(7)
胤栄が美濃の頭領、斎藤道三の事を話し出すと、弥右衛門と藤平は真剣な表情で耳を傾けた。そんな二人をよそに、乱は大きなあくびをすると、腰を上げた。
「弥右衛門様、村の様子を見てきます」
部屋を後にし屋敷を出ると、乱の背に野太い声が掛けられた。
「なかの様子はどんなふうだべ?」
振り向いた乱の視線の先に、熊のように分厚い胸板をポリポリと掻きながら、大きな斧を肩に担ぐ巨体の青年が立っていた。
「金太郎か。山の仕事はどうだった?」
「物見櫓を建てる材木を二十本ほど倒してきただぁ。それでどうなのさ?」
「大丈夫だ、屋敷の中に居る坊さんは胤栄というのだが、美濃の間者ではなかったよ」
「それは良かっただなぁ、でもなんで平手様の屋敷を探しておっただ?」
「与六に会うために探していたらしい」
「与六さぁ、尾張に戻って来てるのけ?」
「弥右衛門様に口止めされ、お前にも話せなかったが、与六はいま那古野城に居る」
「ほんとけぇ! あいつ今度は何をやらかしてしまっただよ?」
「捕まったんじゃない。訳あって信長様と一緒にいるんだ」
「そんじゃ、身に危険が及ぶことはないんだなぁ」
「ああ。それに胤栄さんの話によれば、上泉信綱って人の下で、かなり武術の腕を上げたらしい。何かあれば自分の身ぐらい守れるはずだ」
「へぇー、村にいる間、弥右衛門様に言われても納得できねえ事は一切やらなかったあいつが、誰かに何かを教わるなんて信じられんよ」
「与六が村を離れてから四年か……。あいつは俺たちより六つ下だから、いま十歳ぐらいだよな」
「うんだ……。血の繋がりがなくとも、与六は俺たちの弟だぁ。どんな人間になっていたとしても、兄として守ってやらんとねぇ」
「早く会いたいな……」
「うんだぁ」
川で身体を洗うという金太郎と別れ、村の中を見回っていると、威勢の良い童の声が聞こえ、乱は足を止めた。
三人の少年が先を鋭く削った木の棒を槍のように持ち、正面から同時に乱目掛けて突きかかって来た。
乱は右端の少年の突きが微かに遅れたのを見てとり、身体を左へよじりながら、少年の手に手刀をいれた。
少年が短いうめき声をあげ棒を離すと、その棒を地面すれすれでつかみ取り、真ん中に立つ少年の棒をかち上げ、その勢いを殺さぬまま、左端に立つ少年の棒を叩き落とした。
乱は頭上で棒を一回転させ、手を押さえ、悔しそうに唇を噛む少年の頭をこつりと、叩いた。
「小吉、いつも言ってるだろ。周りと呼吸を合わせろと」
小吉は頬を膨らませそっぽを向いた。兄の忠吉が、かばうような声を上げる。
「乱兄、小吉はまだ小さいんだから、しょうがないよ」
同意を求めるように忠吉は、隣に立つ五郎に視線を送る。
「そっ、そっ、そうだよ。乱兄は小吉に厳しすぎる」
この三人の中で一番腕が立つ五郎だったが、如何せん気が弱かった。
乱は呆れたように、大きなため息を吐き出した。
「お前たちもあと何年か経てば、戦に出なきゃならないんだぞ。戦に出たら真っ先に弱いやつが狙われる」
「なんで俺達が、戦に出なきゃならないんだよ!」
忠吉の言葉に賛同するように、他の二人がガヤガヤと騒ぎ立てた。
乱はめんどくさそうに鼻を鳴らし、三人の頭を棒で叩くと、金太郎を誘って飯でも食おうと思い、川に向かって歩き出した。
川に向かう道中、乱は忠吉の言葉を思い返していた。
(なんで俺達が、戦にでなきゃならないんだよ!)
乱が住むこの村は他の村と違い、裕福であった。それは平手政秀の計らいにより、決まった年貢を半分しか納めてはいなかった事と、織田家の勢力下である津島でいくつもの商売を許されていたからであった。
年貢の代わりに人を納める事で、この村は成り立っている。裕福であることが本当に幸せなことなのか、乱にはわからなかった。
辺りを見渡しても金太郎の姿はなかった。
乱は垢と土で汚れた着物を脱ぎ棄て、川に入った。秋も深いこの時期の水は、身を切るように冷たい。額から頬にかけて残った刀傷が、ピリっと痛む。
この傷は、初めて拷問にかけ人を殺せと父である藤平に命じられたとき、逃げ出そうとした乱を押さえつけ、藤平がつけたものだった。
切なさと怒りを打ち消すように頭から水をかぶった瞬間、背後の草が微かに揺れ、いくつもの影が飛び出すと、乱を囲んだ。
「オイオイ、裸の男を囲んで何をするつもりだ。悪いが俺にそっちの趣味はないんだよ!」
囲んだ二十人ほどの男たちの顔には布が巻かれ、表情は読み取れなかった。ただ布の隙間から覗く眼だけが、異様な光を放っている。
「弓を射かけなかったのは、俺を殺さず捕らえて、訊きたい事があるからだろ。そんな事しなくても、俺は死にたくねえからなんでもしゃべるよ。何が知りたい?」
黒装束の襟元を紅く染めた男が、一歩前に出た。
「この村に与六という小僧はいるか?」
「ああいるよ、三十人ぐらいな!」
「笑えんな」
「別にあんたに笑ってもらおうなんて思ってねえよ。与六なんて名前は珍しくない。探せばそれぐらい居るってことだよ」
「では、聞き方を変えよう。闇の里に与六という小僧はいるか?」
「ハッ、ハッ、ハッ。闇の里なんて知らねえよ」
「そうか、知らんのならお前に用はない……。死ね!」
「いいや、死ぬのはお前えだよ……。後ろを見てみろ、熊が斧を背負って走って来るぞ」
黒装束の襟元を紅く染めた男が首を回した隙を見て、乱が脾臓に拳を放つ。打たれた男は絶息し、横顔が青紫に変色した。
地を揺らすように走りこんで来た金太郎が、瞬きする間に四人の首を飛ばした。
「おらの義兄弟に何してんだぁ!」
金太郎の斧に当たった敵は、首を飛ばされるか、ぐしゃりと身体を折り曲げた。
乱は敵の間を縫うように動き、的確に顎先に拳を放つ。打たれた相手は白目をむきその場に崩れ落ちた。
立っている敵がいなくなると、金太郎は細い目に涙を浮かべ、手を合わせた。
「勘弁してくれよ……」
「金太郎、村に行って荷車を引いてきてくれ」
「そうだなぁ。こんなところに置いとくのは、かわいそうだものなぁ」
「違う……。五人だけは生かしてある。そいつらを小屋に連れて行って話を聞く」
「拷問するのけぇ?」
「こいつらは闇の里と与六の事を探っていたんだぞ」
「んでも、拷問はやめとけ……」
「弟を守るためなら、なんでもやるんじゃなかったのか?」
「わがったよぉ。でもおら、拷問するときの辛そうな乱を見てられねぇ」
乱は何も答えず、身体についた返り血を流すため川に飛び込んだ。




