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天下人の音  作者: 和心
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猿面冠者

 今日もあちこちの村の悪童を集め、相撲に興じ、川で泳ぎ、満足した信長は、城に帰る道中、大木の陰に隠れこちらをじっと見ている、奇妙な視線に気づき、馬足を緩めた。


追いついた池田勝三郎が大きく肩を上下させ、苦々しい声をこぼす。


「若、ひとりで行かれては困ります。もし若に何かあれば、私が平手様に怒られます」


 信長が、ふん、っと鼻を鳴らし、馬を進めると、大木の陰からその様子を見ていた小僧がひょっこりと姿を現した。そこで初めて人が居たことに気づいた勝三郎が、信長を守るため馬の前に飛び出し、怒声を浴びせた。


「何者じゃ!?」


 手垢と土で汚れた着物から出る手足は、棒のように細く、色黒で醜悪な猿顔の持ち主が、怯えたように眼の玉をキョロキョロと動かしながら、深く頭を下げた。


「日吉丸と申します」


「それで、わしになんか用があるのか?」


「若が尋ねておるのだ、答えんか!」


 勝三郎に恫喝された日吉丸は、いきなり土下座した。


「申し訳ございません。おら、何か無礼な事をしてしまったみたいで。どうかうつけ、いや大うつけのおらを許してください」


 よりにもよって、若の前でうつけと言うなど……。振り返り信長の顔を見て正三郎は、ごくりと唾を呑んだ。信長の口元は真一文字にきつく結ばれ、眼には冷酷な光が宿っていた。


「たわけっ! いくら猿顔さるがおとはいえ、このわしに猿芝居は通じぬぞ。お主、わしに何か用があってここで待っておったな」


 信長の異変に気づいた日吉丸は、身体を震わせ地面に額をこすりつけた。


「おら、お侍様のことは知りません。本当にただの大うつけなのです。おっとうにも、お前は尾張で二番目のうつけだと、毎日言われるぐらいで」


 勝三郎はおろおろと、先ほどの日吉丸以上に眼の玉を動かし、信長の顔色をうかがい続けた。


「ほぅ。では一番は誰じゃ?」


 信長に問われた日吉丸が顔をあげ、饒舌じょうぜつにしゃべりだす。


「それは、織田信秀様の嫡男ちゃくなん、信長様でございましょう。近隣の村の者、口々にそう申しております。でもおらは、そうは思いません」


 日吉丸の声は優しく、人の心にしみわたる、深い味わいをもっていたが、話した内容が悪かった。信長の眉間に深いしわが浮き上がる。


「なぜ思わんのだ? わしが訊いた話では、信長は、人が西に宝があるといえば、東に行って宝を探し、人が白だといえば、黒だと怒り出す、たいそうへそ曲がりな男というぞ」


「へそ曲がり、大いに結構ではござりませんか。万人が正しいと思う事を、独りで覆す。なんと男惚れするお方でございましょう」


「ふむ」


 何かを考えるように顎先をさする信長を見て、勝三郎は若の機嫌が直ったと、胸をなでおろす。気持ちが落ち着くと、日吉丸の事が気になりだした。先程までおどおどとしていた日吉丸が、今では堂々と信長の眼を見つめていることが、不思議に思えた。態度だけではなく、しゃべり口調も、がらりと変わっている。若が言ったように猿芝居だったのだろうかと、勝三郎は首を傾げた。


 自らがそうだからかもしれないが、信長は常識にとらわれない人間を好む。だがそれは、理想と信念をもった非常識な人間ということで、ただの阿呆は決して許さない。


「お主は何か、人に誇れるものはあるか?」


 日吉丸は信長の問いに、待ってましたと言わんばかりの笑顔を見せる。


「おらは見ての通り、身体は虚弱で顔は醜悪しゅうあくでございます。ですがこれだけは他の者に負けません」


 そう言って日吉丸は、顎の先より長い舌を出した。


「ほぅ。舌がおぬしの武器か。ではその武器で何を斬る?」


「天下でございます!」


「ハッ、ハッ、ハッ。舌で天下を斬るとは、たいしたうつけじゃ。気に入った。わしのもとにこい」


 眼をキラキラと輝かせた日吉丸であったが、すぐに真剣な表情を浮かべ首を横に振った。 


「今は天下を斬るため、舌を鍛えているところでございます。ですが必ずこの日吉丸、信長様の役に立つ男になって、馳せ参じます」


「よし、わかった。だがつぎおうた時につまらぬ男になっていたら、斬り捨てる。それでよいな?」


「はい」


 やはり日吉丸は若が信長だと知っていたのだ。知っていてあのような態度とは肝の太いやつだと、勝三郎は感嘆した。

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