ファイル5 『付喪神』の怪 【②】
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電車を乗り継いで約一時間――。桜香とタマモは郊外の小さな駅に降り立った。
通勤時間を過ぎた駅は人がまばらで、都心と比べると同じ東都内とは思えないくらいの寂しさを感じる。しかし、人口密度の濃い都心から解放された桜香はホッとした息をついた。
隣との県境にあるこの駅からはいくつもの山が見える。標高四百メートルにも満たない小さな山ではあるが、近くから見ると大きく見えることに懐かしさを感じているのだろう。
上京して警察官となり、〝刑事〟に憧れていた桜香。彼女にとって本庁勤務というのは夢にも思わなかった昇進であった。自分が思っていた部署とは異なってはいたが、そのことについては人生最大の喜びを感じているし、体の底からやる気も湧き出てくる。けれども――
田舎暮らしをしていた桜香は、人々が忙しく動き回っている都心より、こういった穏やかな風景に心が休まるのかもしれない。
「桜香ちゃん、これ見てぇ~!」
弾んだ声に桜香が振り向くと、タマモがクッキーの入った小袋を持って見上げている。
「どうしたのこれ?」
驚く桜香に、タマモは満面の笑みを向けていた。
「へへ、あのおばあちゃんがくれたんだ~」
嬉しそうに指差したのは、さわやかな風が吹く青空の下、優しそうな笑顔で小さく手を振っている老婦人。
年齢は七十代だろうか。ワゴンの後ろに立つその年配の女性は、手作りクッキーと書かれてある看板の横で路上販売をしているようだ。
「おいしいよ。桜香ちゃんも食べるでしょ?」
「ありがとう。あ、でも……買ったんじゃなくて、〝くれた〟んだよね」
桜香は伸ばしかけた手を止めた。
「こういうの……いいのかな?」
悩む桜香の前で、タマモがクッキーを口へと放り込んだ。
「いいんじゃない? 買うって言ったのに“あげる”って言うんだもん。あのおばあちゃんはわたしを〝普通の子供〟だと思ってるみたいだし、公務員だからとかいって警察手帳を見せても混乱させちゃうだけだろうし、それならありがたく頂戴してもいいと思うわけさ」
クッキーを飲み込んだタマモの顔が幸せそうに綻む。
「せっかく“若いお母さんと一緒に食べてね”ってくれたのに、桜香ちゃんは食べないの?」
口をもぐもぐさせるタマモが「ぶぅ~」と口をとがらせた。
「お母さんって……」
桜香はなんとも言えない複雑な顔になる。
たしかに、スーツ姿の自分と低学年の小学生にしか見えないタマモが一緒ならそういうふうに見えてしまうのかもしれない。年の離れた姉妹……というのは難しそうだ。
こちらを見ている老婦人が心配そうな顔をしている。タマモが叱られていると思っているのかもしれない。
「せ せっかくだし、ひとつ頂こうかな!」
老婦人に会釈をした桜香はクッキーをつまんで口へと運ぶ。
「お、おいしい!」
売り始めたばかりだったのだろう。まだ温かくて心地よい甘さが口の中に広がっていく。
「でしょ! 桜香ちゃんも気に入ると思ったんだ!」
振り向くタマモが両手で大きなマルを作った。それを見た老婦人が嬉しそうに微笑んだ。
「ジンもバカだね~。一緒にこの駅で降りていれば、こんなにおいしいクッキーが食べられたのに」
さっきまでジン相手に偉ぶっていたタマモが、もう一枚クッキーを口へと放り込む。
ジンは「所轄署へ行く前に確かめたいことがある」と言い、この駅では降りずに引き続き山の方へと向かう電車に乗って行った。
その途中の電車内でいろいろと説明していたタマモと、それを眉間にシワを寄せて無視していたジンを思い出し、桜香からクスッと笑いがこぼれる。
都心から離れているとはいっても東都内である。車で十分来ることができる距離なのだが、代田から電車を使うように言われたのだ――。
◇
警視庁にある車の使用申請を済ませ、駐車場へ向かっていた桜香たちは代田に呼び止められた。
「川霧くんは電車に乗ったことがなかったはずですよね? 良い機会だから、現地までは電車で向かってください」
「そんな事を言いに、わざわざ追いかけてきたのか?」
あきれたと言わんばかりの冷たい言い方であったが、代田の〝仏の笑み〟は崩れない。
「そっか。あの時ジンはお留守番だったから、まだ電車に乗ったことがないんだ。それなら――」
ぽんっと手を叩いたタマモが不敵な笑みを見せる。
「ジン。電車に乗ったことのあるわたしがお手本を見せてあげよう。しっかりと見て勉強したまえ」
胸を張るタマモに手を引かれ、桜香たちは駅へと向かった。
・
三枚の切符を買った桜香から、タマモは素早く一枚抜き取っていく。
「ジン。これが有名な『自動改札機』である。ここでのルールはひとつ! 通り抜けたら戻ってはならない。退路はなきものと考えるのだ!」
切符を入れ、開いた改札扉を通ったタマモが振り返る。
「今のように、切符を入れたら扉が開く。それが面白いからといってもう一度やってしまったが最後。この切符は二度と戻ってこないので注意するように!」
それは自分がやっちゃった失敗だよね……。と、桜香は胸の内でつぶやいた。
前に『河童事件』の捜査で新潟県へ向かう時、タマモがそれをやってしまったために駅員さんへ頭を下げたことがあったのだ。
タマモは電車のなかでも説明を続ける。
「電車は〝でんき〟っていうので動いているのだよ。そこそこ速いでしょ? もちろん、本気を出せばわたしの方が速いけど、疲れないからわたしはこっちの方が良い」
妖怪の事件が起きた場合、今まではタマモが大きな鳥に変化して現地へ向かっていたらしい。複数人を乗せて空を飛び、人間に見られないように姿を消すことにも気を配らなければならなかった。そんな彼女にとって、電車は画期的な乗り物なのだそうだ。
返事も返さないジンを気にする様子もなく、タマモは喋り続けていた。
そのジンが何をしていたのかといえば、真剣な表情で警察手帳に何かを書き込んでいた。
まだ知らされていない事件の情報かと思った桜香が、横目でこっそり覗いてみると、
〝電車の乗り方〟
① 目的地までの切符を買う
② 切符を改札の穴に入れる(戻ってきてはいけない)
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小さな文字でそんなことが書かれてあった。
クールな彼とのギャップに、
「か、可愛い……」
と思った桜香だが、もちろんそんなことを口に出してはいない。
それを言ってしまえば冷たい視線を受けてしまうだろうし、なによりこみ上げてくる笑いを抑えるので必死だったのだ。
◇
所轄の警察署は、駅から歩いて十分程度の所にあった。
警視庁から来たと伝えると、すぐに灰色のスーツを着た男性がやって来た。
「本庁からご苦労様です。自分は黒峰といいます、よろしくお願いします」
敬礼をした彼は人懐っこい顔で微笑む。
桜香より年上の、三十才前後というところだろうか。褐色に焼けた肌に引き締まった体型から、外で行うスポーツをしているのかもしれない。
笑顔が魅力的な好青年。きっと女性にもモテることだろう。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
頭を下げた桜香に、黒峰も会釈を返した。
桜香たちが通されたのは、会議室に設けられた『緊急対策捜査本部』。
二日前に起きた笠間映次殺害事件。この被害者に恨まれるような要素がなかったことから、警察は通り魔事件として捜査を続けているらしい。だが、人間が真っ二つにされるという稀にみる殺害方法に手を焼いているようだ。
会議室には誰もいない。全員捜査に出ているのだろう。
「なんで子供がいるんだ?」
資料に目を通している桜香たちに中年男性が声をかけてきた。
「わたし?」
タマモが自分を指差す。
彼女はどう見ても小学生にしか見えない。男性の疑問はごもっとも。
黒峰も不思議に思っていたようだが、警視庁の桜香が一緒という事もあって流していたようだ。
「岩多さん。お疲れ様です!」
背筋を伸ばした黒峰が敬礼する。
岩多と呼ばれた中年男性が一瞥すると、黒峰は身を固くした。
「子供が見るようなモノはここにはない。あんたが連れて来たのか? 何を考えている……」
ダミ声を出し、岩多は責める視線で桜香を見据えた。
下手な言い訳をしようものなら、即座に殴られてしまうかのような威圧感だ。
「わたしの姿がいけないの? それなら――」
キョトンとしていたタマモが窓へと近づいていく。そして、
「えいっ!」
白いカーテンを引き千切ると、それをコートのように羽織る。そして、そのなかでもぞもぞと動きだした。
「ちょ、ちょっとタマモちゃん! なにしてるの!?」
目を丸くする桜香。
動きを止めたタマモは、岩多に向かってニコリと微笑んだ。
「わたしが大人になればいいんでしょ?」
「は? お嬢ちゃん、何を言って……なっ!?」
困ったような岩多の目が、次の瞬間大きく見開かれていた。
「え!? なに!? どうしちゃったの!?」
桜香も目を見張る。
突然タマモからポンッと煙が出て、彼女を包んでいったのだ。
そして、煙がおさまると――――
「どう? これならいいんじゃない?」
そこには、高校生くらいに成長したタマモがいた。
白いカーテンは、いつのまにかドレスになっている。スカートの裾を少し上げてポーズを決めるその姿は、まるで花嫁のようだ。
「す、すごい! どうなってるの!?」
「桜香ちゃんは初めて見るんだったね。 これがわたしの能力の一つ、〝変化〟だよ!」
驚く桜香に、タマモは「エヘっ!」と舌を出した。
岩多も驚いたようだが、
「なんだ、〝化け狸〟か……」
スグに冷静になってタバコを取り出した。
「〝狸〟じゃなくて〝狐〟! これでも大妖怪って言われてるんだからね!」
美女になったタマモに突っ込まれながらも、岩多は「似たようなモノだろ?」と言ってタバコに火をつけた。
「お、驚かないんですか?」
桜香の率直な疑問に、岩多は右手を上げた。
「驚いてないわけじゃない……」
手に持つタバコが小刻みに揺れている。
「俺は初めて見るが、死んだ祖父母がよく言っていた。昔は、稀に人里に下りてきた〝化け狸〟が、人間をからかって遊んだり、助け合ったりすることがあったってな」
厳しかった岩多の目は、昔を懐かしむ穏やかな目になっていく。
「お前らみたいなのがまだいたとはな……。それにしても、もうちょっと考えて行動しないとな。若い奴には刺激が強すぎだ」
部屋の隅に視線を送った岩多が鼻で笑う。
そこでは黒峰が腰を抜かしていた。
畏怖の念がたっぷりこもった目でタマモを見る彼は、震える口で「バケモノだ」と、声にならない言葉を紡いでいる。
桜香は脅える黒峰をなだめようとしたが、その前に岩多が彼の尻を蹴り上げていた。
「お前は刑事だろッ、こんくらいで腰抜かしてんじゃねえ!」
会議室に響いた怒号。
鼓膜が破れるかと思った桜香だが、腰を抜かさずに立っていられる自分に安堵している。
「こんぐらいって……。普通は驚くと思いますよ……」
黒峰に同情するが、もちろんそんなことを口に出したりしなかった――。
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ここは山間の小さな村。
人口二十人にも満たないこの村のはずれに、その小屋はあった。
日の出と見間違えそうな朱色の空の下、『刀匠月丘』の小さな看板がかかる小屋の前に立ったのは――川霧刃。
古い木の引き戸を開けた彼は、なかへと足を踏み入れる。
煤で汚れた室内は真っ黒になっていて、焦げた臭いが残っていた。その中に混ざっているのは血の臭い。
刀になりきれなかった金属の塊と、それを鍛えるための玄翁が落ちている。
土床の上。手拭いを頭に巻いた中年男性の遺体があった。
袈裟斬にされて上体が分断されており、その手には日本刀がしっかりと握りしめられている。
ジンは、驚愕に見開かれている月丘という男性の目蓋をそっと閉じた。
「刀匠として、優秀な一族だったんだがな……」
振り下ろされたモノを受け止めようとしたのだろうが、握っている日本刀はきれいに切断されている。勢いあまったソレは月丘をも分断した。
「どんなに優れた刀を打っても、『妖刀』を受けきるのは無理だと判っていたはずだ。ならば……なぜ?」
ジンは左手の小指に縛ってある一本の髪の毛を引く。
「タマモ、聞こえるな? 今から言う事をよく聞くんだ……」
日が差し込む室内で、月丘を見下ろすジンの目が哀しげに細くなった。
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