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天下人の音  作者: 和心
6/25

(2)

 馬首を回した信長の背に、日吉丸はつぶやくように声をぶつけた。


与六(よろく)という、わらべを覚えておりますか?」


 信長は馬足をぴたりと、止めた。


「ああ。あの生意気な童がいかがした」


「もし信長様にお会いすることが出来たなら、伝えて欲しいと言伝ことづてを頼まれております」


「なんじゃ?」


「近いうちに信長様の前に大きな蛇が現われるかもしれない。その時は決していくさをするな。そうふみに書かれておりました」


信長は馬上から飛び降り、日吉丸を蹴りつけた。


「蛇など一刀両断してくれるわ!」


まりのように転がった日吉丸が、クックッっと、口の中で噛み殺すような笑い声を上げた。


「なんじゃ、気持ちの悪い、笑い方をしおって」


「申し訳ございません。あまりにも与六が書いた文の内容が当たるもので」


「なんと書いてあった?」


「闘うなと言えばあの方の気性からして、簡単に首を縦にはふるまい。さもすれば、蛇など斬り捨てると言って、お前を蹴りつけるかもしれん。その時は俺を恨め」


まことにそう書かれておったのか?」


「はい」


「ふむ。それで続きがあるのだろう」


「はい」


日吉丸が、信長をじらすように間をあける。


「早く言わんか!」


「ゆっくりと待つんだ。蛇はいずれ、自分の毒が身体中にまわり死ぬ。文の最後はこうしめられておりました」


「で、あるか……」


 信長は、与六との出会いを思い出し、懐かしむように眼を細め、晴天の空を見上げた。


 あの短い語りの中で、信長は確信していた。与六は初めて自分と同じ速さで、この世を生きている人間だと。


 与六の話を信長以外の誰かが訊けば、年端もいかぬ子供の絵空事と笑って終わっていただろう。だが、信長もまた先をよむ天才である。与六が信長に、なにを伝えようとしてるのか、手に取るようにわかった。


 父、信秀は、美濃稲葉山の城主、斉藤山城入道道三との戦の準備をしていた。


 斉藤道三を、まぬしの道三と呼ぶ者もいる。


 蝮の子は、母の腹を食い破り産まれるという。


 油売りから、美濃一国を手中に治めた梟雄きょうゆう、道三にぴたりと似合う名であった。


 そんな道三と父が闘えばどうなるのか……。嫡男としての信長はもちろん、父の勝利を疑わなかった。だが、兵法者としての信長は違う。


(父は、大敗するであろう……)


 与六の言葉はまさに信長の考えと一致していた 今は外とには出ず、内を固める事に力をさくべきだった。


 織田信秀は、尾張国を下半分支配する織田達勝の三奉行の一人でしかなかった。

だが、幅広い人脈と、多くの財で当主の織田達勝をしのぐ力を持ち、織田家の頭領となった。しかし実際には、信秀が築き上げた地位は今なお、安心できるほど盤石ばんじゃくとしたものではない。


 もし道三との戦で負けることがあれば、信秀を頭領にあおいでいた織田家の足並みは、砂上の城の如くもろく崩れるだろう。


信長は何度も信秀にこの現状を話そうと思ったが、二の足を踏み続けた。父もこの戦国の世で生きる男である。もし負ければそれまでのこと、そう思う事で自分の愁いを断ち切った。


「日吉丸、わしはあやつにずっと逢いたいと思っておったが、足取りがつかめんかった。良い機会じゃ、あやつに会わせ」


「はて? どこの空の下におるのやら、おらにも見当がつきかねます」


「猿芝居はよせっ! 一度は許すが、この信長に二度目は無いと心得よ」


「この日吉丸、一度主君と決めたからには、嘘はつきません」


「では、どうやって文を受け取った?」


 信長が刀に手をかけ、日吉丸に、にじり寄る。


「それだけは、村のおきてで話すことはできません。どうか、どうか、お許しください」


「ほぅ。中村にはそんな掟があるのか?」


 日吉丸の背に冷たい汗が流れた。


「おらのこと、知っていたのですか?」


「たわけっ! 尾張の国で、わしが知らんことなど、ちりひとつないわ。おぬしの父、弥右衛門が、わしの父、信秀の足軽だったことなど百も承知じゃ」


「流石、信長様。この日吉丸感服いたしました」


「もうよい。直接弥右衛門に問いただす。勝三郎行くぞ!」


 信長は馬の背に飛び乗ると、風のように走り出した。二人のやり取りを呆けるように訊いていた、勝三郎が打たれたように駆け出した。


 日吉丸は遠のく信長の背に、顎先よりも長い舌を出す。まるでそれは、天下を斬れるか、ためしているようであった。

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