ファイル5 『付喪神』の怪 【④】
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車の往来が少ない一般道。桜香たちを乗せた車が赤信号で停車している。
運転手は岩多。助手席にジン。桜香とタマモは後部座席。これは岩多が決めた席順だ。
「――〝妖刀〟ってのが、二日前とさっきの事件に絡んでるのは間違いないのか?」
青になった信号を見た岩多が、アクセルを踏みながらジンに訊ねる。
「間違いない。その刀に妖怪が憑いているのか、妖怪が刀に変化しているのかは不明だがな」
「川霧さん、言葉使いはちゃんとしなくちゃダメですよ」
ジンの失礼な態度に、桜香はしかめっ面をする。
「崎守刑事だったか? 俺ならかまわんぞ」
どんな顔をしているのだろうか。後部座席に座る彼女からジンの表情は見えないが、彼をチラ見した岩多がノドを震わせて笑った。
「だそうだ」
腕を組むジンは、前を向いたまま大きなあくびをする。
「そういえば、川霧さんは最初から妖怪が絡んでいるって言ってましたけど……どうしてそれがわかったんですか?」
桜香は朝のことを思い出し、後ろからジンに問いかけた。
彼は代田の机にあった資料だけで、笠間映次殺害事件が妖怪がらみであると結論付けていたのだ。
「妖気の痕跡があった」
「妖気の痕跡って……そんなのありましたか?」
手持ちのバッグから資料を取り出し、桜香は笠間映次殺害現場の写真を確認。
目を背けたくなるのを堪えて凝視する――が、どれがその痕跡なのか見当もつかない。
「ムダだ。いくらお前でも、人間の目では僅かな妖気を見ることは出来ない」
「でもジン。わたしにも見えないんだけど?」
背中で話すジンへ、桜香と一緒に写真を見ていたタマモが顔を上げた。
「得手不得手があるってことだ。お前や安那は嗅ぎ分けることに特化している。さっきの、月丘の現場では妖気の痕跡を臭いとして感じたはずだ」
「うん。ぷんぷん臭ってたね」
タマモは真顔で頷く。
「写真てのは便利なものだな。見える見えないに関係なく、その時その場所にあるモノを正確に残してくれる。お前やタマモには見えなくても、俺には見える――」
ジンはひと息の間をあけた。
「あれは間違いなく〝刃〟を持つモノの妖気だ。人間の〝気〟も混ざっていたことから、体に憑りついて操っているんだろう。そして、その鋭い切り口を見れば妖刀絡みだと断言できる」
「この写真だけで、そこまでわかっちゃうんですか」
目を丸くする桜香。
「俺も、刃を持つモノだからな」
ため息でも吐いたのだろうか。ジンの肩が僅かに下がった。
妖怪との戦いになった時、ジンは腕を刀身に変化させて応戦。その切れ味は凄まじく、神話にも登場する『土蜘蛛』という妖怪の脚をもたやすく切断する。
「そういえば、川霧さんは『かまいたち』でしたよね。やはり、刃を持つ妖怪には共通した妖気があるってことですか?」
「そういうことだ。が、お前はひとつ誤解している――」
「誤解……ですか?」
「俺は『かまいたち』じゃない……」
「え? でも、代田室長は――」
――「川霧刃くんは……そうだな、
『かまいたち』といえばわかりやすいだろうね」――
代田は自己紹介をしなかったジンに代わってそう言っていた。『かまいたち』はその名の通り、鎌の刃を持つイタチのような姿をした妖怪である。しかし、それは直接ジンから聞いたわけではない。
桜香が自分の聞き違いだったのかと訊ねる前に、岩多が車を止めた。
「着いたぞ」
到着したのは二階建てのアパートの前。
築年数は30年をこえているだろう。元は白かったであろう壁のペンキは剥がれ落ち、茶色のシミが雨だれの模様を作っている。階段や手すりもサビだらけで補修された形跡はない。
はっきり言ってしまえば、好んで住む人はいないだろうという汚いアパートだ。
ここに月丘光影の別れた妻子が、旧姓の〝波原〟として住んでいる。
車を降りた桜香たちは101号室の表札を確認し、ベニヤ板で作られているような薄いドアをノックした。
「波原さん、いらっしゃいますか」
返事がないので、桜香はもう一度ノックするのだが……やはり返事はなく、中からの音もしない。
「留守みたいですね。どうしますか? 車で待ちます?」
「いや、大家に連絡だ」
岩多が低い声で答えた。
振り向いた桜香は、刑事の眼差しで下を見る岩多に気付く。その視線を追っていくと――。
「これは……血液、ですね」
桜香の身が引き締まった。
僅かではあるが、ドアの下から赤い液体が染み出ている。すでに乾燥しているようだが、それはまぎれもなく人間の血液だった――。
◇
「え~101、101号室は……」
白髪まじりの初老の男性が、波原母娘が住む101号室の前で鍵の束を探る。舌を打つのが癖なのか、鍵を探す彼から聞こえてくる「チッ、チッ」という音が耳障りだ。
大家であるこの男性はアパートの隣に住んでいた。身だしなみに気を使う人ではないらしく、服はシワだらけで、アゴと頬には無精ひげを生やしている。このアパートがボロボロなのも納得できてしまう風貌だ。
「お~、あったあった――」
部屋の鍵を見つけた大家が、それを鍵穴に差し込む。
「あんたら、本当に警察の人たちなんだろうね。厄介ごとは御免だよ……」
鍵を回し、ドアノブを握った大家が振り向いた。
少女の姿をしたタマモがいるからだろうか。家を訊ねた時に警察手帳を見せたにもかかわらず、その目はまだ訝しんでいる。
「なんだ? 令状が必要なら用意するぞ。ついでに、このアパートの耐震補強工事が済んでいるかも調べてやろうか?」
岩多にそう言われた大家が顔をしかめる。そして舌打ちをした後、無言のまま向き直ってドアノブをゆっくりとまわした。
「波原さん。失礼しま――-ひッ! ひやぁぁぁッ!」
室内の様子を窺った大家が、大きく後ろに飛び退いて尻餅をつく。結構な衝撃があったはずなのだが、痛みを忘れた彼の目は完全に怯えている。
「ねえねえ。あのおばちゃんが波原さんなの?」
彼女を見たタマモが大家に確認すると、彼は小刻みに何度も頷いた。
「悪い予感ってのは当たっちまうもんだな……」
頭を掻く岩多。
ドアを開けた玄関の隣には狭いキッチン。そこで中年の女性が横たわっている。
腹部には刺し傷。洋服を赤く染めた血液は床にも広がり、玄関にもたどり着いて染み出ていたのだ。
「む、娘さんは!? 咲絵さんはどうなったんですか!?」
嫌な映像が浮かんだ桜香は靴を脱ぎ、壁に沿って奥の部屋へと向かう。
間取りは2K。キッチンの奥には襖で仕切られた二間がある。
テレビと小さな机が置かれている部屋をぬけ、桜香は襖を開けた。
「いない……」
誰もいないことに安堵する。
母親と同じ寝室だからだろうか。その部屋は殺風景で物がほとんどない。
念のために物置も開いてみたが、二組の布団が収納されているだけだ。
「こいつは……偶然か?」
後ろからの声に振り向けば、ジンがタンスの上に置かれている写真立てを見ている。
「どうしたんですか?」
桜香も写真を見る。そこには若い女性が写っていた。
月丘光影が離婚して十年が経過している。彼が持っていた写真では中学生だった彼女は、きれいな成人女性へと成長していた。
とても幸せそうな笑顔で、波原咲絵は恋人と思われる男性に寄り添っているのだが――
「この男性って……」
桜香は、咲絵と一緒に微笑んでいる男性を見て言葉を失った。
「おいおい。こいつはどういうことだ?」
やって来た岩多も、写真を見るなり眉間にシワを寄せる。
「なに? なにが写ってるの? 私も見たいよ!」
身長の低いタマモは、タンスの前で飛び跳ねることしか出来ずにいる。
「この男性、関係者だったんだ……」
写真の男性を知っている桜香が、グッと唇を噛んだ――。
★
真夜中の公園。自分以外は誰もいないこの公園で、波原咲絵が暗闇に溶け込んでいるかのように立っている。
その手には長めの傘――に隠した抜き身の日本刀を握り、〝彼〟を待っていた。
<もうすぐだ。もうすぐだなぁ~。どうやって殺すんだ? 美味いだろうなぁ~、人間が殺される時の恐怖と絶望は……格別に美味いもんなぁ~……>
癪に障る妖怪の声。
「うるさい。黙れッ」
咲絵はおしゃべりな口を塞ぎたい気持ちで、妖刀をグッと握った。
<いいね~、怒りという感情もなかなか美味い。知ってるか? 狂気と恐怖が混ざると、味が倍増するんだぞ~>
やって来る獲物が待ちきれないのか、興奮する妖刀が小刻みに震えだす。
〝狂気〟という言葉を聞き、咲絵はフッと笑った。
たしかに、今の自分は狂っているのだろう。そうでなければ、四人もの人間を殺せるはずはない。笠間映次の殺害については不本意ではあったが、それでも怒鳴られた瞬間には確かな〝殺意〟があった。
この妖刀に体を乗っ取られてしまう事はわかっている。自我が無くなってしまう事も……。だが、その前に目的を成し遂げなければならない。自分を不幸のどん底に突き落としたあの男を、自らの手で裁かなければ死んでも死にきれない。
「来た……」
公園に入ってきた人影を見て、咲絵は彼だと確信する。
そして、やっと復讐できる喜びに震える自分を感じていた――。
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