れます。土の色が落ちないのであれば、土の色に染め上げたと思えばよいではありませんか」


「物は言いようですな」


「うう……かしらは、ごんはイジワルです……」


 ククッと笑う権左に、からかわれた娘の顔が真っ赤になった。


「おいおい、頭はやめてくれ。今のお頭は姫さんなんだ。あんたへの誤解が解ければ都へ戻ることになるのだろう? それについていけば俺たちは大出世だ。姫さんには俺の命を救ってもらった恩もあるしな。どこまでもついて行きますぜ」


 権左の言葉に反応し、周りの屈強な男たちのほとんどが声を上げて同意する。


「いつになるかはわかりませんが、その時が来たら皆さんも来てくださいね」


 高揚する男たちに声をかける娘。しかしその表情はどこかぎこちない。


「ところで村長――」


 男たちに作業へ戻るよう指示した権左が村長へ向く。


「依頼された通り、盗賊を追っ払って食糧は取り返してきた。だから――」


「わかっております。お約束通り、積み荷の三分の一はお持ち帰りください」


 村長は再び頭を下げた。


 都から遠く離れたこの山間の村々は、領主から課せられる高い税、度重なる盗賊の襲撃、流行病やきんなどに苦しめられていた。

 特に、大小様々な盗賊団からの被害は深刻を極めている。汗を流して地を耕し、長い月日をかけて育てた作物を無慈悲に奪われてしまうのだ。彼らに逆らおうものならば、村人全員を殺されかねない。

そこで、娘は権左が率いていた元盗賊団の男たちと共に奪われたものを取り返すという仕事を引き受けていた。


「あ~、それなんだけどよ。四分の一にまけてやるよ」


「そ、それはありがたいのですが……よろしいのですか?」


 村長は不安そうな目で、頭を掻く権左を見上げる。


 うれしい申し出ではあるのだが、彼らは命懸けで盗賊たちと戦い、奪われたものを取り返してきたはず。そんな彼らが報酬を割り引くということは別の何かを要求してくるかもしれないと危惧しているようだ。


 そんな心配を読み取ったのか、娘は村長に微笑む。


「よいのです。相手は盗賊団というよりも、数人のならず者だったようです。私たちの到着が早かったこともあり、私たちを見た彼らは一目散に逃げていきました。なので、奪われたものはほぼ手付かず。四分の一でも十分に私たちが想定していた分量に足りるのです」


「おお。そういうことでしたか」


 村長は胸を撫で下ろす。


 娘たちはタダ働きをするわけではない。奪い返した物の半分から三分の一程度を報酬として受け取っている。

 決して安い報酬ではないが、村からみれば全てを失うほうが辛かった。


 娘と権左に礼を述べる村長。

 その様子を嫌悪する目つきで見ている男がいる。


「けっ、わざわざ返してやるこたぁないんだ。奪えるものは奪っちまえばいいんだよ。今は、人の命より食い物の方が価値ある時代なんだぜ……」


 荷下ろしをするこの男の名はまさきち

 元盗賊の彼は権左に次ぐ猛者。力では権左に敵うべくもないが、その剣技は権左を凌ぐのではないかとうたわれる男である。


「あの娘と出会って権左は変わっちまった。……あの娘、邪魔だな――」


 雅吉の邪悪な眼光は、美しく微笑む娘へと向けられていた。





 村から山にある小さな砦に帰った数日後。

 天気の良い日に娘は一人、小川で着物の洗濯をしていた。

 権左が言った通り、何度洗っても土の色を落とすことは出来ず、白い生地だった部分は土色に染まってしまっている。


「ふう。やはり無駄ですか。つねもと様に頂いた着物なのですが……仕方ありません。仕立て直して、もう少し動きやすくしてみましょうか。――あら?」


 汗を拭った娘がある一点を見つめる。

 虚空を見るような眼差しの先には山の木々しかない。


「あなたはどちら様ですか? 時折、都にも出た妖魔にも似ておりますが、あなたは違うようです――」


 娘には何が見えているのか。誰もいない空間を見つめ、何かが動いたかのように視線を動かす。


「負気というよりも……これは神気? 初めてなのでよくわからないのですが、もしや、あなた様は神なのですか?」


 娘にしか見えない何か動きを止めたのか、娘は再び虚空を見つめる。


「私はもみと申します。――さあ、私は名乗りましたよ。あなた様もを教えてくださいませ」


 紅葉が微笑むと、木々の間にある空間が揺れた。


<娘――。お前には俺が見えているというのか?>


 揺れた空間から男の声がする。


「はい。ぼんやりとではありますが、都にいた時に見た神剣のようなお姿が見えております。もっとも、あなた様ほど輝いてはおりませんでしたが」


<ふっ、おもしろい娘だ――>


 微笑みを崩さない紅葉に観念したかのように、光を放った空間から若い男が姿を現した。

 旅人のような格好をしているが荷物はない。それを不思議とも思わない娘の興味は他にあった。


「まあ。寝起きのようなぐしですよ。人間の姿をとるのは苦手でいらっしゃるのかしら」


 男の寝癖頭に紅葉はくすくすと笑う。


「真の姿を現わせば、その光によってお前の目が焼かれよう。人間と話をするのはただのたわむれだ。姿などどうでもいい」


 それでも言われてしまったから気になるのか、若い男は寝癖頭を掻く。


「娘。なぜお前には俺の姿が見えた? 低級な妖魔どもが姿を消していたならともかく、俺を見ることができたのはなぜだ?」


「紅葉です。私の名は紅葉だと申しましたでしょう?」


「答えになっていないな」


 若い男が目を細める。しかし紅葉は動じない。


「答えになっていないのはあなた様では? 私はあなた様の御名を伺ったのですから、まずはそれに答えてから質問をするべきですわ」


 そう言われた男が困ったように口をすぼめる。その様子が面白かったのか、紅葉は再び口に手をあてた。


「例えあなた様が神であったとしても、ちゃんと人の話を聞くクセをつけられたほうがよろしいのではありませんか」


 くすくすと笑う紅葉。


「まったく、口ではお前に敵いそうにないな。それにしても、よく笑う娘だ」


 男は小さく息を吐き、紅葉の微笑みに口もとを綻ばせた。


「だ・か・ら、私の名は紅葉ですよ」


「それはわかった。気が向いたらそう呼んでやる」


 不愛想にそっぽを向く男。その反応を気に入ったのか、紅葉はその顔をジッと見つめている。


「俺は――あめばりという」


「――それだけですか?」


 素っ気ない答え方に、紅葉の顔がキョトンとなる。


「天之尾羽張――はて? どこかで聞いたことがあるような……どこのどちら様でしたか?」


「俺は質問に答えたのだ。次はお前が質問に答えるべきだろう」


 男に言われ、紅葉はハッとする。


「お前こそ、ちゃんと人の話を聞くクセをつけた方がいいんじゃないか」


「まったく、その通りですわね」


 紅葉はまた笑う。

 川のせせらぎが聞こえるなか、彼女の笑顔は川面よりも輝いていた。



 これが、後に『鬼女紅葉』と伝えられることになる娘と、後に『川霧刃』と名乗ることになるジンとの出会いであった――。



□◆□◆

 読んでくださり、ありがとうございました。

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