ファイル6 『件の予言』の怪 【⑤】
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陽が沈んだ空には厚い雲がかかり始め、輝く星たちを隠していく。
加宮家を出た桜香はおじいさんを心配する優佳を家に帰した。そして、どこかへの電話を二本かけてからその場を立ち去った。加宮家には家主である大吾郎と、なにかしらの手段で彼に警護することをを認めさせたジンがいるのみである。
「――崎守さんのおっしゃったことは本当なのでしょうか?」
桜香と優佳を見送った加宮は、応接間に戻るとジンへとそう問いかけた。
「崎守には崎守の考えがあるんだろう、好きにさせておくさ。ここに猫又が来てもあいつは役には立たないしな」
片膝を立てて座っているジンは、ぬるくなっているお茶をひと口含んでから机へ戻す。その顔はいつも通りの寝ぼけ顔で、緊張感の欠片も見受けられない。
一方の加宮にも緊張や恐怖感は見受けらない。猫又が襲いに来るかもしれないという話を信じていないわけではないのだろうが、お茶を淹れなおしてくると台所へ向かった顔は穏やかなものであった。
「崎守の存在がどう作用するのか――か……」
応接間に一人残されたジンは、そうつぶやいて広い庭へと視線を移した。
暗い庭にはいくつかの照明が設置されており、樹木や遊具を細々とした明かりで照らしている。しかしジンはそれらを見ているわけではなく、どこか遠い目をして外を見ている。
「俺は天之尾羽張を呼び出した。しかし崎守桜香――前の世界ではお前は
ここにはいなかった。それがどう作用するのか……楽しみにしているぞ」
その予言は絶対に外れる事はないといわれる妖怪『件』は、桜香にそう言っていた。
件が言っていた『前の世界』とは、ジンが酒吞童子の家に桜香を連れて行かなかった世界であるというのを推察するに難くない。その世界のジンに護れなかった命を、『この世界』のジンが護りきる可能性は極めて低い。
件の予言の重みがどれほどのものか、外を見つめているジンは体験している。
「今回ばかりは、崎守に期待するしかないのか――」
ジンはまわりには聞こえないほど小さな自分の言葉にふと目を丸くする。
考えたことを口にしてしまったことに気恥ずかしさを感じたのか、それとも戦力にならない桜香を頼りにしてしまっている自分が可笑しいのか――ジンはフッと息を漏らして寝癖頭を掻いた。
怒り狂う猫又によってひとつの命が散る――
件の予言である。
ここまでの情報から考えると、その命というのは加宮大吾郎のことであろう。その予言の正確さを知っているジンにとって、桜香の行動に口を出さないのは藁にもすがる思いがあるのかもしれない。
お茶を淹れなおした加宮が戻ってきて腰を下ろした。一緒に持ってきたお菓子をジンに勧めると、彼はそのかりんとうへと手を伸ばす。しかし二人に会話はなく、お茶を啜るだけの静かな時間がしばらく続いた――。
「こんちゃ~す。そしておじゃましま~す」
玄関からそんな暢気な声響き、無言の空気を打ち破る。
「こら住吉、家主が出てくるまで待ちなさい」
そうたしなめたのは女性の声。
安那が勝手に上がろうとする住吉を止めたのだろう。
「崎守さんが言っていた応援の方々ですかな?」
加宮が確認の視線を送ると、机に突っ伏して寝ていたジンが片手を上げた。
「うるさいのがいるからな。すまんが、ここからは騒がしくなるぞ」
「なぁに。話し相手がいないよりはマシですわい」
加宮が笑いながら部屋を出ると、上がっていたジンの手がぱたりと落ちた。
玄関からの賑やかな声。桜香からの連絡を受け、応援にやってきた安那、住吉、山森の到着である。
◇
「猫又がおいでなさったみたいだな――」
夜も更けた深夜。妖気を感じ取った山森が庭を見た。
いつもはとっくに寝ている時間だと欠伸をしていた加宮だったが、縁側の窓際に立つ山森につられて窓の外を見る。
一見すると変わった様子はないが、肌を刺してくるような殺気が渦巻いており、それはすぐにはっきりと感じ取れるくらいに強くなった。
「この妖気だと、それなりの強さはあるみたい。だけど……」
納得がいかない表情で、安那は口もとに指をあてた。
「う~ん。とてもジンさんに対抗できる強さだとは思えないわけ」
住吉も同様の顔をする。
それは件の予言を聞いていた面々が予想していたよりも、この猫又の妖気が小さいということなのだろう。
「おいおい、油断するんじゃないぞ。猫又の標的はジンじゃなく、そこの御老人だということを忘れるな」
気が抜ける二人に、山森が厳しい目を向けた。
「そうだったわね。これは失礼しました~」
「件が見てきた世界じゃ、ジンさんを出し抜いたんだっけ。それなりの知恵はありそうなわけ」
安那はぺロっと舌を出し、住吉はわざとらしく表情を引き締める。
ただ一人、ジンの表情だけは変わらない。眠そうな目を擦り、まるで緊張感が無い。
「シロが来たのなら、ワシに話をさせてもらえんか」
「それは無理」
「それは無理なわけ」
加宮の申し出に、安那と住吉の声が重なった。
「猫又と対峙したら、その瞬間に殺されちまうぞ」
山森の低い声に身を固くした加宮だが、グッと拳を握って立ち上がる。
「それでも、ワシはシロと話をせねばならん。ワシがちゃんとみておれば、亜美ちゃんは大怪我をすることはなかったんじゃ。シロに恨み言があるのなら、ワシはそれを聞いてやらねばならん」
「だ・か・ら、恨み言を聞く前に殺されちゃうって言ってるわけ」
住吉がなだめてみるものの、鼻息荒い加宮の耳には届いていないようだ。
「上にもいるようだな――話し合いは出来ないだろうが、外へは出たほうがよさそうだ。ここにいたら家まで壊されそうだしな」
そう言ったジンがお茶を飲み干したその時、加宮の頭上にある天井が割れた。
木片と埃の中から飛び出してきたのは、尻尾が二又になっている白い猫だった。
その猫又は、一見すると虎と見間違うほどの巨体。鋭い眼光に獰猛な爪、そしてその毛並みは怒りを表しているかのように逆立っている。
「ひッ!」
加宮が引き声を上げて硬直した。
想像していた猫又とは大きく違うその姿に、驚きと恐怖から立ちすくんでしまったのだ。
加宮の眼前に迫る猫又の爪――その動きがぴたりと止まる。
「悪いなじいさん、窓も壊れるぞ」
猫又の腕を掴んでいたジンが、そのまま外へ向けて投げ飛ばした。
窓ガラスを突き破って庭へと飛ばされた猫又は、宙で体勢を整えて見事な着地をする。そして再び襲いかかろうと眼光を光らせたが、そこへ迫っていた山森の一撃によって再び宙を舞った。
山森が手にしている棒状の物は、それを開くと扇になる。一振りすれば突風を巻き起こすことができるのだが、今の一撃は鈍器として使用したようだ。
バットでボールを打ち上げたかのように猫又は宙に上がったのだが、突然その虎のような巨体が急速に萎んだ。
「こりゃ~どうなってんだぁ?」
落ちてきた猫又を受け止めた山森が怪訝な顔をする。
腕の中で痙攣をしながら気絶しているのは普通の猫。しかも、その毛は茶色であったのだ。
「あら、他の猫を自分の分身にしちゃうなんて器用な猫又さんね」
庭へ出てきた安那にはそのからくりが解ったらしい。
「どういうことなわけ?」
縁側に立つ住吉の声。その背で腰を抜かした加宮をおぶっている。
「なるほど。式神の要領ってことだな」
庭に降り立ったジンが安那の横を抜けて前へ出た。
「ほう、そういうことか。そうゆうことなら、たしかに器用な猫又だ」
山森は理解できたようだが、住吉はまだ首をかしげている。
「ジンくん、私の代わりに説明してくれる」
「面倒だ。そういうのは任せる」
「んもう。たまにはいっぱいしゃべってみればいいのに」
歩いていくジンの背中に、安那はいたずらな笑みを投げかけた。
「残念だが、のんびりと話をする時間はくれそうもないぞ」
気絶している猫を地面に寝かせた山森が、顎で遊具の方を指す。
そこには五匹の猫又がいる。そのどれもが今しがた倒した猫又と同様の姿と妖気を持っていた。
「数で押してくるみたいね。住吉、話はあとよ」
安那の言葉に、なぜか住吉だけでなくおぶられている加宮までも頷いた。
五匹の猫又のうち、三匹が加宮を目がけて駆け出した。
それを阻む安那と山森。
安那は髪の毛を束にして掴むと、その先端を指で切り落として息を吹きかける。すると落ちていく髪の毛が小鳥の形を成し、十数匹の群れとなって向かってくる猫又を襲う。
小鳥は妖気によって形作られた式神。そのくちばしが二匹の猫又を切り刻むが、一匹を取り逃してしまう。
その一匹は扇を開いた山森によって宙へと舞い上げられ、渦を成した妖気を含む風のなかで四肢が捻じ曲がる。なんとか耐えようとする猫又だったが、その甲斐なく断末魔の叫びを上げて身を縮ませた。
「猫又の姿を維持させず、なおかつ殺さない。けっこう力加減が大変ね」
式神によって切り刻まれた猫又が、妖気を失って普通の猫へと戻る。倒れている二匹の猫が呼吸をしているのを見た安那が安堵の息を吐いた。
「そいつぁ仕方ないさ。こいつらは本体に操られているだけの猫たちだからな。むやみに殺すわけにはいくまい」
落下してきた猫を受け止めた山森は、苦笑いを浮かべながらそっと地面へと寝かせる。
「さて、残ったのは二匹ね。どちらが本体なのかしら?」
向き直った安那に、二匹の猫又は目を細めた。
<ワタシが来ると優佳から聞いたようだね。脅してから少し痛めつけてやるだけのつもりだったのだが……。妖怪を雇って身を護らせるなんて、反省をする気も無いジジイだね>
シンクロしているかのように、二匹で同じ言葉を紡ぐ。
「うわ。姿も妖気の強さも同じなのに、同時に同じことまで話されたらどっちが本体かなんてわかんないわけ」
住吉があんぐりと口を開いた。
うつむき加減のジンが寝癖頭を掻きながら前へ出る。
「恨み言なら聞く気はあるそうだ――だが、痛めつけるというのは見過ごせない。そのせいでじいさんは命を落とすかもしれないしな」
顔を上げたジンは真顔だった。
<亜美の痛みをわからせてやるだけだ。その過程で死んでしまっても自業自得なのさ>
二匹の猫又が不気味に笑う。
それは痛めつけるというのは口実で、最初から殺すことが目的だという笑みに見えた。
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読んでくださり、ありがとうございました。
久しぶりの更新です。大変長らくお待たせいたしましたm(__)m
予定では次話で『件の予言の怪』は終わります。今月中に更新できるよう頑張りますので、これからもお付き合いいただければ幸いです。




