(3)
稲葉山城、千畳台の館
頭を剃髪し、額に深い皺を刻んだ偉丈夫が、周りより一段高い畳の上に片膝を立て、大杯になみなみと注がれた酒を一気に呑み干すと、一段下で鎮座する胤栄をからかうような声を上げた。
「小僧に負けるとは、胤栄も腕が鈍ったの」
その言葉を受け、おどけるように胤栄が額をぴしゃりと叩く。
「いやはや、面目もございません。ですが負けたこと、拙僧は恥とは思っておりませぬ。必ずや与六は日の本に名を轟かせる武人となりましょう」
「ほぅ。槍を使えば天下無双と恐れられる胤栄のお墨付きとは、先が楽しみじゃ。是非ともわしの家臣に欲しいの」
胤栄の横に座っていた村松与左衛門春利が、苦い表情を浮かべる。
「なんじゃ春利、その顔は?」
「お館様も見たでございましょう。胤栄の槍で突き飛ばされたのち、立ちあがた与六の尋常ならざる姿を……。戦場で一度も臆したことのないこの春利も、背が凍る思いでしたぞ」
「春利が臆するとは、益々家臣に加えたいの。胤栄、あの小僧身寄りはあるか?」
「拙僧も一刻ほど前におうたばかりゆえ、詳しいことは存じませぬが、ひとつだけわかることがございます」
「なんじゃ? 」
「与六が道三殿の家臣にはならぬということ……」
口元に笑みを張りつけた道三であったが、横にスッと細めた眼の奥に、暗き炎が立ち昇る。
「ほぅ。美濃一国を治めたこの道三でも、あの小僧の上に立つには役不足と申すか?」
「決して役不足などではござらん」と言葉を切った胤栄が姿勢を正し、真っ直ぐ道三の眼を見つめた。
「例えるならば与六は龍でございます。人が龍の背に乗れば、その速さに畏怖し、息もつけずに死にましょう。それほど与六の才は危うきものでございます」
道三が大杯を畳に叩きつけ立ち上がった。
「あの小僧の武が秀でたものであるのは、わしも認める。だが、一人の武で出来る事などたかが知れておる。百を倒せても、千の兵は倒せまい!」
「その通りでございます……。ですがこと闘いに関して与六は天賦の才を持ちえると拙僧は思っております。兵法を学べば乾いた砂のごとく、瞬時に我ものといたしましょう。そして百の兵を得た与六が、万の敵を倒す姿が見えまする」
道三が春利に刺すような視線を向けた。
「よし! あの小僧にそれほどの力があるか、この道三、おうて確かめようではないか。春利、小僧をつれてまいれ!」
「はっ!」
道三の怒気にさらされた春利は飛び上がり、与六を待たせてある城内の屋敷へと、一目散に駆け出した。
胤栄の身体中から汗が噴き出していた。それを隠すように、表情を一切動かさず畳の一点を見続けた。
油売りから下剋上を繰り返し、戦国大名となった梟雄、蝮の道三に対する、胤栄一世一代の大芝居。命をかけたこの芝居が何を意味するか、間もなく与六は知る事となる。




