ファイル6 『件の予言』の怪 【③】 ――少女と猫又――
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優佳に病院まで案内された桜香とジンは、病棟二階の病室へと入った。
個室なのだろう。その部屋にベッドは一つしかない。
奥に進んだ優佳が窓を開けると、白いカーテンがふわりと舞った。
中学生になったばかりだという彼女は、外に向かって深呼吸をする。
手を伸ばせば届きそうな木の枝が揺れ、やさしい風が吹き込む病室。窓のそばにあるベッドには可愛い女の子が眠っていた。
彼女の名前は森野亜美。優佳の妹で、事故に遭う前は元気いっぱいに遊びまわる小学四年生の女の子だったそうだ。
「亜美は一週間前にジャングルジムから落ちたんです。その時に頭を強く打っちゃって――。それから一度も目を覚まさないんです」
優佳がそっと、点滴につながれた亜美の腕をシーツのなかにしまった。
「可哀相に――。でも、まだジャングルジムがある公園があるんだね。ずいぶん前に全部撤去されたのかと思ってた」
桜香は眠る亜美の細い髪をなでるが、彼女は微動だにしない。規則正しい寝息を
聞く限り、ただ眠っているようにしか見えなかった。
「ううん。公園じゃなくて、近所に住んでいるおじいさんがいてね、そのお庭にあるの」
優佳が首を振る。
「おじいさんのお庭?」
「うん。おじいさんの家のお庭はとても広いから、その一部を子供たちに開放してくれているの」
「へ~。良いおじいさんなんだね」
「最近は遊具のある公園って少ないでしょ。でもね、おじいさんのお庭に行けば、滑り台やブランコだけじゃなくて、ジャングルジムや登り棒だってあるのよ」
桜香の言葉に、優佳は嬉しそうに微笑んだ。しかし――
「でも、亜美がこんなことになっちゃったから……。今は誰も遊びに行けなくなっちゃった――」
優佳の顔が曇った。
「私有地だから役所の管轄ではないけれど……。事故があったから、おじいさんもおいでとは言えなくなっちゃったんじゃないかな」
「違う!」
強く言い放った優佳に、桜香は目を丸くした。
「たしかに、子供たちが遊びに行ってもおじいさんはお庭に入れてくれなくなったけど――。でも、もう行っちゃいけないって言うのは私たちやみんなのパパやママなんだもん!」
「それは、きっと自分の子供が心配だから――」
「そんなのおかしいよ! だって、最初は何もなかったお庭なのに、あんな遊具やこんな遊具があればいいのにねって、おじいさんに聞こえるように催促したのは、パパやママたちなんだよ。それなのに――」
優佳は制服の袖で涙を拭った。
「それなのに、亜美が怪我したからって、みんなでおじいさんを悪者にするなんてひどすぎるよ……」
語尾が消えそうなほどに霞む。嗚咽が漏れそうになったのを耐えたのかもしれない。
入り口横の壁にもたれて様子を見ていたジンが口を開く。
「それで、キミの妹とじいさんとその庭が、猫又とどうつながるんだ?」
その抑揚のない平坦な言い方に、桜香は非難の目を向けた。
「川霧さん。優佳ちゃんは詳しく説明するために、ここまで私たちを連れてきてくれたんですよ。物事を知るには順序があります。何も、そんなに急かさなくてもいいと思います」
妖部屋で、優佳から「猫が怪物になっちゃったんです」と聞いてから、ジンの雰囲気が変わっていた。
鬼気迫る――というか、妙に落ち着きがない。出来れば病院で話をしたいと言った優佳に、ジンは「いいから早く話をしろ」と急かした。
声を荒げるような事はなかったが、冷静なジンしか知らない桜香は耳を疑った。
「お前は暢気だな――」
ジンは壁にもたれたまま息を吐く。
「件が言った期限は明日のどこかだ。つまり、もう24時間を切っている可能性がある。『いつ』・『どこで』・『誰が』――早くそれを知るヒントを得なければ、手遅れになるってことを忘れたのか?」
静かなジンの威圧感に、桜香はグッと奥歯を噛んだ。
「忘れているわけじゃありません。猫又の犯行を止めたいという意気込みは川霧さんと同じです」
「件の予言は、ある意味では絶対だ。意気込みだけでどうにかなるものじゃない」
「そんなッ! 私だって――」
桜香は声を荒げそうになったが、それをなんとか堪える。
件は「明日、怒り狂う猫又によってひとつの命が散る――」と言った。
どんなに頑張っても、妖怪との戦いになれば自分は何の役にも立たないことを自覚している。それは、桜香にとってとてももどかしい事だった。
「あの――ごめんなさい」
数秒の間が出来た時、優佳が二人に向かって頭を下げた。
「前置きが長くなったんですけど、おふたりには、まず亜美とおじいさんのことを知ってほしかったんです。知ってもらったうえで、シロを退治するんじゃなくて、シロがやろうとしていることを止めてほしいと思って……」
「シロって……猫又のこと?」
「ふふ。犬みたいな名前でしょ」
桜香の問いに答えながら、優佳は眠る亜美へと視線を移した。
「毛が白いからシロ。亜美が名前を付けた野良猫なんです――」
いつの日からか、おじいさんが公園のように造ってくれた庭に、一匹の白猫がやって来るようになった。
毛並みが悪く、薄汚れた白猫。年老いているのか、ゆっくりとした足取りでやって来てはベンチに座り、遊具で遊ぶ子供たちを見つめていた。
特に亜美と仲が良く、ジャングルジムから落ちた彼女に、誰よりも早く駆け寄ったのもシロだったという――。
「二日前のことでした。私、気落ちしているおじいさんが心配になってお家まで行こうとしたんです。そしたら――」
◇
二日前の夕暮れ、空の半分が藍色になった頃。優佳は低木に囲まれた敷地の横にある細い路地裏を歩いていた。おじいさんの家まで行く近道になっていたのだ。
その路地からは庭が見え、誰も遊んでいない遊具が見える。走り回る子供たちの姿、賑やかな笑い声が響いていたのが幻であったかのような静けさだった。
ふと、優佳は足を止める。藪のような低木の隙間からシロが出てきたのだ。
いつものように、ベンチに座って子供たちを待っていたのだろうか? しかし、いくら待っていても子供たちが来る事はない。仲が良かった亜美も、今は病院で眠ったままなのだ。
下を向くシロは少し痩せていた。
シロも亜美を心配してくれているのかな。ごめんね、もう少し待ってて。
きっと、亜美はもうすぐ目を覚ますから……。
優佳が声をかけようとした時、庭へと向いたシロが顔を上げた。そして――
<――おのれぇ、あのジジイ。絶対に許さんぞ……>
怒りに震える声を聞いた。
優佳は耳を疑ったが、その声は確かにシロが放ったものだった。
白からゆらゆらと黒い陽炎が立ち昇り、尻尾が裂けて二本になったかと思うと、毛が逆立った体が大きくなっていく。
「え? シロ……だよね?」
シロが呆然とする優佳に気付く。
<優佳……見てしまったんだね――>
シロの怒りの目に、一瞬だけ哀しい色が灯った。
<亜美をあんな目に遭わせたジジイを、ワタシは許さない。この手で必ず――>
「――必ず……なに? 何をするつもりなの?」
優佳の問いに、シロは答えなかった。
何も言わないまま、シロは大きく飛び上がる。
優佳は見上げたが、藍色に染まった空に、シロを見つけることは出来なかった。
◇
「シロは、おじいさんになにか恐ろしいことをするかもしれないんです。でも、おじいさんは悪くない。私たちのために遊具を設置してくれただけなのに――」
桜香とジンを見つめる優佳の目に涙が浮かぶ。
「パパやママが拒否したから亜美の病室には来れないけれど、おじいさんは毎日毎日、病院の前まで来て手を合わせているんです。ごめんね、ごめんねって……」
嗚咽が漏れた口を手で押さえた。
「お願いします、崎守さんたちでシロを止めてください。亜美だってそんなことは望んでいません。おじいさんに言っても信じてもらえないし、交番に行って相談したけど相手にしてもらえなくて……もう、おふたりに頼るしかないんです」
頭を下げる優佳。
その震える肩を、桜香が優しく抱きしめた。
「事情は分かったわ。大丈夫! シロがやろうとしていることは、私たちが絶対に止めてみせるから」
桜香の力強い言葉に、優佳は胸のなかで何度も頷いた――。
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読んでくださり、ありがとうございました。
二ヵ月ぶりの更新になりました。お待たせしてすみません(^-^;
絶対といわれる〈件〉の予言。
失われそうな命――。桜香たちは怒る猫又の復讐を止めることは出来るのか?
今後の展開に注目してもらえるとうれしいです。
しばらくはこんな感じの更新が続きますが、これからもよろしくお願いしますm(__)m




