ファイル5 『付喪神』の怪 【③】
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小屋の周りには規制線が張られ、多くの赤色ランプが回転している。
人口の少ない村ではあるが、全ての村人が集まっているかのようなやじ馬が集まっていた。若い人もいるが、そのほとんどはお年寄りである。彼らは規制線に近寄ることなく、ひそひそと話をしながら遠巻きに小屋を見ている。
だからなのだろう。やじ馬整理をする必要のない制服警官も落ち着きがなく、照明で照らされた事件現場が気になってしまうようだ。
「やれやれ、やっと解放か」
「第一発見者ですから。いろいろ訊かれるのは仕方ないですよ」
疲れた顔でボサボサの頭を掻くジンに、桜香が苦笑いを返した。
「第一発見者を疑え! っていうのは捜査の鉄則だしね」
腕を組むタマモが「うんうん」と頷く。
その姿は子供に戻っている。大人っぽい姿を持続すると気が重くなってくるらしく、この姿が一番楽なのだそうだ。
この場に来たのは、ジンから連絡が入ったからである。
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〝変化〟を見た黒峰は、岩多に怒鳴られてもまだタマモに怯えていた。
桜香がなだめに入ったことで、ようやく黒峰が落ち着きを取り戻すと、タマモは子供に戻ってドレスのなかで着替えだした。変化して体を大きくすることは出来るが服まで大きくすることは出来ない。変化前にカーテンのなかでもぞもぞしていたのは、子供用の服を脱いでいたのだという。
タマモの着替えが済んだ後、あらためて黒峰から事件の説明を受けた桜香たち。そして、黒峰が運転する車で捜査の基本である事件現場へ向かう事にした。
助手席に同乗する岩多がタバコをふかす。その煙に耐えられなくなったタマモが窓を下げた時、ジンから連絡が入ってきたのだ。とはいっても携帯電話にかかってきたわけではない。
ジンにはタマモの髪の毛を渡してあるらしく、それが通信手段になっているのだという。
「妖怪ってのは便利な能力を持ってんだな」
岩多は煙を吐きながら豪快に笑った。
運転する黒峰は、バックミラーでチラチラと怯えた目でタマモを見ている。そんな彼とは対照的な反応だ。桜香がそのことを訊ねると――
「なぜ怖がる必要があるんだ? 俺は妖怪になにかされたことはねぇぞ。よく見なくても可愛いガキンチョじゃねえか――」
振り向いて身をのり出した岩多が、ごつごつした手でタマモの頭を撫でる。
「うぅ~。髪の毛がくしゃくしゃだよ~……」
手櫛で長い髪を直すタマモを見て、岩多はまた笑う。
「それにな、凶悪な妖怪ってのもいるのかもしれないが、本当に怖いのは『人間』だ。これだけは間違いねぇ……」
少し寂しそうに言葉を続けた岩多は、タバコを取り出した携帯灰皿に入れた。
「車内に灰皿はないんでな。まったく、俺たちみたいな喫煙者には住みにくい世の中になったもんだ――」
表情を戻した岩多は、誤魔化すように肩をすくめてみせる。
「黒峰、まずは川霧ってやつのところへ行ってみるぞ。本当に殺人事件が起きているなら、鑑識を呼ぶ必要があるからな」
そう続けた表情は、熟練された刑事の顔だった――。
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鑑識作業が終わったようで、私服刑事たちとともに桜香たちも小屋へと入った。
検視局に搬送される前に遺体を確認したのだが、彼の凄惨な姿に桜香は言葉を失った。現場に入ってもその痕跡は凄まじく、おびただしい血痕が土の床にいびつな模様を作っている。
被害者は月丘光影。刃物を鍛える『刀匠』としての評価が高く、業界ではその名知らない者はいないというほどの名工であった。しかし、頑固でクセのある性格が災いして度々周囲との衝突を招いた。そのため、評価に見合った収入はない。
妻子がいたものの十年前に離婚し、妻子は出て行ってしまった。それからはこの山間の村で細々と生活をしていたらしい。
「酷な事にはなるが、身元確認をしてもらわにゃならん。だが、別れた家族とはまだ連絡が取れないらしい」
岩多は手にしている煤だらけの写真立てを桜香に渡した。
「月丘さんって。この頃は幸せだったんですね……」
写っているのは三人の親子。その写真を見た桜香のつぶやき。
中学生になった記念なのだろう。入学式と書かれた看板の前で、後ろ髪を二つに分けた少女が嬉しそうに微笑んでいる。その肩を抱くように手を添えている母親はもっと嬉しそうだ。
そのふたりから二歩離れた所で立っているのが月丘光影。頑固者を絵にかいたような怖い顔ではあるが、横目で娘を見る視線は優しく、深い愛情で満ちている。
火を使う過酷な仕事場に持ってくるほどなのだ。離れ離れになってしまったが娘への愛情は変わっていない。きっと、この笑顔が心の支えになっていたのだろう。
「すみません。いま戻りました……」
顔色悪い黒峰がやって来た。彼は月丘の遺体を見た途端にその場を離れていたのだ。
「黒峰、何年刑事やってんだ。たしかに酷いコロシだが、御遺体を見て尻込みするようじゃ使い物にならねえぞ」
「す、すみません」
岩多は怒鳴ったわけではないのだが、低いダミ声というのは迫力がある。気力が弱っている黒峰の顔色はさらに悪くなってしまった。
最近まで交通課にいた桜香には黒峰の気持ちがよく解る。交通事故でも凄惨な現場はあるが、殺人事件の現場とは空気が全く違う。
すぐにのどが渇いてしまうほどに息苦しく、背中を丸めてしまうほど重たい。被害者に向けられた殺意がそのまま残っているかのようだ。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
桜香が差し出したハンカチを、黒峰は青い顔で受け取った。
「これが、お前が刑事としての最後の事件になるかもしれないんだ。もっと気合いを入れろ」
気合いを入れる岩多。呻き声と共に、背中を叩かれた黒峰の背筋が伸びる。
「黒峰刑事。警察をお辞めになるんですか?」
「いえ。そういうわけでは……」
桜香の問いに、彼は照れ笑いを浮かべた。
「黒峰はな、隣県の県警本部長の娘と結婚するんだ。それに伴って事務職への移動も決まっている。うらやましいことに、定時組に転身だ」
岩多の言葉に皮肉はない。その目は後輩の幸せを心から祝福している。
「そうなんですか! おめでとうございます!」
花嫁衣装に憧れる桜香も祝福する。
「はは……。ありがとうございます」
黒峰の青い顔に、うっすらとしたピンク色がうかんだ。
「――ねえ桜香ちゃん」
タマモが桜香の袖を引く。
「殺害現場でそういう話をすのは〝不謹慎〟じゃないの?」
「あ。ご、ごめん……」
ジ~と見つめてくるタマモに、桜香は頭を下げた。
今朝、事件の内容についてはしゃいでいたタマモと住吉に同じことを言ってしまったのにと深く反省する。
この現場には凶器となりそうなものがたくさんあった。鉄を鍛えるための玄翁や鉄板。最近仕上げたものなのか、日本刀も数振りあった。しかし、月丘光影を殺害した凶器は見当たらない。
人間の体には筋肉や骨がある。いくら日本刀とはいえ体を両断するのは容易なことではない。しかも、作業用に着ているのは熱から身を護るための分厚い生地。これをも切り裂きながらとなると……。達人でも難しいのではないだろうか。
一通りの現場検証を終え、凶器は犯人が持ち去ったと推測した桜香たちは小屋を出る。
「桜香ちゃん、これからどうするの?」
車の傍まで来た時、タマモが桜香を見上げた。
「う~ん。鑑識さんたちが報告を上げるまで時間がありそうだから、被害者の……月丘さんの別れた奥さんの家に行ってみようと思う。住所はここから少し離れているけど、月丘さんが殺害された理由をなにか知って――」
そこまで言った桜香は口を押える。岩多が目を細めてこちらを見ていたのだ。
『特殊事件広域捜査室』は、警察の管轄に関係なく捜査をすることを許されている部署。しかし、それは捜査の主導権を握れるというわけではない。あくまでも、地元警察に協力するという体裁になっている。
「すいません。余計な事を言いました」
頭を下げた桜香。岩多はその肩をぽんっと叩く。
「怒っているわけじゃねえよ。足跡や遺留品からの捜査は別のやつらにやらせておけばいい。この事件は普通じゃねえからな、こっちはこっちのやり方をすればいいんだ。お前さんたちはそのために来たんだろ?」
助手席のドアを開けた岩多はもう一言付け加える。
「乗れよ。捜査に貪欲じゃなきゃ刑事は務まらねえぞ」
「は、はい!」
桜香は敬礼した。刑事としての心構え――大切な事を教わった気がしたのだ。
フッと笑った岩多。車に乗り込もうとする彼を、黒峰が慌てて呼び止めた。
「そういうことでしたら、自分は一度署に戻ります。鑑識から結果が出たらすぐにお知らせしますよ! その方が効率が良いでしょうし」
口早にそう言うと、黒峰は小走りで鑑識の車両へと向かって行った。一緒に乗せてもらうのだろう。
タマモがキョトンとした顔をする。
「さっきまで吐きそうな顔してたのに。彼、どうしちゃったの?」
「さあな。まだ化け狸のお嬢ちゃんにビビってるんじゃないか?」
そうからかった岩多は、タバコに火をつけて運転席側へと回る。
「だから! 狸じゃなくて狐なんだってば!」
「いいから乗れガキンチョ。もたもたしてると置いてくぞ」
抗議を聞いてもらえないタマモが後部座席へ放り込まれた。
岩多の指名で、ジンが助手席に乗り、桜香が後部座席へと乗り込む。
「こらっ、なにをもたもたしてるの! はやくしないと置いていくわよ!」
車内から叫ぶタマモに、消したタバコを携帯灰皿に入れた岩多が渋い顔で耳を塞ぐ。
「妖怪ってのはこんなにやかましいのか。死んだ婆様に教えてやりたいぜ……」
苦笑いをしながら運転席に座った岩多。
動き出した車がやじ馬たちを通り過ぎていく。有力な情報を求め、桜香たちは月丘光影の別れた妻子の住所へ向かって行った――。
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