パンドラの箱
※割と変態的な内容を含みます。
「……お前、『パンドラの箱』って知ってるか?」
僕の前を歩く先輩が、首だけを捻り僕の顔を見て訊いた。
「聞いたことはあります。でも、具体的にどういうことを言うのかはよく知りません……。先輩は知っているんですか?」
「ふふ……」先輩は元に直る。「そういうのは、全智全能の神ことGo○gle先生に訊いてみるもんだよ」
「はぁ……」
僕は、間の抜けた声を出していた。
たぶん、この先輩は意味を知らないのだろう……。だが、ここは先輩を立てておくべきだ。後輩は、いかなる状況でも先輩の面子を潰してはならない。
僕はズボンのポケットに滑り込ませていたスマートフォンを取り出し、『パンドラの箱』と検索した。
――僕と先輩が歩いているのは、立花高専の敷地内にある学生寮『立明寮』の3号棟裏、寮生専用の自転車置場のすぐそば。今日は休日で、実家に帰省している寮生も多いので寮はしんと静まり返っている。ちなみに、僕と先輩は寮生で、部活動があるために、寮に残っているんだ。
「えっと……」僕は、検索結果が表示されたスクリーンを見ながら言う。「『パンドラ・ボックス』……ギリシア神話で、ゼウスがパンドラに渡した箱。中にはあらゆる悪と災いが封じ込められていて、これを開けちゃったからすべての悪と災いが飛び出した、……ってありますね。でも、すぐに蓋を閉じたから希望だけが残った、ともあります」
「そう。端的に言えば、『開けてはならない』箱だ」
「……でも、なんでそんなことを?」
僕がスマホをポケットに戻しながら訊くと、先輩はおもむろに開口した。
「実はな……、この高専にもあるんだよ」
「えっ?……パンドラ・ボックスが、ですか?」
訊き返すと、先輩は背中を見せながら「あぁ」とうなずいた。
そしてすぐ、僕らはゴミ置き場に到着した。ここには、寮から出たゴミすべてが集まってくる。男子寮・女子寮の双方からだ。ペットボトルや空き缶、燃えるゴミや燃えないゴミもすべてだ。
「ここにあるんですか?」
僕は訊いたが、先輩はそのことに気付かなかったのか、無言で何かを探している。
僕は、ただ待っているだけだった。
一分も経たないうちに、先輩が大きなものを抱えてきて、僕の前にそれを置いた。
「さて、これが、我が校のパンドラの箱。……いや、正確には『この寮の』というべきか……」
「ふむ……」
どう見ても、普通の白いクーラーボックスだ。何の変哲もない、何の特徴もない、「普通」以外の言葉では表せられないほどに普通の箱だった。
「……で、この中には何が入ってるんですか?」
「何だと思う?」先輩は、にやけて歯を見せた。
「そうですね……」
パンドラ・ボックスというくらいだから……、何か、危険なものが入っているに違いない。危険なもの……思春期の男子にとって、とてつもなく危険なもの……。
あ。思い当たるものがあるぞ。
「聖典……ですか?」
「……ほう」
「それも、かなり過激なヤツなんじゃないですか? ただでさえ変態の多いこの学校の学生でさえもドン引きするような、すごい性癖の持ち主の……」
「良い線は行ってる」
「あれ、違うんですか」
だとしたら何だ……。盗撮写真か何かか!? ならば、大きな災いが降りかかってくるのも時間の問題! しかし、見てみたい気もする……!
「お前が期待するようなものは入っていないかもしれないな」
「?」
この先輩、読心術が使えるのだろうか……。いや、そんな神懸った技を使えるわけがない。
「では、もったいぶるのもアレだし、中を公開しようと思う」
「……はい!」
「後悔するなよ」
む? 公開と後悔をかけたのだろうか? なかなかのやり手だ(これは貶している)。
「この中に入っているのは……」
先輩は、クーラーボックスについた二つの留め具を外して、
「これだ!」
蓋を思いっきり開けた。
「こ……、これは……!」
中に詰まっていたのは、大半が樹脂製のものだった。見えるだけでも、貫通型や非貫通型のもの……、局所的な部位、豊潤な部位を再現したものなど、その種類は多岐に亘っている。
そして何より、ニオイが凄まじい。使用済みティッシュの数十倍はあるのではないか……。それに、樹脂のニオイが相俟って、この世のものとは思えない異臭を放っている。「災い」よりも数段上位なものが解き放たれたようだ。
「うわ……、マジっすか。こんなに大量の【この単語は規制されました】が……」
「すごいだろ? この【検閲により削除】の数」
「【放送禁止用語】半端ないですね……」
「ちなみに、すべて使用済みだ」
「そんなことは解ってます!」
しかし……、ゲシュタルト崩壊を起こしそうなほど膨大だ。
「一部の寮生は夜な夜な、まだ見ぬ幸せのシミュレーションを行っているんだ」
「虚しいですね」
「あぁ……、虚しいだろ……。Amaz○nで注文して、寮に配達してもらう猛者までいるからな……それを考えると、もっと虚しいと思わないか?」
どうなっているんだ、高専は……。
まぁ、男子校でないにしろ男の比率が多いし、餓えた獣が多いのは仕方のないことなのかもしれない。
「……でも、なんでこれを見せたんですか?」
「なぜって? もしお前が使うことがあれば、ゴミ箱に捨てるよりもここに持ってきて捨てたほうがいい、っていう忠告だよ」
「僕は使いませんよ」
「いや、分からんぞ。俺だって、まさか使うことになるとは思わなかったからな……」
「え。先輩……?」
「一度使うと病みつきになるぜ。最高潮に達したときに訪れる極上の時間……それこそが、パンドラの箱に残された希望なんだ」
パンドラの箱 ――完