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ファイル4  『土蜘蛛』の怪 【②】

□◆□◆



 夕日で伸びる車体の影。鳴り響くサイレンと回る赤色灯。


「前の黄色い軽自動車! 今すぐ左に寄せて停車させなさい!」


 私はミニパトを運転しながらスピーカーを使って呼びかけるが、止まれと言われて止まる犯罪者はいない。

 車の時速は100kmを越えている。ここが郊外で、しかも周りに建物がない道でなければ追跡を断念していたかもしれない。関係のない民間人との事故になるのを防ぐためである。



 ――その犯罪現場に出くわしたのは全くの偶然だった。


 この日、私は同期の千佳と一緒に駐車違反の巡回に出ていたのだが、日も暮れかけてきたので署へ戻ろうとしていた。

 私たちはルートから少し外れたコンビニへと向かう。今から署に戻って報告書を作成して違反切符を整理する。今日は〝大漁〟だったので、かなりの時間がかかるだろう。そうなれば当然小腹が空いてしまうのだ。


 正面に車を止めると近隣の人達を驚かせてしまうので、私はあまり目立たないコンビニの横にミニパトを停車させる。


 助手席のドアを開けた千佳が私へと振り向いた。


「桜香は何にする? やっぱりいつものやつ?」


「うん。シーマヨとワカメ……あ、梅干しも追加ね」


 私はいつもの二つにプラス一個のおにぎりを注文する。


「三つも食べるの!? もしかして、それを夕飯にするつもり?」


「ううん。夕飯は夕飯として、ちゃんと食べるよ」


 目を丸くした千佳が小さな息を吐く。


「大食いなのに太らない桜香がうらやましいわ。まったく、それだけ栄養摂ってるのに、なんで大きくならないかな~」


「む、胸を見るんじゃない」


 私は前屈みになってからかうような視線から逃れた。肩にかかっていた髪が前に落ちて、首筋をくすぐる。――今の髪型はうなじが見えるくらい短くしているけれど、この時の私の髪はもう少し長かったのだ。


 クスクスと笑いながらドアを閉めた千佳。コンビニの角を曲がろうとした時、彼女がハッとした顔で立ち止まり、


「ちょっとあなたッ、なにをしているの!」


そう叫んで走り出す。


 私も車から飛び出して後を追う。

 何かあったに違いない。千佳の目は正義感にあふれた警察官のものだったのだ。


 角を曲がった私の目に飛び込んだのは、殴られて倒れる千佳の姿。殴ったのは、安物の帽子を目深にかぶり、サングラスとマスクで顔を隠した男だった。体つきや雰囲気から若者だと推測できる。


「千佳ッ!」


 私の声で、倒れた千佳を蹴ろうとしている男の足が止まった。


「泥棒です! おまわりさん、そいつ泥棒なんです!」


 中年の女性店員がコンビニのなかから指を差している。どうやらケガはしていないようだ。


「強盗の現行犯で逮捕します!」


 私は警棒を抜いて強盗犯へと向かった。

 男の足下には包丁が落ちている。きっと、180度開脚が出来る千佳の鋭い蹴りで叩き落したに違いない。


 2対1では不利だと思ったのか、男が踵を返して逃げ出した。その先にいるのは老婦人。ちょうど車から降りたところで鉢合わせてしまったのだろう。エンジンがかけっぱなしの黄色い軽自動車の横でオロオロしている。


「どけババア!」


 老婦人を突き飛ばした強盗犯は、黄色の軽自動車へと乗り込んで乱暴にドアを閉める。


「暴行と傷害罪も追加よ!」


 私は軽自動車の前に立って腕を広げたが、強盗犯は構わずに急発進させた。横に飛んで避けることは出来たが、このままでは強盗犯を逃がしてしまう。


「千佳、そのおばあさんをお願いッ!」


 立ち上がった千佳にそう言うと、私は警棒をしまいミニパトへと戻る。


「ちょっと桜香! 私たちは交通課だよ!?」


 千佳の声を聞きながら、私は赤色灯を回してサイレンも鳴らした。


「絶対に逃がさないんだからね!」


 黄色の軽自動車はまだ目視できる距離にいるはず。シートベルトを締めた私はハンドルをグッと握り、アクセルを強く踏み込んだ。

 千佳の言う通り、強盗犯を取り逃がしてしまったからには私たちは現場に残り、無線連絡を入れて関係各課に連携してもらうという決まりになっている。私のしている行為は処罰の対象になるだけで、褒められるという事はまずないだろう。

 それでも、私は警察官なんだ。千佳だけでなく、お年寄りをも平気で突き飛ばすような凶悪犯を野放しになんて出来ない。


「こちら交通課206。強盗事件が発生し、犯人が逃走しました。場所は――」


 私は無線で連絡を入れながら、見失わないように黄色い軽自動車の追跡を開始した――。



 強盗犯の乗る黄色の軽自動車は猛スピードで逃走していたが、私に並ばれそうになるとわき道へ進路を変えた。


「あの道は確か……。そうよ、廃工場への一本道だわ!」


 無線で応援を要請した私は強盗犯の後を追う。


 この道の先には、何年も前に閉鎖された工場があるのみである。何の工場だったのかは覚えていないが、高い塀に囲まれたその敷地は広大で、野球場がすっぽりと収まるほどであったと記憶している。

 人里離れた場所にあるのだが、たまに遊び半分で不法侵入するやからがいるとのことなので、夜勤のパトロール時に何度か訪れたことがあった。


「あれ? なんで門が開いてるんだろ……」


 廃工場が見えた時、いつもは閉じている鉄格子のような門が開いていることに気がついた。

 もしかしたら、また不法侵入している輩がいるのかもしれない。門を開けて堂々と侵入するなんて……。見つけ次第、こちらにもきついお説教が必要――なんて事を考えているうちに、強盗犯の車は門を通過しようとしていた。


「もう袋のネズミだからね!」


 このまま、行き場をなくした犯人を逮捕するつもりだったのだが……。


 突然、門を通過した黄色い軽自動車が横から出てきた何かにぶつかった。右側半分を破損させ、時計回りにスピンしながら停止する。


「なんなのこれ!?」


 〝霞がかった壁〟――そう表現するしかない謎の壁を避けた私は、黄色い軽自動車のそばに停車させる。

 その壁の正体は気になるが、今はそれどころではないかった。黄色い軽自動車の右半分が大きく潰れているのだ。


 ミニパトから降りた私は犯人のもとへ――。


「大丈夫ですか!?」


 ひしゃげたドアをなんとか開いて犯人の脈を診る……。どうやら気絶をしているだけで、命に別状はないようだ。衝突時に開いたエアバッグのおかげで命拾いしたみたい。


「こちら交通課206。強盗犯の車両に事故発生、救急車の手配をお願いします」


 ミニパトに戻った私は無線で呼びかけたが、応答がない。


「こちら交通課206、崎守桜香巡査です。聞こえますか?」


 再度呼びかけるものの、やはり応答はない。


「どうなってるのよ……」


 警察無線の周波数は合っているはず。その数字を確認し、もう一度呼びかけようとしたその時――――私は太くて白い糸に絡みつかれ、自由を奪われてしまった。


 わけがわからないままその糸の元を視線で追うと、そこには胴体だけで五メートルはあろうかという巨大な蜘蛛がいた。八本ある脚まで入れれば軽く十メートルを超えているだろう。

 ソレは丸い眼を妖しくギラつかせ、イラ立ちをぶつけるように私を睨む。


「あ、ああ……」


 あまりの衝撃的な姿に言葉が出ない。

 でも、私は『このモノたち』を何と呼ぶのかを知っている――。


〈やってくれたな……人間ッ!〉


 怒りのこもった声を出した大蜘蛛が、私の身体を締め付けてきた。


 苦しすぎて声が出ない。今にも身体が潰れそう……。

 ピキっと、肋骨にヒビの入る音。

 なんで、こんなところに……? 意識が薄れそうになるなか、私はそんなことしか考えられない。


〈この女……ビビっているわりには怖がっていないだと? ケッ、久しぶりに出てこれたってのに、一番うまいメシも喰えないのか。それならば――〉


 私はズルズルと大蜘蛛へ引き寄せられる。

 恐怖という感情から出てくる〝負気フキ〟を好み、それを糧とするモノがいると聞いたことがあった。しかしそれを喰えないのなら、このモノの腹を満たす手段はひとつだろう――。


〈頭から一気に喰らってやろうか、それとも腹をさばいて内臓をジュルジュルとすすってやろうか〉


 予想通りの言葉ではあったけど……冗談じゃないわ! なんでこんな奴に喰われなきゃいけないのよ! と、力限りの抵抗をしているのだけれど……。

 やはり、圧倒的な力の差を埋めることは出来なかった。


 粘性の強いヨダレをのばしながら大蜘蛛は口を開く。半円を描くような鋭い牙の奥には、上下に犬歯のような細かな牙が無数に生えていた。

 こんなものに噛まれたら痛いどころの騒ぎではない。一瞬で骨まで砕かれてしま

うだろう。私は初めて――〝死〟を身近に、自分のこととして感じている。


「誰か……誰か助けてぇッ!」


 奥底からこみ上げてきた恐怖で叫んでいた。

 警察からの応援がこちらに向かってくれているはずなのだが、到着するまでにはまだ時間がかかるだろう。彼らが来てくれた時には、私は死んでいるに違いない。

 それはわかっている。助けてくれる人などいないとわかっていても、私は叫ばずにはいられなかったのだ。


〈うまい、美味いなぁ! やっぱり人間の負気が一番うまいなあ!〉


 私の恐怖を堪能する大蜘蛛の、長年放置された生ゴミのような臭い息が顔にかかった。

 臭くて怖くて悔しくて……。涙も出ない私はグッと目を閉じる。――その時、


「なんとか間に合ったようだ」


男性の声が聞こえたと同時に身体が大きく揺れた。

 ふわりとした感覚に目を開けると、私は黒いスーツ姿の男性に抱えられて宙に飛び上がっている。


 寝癖を直していないかのようなボサボサ頭。鋭く眼下を睨む切れ目。そう、私と彼――『川霧刃』はこうして出会ったのだ。


□◆□◆

 読んでくださり、ありがとうございました。

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