(8)
粗末な板壁の隙間を流れる風が、牢屋の隅に置かれた燭台の炎をかすかに揺らすと、四肢を縄で縛られた男は、炎の動きに合わせ、せわしなく眼球を動かした。
視覚が何かを捉えるよりも早く、鼻腔の奥を叩くような糞尿と血が混じった強烈な臭いに男は顔を歪めた。
口内には布が詰められ、舌を噛んで死ぬことさえ出来ぬ状態であることを理解すると、男は悔しさで、身体をブルッと震わせた。
闇にまぎれその様子を見ていた乱が腰を上げ牢屋に入ると、最後の気力を振り絞ぼるように充血した眼で男が睨みつけて来た。
「睨んでも俺を殺すことなど出来んぞ、新左衛門」
充血した男の眼が破れんばかりに開かれるのを見て、乱の口元に冷酷な笑みが浮かぶ。
「お前の他に四人捕らえてある。しぶとい奴らだったが、片耳を削ぎ落したところで、そいつらがお前の名が新左衛門だと教えてくれたよ」
怒りを表すように新左衛門が手足をバタつかせる姿を見て、乱は自分の考えがはずれていなかったことを確信した。
これまで何人か拷問にかけ、人は二つに分けられる事を知った。
それは、自分の痛みには耐えられるが、仲間の痛みには耐えられない人間と、自分が生き残るためには仲間を売る人間……。新左衛門は前者の人間だと乱は見抜いていた。
「これから布を取ってしゃべれるようにしてやるが、舌を噛んで死のうなんて思うなよ。そんな事をすれば他の四人に生まれたことを後悔するような拷問を一生続ける……」
新左衛門がかすかに顎を引いたのを見て、乱は口内から布を取り出した。
「仲間にこれ以上何もせぬと約束しなければ、拙者はしゃべらぬ」
「お前もこんな仕事をしてるんだ、そんな戯言が通じぬことぐらい知っているだろ?」
「仲間の無事を約束しろ!」
「勘違いするな新左衛門……、先に仕掛けて来たのはお前らだ。お前が仲間を守るように、俺にも守らなきゃならない仲間がいる」
「……」
何も答えぬ新左エ門を一瞥し、牢屋を出ようとした乱の背に、すがるような声が追いかけて来た。
「どこへ行く?」
「決まってるだろ、お前の仲間のところだ」
「やめろ!」
「やめろ? 言葉を間違えていないか新左衛門」
「わかった。お前が聞きたいことを何でも話す。だから仲間には手を出すな」
「よしいいだろう。話を聞く前にひとつ忠告しておくが、お前の仲間は手当をしなければ、半時(一時間)もたん状態だ。嘘などついている暇はないぞ」
顔の筋肉を強張らせ、宙の一点を見つめていた新左衛門の口元から、砂を噛むようなざらついた声が漏れた。
「……何が聞きたい?」
「先ずは、あんたが誰から送り込まれた間者かだ」
「美濃……」
「蝮か?」
「いや、道三様ではない。息子の義龍殿だ」
「なぜ斎藤義龍は与六って小僧を探してるんだ?」
「先だっての尾張との戦でその小僧は、道三様から三百の兵を預かり、鬼神のような働きをし勝利に導いたと、いま美濃の城内はその小僧の話で持ち切りなのだ」
「それで?」
「そんな中、ある噂が流れた。その小僧は道三様の隠し子であり、いずれその者に美濃を任せると道三様が言われたと」
「なに!」
「その噂を聞きつけた義龍殿は、獣のようなうめき声をあげ暴れ回った。それもそのはず、以前から道三様と義龍殿の仲はこじれに、こじれきっておったからの」
「なぜ、二人の仲はこじれた?」
「それは……」
「ここまで話しておいて、今更何を隠すことがある。それに」
乱は意味ありげに言葉を止め、燭台の炎を見つめた。
「時は待ってはくれんぞ」
仲間の姿を思い浮かべたのか、ハッとしたように新左衛門は眼を見開くと、早口でしゃべり始めた。
「義龍殿は道三様の実子ではなく、美濃の守護職であった土岐頼芸様の子であるとの噂があるのだ」
「フッ、美濃の奴らは噂話に躍らされるのが好きらしいな。それで義龍はその噂を信じて道三を憎んでいるってことか」
「そうだ。道三様は頼芸様を追放し、美濃一国の主人なられた。噂を信じた義龍殿からすれば親の仇である。いずれ謀反を起こし土岐家再興の考えを持っておられてもおかしくはなかろう」
(この噂を使っていずれ美濃をかきまわせるやもしれぬな)
内心ほくそ笑んでいたが、顔には一切出さず乱は厳しい視線を新左衛門に送った。
「よしその話はわかった。次は闇の里とはなんなのか聞かせて貰おうか」
「それはお主の方が良く知っているであろう」
「ほぉ、何故俺が知っていると思うのだ」
「お主の住む里の事だからだ」
「俺は自分が住む村が闇の里などと、一度も聞いた事がないが、誰がそんないかれた話をしているんだ?」
「義龍殿が尾張のある者に聞いたらしい」
「ある者とは誰だ」
「織田大和守」
(あの野郎、やっぱり美濃と裏で通じてやがったのか! よしこれで信長様が清洲に攻め入る口実ができたわ)
「新左衛門、他にも何か知っていることはあるか?」
「拙者が知っていることは全て話した」
「そうか……。では、終わりにしよう……」
燭台の炎と一緒に、乱は新左衛門の命の炎を吹き消した。




