ファイル4 『土蜘蛛』の怪 【⑤】
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「……お前はバカなのか? 非力な人間がいても役に立たん。さっさと戻れッ」
川霧さんに怒られてしまった。なによ! そう言う自分は捕らわれてて身動きが出来ないし、口からは血が出てるし、お腹まで刺されちゃってて……。絶体絶命のピンチじゃない!
「わ、私は警察官です! 人質の救出に来るのは当然なんです! 待っててください、ついでにあなたのことも助けてあげますよ!」
私は警棒を抜き構える。売り言葉に買い言葉となってしまったことはわかっているけれど、声を張り上げたおかげで怖さも半減……とはいっても、警棒ひとつでなんとかできる相手ではない。
〈そんな棒きれ一本で何をするんだって?〉
「聞いていたんでしょ? 大昔、あなたは人間に負けたことがあるわ。だったら、私にだって勝てない道理はないはずよ!」
鼻で笑った土蜘蛛にそう言い返す。
その昔、源頼光と渡辺綱という武士が『土蜘蛛』を退治したという伝説があったと思う。この土蜘蛛と同じではないのかもしれないが、人間でも妖怪に勝てるという意味では勇気が出てくる伝説だ。
〈なんだと……。お前なんかにこのオレを倒せるわけねえだろッ!〉
怒った土蜘蛛が、束にした糸の槍を放ってくる。
だから、そんなことはわかっているんだってば! とは思うものの、私は――
「ひぃッ!」
次々と放たれる糸の槍を避けるので精一杯だった。
この攻撃は私を即死させるものではない。なぜならば、狙われているのが足だからだ。
土蜘蛛の好物は〝人間の負気〟。つまりは、恐怖や恨み妬みといった負の感情から出てくるエネルギーを糧としている。私を身動きできない状態にしてから、ゆっくりと〝恐怖〟というご馳走を喰らう気でいるのだろう。
そんなことは百も承知だし、今は逃げ回る事しか出来ないとわかっていても、やはりどこかで疑ってしまう……。
「ほんとうに上手くいくんでしょうね……」
ぼやかずにはいられない。それは、視界にちらりと映った小さな人への言葉だ。
身長五センチメートル以下の彼は、糸に触れないように気をつけながら天井でむき出しになっている鉄の梁を移動して、ある地点を目指している。
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――私が何の策も思いつかないまま土蜘蛛を睨んでいた時、そっと耳元の髪を引かれた。
「みんなが無事に帰れる方法があるんだけど、ちょいと協力してほしいわけ」
語尾の言葉が特徴的なその声の主は住吉くん。とても小さな彼は、いつの間にか私の肩に乗っていた。私の髪の毛に隠れているので、土蜘蛛からは見えていないだろう。
「――ていう作戦なわけ。よっろしっくね~」
私の返答を待たず、住吉くんは緊張感のない言い方をして離れて行った――。
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土蜘蛛の注意を引く。それが、壁際を右往左往する私の役目なのだが……。
「ハァ、ハァ、ハァ……」
私の息は荒く、次々と飛来してくる糸の槍を避けるのも限界に来ていた。
〈やっぱり、あまり怖がらねえから腹の足しにならねえな……もういいや。女、お前は頭から直接喰ってやるよ〉
土蜘蛛が、私を殺すための攻撃へと切り替える。
いきなり胴体部を狙われたことで、バランスを崩してしまった私は転倒してしまった。そのおかげで一本目の糸の槍を回避できたのだが、迫ってくる二本目への対応が遅れてしまう。なにか鈍い音が聞こえた次の瞬間――
「痛ッ」
髪の毛を強く引かれた私は壁に背をついた。糸の槍が、私の髪を巻き込んで壁に突き刺さっている。これでは身動きが出来ない。
「もうちょっと伸ばしたかったのにッ!」
やっと肩まで伸びた髪を、私は強引に引き千切る。
髪は女の命ともいうけれど、この状況では仕方がない。次の三本目が来る前に立ち上がらなければ、また髪の毛を伸ばすことも出来なくなってしまう。
なんとか立ち上がった私に、三本目の糸の槍が――やってこなかった。
〈貴様……邪魔をしやがったなッ!〉
土蜘蛛が川霧さんに怒声を浴びせた。
「悪いな、たまたま身体が動いただけだ。今のはなしってことにしてくれ」
糸に包まれている彼は、外に突き出している手首を縦にして謝の意を示す。
〈ふざけるなよ……人質がどうなってもいいというんだなッ〉
「だから、こうして謝っているだろ。心の狭いヤツだ……。それより、腐った臭いがして気持ち悪い。頼むから口を開かないでくれるか?」
しかめっ面をした川霧さんが顔を背ける。
〈妙な動きをすれば、あの男の人間を殺す! そう言ったはずだ〉
「もちろん覚えているさ。でもな、もうその心配はしなくてもいいんだ」
〈なんだと……?〉
土蜘蛛がその意味を理解する前に、住吉くんの声が建屋内に響く。
「タマモ、今だッ」
梁から飛び下りた小さな住吉くんが、強盗犯を拘束していた糸を縦に切り裂いていた。
「はいよ! やっと出番だね!」
気絶をしていたのかと思っていたタマモちゃんが顔を上げた。と同時に、彼女を拘束している蜘蛛の糸が炎で焼き切れていく。
「いっくよ~。かえんほうしゃ~!」
自由になったタマモちゃんが炎を放つ。その先にいるのは強盗犯だ。
よく見れば、強盗犯の身体には無数の小さな蜘蛛が群がっている。それらを焼き殺そうというのかもしれないが、これでは強盗犯まで焼いてしまうことになるのではないか?
そう思った私だが、その心配は杞憂に終わった。
キィィィィィッ……
小さな蜘蛛たちの断末魔の悲鳴。けれども、強盗犯の身体は焼けていない。
「どうなってるの……?」
「見た目は炎だけど中身は妖力だからね。わたしが攻撃したくないものに害はないんだよ」
呆気にとられる私に、タマモちゃんがそう説明してくれた。
〈き、貴様らァァァッ! 全員殺してやるぞッ!〉
土蜘蛛の怒号がとぶ。
「――それは出来ない。お前はここで塵失せろ」
川霧さんも拘束する糸を切り裂く。その切れ味は凄まじく、彼の腹部を刺していた土蜘蛛の脚をも切り落としていた。
〈この野郎ッ、くたばりやがれ!〉
土蜘蛛が糸の槍を連射するが、川霧さんはそれを右腕で弾きながら前へ出た。その右腕の形状が、まるで刀身のように変化している。
すれ違いざまにもう二本、川霧さんは土蜘蛛の脚を切り落としていった。飛び散った白い血液が蒸発していくのだが、私はその毒々しい臭いに耐えきれず膝をついてしまう。
〈なぜ……なぜなんだ!? お前たちだって妖怪じゃないか! なぜオレを葬ろうとするんだ!〉
妖力の違いに圧倒される土蜘蛛が苦し紛れに糸の網を放つ。タマモちゃんの動きを止めた粘性のあるそれも、川霧さんは刃となっている腕で簡単に切り裂いた。
〈よし、こうしよう。オレが十人の人間を捕まえたら、そのうちの二人をお前たちにやろうじゃないか。痛めつけて負気を喰ってもよし。そのまま喰らってもよし。お前たちも人間が大好物だろ?〉
「そんなもんいらねえよ」
攻撃しながら後退する土蜘蛛の提案を、追いかける川霧さんはひと言で切り捨てる。
「俺たちはいま、『警察官』として雇われているんでな。職務として、どうでもいい人間も守ってやらなきゃならないらしい」
なぜ私を見たの? 一瞬、川霧さんの視線を感じた私の頬がヒクつく。
〈人間なんて、放っておいてもポコポコ増えるじゃねえか。そんな奴らのために戦うってのかよ!〉
土蜘蛛は、懐に入ってきた川霧さんへ紫色の毒液を吐いた。その毒液は強力な酸らしく、ヒビの入る古いコンクリートの床が溶けてしまう。
けれど、すでにその場所に川霧さんの姿はない。
「人間のためってわけじゃない。ただ……お前みたいな奴が気に入らないだけだ」
川霧さんが腕を振るう。その刃はいとも簡単に、土蜘蛛の膨らんでいる腹を体から分離させた。
土蜘蛛の大絶叫。
白い血液を大量に撒き散らし、その大きな体から力が抜ける。
土蜘蛛が倒れた振動を全身で感じた私は、この短い戦いが終わったのだと理解していた。
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