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単位はもうない

 工業高専では、定期試験が年に四回しかない。だから楽なのか、と問われれば、必ずしもそうでない。これらは、「単位」に関わる重要な試験である。一定以上の単位を取得できていなければ、即留年である。悪い意味でワンモアチャンスだ。

 半期しかない科目なら、定期試験で転げてしまえば、落単らくたん(単位を落とすこと)は確実である。したがって、試験前は皆、必死である(はずなのだが……。これ以上は言及しないでおく)。

 ここ(たち)(ばな)工業高等専門学校でも、先週、一週間にわたり後期中間試験が行われた。

 試験明けの週は、講義の途中で試験が返却されていく。一喜一憂する者、友人と点数の見せ合いをする学生も少なくない。

 その週の、ある日の昼休み。

 正午から五十分間の昼休みも中盤に差し掛かった頃。機械工学科に所属する(かつ)(うら)()()が、教室の自席に着いて小説を読んでいたときのことである。


「なぁ、理玖」

「……ん?」声がしたので、文字の羅列から目を上げると、(やり)()(ふう)()の顔がそこにあった。彼は、建設工学科の学生である。「あれ、楓馬。どうしたの?」

「いやさぁ、友達から、こんなラインが来たんだけど……ちょっと見てよ」そう言うと楓馬は、制服のポケットから黒のスマートフォンを取り出した。

「ちょっと? 一・五秒くらいかな?」理玖は、読みかけの小説に(しおり)をはさんで、机に入れた。

「……そういう意味じゃないんだけどなぁ」


 困った顔をしながら、楓馬はスマートフォンを理玖に手渡す。

 見ると、画面には無料通話アプリの個人トーク欄が表示されていて、そこに三行のメッセージがあった。


   やばい、試験100点だった

   単位出ない……

   留年するかも(-_-;)


「……な?」楓馬は理玖の顔を覗きこむ。「おかしくない? これ」

「おかしいといえば、おかしいかな……」理玖は、画面から目を逸らして、楓馬を見る。「わざわざこんなことを報告する必要があるのかどうか。それに、楓馬が俺にそんなものを見せるのもおかしい」

「え、そこ?」楓馬は()(げん)そうに目を細めた。

「ん?」理玖は片方の眉を吊り上げる。「それ以外に、変なところがあるの?」

「あるでしょ、しっかり見てよ」

「しっかり? 一時間くらい?」

「だから、時間の問題じゃないんだってば」

「具体的な数値目標を設定するのは大切なことだよ」

「あぁ……もういいよ!」楓馬は口調を荒らげ、スマートフォンを奪うように取り上げた。「もうこの話題は終わり。俺、帰るから」

「あ、うそうそ」理玖は鼻で笑う。「解ってるって。なぜ、百点を取ったのに単位が出ないで、留年してしまうのか、ってことだろ?」

「そうそう……、そこが解らないんだ」

「その友達は、この学校の学生?」

「そうだよ」楓馬は頷く。

「なら、先生が何かをしたんじゃないかな。ほら、この学校、偏屈な教員しかいないから……」

「だからって、満点取ったからって単位出さない先生がいるぅ?」

「『絶対に満点は取らせないぞ!』って意気込んで作った試験だったのに、易々と満点を取られたから、腹いせにそうしたとか」

「そんな不条理なことってあるぅ?」

「さぁね。世の中、不条理なことだらけだし、無いとは言い切れないと思うよ。でも、確率は限りなくゼロに近い。そんな教員が存在するのは物理的にも精神的にも不可能」

「うーん、よく解んないんだなぁ、これ」

「何をそんなに悩んでるの? もしかしてこれ、愛の告白?」理玖は口元を緩めた。「そうだとしたら、斬新な告白だね、初めて見るよ、こんなの」

「ばかぁ。そんなわけないじゃん!」

「それじゃ、何を悩んでるの?」

「だって、意味解んないからさ、気持ち悪いじゃん?」

「……そんなの、その友達に直接会って訊けばいいんだよ。それが一番早いし、無駄に考える必要も無くなる」

「でもさ……『どういう意味?』って訊くのもなんだかなぁ……と思うわけですよ 」

「ふぅん、(おっ)(くう)なんだ。でもね、そんなことをわざわざ送ってくるくらいだから、実は、本人は訊いて欲しいのかもしれないよ」

「まぁ、そうと考えることもできるけど……」楓馬は髪を掻いた。

「うーん、そうだな。あ、もしかしたら、なぞなぞかもね」理玖は人差し指を立てる。

「は? なぞなぞ?」

「パンはパンでも食べられないパンは……、ってやつだよ」

「そんなことじゃなくてさぁ、なんでなぞなぞにする必要があるの?」

「さぁ? それこそ本人に訊きなよ。俺に解るわけがない」


 うーん、と楓馬が腕を組んで唸ったとき、一人の女子学生が、二人の隣に立った。


「あれれー、君たち、なんの話してるのかな?」


 やって来たのは、理玖と同じ機械工学科の、(おち)(らい)()()()だった。ショートヘアにスレンダーな体型で、かなりボーイッシュな風貌である。


「あっ、落雷さん」楓馬は彼女の方を向いた。「よかったら、これ見てよ」

「んー、なに?」


 楓馬は、さきほど理玖にしたように、緋香里にスマートフォンを手渡した。


「ここんとこ、読んでみて」

「えーとー、なになに……」


 楓馬が指した問題の文章を、緋香里は黙読する。五秒経って、彼女は画面から目を離した。


「……なにこれ」少し頬を膨らませて緋香里は言う。「これさー、僕への嫌みなの?」

「えっ?」

「僕、けっこう赤点ギリギリの科目も多いんだよ……、なのにこれ、自慢したいわけ? いじめ? 学生主事に訴えちゃおうか」

「いやぁ、そんなんじゃなくてね……」楓馬は困惑の表情を浮かべた。

「楓馬の友達から送りつけられた、ラブレターみたい」理玖が横から口を挟んだ。その言い方は、悪意に満ちている。「すごいよね。斬新な三行ラブレターだよ」

「へー」緋香里は、抑揚のない声で応じる。「なんか、新手の告白だねー。誰から?」

「だからぁ、恋文でもなんでもないんだって! それに、送ってきたのは男だよ!」

「あー……、鎗戸君ってー、男に好かれちゃうタイプ?」緋香里は、意味ありげに頬に手を添えた。「まー、そういう人もいるのは理解してるからさ、ヘンに思ったりはしないよ」

「違うよ!?」

「まぁ……、でも、おかしいよね。単位が出ないなんてさ」言ってから緋香里は、楓馬にスマートフォンを返却した。

「解ってるんならさ、率直にそう言ってほしいな……」楓馬は呆れ顔を作り、黒い本体をポケットに戻す。「みんな意地悪だよ」

「そうだな……、まず、考えられる理由としては……」理玖が話しだした。彼は、椅子の背もたれに体重をかけている。「試験が百点満点ではない、ということが挙げられるかな。仮に二百点満点とするなら、百点満点に換算すると、百点は五十点になる。つまり、六十点未満で赤点」彼の言うように、高専での赤点は全科目六十点である。

「でも……」楓馬が反論する。「まだ試験はあるんだし、それくらいなら……頑張って取り返せるんじゃあないの?」

「たしかに……」理玖はゆっくり頷いた。「それはある」

「あっ。ホントは百点取ったけど、カンニングか何かがバレて零点になっちゃったとかー?」緋香里が言う。「そんなのは考えられない?」

「なるほどね……、カンニングすれば全科目が零点になるし、単位も出ず、留年になる可能性はあるかな」理玖は机に肘をついた。「でも、それだと『百点取った』という部分と矛盾する。それに、もしカンニングしたのなら、そのことも書くはずだよ」

「でも、あえてそれを書かずに、こちらの混乱を狙った……と、そういうことなのかなぁ」楓馬は小刻みに頷く。「あ、でもさ、カンニングしたら停学食らっちゃうんじゃなかったっけ?」

「そうだったね。なら、かなりの噂になるはず……。それも、試験期間真っ只中に」

「じゃ、カンニング説はないかぁ」

「あっ。じゃあさー、単に打ち間違えたってだけじゃない?」緋香里は、次の仮説を出した。

「それなら、あとですぐに訂正するはずだよ」理玖は即座に否定する。

「むー。たしかに……。えー、もう僕、解んないよ……」

「やっぱり、なぞなぞなのかなぁ? 理玖の言ってたみたいにさ」と楓馬。

「なぞなぞかー。なら、顔文字にも、なにか意味があるのかな?」と緋香里。

「縦読み……、いや、違うなぁ」

「ローマ字にしてー、逆読みしたら何か出てくるとか?」

「うわぁ、それはマジの暗号文みたいだ……、めっちゃ高度じゃん」

「あ……楓馬」理玖は、閉じていた口を開く。「ちなみに聞くけど、その彼の名前は?」

(とり)()(ゆう)()だよ。情報工学科の」

「ふぅん……、なるほどね」理玖は、机の中にあった小説を引っ張り出して、続きを読み始めた。


 そのあと、楓馬と緋香里は、暗号文を解くために試行錯誤していた。ローマ字にしてみたり、文字を並び替えて別の文章を作ってみたりしていたが、そのどれも上手くいかなかった。


「ダメだ……」

「解んない……」


 二人が諦めて天井に目をやったとき、小説を読むのをやめた理玖が口をきいた。


「なぁ楓馬、救急車を呼ぶとき、どこに電話する?」

「え? 病院だろ?」

「ごめん、言い方が悪かった。緊急の場合の電話番号は?」

「あぁ……。えーと、百十九番」

「そう。なら、時報は?」

「ん? 一・七・七? 一・一・七? あれ、どっちだ?」楓馬は眉をひそめて考える。「って、そんなんじゃなくて、なんでそんなこと訊くのさ?」

「時報は一・一・七だよ。天気予報は、『いい天気になれなれ』で、一・七・七」

「それ、理由になってないんじゃ?」

「でも、これがヒント」

「えっ!」緋香里は驚いた顔を見せた。「もしかして理玖、解ったの?」

「うん、一番納得できる解は得られたよ」

「マジか……。なぁ、教えてよ」楓馬は理玖に詰め寄る。キスシーンほどではないが。

「うーん、どうしようかな。すぐに答えを求めるのは、最近の若者のダメなところだからね。ちゃんと考えないと」

「考えてたじゃん。だからぁ、もったいぶらずに教えてよ……」

「ヒント、出しただろ?」

「あれのどこがヒントなのさ?」

「んー……、救急車と時報と天気予報……。百十九番、一・一・七、一・七・七……? 百……? ん?」緋香里は、掌を合わせた。「あっ! そっか」

「ほら、緋香里は何か気づいたみたいだよ」理玖は、彼女を一瞥いちべつしたあと、楓馬に目を向けた。「楓馬より成績がよろしくないのにね」

「えっ、マジか……。いや、でもさ、そういうのに気づけるのと、成績とは関係無いと思うんだ」

「論点がすり変わってる」

「ねーねー、僕、言っちゃっていい?」緋香里は、エサを与えられた子犬のように興奮していた。

「どうする? 楓馬くぅん」理玖の口調は、嫌味たっぷりである。「教えてもらっちゃう?」

「プライドなんてないから、教えてほしい……!」

「ふふー、んじゃいくよー?」緋香里は、笑みを浮かべながら言う。「メッセージには、『100点』って書いてあったでしょー? これねー、百じゃなくて、二進数で表された数字なんだよ」

「……にしんすう?」楓馬は聞き返すが、すぐに、理解した。「あ、あぁ、1と0だけで表されるっていう……あれね」

「そう、基数が二の、主にコンピュータで使われる進数だね」理玖は顎に指を当てる。


 人間が普段使うのは、十進法で表された数字である。0、1、2、3、4、5、6、7、8、9の十個の数字で表され、桁が移動するごとに、値のウエイト(重み)が十倍か十分の一倍になる(一、十、百、千、万……といった具合だ)。それが十進数である。

 対して、二進法(二進数)では、「1」と「0」の二種類の数字のみで数を表す。そして、桁が移動するごとに、値のウエイトは二倍あるいは二分の一倍になる(つまり、一、二、四、八、十六……といった具合である)。「110110」などの数字の列は、二進数で表された数だ。

 例えば、二進数で表された「110110」は、十進数で表す場合、32×1+16×1+8×0+4×1+2×1+1×0で「54」となる。


「二進数表記での『100』は、十進数に変換すると、『4』になる。つまり、彼は、試験で四点を取ったっていうことを言いたかったんだ」

「おぉ、四点……」

「そう、四点。ここから、単位が出るまでの成績(六十点)に上げようと思えば、次からは満点に近い点数のみを弾きだす必要があるね。場合によってはご臨終」

「なるほど……。それで、単位はもうないと嘆いてたわけかぁ」楓馬は、納得したように大きく頷く。「悠斗の奴、器用な点を取りやがるな……」

「零点を取っても、あまり変わりはなかっただろうね。まぁ、半期科目じゃなきゃまだ取り返しは効くと思うから、彼には頑張ってほしいな。平常点を加味すれば点は上がるし、試験と平常点の割合によっても成績は変わるし。最悪、教員に土下座して『なんでもしますから』と言えば単位は出る」

「うん……また今度、鳥井に会ったときにいろいろ訊いてみるわ」

「それはそうと楓馬、時計見てみな」

「えっ?」


 楓馬は振り返った。黒板の上にある円い時計は、十二時四十八分を示している。授業開始まで、あと二分だ。


「うわっ! もうこんな時間……。あ、でも、次の授業は遅れたっていいや。うん、謎が解けてよかったよ、あんがとね」


 言い残すと、楓馬は教室から出ていく。


「それにしても緋香里、よく解ったね」理玖は、彼女に向いた。

「いやー、今、C言語のプログラミングが危ないから、家で猛勉強してるんだー。それで、二進数とか八進数とかがやっと理解でき始めたから……解ったのかも」

「なるほどね……」

「でも……なんであんな書き方したんだろう? 普通に、素直に書けばよかったのに」

「さぁね……」


 理玖は机に肘をついた。そして、呟く。


「人のこころなんて、数字ほど単純じゃないんだよ」







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