烈風
朝日が山の頂から顔を出し、雑木林の中にうっすらと陽が差し込むと、男は二十キロ程の重さがある薬箱を背に担ぎ、与六が眠る焚火の前をゆっくりと離れ、美濃の城下に向かい歩き出した。
男の気配が消えたのを確認し、与六は飛び起き、身支度を始めた。自分が持つ着物の中で一番上等な物を着て、少ない銭を懐に忍ばせ、背に羅刹と名付けた愛刀を背負った。
十歳になった与六は、男との血反吐を吐く毎日の修練の中で、ある思いを抱くようになっていた。それは武芸を学ぶ者なら誰でも考えることであった。
自分はどれほど強くなったのであろうか……。
与六は男以外の者と立合ったことがなかった。男は確かに強く、四年経った今でも勝つことは出来なかった。男は間違いなく剛の者であるはずだ。だがもし弱い者であったなら……。
与六はこれからの生き方を定めるため、美濃の城下に向かう決意を固めた。
男は門前町の片隅で薬を売っていた。男が作る薬は良く効くと美濃の城下では評判であり、口元を真一文字に結び、しかめっつらの男の前には、陽が上ったばかりだというのに、人だかりができていた。
与六は男に見つからぬように息を殺し、その場から逃げるように歩みを進めた。
与六を見る周りの視線は一か所に注がれる。それは背に担ぐ愛刀、羅刹にであった。与六は上等な着物を着ているつもりであったが、どっからどう見ても身分が高い者の子とは見えず、百姓の子供であった。それが漆黒の鞘に包まれた大刀の先を地面に擦るように歩いているのである。奇異な眼を向けられるのは当然であった。
城下に降りた与六は早速途方に暮れることとなる。どこに行けば腕を試せるか、とんとわからないのであった。道行く者に話しかけようとすると、みな足を速めて逃げてしまう。仕方がないので町を探索することにした。
しばらく歩くと店の軒先から声を掛けられた。
「すまぬがその刀、拙僧に見せてくれぬか?」
声に誘われ与六が顔を向けると、身の丈、六尺(約1m80cm)を超える偉丈夫が右手に杖を持ち満面の笑みを零し立っていた。
与六は眼を細め、探るように睨んだ。頭をつるりと剃りあげ、小袖に袈裟掛けた姿を見れば、どこぞの坊主だとわかったが、男の身体から染み出る、獣のような危険な殺気が与六の肌に粟を立たせた。天王坊を追い出された経験から与六は坊主が好きではなく、自然と口調が荒くなる。
「名も知らぬやつに見せる刀など、俺は持っていない」
坊主は額をぴしゃりと叩き、天に向かって高笑いを上げた。
「これはまことに無礼であった。拙僧の名は胤栄という。ある人を探して美濃にまいった興福寺の僧である」
「なぜこの刀が見たいのだ?」
「わしが探すある人がその刀、いや、お主が背負うその剣を探していたと風の噂で聞いたものでな」
与六は眉間に皺を寄せた。
「剣?」
「お主が背負っているのは、刀ではなく、明の国の剣という武器だ」
与六がかすかに首を捻った。確かに刀というには、刃が厚く、両刃であった。
だがそんなことはどうでもよかった。この坊主が探しているやつが、自分の知る人物であるかが気になった。
「それでなぜあんたはその男を探している?」
胤栄がニヤリと口の端をあげた。
「わしは男と言った覚えはないが、どうして男だと思ったのだ? やはりお主に声をかけたのは間違いでなかったようだ」
与六が悔しそうに唇を噛み、苦し紛れの声を漏らす。
「刀など探す奴は、男に決まっている。女子が刀など欲しがるはずもない」
胤栄がここぞとばかりに責める。
「どこぞの物好きな姫様が、探しているかもしれんぞ」
「そんな剛毅な姫がおるなら会わせて見ろ」
胤栄は指先で顎を触り、思案するように宙を見つめた。
(わしが探す男と、この小僧が顔見知りであるのは間違いなかろう。少し順序が違うが、あのお方に会わせるのもおもしかろう)
「よし、ついてこい。剛毅な姫に会わせてやろう」
与六が半歩後ずさる。
「なんだ小僧、達者なのは口だけか? 背中の剣が泣いておるぞ」
与六の眼が吊り上り、見る見る内に、怒りで顔が朱に染まった。
「よし、ついて行ってやろう。だが、俺をだましたらその首もらう」
「それでこそ男だ」
この時の与六は知らなかった。これから起こる出来事が自分の人生を大きく変えることを……。