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美少女編入事件

「美少女がうちの高専に編入してくるらしい」


 男子高専生Fのその言葉に、男子高専生Rは耳を疑った。


情報源(ソース)は?」

「ソース? あ、あぁ……情報の出処ね。今年、専攻科に入学した先輩からだ。昨日の入学式で見たらしいんだ。千年に一度の美少女だって言ってたな」

「その形容詞はおかしい」Rは言う。「まず、千年間のあいだに美の定義は変化する。平安時代と現代の美が同じ尺度で測れるはずがない。あと、名詞もおかしい。編入生なら若くても十八歳だ。一般的には……少女じゃない」


 Rの言葉に、Fは呆れ顔で応えた。「いつものRだ」

 四月某日――某高専の機械工学科4年(4M)の教室に彼らはいた。始業式が始まるまで、まだ時間があった。


「にしても、留学生以外で高専に女子が編入してくるというだけでも珍しいね。どの学科?」


 Rが訊くと、Fは驚いた顔をしてみせた。


「珍しく食いつくなぁ。普段は女に興味なさそうなのに」

「高専に編入したいなんて変わってるな、と思っただけだよ」

「まぁ、確かに。しかも美女がね……これは大変なことになるなぁ」Fは口角を上げた。「で、学科だっけ?」


 Rは「あぁ」とうなずく。「場合によっては、機械科4年(うち)の教室がゾンビ映画のワンシーンのようになりかねない」


「まぁ、心配する必要ねぇよ。建設科4年(おれら)機械科4年(おまえら)もな。めでたいのは|情報工学科(4I)だ」

「情報、か……。たしかに、女子には比較的人気の学科だから、そうなるか。でも、なぜ高専に? 普通に高校から大学に入ったほうが、良い人生を歩めると思うんだけど」

「さぁな。その辺の事情は知らねぇ。てか、その美女、普通科高校出身らしいんだけど、普通科から高専って編入できるのか?」

「できる」Rは即答した。「うちの高専は、情報科に限っては、普通高校からの進学が可能らしい。ほかの学科は、工業高校からじゃないと編入できないらしいけど」

「へぇ、詳しいな」

「中学時代の同期に、高専に行きたいって言ってきた奴がいて、それで調べたことがあるんだ。募集要項はウェブで確認できるし、すぐにわかったよ」

「R、友達いたんだな」

「失礼な。俺にだって友人くらい、いる」

「妄想じゃないんだよな?」

「はぁ?」Rは眉間に皺を寄せた。「どうして」

「いやぁ、だってさぁ、R、よく考え事してるって言ってるじゃん? だったら、その友人とかいうのも、頭の中だけで生成された偶像じゃないか、って」

「そこまで俺は変人じゃないし、病んでもいない」

「そりゃ、失敬した」Fは鼻を鳴らした。

「さて」Rは腕時計に目をやる。「そろそろ時間かな。体育館に行こう」

「まだ早くねぇか? もう四年生なんだし、もっと余裕を持って行動したほうがいいと思うんだ」

「来年には就活が始まる。時間にルーズになってどうする」

「正論はつまらん。……そういやRは就職すんの?」


 Fの問いに、Rは数秒の間をおいて答えた。「さぁ、わからない。進学かもね」


「今でさえ苦しいのに、まだ勉強を続けようとするなんて信じらんねぇな。俺はもう嫌だ」

「働き始めたとしても、学ぶことをやめたらダメだと思うよ。とくに技術は日々刻々と進歩しているし、知識をアップデートしていかないと、いずれ老害になる――変化についていけなくなって、ただただ過去を主張するだけのね」

「そういうもんかねぇ……」Fは遠い目をする。

「知らんけど」便利な言葉をRは使った。


 Fはため息をついて、「まぁ、早く行けば、美女が見られるかもしれねぇから、行くか」

 Rは相槌を打って、席を立った。二人は教室を出て、体育館へ向かう。


「そういえば、Fも女には興味なさそうな感じだったのに、何かあったのか。俺の記憶が改竄されていなければ、妹が大好きな変態兄貴だったはずなんだけど」

「へっ。俺もまともにならなきゃな、と思ってな」

「お」Rは目を丸くした。「春休みに何かあったか」

「妹は、もう俺のことを兄貴と思ってくれないらしい」Fの表情が陰った。「妹のパンツを被って一緒に遊んでやろうと思っただけなんだけど……」

「もう、人間としても見てくれてないと思う」

「昔は喜んでくれてたのに……」

「いつの話だよ」

「もう、顔も合わせてくれねぇんだ。俺はどうすりゃいい? 笑顔はおろか、怒った可愛い顔も見れない。もうあの頃の幸せは戻ってこないんだ……いったいどうして……誰がこんなことを……」

「被害者面するな」

「というわけで、俺は妹以外に目を向けようと思った。それだけだ」

「動機がクソすぎる……」

「どうだ? まともだろ?」Fの表情は明るい。

「さっきの話のどこに、まともな要素が?」

「まともじゃないのか?」

「Fはいちど、広辞苑を読んですべての言葉の意味を頭に叩き込んだほうがいい。お望みなら、俺が広辞苑で頭を叩き込んでやる」

「つまりなぁ、俺は悟ったんだよ。深すぎる愛はダメだってな」


 その言葉()()はまともだったために、Rは面食らった。しかしFは、妹に対する思いを消しきれない様子で、妹への愛を語り始めた。

 駄目だこいつ、早くなんとかしないと――Rが強くそう思ったとき、彼らはすでに体育館へ足を踏み入れていた。




 RとFは、機械工学科4年(4M)建設工学科(4C)の学生が並ぶはずの位置に座り込んだ。4月初週の体育館の床は、外の陽気とは対照的に、ひんやりとしていた。


「別に、出席番号とか関係ないよな?」


 Fは、制服を着た1~3年生が規則正しく一列で並んでいるのを見て言った。


「大丈夫だと思う」Rが答える。「来てない奴はだいたい分かるし、出席順に並ぶ必要性はないかな」

「お前にしては、不真面目なことを言うなぁ」

「普段の自分だよ。おかしいところは、何も」Rは鼻を鳴らした。


 それからして、私服を着た4年生以上の学生が体育館に押し寄せた。その8割は男子学生である。彼らは、全体的に、黒っぽいか、ボーダーの服を着ていた(理系男子学生の正装であるチェックシャツを着た学生はあまり見受けられなかった)。


「私服は、選ぶのがめんどうだよね」とR。

「そうか?」Fは顔を上げた。「今まで制服で見栄えしなかったから、俺としては嬉しいんだけど」

「毎日同じ服でもいいくらいだ。服を選ぶための脳のリソースがもったいない。世界的企業のCEOのクローゼットは同じ服ばかりらしいしな」

「それは、すげぇ人だからいいんだよ。一般人がやったら不潔に見られるぞ?」

「制服だって、毎日同じじゃないか。何が違うんだ?」

「え……」Fは言葉に詰まる。「と、そうだなぁ、シャツとか、下着が違う」

「でも、外見は変わらない」

「あのなぁ、それは制服だからだぞ」Fは呆れ顔で言う。「私服で毎日同じ、ってのはヤバい。ヤバい奴がわんさかいる高専でも、だ」

「外見だけですべてを決めつけるのはどうかと思うよ」


 こいつぁダメだ。Fがそう思ったときだった。

 突如、体育館内がざわつく。

 ほとんどの学生の視線のベクトルがある一点、体育館の入り口を向いた。


「これは、もしや――」Fは、皆と視線を同調する。

「何……?」つられてRも同様にした。


 ある女性の姿があった。

 小柄で細身な体躯で、腰まで伸びた長い髪が、歩みを進めるたびに左右に揺れる。

 遠くから観測できるのはそれだけだったが、彼女の姿が大きくなるにしたがって、端正な顔立ち、長い睫毛、潤った唇といった細部まで確認できるようになった。

 紛れもなく、情報工学科4年に編入してきた美少女だった。


「お、おい、R……?」Fは目を奪われている。「見てるか?」

「見てるけど……」Rは呆けた顔だ。「まさか……」


 美少女の一挙手一投足に、多くの視線が向けられる。それを気にしない様子で、美少女は情報工学科4年(4I)の学生の列に加わり、座った。

 館内の熱気は収まらなかった。どこかしこから、あれは誰だ、芸能人か、めっちゃすこ……、結婚してぇ……、といった言葉が聞こえる。司会進行を担当する学生課の職員が、マイクを使って「静かにしてください」とアナウンスするも、学生らの熱は冷めない。

 五分ほどして、やっと静かになり、始業式が始まった。しかし、いつもは誰も聞いていないであろう校長先生のありがたい話は、今日は本当に誰一人として聞いていなかった。



       *



「ヤバかったな、美少女」Fの口からふと零れる。

「周りがむさい男どもばかりのせいか、一段と輝いて見えたね」

「周囲の女子がくすんで見えたぞ」

「おい、それは暴言だ。……殺されるぞ」

「いやいやぁ、客観的な事実ってやつだよぉ。まぁうちの妹には敵わないけどな」

「それは主観的な感想っていうんだ。喋るときもレポートを書くときも、事実と意見は分けような」


 FとRの二人は、教科書販売が行われる講堂にいた。来る時間が少し遅かったために、教科書を求める学生でごった返していた。


「そういえば、名前はなんていうんだろうね」

「美少女?」Fは少し目を見開くと、口許を緩ませた。「なんだ、興味わいてきたのか?」

「ま、若干」Rはそっけない態度で返答する。

「先輩によれば、“ゆう”って名前らしい」

「“ゆう”? どう書く?」

「さぁ、漢字までは知らないなぁ。ひらがなかもしれないし。どしたよR、そんなにがっついて。一目惚れでもしたか?」

「それに近い感覚だ」


 二人の前にいた学生が退いて、目の前に、机に置かれた山積みの書籍が現れた。机を挟んだ向かい側の販売員に、必要な分の書籍を伝え、二人はそれぞれ自分が必要とするものを購入した。


「ついにお前も女に目覚めたか……俺は嬉しいぞ」大量の書籍が入った紙袋をぷらんぷらんさせながら、Fが言った。

「いいかげん、Fも妹から離れたほうがいい」

「え? 俺は寮だし、離れて暮らしてるぞ?」

「物理的じゃなくて、精神的なほうだよ」

「日本語って難しいなぁ」

「まったくだね、その通りだと思うよ」


 講堂から出て、彼らは別れると、各々の教室へ向かった。

 年度初めの始業式の日は授業がない。しかも今日は金曜日。帰るしかないのである。



       *



「伝えることがある」


 美少女が編入してから数週間が経った頃の、昼休み。Fは、Rからそんなメッセージを受け取った。

 やけに意味深長な言葉に、Fは違和感を覚えつつも、呼び出しの指定場所であった体育館裏へ向かった。


(体育館裏か……厭なこと思い出すなぁ)


 あの日も雨だった。雨の日はろくなことがない。そう思いつつ、Fは歩みを進めた。


「待ってた」


 体育館裏にあったのは、Rと美少女の姿だった。二つの双眸がFを捉えている。


「え? え?」


 Fが困惑を隠せず狼狽えるなか、Rが口を開いた。


「この光景は意外?」

「え、な、何?」

「実はね、こいつ」Rが美少女を指す。「男なんだ」


 Fの表情が固まった。七秒間の沈黙のあと、


「えーと、その、伝えることって?」


 Rは鼻息を漏らした。「だから、さっき言ったよ。こいつは男だ、って」


「あの、俺の情報処理能力が追いつかないんだけど」

「確かめてみる?」

「何を?」

「付いているものを見れば厭でもわかる」そう言って、Rは美少女|(男)の股間を指さした。

「へ……」


 Fが状況を理解できていないようだったので、Rは「冗談だよ」と告げる。「どこからが冗談なんだ」と言いたげなFをよそに、Rは、


「でもまぁ、まさか(まさる)だったなんてね」

「いつ気づいた?」女の皮を被った男が低い声で言う。

「名前を聞いたときかな」Rは答える。「最初見たときは、誰かに似ているなと思った。Fに名前を聞いたとき、もしかしてと思ったんだ。名前を調べるのはそう難しいことじゃなかったからね。本名がわかれば正体に気づく」

「さすが、Rだ」優が言う。

「まさる……ゆう……、そうか、名前の読み方が……」Fがぼやく。「でも、それっていいのか? 偽名じゃないのか」

「名前の読み方は、自由らしい」とR。「名前の漢字を変えることは容易ではないけどね」

「じゃあ、なんで高専に女装して入ってきたんだ?」Fが訊いた。

「高専に来たのは、高専がおもしろいと思ったから」と優。「Rから高専の話を聞くたび、高専に行ってみたいと思うようになった。高専生は大学生になれるけど、大学生は高専生になれない。不可逆な変化だから、編入という好機を逃してはいけないと思った」

「女装したのは?」

「かつて、女みたいだ、といじめられていたことがあった。本当に女みたいに見られるのかどうか疑問に思って確かめてみようと思ったら、はまってしまった」

「優のロジックはよくわからない」Rは首を振った。「数学はできるのにな」

「論理と情緒が相容れることはない」

「それで、今後はどうするの? これからもその格好でいく気?」

「男らの視線を集めるのは精神に来るものがある。それに、トイレに行くのが困難だ。もうすぐバレそうだし、しない」

「それがいいよ」Rはため息をつく。「女装するとろくなことがない」


 優は眉を吊り上げた。「なんだ、お前もしたのか」


「いや、してない。断固違う」

「類は友を呼ぶってやつだね」Fは口角を上げた。


 Rは唇を尖らせた。その様子を見て、優は笑みを浮かべる。


「たしかに、お前も似合いそうだ。お望みなら、服でもなんでも貸してやる」

「よかったじゃん!」FはRの肩をばん、と叩く。


 Rは、嘆息すると目を虚ろにして天を仰いだ。


「ほんとうに、ろくなことがない……」


拙作『アセンブル・ロジック』の執筆後に書いたと思われるものがPCの奥深くから出てきたので、供養のために投稿しました。(RとFは当該作品の登場人物のイニシャルですが、喋りとかキャラとかは若干異なっている気がします。)

アセンブル・ロジック、続編を書くか否か悩んでます。

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