ファイル6 『件の予言』の怪 【⑦】
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優佳に連れられて加宮邸に来た時、その庭に入った桜香はジャングルジムの切れ目に気がついた。その時、同時にこの辺りには不釣合いな高級車とそれに乗って逃げていった男たちの姿が脳裏をかすめていた。
桜香が別行動をしていたのは、その男たちの素性を調べるためである。
車のナンバーから、その男たちはとある不動産会社の者達であるということが判った。しかも、そこは捜査二課がマークしている会社だということも判明する。
タマモと合流した桜香はどう探りを入れようかと悩んでいたが、いつの間にかタマモの姿が見えないことに気付く。
すると、会社内から鬼気迫る悲鳴が聞こえてきた。何かあったに違いないと桜香が踏み込もうとするが、その前に社内から何人かの男たちが逃げ出してきた。
錯乱状態の男たちに警察官だと名乗ると、
「ちょうどよかった! 話があるから聞いてくれぇぇぇ!」
男たちは泣いて喜んだ。
その不動産会社は大物政治家と繋がりがあるらしい。いわゆる資金調達や資金洗浄といった事をやってきたそうだ。贈収賄や背任、不正取引などを調べる捜査二課がマークしていたのも頷ける。
まだ公式発表はされていないが、数年後に国道同士を繋げる大掛かりな道路拡張工事を提案した大物政治家がおり、その予定地の情報を息のかかった不動産会社に流してバックマージンを受け取るという計画を企てた。
予定地である加宮邸や周辺の家々を先に安く買収しておき、その土地を国に高く買い取らせればその差額は莫大な利益となる。
悪徳業者は、“地域の為になる施設を造る”・“加宮には別の土地を用意する”などと言って立ち退きを要求したが加宮は首を縦には振らなかった。
それは、悪徳業者が周辺の土地をも買収しようとしていることを知った加宮が独自に調べ、その企みに気付いたからであった。加宮邸の前は子供たちの通学路になっている。この土地を売ってしまえば、子供たちは時間をかけた大まわりをして登校することを余儀なくされてしまうことを危惧したのだ。
思い通りにならない悪徳業者は策を講じる。夜中にこっそりと加宮の庭に忍び込んでジャングルジムの鉄棒に切れ目を入れた。子供たちのために造った自宅の公園で事故が起きれば周辺住民からの信頼は失墜し、加宮はその土地に居られなくなると思ったのだ。
悪徳業者の狙い通り、亜美が大怪我をするという悲劇が生まれ、加宮への信頼は失墜した。さらに彼らは加宮の息の根を止めるべく、その土地の値段を吊り上げようとした加宮が子供たちを利用したという噂を広めることにする。
猫又が聞いたのは、加宮邸に来て説得に失敗した男たちがそんな根も葉もない噂を広めようと画策した話の一部分であった――。
◇
「――これは私が知った事実と猫又さんの話から推測したものですが、たぶん大きく間違ってはいないと思います」
猫又を見据える桜香を、猫又も黙って見据えている。
殺気はすでに消えており、怒りで逆立っていた毛並みも下がっていた。
「その男たちは警察に自首しました。もちろん、そういった企てがあったという証拠を持ってです。だから、猫又さんが加宮さんを襲う理由はもうないんです」
桜香はあえて詳細を訊かなかったが、その男たちは口をそろえてバケモノに脅されたと言っているそうだ。しかし、タマモが言うには「子供の姿じゃ相手をしてくれそうにないから、それなりの姿をしただけだよ」――らしい。そして、普通の警察官がそんな話を鵜吞みにするわけもない……。
猫又の妖気が小さくなっていく。
<――ワタシは、なんと愚かだったのだ……>
弱々しい声を出しながら、その体も収縮していく。
<加宮よ、すまなかった。詫びても詫びきれぬが、本当にすまなかった。ワタシは……ワタシは……>
加宮へ頭を垂れる猫又は、今はもう尾が二又になっているだけの猫である。
「シロや、もういいんじゃ。お前の気持ちはよくわかっておる。だから、もういいんじゃよ」
加宮の優しい声に猫又は顔を上げ、そして泣きそうな顔を隠すかのようにもう一度頭を下げた。
なんともいえない空気を察してか、住吉がぱんっと手を叩く。
「この様子じゃ猫又はもう悪さをしそうに無いしさ、この一件はこれで片がついたって事でいいと、俺はそう思うわけ」
明るい声を出す住吉に、猫又はギロリと眼を向けた。
<片がついただと? まだだ。ワタシにはまだやらねばならぬことがある――>
そう言うと、今度は優佳へと顔を向けた。
<優佳。お前たちに出会えて、本当に楽しかった。これからも、姉妹で仲良く暮らすのだぞ>
「え? 姉妹でって……。シロ、どういうことなの?」
その問いに答えることなく、シロは地を蹴って敷地の外へ駆けていった。
「あれ? もしかして――逃げちゃった?」
タマモの目がテンになる。
「おおい! タマモ、お前結界を張ってたんじゃなかったわけ!?」
住吉の大声に、タマモが慌てて安那を振りほどく。
「張ってたよ! さっきは逃げようとした猫又を防いだでしょ!」
「それで――今は?」
頭上からの安那の問いに、
「解いてた」
タマモは笑って答えた。
「なんで?」
珍しい山森からの問いにタマモの表情が数秒固まる。
「だ、だってさ、猫又は観念したわけだし、逃げるなんて思わないもん! それにさ、結界を張り続けるのって疲れるんだからね! そうでしょ桜香ちゃん!」
「いや、私結界張れないし……」
困った顔で横に手を振る桜香を見て、タマモが涙を浮かべる。
「ジン、何とか言ってよ! こんなの想定外だよね! ね!」
助けを求められたジン。彼はめんどくさそうに息を吐きながら寝癖頭を掻く。
「まあ――あの様子じゃ誰かを傷つけるって事はないだろう。……たぶんな」
「って事は、万一シロが誰かを傷つけてしまったならば――」
加宮のひと言に、全員の視線がタマモに集まる。
「わ、わ、わたしは悪くないも~~~~んッ!」
東の空に白みが帯びてきた早朝に、ニワトリよりも早いタマモの鳴き声がこだました――。
◇
明けの明星が輝く空の下。まだ暗い敷地内を一匹の猫が駆け、建物の傍にある高い木の下へとやって来た。そして身体を伸ばして飛び上がり、軽快に木を登っていく。
枝の上をバランスよく歩き、妖力で窓を開ける。室内には規則正しい呼吸で目覚めることのない眠りについている女の子がベッドで横になっていた。
その猫がたどり着いたのは亜美の病室だ。
<亜美……。苦しかろう、辛かろう……>
悲しげな眼で亜美を見つめる猫又は目をつむり、一度だけ愛しさを表すようにその小さな手にすり寄る。
<目覚めることのない眠りとはなんと残酷なことか……。亜美、ワタシが楽にしてやるからな――>
目を開いた猫又が妖力を高めていく。
小さな身体から漏れ出る妖気は加宮を襲った時よりも強大で、自らの命をも燃やしているかのようだった――。
◇
猫又には逃げられてしまった桜香たち。しかし、その行方はその日の夕暮れに妖部屋へとやってきた優佳から聞かされることになった――。
警視庁の妖部屋。
病院からの帰りに立ち寄ってくれた優佳の話を、捜査員全員で聞いた。
「――そっか。でも、亜美ちゃんが目を覚ましたんだからもっと喜ぼうよ」
明るく振舞う桜香に、優佳は喜びと悲しみが混ざり合った顔で頷く。
「シロが亜美を助けてくれた――。私にはそうとしか思えないんです」
優佳は膝にあてる手をきゅっと握った――。
・
優佳はいつものように学校からの帰りに病院へ寄った。
昨夜のことで寝不足になり、身体は睡眠を欲しがっていたのだが、毎日の習慣で自然と亜美の病室へと足が向かったのだ。
「今日は亜美の隣で少し眠らせてもらおうかな」
最近は姉妹で並んで寝ることなどなかったと気付き、優佳はそうしようと決めて病室へ入った。
「あれ? パパかママがもう来てるの?」
ベッドを仕切るカーテンが揺れている。それは誰かが窓を開けた証である。
昏睡状態の亜美が開けるはずなどなく、看護士が開けたとしても退室するときには必ず締めていくのでそれはない。仕事終わりにはまだ早いが、両親のどちらかが来ているとしか思えなかった。
「パパ? ママ? 今日は早いんだね」
カーテンを開いた優佳は息を呑んだ。そこには医者からも目覚める確率は低いと言われていた亜美がいる。
しかもベッドから起き上がり、足を伸ばして座っているのだ。
「あ、おねえちゃんだ」
優佳に気付いた亜美がニコリと笑って小さな手を振る。
大怪我をする前の、一緒に遊んだ時と同じ笑顔に優佳の目頭が熱くなった。
「亜美……。亜美が、亜美が目を覚まし……」
嬉しさで胸がいっぱいになり、嗚咽まで漏れるので言葉にならない。
「おねえちゃんシ~。シロが寝てるんだからシ~だよ」
亜美は小さな指を口にあてる。
「え? あ、し、シロ!? なんでシロが……」
優佳は大きな声が出そうになった口を押さえた。
シロが亜美の膝の上で気持ちよさそうに寝ている。――いや、腹部が動いていないということはシロは呼吸をしていない。
まだ幼過ぎる亜美にはわからないかもしれないが、優佳はそれがわからないほど子供ではない――――。
亜美がやさしくシロを撫でる。
「亜美ね、寝ている時ずっと暗いところにいて、パパもママもおねえちゃんもいなくて、ずっと泣いてたの。でもね、そしたらシロが来てくれて、亜美を明るいところにつれてきてくれたんだよ――」
嬉しそうに笑う亜美。
「夢のなかでね、亜美はシロとおはなしができたんだよ。シロはね、亜美やおねえちゃんのことが大好きなんだって。だからね、亜美もおねえちゃんも、シロよりもず~とシロのことが大好きなんだよっていってあげたの」
それを聞いた優佳に胸の奥からこみ上げてくるものがあった。
「そしたら? シロはなんて言ってたの?」
涙と嗚咽を堪えて訊く。
「うれしいなって笑ってた」
亜美の心からの笑顔に、優佳の目から堪え切れない涙が溢れた。
「お、おねえちゃんどうしたの?」
驚く亜美に応えてあげたいが、漏れる嗚咽が止まらない。
「おねえちゃんだいじょうぶ? おなかがいたいの?」
泣きそうになる亜美を、優佳はそっと抱きしめた。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんもね、シロのことが大好きだから――」
そう口にするのが精一杯だった。
「うん! 亜美もね、シロのことがだ~いすきっ!」
オレンジ色の空から優しい風が舞い降りる。その風は窓の傍まで来ている木の枝を揺らし、寄り添うふたりと一匹を、愛しく包むように撫でていった――。
★
勤務が終わった夜の帰り道。人通りのないその道で、桜香は人影に気付いて足を止めた。
「一部始終見させてもらったぞ。やはりお前という存在は面白いな崎守桜香」
その人影は件。
白髪に上下の黒い服、そして頭には牛の角……。その見た目は中途半端な牛のコスプレをしている若い男性にしか見えない彼は電柱にもたれて腕を組み、見世物を見る目を桜香に向けている。
「――件さん。加宮さんなら護りましたよ。今度は何を言いに来たんですか?」
桜香は心で身構える。出来ることなら関わりあいたくない相手なのだ。
「そう露骨に嫌な顔をするな。今日はお前を褒めに来たのだぞ」
「私を褒めに?」
件が笑みを浮かべる。
「まずは間違いを訂正しておこう。俺が言った失われる命とは加宮ではなく、優佳とかいう娘のことだ。いくつかの世界で今回と同じような出来事があったが、いずれの世界も優佳という娘が加宮をかばって命を落としていた。まるでそれが運命だとでもいうようにな――」
「優佳ちゃんが――」
桜香の脳裏に猫又の爪から加宮を護ろうとした優佳が浮かんだ。
「確かに、私は間に合わなかったし、タマモちゃんがいなかったらそうなっていたかも……」
桜香は件に厳しい目を送る。
「そうならそうと、最初から教えてくれればいいじゃないですか」
あの時、タマモがいなければ優佳は死んでいただろう。その前に、ちゃんとした情報があれば優佳を危険な目にあわせることもなかったのだと憤る。
「それではつまらんではないか。言ったはずだぞ。これはチャレンジだとな」
件が声を上げて笑った。彼にとって今回の事件はただのゲームなのだというように。
「しかし崎守桜香。お前は一度見ただけの車で、よくあの会社までたどり着けたものだな」
「わ、私は交通課にいました。その場にそぐわないような不審車両があれば、そのナンバーを記憶するクセがついています」
加宮邸周辺は古い家が並んでいる。その場に黒塗りの高級車が路上にあれば十分不審だった。
「なるほどな。お前に期待したのは間違いではなかったようだ。チャレンジには失敗したがな」
「失敗って――。誰も死んでませんよ。優佳ちゃんはちゃんと生きています」
「フッ、猫又が死んだではないか。仮に猫又を救うことが出来ていたとしても、あの亜美という子供が命を落としていただろう。やはり、この一件で誰かの命が失われるのは運命なのかもしれぬ……」
そう視線を逸らした件が、一瞬哀しげな表情を見せた。
「運命なんてありません」
力強い桜香の言葉に件が視線を戻す。
「詳しくは知りませんが、件さんが言っているのはただの確率でしょ? たくさんの平行世界を見てきた結果、そうなることが多いという確率的なことをあなたは言っているに過ぎません」
「確かにそういう見方も出来るな。しかし崎守桜香。数多の世界を見てきた俺にはわかってしまうのだよ。どうしても覆ることのない結果があるということがな」
「それはきっと、件さんが本気で捜そうとしていないからじゃありませんか?」
「なんだと?」
「安那さんが言っていました。あの猫又さんは自分の妖気を普通の猫に同化させて分身にしていたそうなんですが、それは自分の髪に妖気を送って式神にするというやり方に似ているそうです。おそらく猫又さんは、それを応用して亜美ちゃんと同化したのではないかと。命を繋いでいる糸のようなモノがあるのなら、亜美ちゃんの一度切れたその繋ぎ目を補っているのは、きっと全ての妖力を使って同化――いえ、自分から吸収された猫又さんだろうって――」
「ほう。それはおもしろい技だな」
「そうなんです。それは猫又さん独自の技だから自分には出来ないけれど、もし自分や川霧さんたちの妖力で猫又さんの負担を軽減できていたならば、もしかしたら自らを吸収させなくても亜美ちゃんを救えたかもしれないとも言っていました」
「だからどうしたというのだ。猫又の技を解説したかっただけか?」
「わからないんですか? 私たちには出来なかったけれど、亜美ちゃんと優佳ちゃんと猫又さんたち、みんなで喜び合っている世界が必ずどこかにあるって言っているんです」
件の眉がピクリと動いた。
「いくつの世界を見てきたのか知りませんけど、確率でしかモノを見れないあなたが運命を語るなんておこがましいですよ」
ギリッと口を噛む件がうつむき、その肩が小刻みに揺れる。
組んでいた腕を解いて顔を上げると、件は楽しそうに笑い出した。
「崎守桜香。お前は本当におもしろい女だ。確かに、俺は確率でしかモノを見ていなかったのかもしれん。だが――」
笑い終えた件の目が不気味に光る。
「俺は自分で見たものしか信じない。この先、また何かあればお前のもとへ顔を出そう。俺が運命と思うものを、お前が打ち破ってみせてくれ。――では、また会おう!」
件の姿がスッと闇に消えた。
残された桜香は鼻を掻く。
「う~ん。そういう用件では会いたくないな~……」
桜香は再び歩き出し、電柱の陰を覗き込んだ。
「そんなところで何をしているんですか?」
そこにいたのは件だった。半透明になっているから姿を消しているつもりなのだろうが、それは桜香には通用しない。
「お、お前という女はぁぁぁ……。俺が神秘的な別れを演出したのだぞ。ここは気付かぬフリをして去ってゆくのが礼儀であろうが!」
「でも見えちゃったし……」
「けしからん! 崎守桜香! やはりお前はけしからんぞ!」
半泣きの声を出した件は高く飛び上がり、今度こそ宙でその姿を消した。おそらくまた別の世界へ行ったのだろう。
件を見送った桜香の耳に鈴の音が入ってきた。足元を見れば、そこには白い子猫が一匹。
どこかの飼い猫なのだろう。首輪についた小さな鈴を鳴らしてすり寄ってくる。
「わあ可愛い。キミどこの猫さんですか? 迷子になっちゃったのかな?」
両手で持ち上げると、子猫は幼い声で鳴く。
その愛らしい目を見つめる桜香の視界が歪む。
「あれ、なんでだろう?」
その原因が涙だと知った桜香は嗚咽を漏らした。
なぜ涙が出るのかはわかっている。だから桜香はその子猫を胸に抱き――――
誰もいない夜道の真ん中で、少しだけ泣いた――。
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読んでくださり、ありがとうございました。




