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ファイル1  『手長足長』の怪 【前編】

□◆□◆



「おい。そこで止まれ」


 雲行きが悪くまだ薄暗い路上で、男の声が静かに響いた。


 振り返った『人影』。

 前には黒いスーツ姿の若い男と、雨具を着た小さな女の子。


 親子というには年が近く、兄弟というには年が離れているように見える。


 だが、『人影』は見抜いていた。

 このふたりは、自分と同じ――――『人間ではない存在』だということに……。


「お前のやったことは見ていた。おとなしくついて来てもらおうか」


 若い男の鋭い切れ目が不気味に光る。


 『人影』の身が震えだす。そして、


「だ、誰だか、し、知らねえけど……こ、こっちはお前に、よ、用事なんてねえぞっ!」


叫ぶと同時にその手足が伸びた。


 手足だけが二メートルほど伸びたその異様な姿を見ながらも、若い男と女の子に驚いたり脅える気配はなく――――


「アイツやる気みたいだよ。どうするの?」


「……少しだけ、遊んでやるさ」


――呆れた顔で『人影』を見上げていた。





 一粒の水滴が頬を濡らす。


「やっぱり降ってきちゃったか~……」


 彼女はそう言いながら指で水滴を拭った。


 早朝ではあるが、明るくなるにつれ灰色のどんよりとした雲をはっきりと見ることが出来る。


 さきもりおうは空を見上げ、「もう少し待っててくれればいいのに……」と付け加えながら手の平で雨粒を握り潰した。


 恨みがましく口を尖らせる彼女だが、雨が嫌いというわけではない。

 むしろ、良い思い出が沢山あるので雨は好きなのだ。




 幼い頃、夏休みに田舎の祖父の家に行くと、祖父は決まって桜香を遊びに連れ出した。山の滝を見に行ったり、小川でいわを捕まえた。秘密のお花畑の場所を教えてくれた事もある。

 それはとても楽しい時間だったのだが、帰り際になるとどういうわけか、毎度のように雨が降ってきた。

 祖父に背負われる桜香は、茶色い傘に雨があたるパラパラという音を聴きながら大きな背中でウトウトするのが大好きだった。

 父親のいない桜香にとって、祖父は『お父さん』のようだったのだ。


 大人になってからは、仕事の都合で田舎に行く回数も減ってしまった。

 それでも桜香にとって、『雨』は祖父との良い思い出に変わりはない。




 髪は短く切ったから多少濡れてもすぐに乾いてくれると思いながらも、桜香は雨対策として藍色のスーツの上着を被る。


「川霧さんたち遅いなあ……。何やってるんだろ?」


 ここで待機するよう言い残し、どこかへ行ってしまった先輩を恨むようにつぶや

いた。


 ここが雨宿りをする場所もない郊外の路上でなければ、こんな気持ちになってはいないだろう。

 早朝の路上で傘も持たずに、桜香は十字路の壁際に身を潜めている。おかげで新調したスーツは濡れてしまうし、先ほど通り過ぎて行った新聞配達のお兄さんには変な目で見られた。



 警察官となった桜香は、所轄の『交通課』で勤務していた。

 だが先日、数年前に本庁で発足した『特殊』な事件を扱う部署への移動を言い渡された。

 憧れだった『刑事』になれたのはよかったが、着任早々の最初の事件でずぶ濡れ――――最悪な『初仕事』になってしまった。



「桜香ちゃん、そろそろ来るよ」


 可愛い声がして、被っているスーツが引っ張られた。

 振り返った桜香の前には、黄色いレインコートを着た女の子。

 ニコニコと微笑みながら桜香を見上げている。


「あれ? タマモちゃん、川霧さんはどうしたんですか?」


 濡れたスーツに腕を通しながら、桜香は少し腰を落としてたまと目線を合わせた。



 年上で先輩でもある玉藻に対して、『ちゃん』付けというのは本来あってはならないのだが……。

 彼女の見た目はどう見ても『小学生』である。

 レインコートのフードを被って微笑むその姿というのは、思わず抱きしめたくなるくらいに愛らしい。

 『ちゃん』付けがしっくりくる容姿だし、本人がそう言ってほしいというのであれば、桜香に断る理由はなかった。



「ジンなら、〝犯人〟を追いかけながらこっちに追い込み中! わたくし“新人を手伝え”の命を受け、先に戻ってまいりました!」


 冗談を言う口調とピッとした敬礼も可愛い。

 桜香は口に力を入れてにやけてしまうのを耐えた。


「犯人は北から来るから、逃がさないように意地でもしがみつけってジンが言ってたよ」


「了解です。 私の初仕事……絶対に逮捕してみせるんだから!」


 気合い十分。

 桜香は犯人を迎えるべく、十字路を右に曲がった。


 見通しの良い一本道。

 遠くからこちらに向かってくる人影が見えた。


「被疑者確認! これより――――なっ!?」


 人影が大きくなるにつれ、桜香の表情は強張っていく。


「な、な、なんなんですかアレはっ!?」


 思わずタマモへと振り返る。


 確かに人影が向かってきているのだが――――あの異常ともいえる手足の長さは

なんなのか!

 手足だけがそれぞれ二メートルくらいの長さがあり、胴体との釣り合いが全く取れていない。


「『アレ』って言わない」


 タマモは一瞬だけムスっとした。彼女は桜香の隣に並ぶと、


「彼は『ながあしなが』。窃盗の容疑がかかっているから、サクッと取り押さえちゃってね!」


人差し指を立てて微笑んだ。


「取り押さえろって言われても……」


 うろたえる桜香。


 被疑者の頭頂部に髪の毛はないが、側頭部から肩まで伸びている髪が激しく揺れている。着ている服はボロボロで、まるでオジサンが扮した『落ち武者』のようである。

 大きく目を見開き必死の形相で駆けて来るが、桜香も警察官の端くれである。そんなことでビクついたりはしないのだが――――


   ど、どうやって取り押さえればいいのよ!?


 被疑者の足の長さだけで、桜香の162cmという身長をはるかに超えている。


「だから、〝意地でもしがみつけ〟ばいいんだよ」


 楽しそうに言うタマモに、桜香は乾いた笑いしか返せなかった。


   下手したら、着任早々『入院』することになるかも……


 馬に蹴り飛ばされるような衝撃を想像してしまう。


 桜香は頬を叩いて冷たい汗を気合いで振り切る。

 そして被疑者――『手長足長』へ向き直って前へ出ると、


「こちらは警察です、止まりなさいッ!」


両腕を広げて道を遮った。


 『手長足長』に止まる気配はない。その一歩はとても大きく、あっという間に目の前まで来た。

 〝普通に走っている〟そのひざが眼前に迫る。


「ひィッ!」


 しがみつこうとその長い足に狙いを定めていた桜香だったが、思わず頭を抱えるように避けてしまった。


 それを目にしたタマモが小さく息を吐く。


「まあ……そうなっちゃうよね~」


 そして、桜香を飛び越え――いや、またいだ『手長足長』を見据える。


「止まりなさいって言われたら、ちゃんと止まりなさいっ!」


 どこからともなく現れた大きな木槌おおづちを手にすると、


「くらえっ、ピコピコハンマー!」


そう叫びながら、ピコピコ鳴るモノがまったくついていないソレで、『手長足長』のスネを強打した。


「あギがッ!」


 激痛に『手長足長』の顔が歪み、片方の足で二歩ケンケンしてから路上に倒れ込んだ。


「ごめんね~、痛かった? でもね、窃盗は犯罪だから――――とりあえず逮捕するね!」


 タマモはチラリとへたり込む桜香へと目を向け、動けないと判断すると自分で石の手錠をかけた。




 強くなってきた雨。

 桜香は前髪から垂れる滴を気にすることなく『逮捕』の瞬間を見ていた。


「『初仕事』はどうだった?」


 頭上からの男の声に、桜香は顔を上げた。


 そこには黒いスーツの男。

 整った顔立ちながらも鋭い切れ目が印象的な『かわぎりじん』が、呆れた目でへたり込む桜香を見下ろしている。


「川霧さん。すいませんっ、私……」


 慌てて立ち上がるが、ジンは目を合わせたくないかのように前へ出た。

 そして――――


「やはり『人間』であるお前では役に立たん。帰ったら、さっさと〝異動願い〟か〝辞表〟を出せ」


 冷たい声でそう言うと、振り返ることなくタマモたちへと歩いて行った。


 残された桜香は声も出せずに立ちつくす。


 激しさを増した雨と灰色の厚い雲は、まるで桜香の心情を表しているかのようだった。





   この世の〝気〟は乱れている



 近年、全国で『原因不明』・『正体不明』の事件が続発していた。


 どんなに優秀な捜査官を集結しても解決できない『事件』を、警察内部では――


   〝あやかし〟


――航行中の船を難破させたり動かなくさせたりする原因不明のものを、捜査の行

き詰まりに例えてそう呼んでいた。


 事態を重く見た警視庁は、管轄にとらわれることなく捜査することの出来る新たなる部署として


   『特殊事件広域捜査室』


を立ち上げた。しかし――――


 警視総監が直々に集めた人材ではあったが、素性のよくわからない者達への薄気味悪さや反感は強かった。


 警察内部の多くの者達は、新たなる部署に皮肉を込めて


   『あやかし部屋』


そう呼んでいた。


 だがこの『妖』という言葉が、実は的を得た表現だったという事は一部の者しか知らない……。





 早朝の雨は昼過ぎにはやんだ。

 今は、傾きが大きくなった太陽が西の空を赤く染め始めている。



 警視庁内部――――。

 天井に三本しかない蛍光灯でも、十分に明るいと感じるくらい狭い部屋。


 この資料室を改装した窓が一つしかない部屋で、桜香は両肘をつきながら自分の机の上にある紙を見ている。


「崎守くん。報告書って……もう出来たかな?」


 遠慮がちなだいの声。


「は、はい。すいません、今お持ちします!」


 顔を上げた桜香は、見ていた紙を手に取って椅子から立ち上がった。



 恰幅の良い代田の〝見た目〟は50代。

 メタボ気味になりつつあるお腹を気にしているらしい。


 報告書にさっと目を通した代田は、渋顔の桜香に優しい笑顔を向けた。


「今日は朝早くから大変だったね。どうかな、上手くやっていけそうかい?」


「はあ……」


 言葉を濁す桜香。



   『人間』であるお前では役に立たん



 先輩の川霧刃に言われたあの言葉が胸に刺さった。




 昨日――配属の挨拶のおり、室長の代田から


  「ここで『人間』なのは崎守くんだけでね。

   ぜひともみんなに、『人間社会』でのルール

  というものを教えてあげてほしい。 期待しているよ」


そう言われた。


 この部署にいる『人達』は皆、俗にいわれる『妖怪』またはそれに類する者達だという説明を受けた。


 姿を変えて『人間社会』に溶け込んでいる者達がいるという事は、この『特殊事件広域捜査室』に配属されることになったなったであろうという、ある〝事件〟で初めて知った。


 子供のころから、他の人にはない特異な〝能力〟を持っていた桜香にとって、それは驚くようなことではなかったし、自分は「何かの役に立てる」という自信もあった。


 それなのに、今朝のあの失態……。


 桜香の『自信』は粉々に砕かれてしまった。




 後ろで、はめ込みのすりガラスにヒビの入ったドアが開く。


「なんだ、お前まだいたのか? 別れの挨拶が済んだのなら、さっさと帰れ」


 室内に入ったジンは、振り向いた桜香を一瞥して自分の机へと向かった。


「ちょっとジン。そんな言い方ってないんじゃないかな!」


 小学校にあるような小さな机。

 その椅子に座るタマモが、背もたれに両肘をつけてほっぺたを膨らませた。


「桜香ちゃんだって頑張ろうとしたんだよ。だいたいね、ジンなら『手長足長』があそこに来る前に確保出来たでしょ? 桜香ちゃんはわたしたちと違って『妖のたぐい』じゃないんだからね! あれじゃ職務怠慢だし、パワハラで訴えられてもおかしくないんだから!」


 タマモの喚き声を、ジンは目を閉じて耳に指を入れながら聞いていた。


「俺はな、捜査員の配置には〝適材適所〟があるって言いたかっただけだ。頑張る頑張らない以前に、崎守はこの『部署』にはむいていない。どうせここから〝いなくなる〟んだ。それなら早い方がいいだろう?」


 めんどくさそうにそう言ったジン。

 まだいろいろと言ってくるタマモに対して、腕を組んで寝たふりを決め込んだ。


 それを見た代田が深い息を吐く。


「彼は誰に対してもああなんだ、気にしなくてもいいからね」


「いえ、お役に立てなかったのは本当の事ですから……」


 優しい声で慰めてくる代田に、桜香は眉を落として頭を下げた。



「ねえ。桜香ちゃん、ここを辞めるなんて言わないよね……?」


 いつのまにか傍に来ていたタマモが、桜香に寂しそうな目を向けてくる。


「……どうかな。私が『ここ』にふさわしいとは思えないし……」


 桜香は素直な気持ちを口にしていた。



 いくら『特殊』な犯人だったとはいえ、自分は何もできなかったという事は十分に自覚している。

 正直に言えば、「〝異動願い〟か〝辞表〟を出せ」・「〝適材適所〟がある」というジンの言葉はショックではある。しかも、その意見に対して「その通りだ」と思った事も事実だ。

 しかし――――



 桜香は代田へと向き直る。


「代田室長。少し出てきてもいいですか? 報告書を書いていた時に――少し気になる事があって……」


「気になる事とは?」


「容疑者の『手長足長』は黙秘を続けているそうです。犯行を見届けての現行犯逮捕なので言い逃れは出来ないのですが――」


「そうなの! なにを聞いてもな~んにもしゃべんないの! まあ窃盗っていっても、駄菓子屋さんからお菓子をいくつか万引きしただけだけどね」


「那須野くん……」


 口をはさんだタマモに、代田は厳しい視線を送りながら人差し指を口に当てた。


 桜香は先を続ける。


「それで、被害に遭われた『米田菓子店』さんのお話しに気になる点がありまして、自分でもどう言えばいいのかわからないんですけど――――」


「構わんよ。崎守くんの好きなように調べてみたまえ」


 ちゃんとした理由を言葉に出来ない桜香に、代田が許可を出した。


「そうだ。那須野くん、キミも崎守くんについて行きたまえ」


「え、わたしも?」


 突然指名されたタマモがキョトンと目を丸くした。


「どうだろう崎守くん。キミが調べてみたい事――那須野くんもいた方が心強いのではないかね?」


 これには桜香も目を丸くしたが、


「は はい、ありがとうございます! 行こうタマモちゃん!」


微笑む代田に頭を下げ、タマモの手を引いて颯爽と部屋を出て行った。




「おいオッサン。 いったい何を考えている?」


 代田とふたりになった途端、ジンは目を開けて鋭い眼光を送る。


「そういえば、まだ川霧くんからの報告書を貰っていないね」


 桜香に見せていたのと変わらぬ微笑みで受け流す代田。


「崎守くんは、きっと我々の良い〝刺激〟になってくれるだろう。そうは思わな

いかね?」


「思わないね。あいつは〝ここ〟に関わるべきじゃない。 だいたい、普通の人間には見えないはずの、〝姿を消した妖を見ることが出来る〟……そんな能力だけでこの仕事が務まるわけがないだろ。あいつは――――」


 少しだけ間をあけたジンは、


「――――あいつは、ただの『人間』なんだ」


そう言いながら立ち上がり、ドアへと向かう。


「どこへ行くのかね?」


 代田の問いに答えることなく、ジンは部屋を出て行った。



 一人部屋に残された代田は、ゆっくりと椅子にもたれる。


「混乱しているのなら――――良い傾向なんだがね……」


 閉まったドアを見つめるその目は、慈愛に満ちた優しい目をしていた。





 夕日は沈みかけているが、空には綺麗な茜色が広がっていた。


 小さな公園で、小さな女の子が長い髪をなびかせてブランコを揺らしている。


「ねえ桜香ちゃん。あんな話で何かわかったの?」


 ブランコに乗りながら流れる雲を見ていたタマモが、ベンチに座る桜香に話しかけた。


「うん。タマモちゃんのおかげで色々とわかってきたよ」


 『米田菓子店』のおばあさんや近所の子供たちからいろんな話を聞いた。

 その内容をメモしていた手帳を閉じた桜香は、タマモに「ありがとう」と言って微笑んだ。


 〝見かけは子供〟のタマモが一緒だったおかげで、警察だと言っても警戒されることなく話を聞くことが出来た。

 そのおかげでいくつもの重要な証言を聞くことが出来たのだ。


「それじゃ、そろそろ戻ろっか!」


 タマモに声をかけた桜香がベンチから立ち上がる。


 不意に、公園を出ようとした桜香の後ろで何かが切れた。


 「?」


 振り向くがそこには何もなく、ブランコを降りたタマモが追いかけてきているだけだった。


「『コワイ』ね……」


 つぶやいたマタモに、


「どうしたの? なにが『怖い』の?」


桜香はそう問いかけたが、


「な~んにも。 こっちの話だよ~!」


彼女は明るい声で桜香の横を通り過ぎて行った。



□◆□◆

 読んでくださり ありがとうございました。

 【後編】に続きます。

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