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「ところでさ、君の名前はなんて言うの?」
お茶を二杯も飲んでから気づいたんだけどさ。
そういえば、僕はこの子の名前も知らなかったんだ。
初めはきょとんとしていたんだけどさ。
すぐに笑って女の子は答えてくれた。
「サリー。サリーって名前。素敵でしょ?」
「うん。とっても良い響きだ。あ、でも、サリー。サリーか……」
「どうしたの?」
「いや、昔聞いた御伽噺でね。『sarry』って名前の怪獣が出てきたんだ」
「……」
とたんにサリーの顔が不機嫌になった。
だから慌てて言い訳したんだ。
言い訳って言っても本当のことなんだけどさ。
「怪獣って言ってもさ。『sarry』は君にちょっと似てるかもしれない」
「……えーと、どういうこと?」
「うん。昔々ね。ある街にね。毒が撒かれちゃったんだよ」
若干不機嫌になりかけたんだけどさ。
好奇心には勝てないのか、それとも呆れられたのか、とにかく僕の話す御伽噺にサリーは、耳を傾けてくれた。
「その毒って言うのがさ。これまた厄介な物で。見た目はきらきらとしてて綺麗で、おまけに空から降ってきたんだ」
「毒なのに?」
「そう。液体とかガスとかじゃなくてさ。しかも最初のうちは害は無いんだよ。だから、空から降って来たこの綺麗な物に、その街の皆は、最初喜んでたんだな。『天からの贈り物だー』って。見た目は綺麗だったからさ、それを名物に大分街も賑やかになったらしい」
「それは、結局天からの贈り物だったの?」
「どうだろうね。何しろ御伽噺だからね。ひょっとしたら誰かが撒いたのかもね」
「ひどい」
「うん。本当に酷い話だ。忘れたころにさ、この毒は効き始めるんだよ。『綺麗だなー』なんて平和に暮らしてた所に、突然毒になる」
「街の人達はどうなったの?」
「当然、逃げ出したさ。街は無人になったんだ。ところが、ある日。この無人になった街に一匹の怪獣が住みだしたんだ」
「あ、それが」
「そう。『sarry』なんだ。sarryはさ。毒を喰って生きる怪獣なんだよ。だから、その街の毒を喰い始めたんだ」
それまで比較的大人しく僕の話を聞いてくれていたんだけどさ。
そこで急にサリーが大声を出したんだ。
「……じゃあ、sarryは怪獣は怪獣でも、良い怪獣なのね! そして街の毒を食べつくしちゃって、人々は戻ってきてめでたしめでたし。サリーは良い奴でした!」
ちょっとだけびっくりしたのは内緒だよ。
でも、そうやって勝手に御伽噺を終わらせて、サリーはやたら上機嫌だったんだけどさ。
この話の最後はちょっと違ったんだよ。
言うか言うまいか、悩んだけれど、結局僕は言うことにしたんだ。
「いや、違う。その毒ってのがさ。結構多かったらしくて未だに無くなってないらしいんだ」
「……え?」
どうしてか、サリーはとても驚いているようだった。
話が違う、とでも言いたげな顔だったんだ。
「世界のどこかのその街で、未だに毒を食って生きてるらしいよ」
少しその表情を不思議に思ったんだけれど、それよりも先に話の続きが口から溢れてしまった。
さっきから気になって仕方がないことがあったんだよ。
「……そのsarryと私はどこが似ているのかな?」
「そういうとこ」
僕はサリーの頬っぺたを指差した。
そこにはさ、ドーナツの屑が付いていたんだ。
テーブルの上には結構な量のドーナツがあったんだけどさ。
僕があんまり食わなかったってのもあるんだけど。
サリーはそれを一人で食べちゃったんだな。
そりゃもう見事な食べっぷりだった。
出てくる時もそうだったけど、無くなるのもマジックみたいな速さだった。
自分の頬っぺたのドーナツの屑に気が付くと。
まあ、当然。
サリーは不機嫌になった。
それも笑顔で。
「食い意地がはってるって言いたいのかな?」
その顔はさっきよりも、大分おっかなかった。
ちょっとこの話をしたのを後悔したよ。
「いやでもさ、この話って色んな解釈できるし。ちゃんと調べなかった街の人が悪かった、とか。それこそsarryは良い奴だって、話もあるし……」
「でも、そういう意図で言ったんだよね?」
「……」
軽いジョークのつもりで言ったのに、地雷を踏み抜いてしまったらしい。
たまに女の子って、僕らの判らない所で怒ったりするんだよな。
僕は沢山食べる女の子は可愛いと思うんだけど。
とにかく、あの部屋に鏡が無くて良かったよ。
多分、その時僕は、そうとう情けない顔してたんだろうから。
結局、サリーの機嫌を直すのに大分時間がかかってしまった。
でも、不思議なことにさ。
一向に窓の外が暗くならないんだ。
ずっと穏やかな日差しが差し込んできているんだよ。
色々と不思議なことが起きてるけどさ。
流石に時間まで無いなんて思わなかったね。
こうなってくると、ますます疑惑は深まるばかりだ。
ここはあの世なんじゃないか、てね。
でも、確かめる術なんてあるんだろうか。
自分が死んでるかどうか、なんて、確かめる術はあるんだろうか。
……おかしいな。僕はずっと死にたかったのにな。
今更、本当にそうなったのかどうか確かめたいなんて。
「どうしたの? もう怒ってないよ?」
物思いに耽っていたら、サリーに心配されてしまった。
その無邪気な顔をじっと見る。
……その時にさ、ある重要なことに気づいちゃったんだ。
「……サリー。君は一体どこからこの部屋に来たんだい?」
きょとん、とした顔で、サリーが僕の顔を見つめる。
もしここが本当にあの世なら。
サリーも、もう死んでいることになる。
ひょっとしたら、天使か死神かもしれないけれど。
でもさ、サリーはそのどちらでも無かったんだよ。
屈託なく笑って、こう言ったんだよ。
「何を言ってるの、ノエル。私はずっとここに居たよ」
その瞬間にさ。
全てを思い出したんだ。
……思い出しちゃったんだよな。




