Db1
僕はノエルっていう名前が昔から嫌いだった。
なんだか、ありきたりな名前でさ。
それに、「ノエル」って言われると。
どうしても母親のことを思い出してしまうからだとも思う。
あるクリスマスの日にさ、あの人はどこかに行っちゃったんだよ。
僕の大好きだったドーナツを沢山テーブルの上に置いて。
それに夢中になっている間にどっかに行っちゃたんだ。
馬鹿みたいな話だよね。
食い意地はってるのは、僕のほうだったかもね。
とにかく。
だから、街の皆には、あまり名前で呼ばないでって言ってたんだ。
我ながら変な子供だったと思うよ。
だって、「ノエル」って名前で呼ばれるより。
「おい」とか「お前」って呼ばれるほうが嬉しかったんだもの。
でもさ、街の人たちも気が良いっていうか。
まあ、田舎特有の人の良さでさ。
結局は「坊主」とか「少年」とか、そんな感じで呼んでくれてたんだ。
名前で呼ばれないと、まるで自分が透明人間になった感じでさ。
何故だか幼い僕は、それが気持ち良かったんだ。
誰にも、本当の自分を知られていないっていうかさ。
誰にも、必要にされていないっていうかさ。
多分、あのクリスマスの日に母親に置いていかれてから。
「必要とされていない」っていう状態が、僕にとって「必要なこと」になったんだ。
愚かだと、思うよ。我ながら。
子供ながらに悲劇に酔って居たんだと思う。
それは人から見たら、喜劇だったかもね。
でも、幼い僕にとっては、それは必要なことだったんだ。
皮肉なことに、あのクリスマスの悲劇から立ち直るには。
そのクリスマスの悲劇に酔うしかなかったんだよ。
「ドーナツみたいに、心にぽっかり穴が空いています」なんて。
かっこつけるしかなかったんだ。
それが、幼い僕が一生懸命考えて見つけた生き方だったんだよ。
そうやって生きていこう、なんて思ってたのにさ。
一人だけ、いくら言っても名前で呼んでくる奴が居たんだよ。
「ノエル、ノエルー!」
って。
悪びれもせず、名前で呼んでくるんだ。
嬉しそうに、僕の名前を呼んでくるんだよ。
在りし日の母親みたいに、さ。
当然僕はそいつが大嫌いだった。
大嫌いだったのに。
そいつはまるで、マジックみたいに僕の行く先々に現れて付きまとってくるんだよな。
いくら酷いことを言ったって。
笑い飛ばされちゃうんだ。
そして、また僕についてくるんだよ。
そいつはさ。
ちょっと見た目が他の子と違ってたんだ。
だから、みんな、それは大人も含めて。
あんまりちゃんと相手してやらなかったんだよ。
酷い話だよね。
僕みたいな奴には優しくしてくれるのにさ。
見た目がちょっとおかしいからって、邪険に扱うんだ。
田舎ってたまにそういうところがあるんだよ。
だからだったのかな。
僕は馬鹿だから、空気が読めなくてさ。
それこそ「自分の名前を呼ばないで!」って怒るくらいには馬鹿だったからさ。
周りの大人の顔色を伺うよりも、先に頭に来ちゃって。
そいつとは普通に喧嘩とかしちゃってたんだよ。
喧嘩って言っても、一方的に僕が酷いことを言ってるだけなんだけど。
透明人間になりたい僕と。
本当に透明人間みたいなあいつはそうやってさ。
まあ、仲良くっていうか。
お互い一番話せる感じだったんだ。
相変わらず僕はあいつのことは大嫌いだと思っていたんだけど。
っていうか、そう思い込もうとしてたんだけどさ。
分かるだろ。
子供のころって、どうしても素直になれないんだよ。
でも、あいつはさ。
にこにこと、いっつも楽しそうに僕に付きまとってたんだよ。
僕に怒鳴られるのだって、楽しんでたみたいだった。
初めてあいつを怒鳴った日にさ。
あいつは本当に嬉しそうに笑ってこう言ったんだよ。
「怒られるの、初めて」って。
「ノエル」って名前を呼べば僕が怒るから。
それも面白かったんだろうな。
……あいつが言うには、名前を呼ぶと、僕が嬉しそうだったらしいんだけど。
それは、多分、その通りだった。
でもさ、分かるだろ。
何度も言うけどさ。子供のころって、素直になれないんだよ。
だから、本当はちょっと嬉しかったくせに。
あいつと居るときは、大抵眉間に皺を寄せてたな。
頑張って、額に力を込めて。
三年前のクリスマスのことだった。
めずらしく、あいつの方から僕を誘ってきたんだ。
いつもは僕が好き勝手歩き回っているのについて来るだけだったのに。
その年、僕らは15歳で、そんな歳になっても、相変わらずまだそんな感じだったんだ。
でも、あの時のあいつは、少し違った。
いっつもへらへら笑ってるくせに。
その時だけはえらく真面目な顔をしてさ。
少し顔を赤らめて、僕にこう言ったんだよ。
「クリスマス、一緒に過ごそう」って。
「一緒に居て、くれないかなあ。ノエル」って。
結局言葉の最後には、はにかんだ様に笑ってたんだけどさ。
僕は、最初断ろうと思ったんだ。
別に、今更あいつと一緒に居るのが嫌、とかじゃなくてさ。
ご存知の通り、クリスマス自体が嫌いだったんだよ。
一年で一番憂鬱になる日なんだ。
朝から、どうしようも無く、誰にも会いたくなくなるんだよ。
大抵、その日はみんな幸せそうな顔をしてるからさ。
そういうのを見ると、やっぱり、ちょっと浮かれてる自分が居てさ。
そうすると、自分が不幸な演技をしてるだけなんじゃないかって。
そう思っちゃうんだよ。
それはさ、僕にとって致命的だったんだ。
だから、毎年クリスマスには親父にも会わずに部屋に篭ってたんだ。
親父も何かを察したのか、それとも、女でも出来たのか。
その頃には、あんまり家に帰って来なくなってたな。
それがまた、ちょうど良かったんだ。
そうやって寂しさを更新すれば。
また一年僕はやっていけたんだから。
そういう理由でさ。
断ろうと思ったんだよ。
でも、なんでだろうなあ。
気づいたら。
「いいよ」って答えちゃったんだ。
大分、ぶっきらぼうな言い方だったけどね。
それでも、僕は「いいよ」って言ってたんだよ。
そうしたらさ。
あいつったらさ。
目をまん丸にして。
「やった。やった」
なんて、小躍りしだしたんだ。
馬鹿みたいだろ。
でもさ、僕はそれを見て。
心底、可愛いな、なんて思っちゃったんだ。
そんなことを思ってる自分に、僕が一番驚いたよ。
でもさ。
散々不幸を掻き集めて、積み重ねて、折り重ねて、着飾って。
そうやって小難しくして、本当の本当を隠して。
生きていたのに。
生きてきていたのに。
もうどうしようもなくさ。
その瞬間、幸せだと思っちゃったんだよ。
なんだかさ、参っちゃったんだよ。
馬鹿みたいだろ。




