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天下人の音  作者: 和心
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(3)

 目覚めると、与六よろくの腰元に刀が置かれていた。


 飛び起き刀を手にした与六は、手にかかるずしりとした重みに、自然と口元がほころだ。


 勢いに任せ鞘から抜こうとすると、じゃり、じゃり、っと耳障りな音をたてた刀を見て、与六は眼を丸くした。


 鞘から無理矢理抜いた刀は、見る影が無いほど錆びていた。


 不意に与六が背後に首を回す。数十秒後、男が草をわけ、姿を現した。


 与六はいつのまにか、生き物が身体から発する、気のようなものを感じることができるようになっていた。この感覚に気づいたとき臆病者だと自分を罵り、いつも何かに怯えているから、こんな事を感じるようになったのだと恥じた。


 男にそのことを相談すると「それは真剣に生きている証拠だ。恥じる事ではない」と言われた。それから、そのことについて悩むことを辞めた。


 男が胸元から何かを取り出し、与六の足もとに投げた。つま先にあたった固い感触に、視線を下げると

そこには 砥石が転がっていた。


「刀を研げ」


「はい」


 男はそれだけ言って、またどこかに消えた。


 刀を研ぐ事は初めてだったが、獣をさばくときなどに使う包丁は、何度も研いだことがあった。だが刀を研ぎ始めてすぐに、包丁とは違うと思った。どこがどう違うかわからない。その日は研ぐのを辞め、男の帰りを待った。


 夜半に男は帰って来た。与六は男の身体から獣の血とは違う、擦れたような血の匂いを感じた。


 焚火たきびの前で寝ていた与六は、薄目を開けた。男は酷く疲れているように見えたが、眼の光だけは尋常じゃない強さを放っていた。


「刀と語り合い、刀の声を聞け」


 闇に染み込むような男の低い声に、与六は心の中で、はい、と答えた。


 次の日から与六は二年間の旅の事を、刀に語ってみた。もちろん刀が合いの手や返事をすることはなかったが、話せば話すほど愛着がわいてきた。


 三日目の朝、刀に語り尽くすと、与六は懐から砥石を出し、竹筒の水を優しくかけ、刀の腹を砥石に乗せ、ゆっくりと手を動かした。


シュッ、シュッ。


 鼓膜を揺さぶる心地よい音に、与六の胸は高鳴った。刀に命を吹き込むように何度も、何度も手を動かす。どのくらいそうしていたのだろう。気がつくと陽の光が、月の光に変わっていた。


 与六は刀の柄を両手でしっかりと握り、頭上に持ち上げた。月に照らされた刀は怪しげな光を放つ。長さ四尺の肉厚の両刃を見つめながら心の中で、これからよろしくたのむと頭を下げ、刀を鞘に戻した。


 

 

男は腰に差した刀に手は触れず、膝を軽く曲げ立ていた。与六が男めがけて石を投げた。石と鉄がぶつかる音が静寂に包まれる林の中にこだますると、地面には、二つに割れた石が落ちていた。

 

 与六は神技ともいえる刀の動きを脳に焼き付ける。武芸に関して一度見たものは決して忘れない。それは与六が持つ才能のひとつであった。


 男は刀を鞘に納め、古木に立てかけてあった、竹を割り束ねたものに、獣のなめした皮を張り付けた、四尺ほどの長さの棒に持ち替えた。与六も同じく竹の棒を取り、構える。


 心気を整え男を見据えた。一見すると男は隙だらけに見える。だが与六が打ち込もうと一歩足を踏み出すと、その隙は消え、次の瞬間打ち込まれている。竹の棒といっても、男の一撃は重く、骨身にずしりとくいこんだ。


 男との立合いを何度か繰り返すうちに、与六は男に打ち込まれたところが、自分の隙なのだと理解した。与六は身体の力を抜き、地面に竹の棒の先をつけるように、だらりと構えた。


 男は眼を細め口のはしを上げると、初めて上段に竹の棒を構えた。

 

男の棒の先が、ゆらゆらと小刻みに揺れる。与六にはその光景が獲物を前にした蛇の頭のように見えた。


 与六が薄く長い呼吸を繰り返す。これは山で獲物を捕るうちに覚えた、独自の呼吸法だった。こうすることで、相手の身体から零れる殺気のようなものを感じることができ、そしてまれにだが、周りのすべてが、鈍重どんじゅうに感じる時が訪れた。

 

 男が踏み出し肩口に打ちかかると、与六は舞うようにふわりと切っ先をかわした。


与六の耳の横を抜けた竹の棒が、急激に変化し脇腹に襲いかかる。半歩後ずさり、それをかわし、男の手首に竹の棒を打ち込むと男は巻きあげるように与六の棒をかち上げた。


お互い同時に後方に飛んだ。


 顎先あごさきから、ぽたりと、流れた血を見て、与六は叫びだしたいほどの喜びで身体を震わせた。


 これほどの強者と立ち会える自分は、なんと恵まれているのだろう。そしてもしこの男が自分の父であったなら、どんなに誇らしかったであろう。


「立合いの最中に歯を見せるな」


 男の恫喝どうかつも今の与六には心地よかった。


 与六は男の真似をし、上段に構え、棒の先をゆらゆらと動かした。男は逆に、先ほどの与六のように、地面に棒の先をつけ、だらりと構えた。


 与六が影を置き去るような速さで踏み出し、上段から打ち込む。ブォっと、くうを裂く音が与六の鼓膜を振るわせた瞬間、与六の鼻の先に竹の棒が止まっていた。


 与六は身体中の力が抜けたように、へなへなと膝を折り、地面に手を付け頭を垂れた。


「完敗です」


 ふんっ、と鼻を鳴らし、男は竹の棒で、こつりと与六の頭を叩いた。


「鬼の子が、心にもないことを言いよる」


 与六は地面に額をつけ、ちろりと舌を出した。男はもう一度与六の頭を叩き、天を割るような笑い声を上げた。

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