猫の最初の一発
「今の試合を表現する言葉が見つかりません。結局ワタル選手はたったの一撃で勝負を決めてしまいました……これが帝王と呼ばれる男の実力か。しかしその内容はとても圧勝とは言えません、片目を潰されるその瞬間を目撃した我々は恐怖で言葉をも失ってしまいました」
ずっと黙っていたミッキーが思い出したかの様に喋りだした。事実実況の事も忘れていたのだろう、ここに見に来ている観客の殆どは自分で喧嘩もした事のない良い子ちゃんばかりだ。そんな子達には少々刺激が強い内容だった筈だ。
「一撃必殺か、空手とかじゃ良く謳われる文句だよな。実戦で見たのは初めてだけど」
タケシが普通に関心しワタルを讃えている、去年自分を散々やってくれた相手とは言え……いや、だからこそタケシはワタルの事を認めているのだろう。
そして今度は自分が相手にとでも思っているのかもしれない、コイツはそういう奴だ。
「言葉で言うほど簡単な事じゃ無いだろうけどな。柔道にも柔よく剛を制すって言葉はあるがそれを体現するのは並大抵の努力と才能が有ってこそのものだ。試合内容はたった一撃かもしれないがそれは本当に凄い事だぞ」
シンゴも関心している。そうだろうな、プロの試合を何百試合も見た事はあるが一撃で相手の意識を完全に断つなんて一度か二度見た事がある程度だ。
「あーあ、ヨウイチさん負けちゃいましたね。総長、それなら次俺が行っていいっスか?」
キリンのチームサイドから声が聞こえる、喋っているのはダイスケだったか?印象薄くて余り覚えが無い。
「ダイちゃん、アナタあのマスクに挑むつもりでしょ?止めておきなさい。この中でもあのマスクは別格よ、今迄何度も挑んで負けているんでしょう。今日は勝つ為にここに居るの……自分の雪辱を晴らす場では無いのよ」
オカマに諭され悔しそうに下がるダイスケ、確かに何度も戦い連勝しているエックスに挑んでくれれば一勝取れたのだが……冷静な判断しやがって。あのオカマ厄介な立ち位置だな。
「俺が行く……」
ダイスケの陰からボサボサ頭のジュンが前に出てきた、コイツは鮮明に覚えている。タケシの腕を食い千切った奴だ。
「ちょっと、アタシが言った言葉解ってるの?自分の雪辱を晴らす場じゃ……」
「退けよ……」
肩を竦めそれ以上何も言わずオカマは後ろに下がった。
あの狂犬ヤローが出てくるって事は指名する相手は……
「ま、遅かれ早かれこうなるとは思ってたぜ、引き分けでフラストレーション溜まってんのはアイツだけじゃねぇって事を教えてきてやんぜ」
まだ指名されたわけでも無いのにリングに進むタケシ、それを当然の様に見つめるジュン。
二人とも最初からやる気満々だったんだな、周りが何を言おうが止める事は出来ない。
二人の気持ちは同じって事か、敵同士なのに変な話では有るが。
「負けないで下さいよ。ついでに言うと出血多量もゴメンですからね」
ヒロシの言葉を背中に受け、振り返らずに手を振り返すタケシ。勝算はあるのだろうか、前回はあれだけ凄惨な試合をして結局引き分け。出来れば避けて通りたい相手なのだが本人がアレでは止めても無駄だろうな。
「会いたかったぜ」
「俺もだ……お前に初めて会ったあの日からずっとお前の事を考えてた」
「俺もだ、あの日以来お前の事を思わない日は無かったぜ」
「もう言葉は要らない……」
「ああ、そうだな」
二人が構えると突然ジュンがローキック、タケシはそれに反応し右足を上げてガードする。
しかしそれはフェイントでジュンは蹴りを途中で止めると片足で立つタケシの腰に飛びつきタックルでダウンを奪った。
マウントポジションを取ったジュンはすぐさま拳を振りおろす。タケシはマウントを取られているにも関わらず冷静にそのパンチを見切り受け止め、更に胸倉を掴み首を絞めようとしている。
「上手い、三角絞めだ」
「普通にマウントを取られただけではあの形には持ち込めない。テイクダウンを取られた瞬間にちゃんと足を差し込んでいたか」
シンゴとエックスが状況を説明してくれる、だが寝技に疎い俺は何が何だかついていけない。上を取っているジュンの方が有利に見えるが、実は絞めているのはタケシの方らしい。
「ああっと、突然始まりました。しかも早すぎてついて行けませんでしたが今の一瞬で何度かの攻防が行われていた模様です……と、とにかく第二試合ジュン選手とタケシ選手試合開始です!」
ジュンは首を絞められたまま自分の腕をタケシの胸に押しつけ下半身を浮かせた。そのまま振り下ろして両膝を叩き込むつもりだ。
タケシはその体重が軽くなった一瞬を見逃さず転がりながらニードロップを避ける。二人は間合いを開け立ち上がった。
「すげぇな……何というか噛み合ってる。互いの戦闘スタイルが似すぎてるんだ」
シンゴが二人の戦いに見入りながら呟いた。
「ですね、とても始まる前に恋人同士みたいな会話してた二人とは思えない攻防です」
ヒロシも茶々を入れながらも明らかに感心している。
二人が数歩離れた位置で構えを取る。両手を顔の高さまで上げて左足を前に、地面に軽く付く程度に置く……同じ構えだ。シンゴの言うとおり二人の戦闘スタイルはソックリらしい事が構えから伺える。
「互いに寝技で仕留める気だったみたいだが、思いの外相手に寝技の技術があることを知って得意の立ち技で勝負する事に変えたみたいだが……その思考も二人同じみたいだな」
エックスの言葉通りに顔の横に置いた腕を若干前に出し縦拳の構えを取った。
「戦闘スタイルだけじゃなく頭の中まで一緒なんですかね。まずは一発……互いにそれを狙ってます」
何となく聞いたことはある。縦拳。繰り出すと同時に捻りを加え威力を上げる普通の正拳突きとは違い踏み込むと同時に打ち出す拳、確か直突きとも言われてる打ち方だ。
格闘技の試合ならそう簡単な話では無いと思うが、喧嘩では最初の一発の意味合いは大きい。最初に顔面にヒットさせたらそれがそのまま勝敗に繋がることも珍しくはないのだ。悪魔でも普通の喧嘩の話だが……
今回は互いにその一発で心が折れるほど貧弱な精神はしていないだろうが、どちらにしろ実力が拮抗しているこの試合においては最初の一撃は勝敗に大きく左右されるはずだ。特に鼻血でも出させたなら呼吸もままならなくなり致命傷とも言える一撃になりえるだろう。
二人の間合いがジリジリと近付いていく、始まりとは打って変わって慎重な動きだ。ミッキーも同じことを考えたのかマイク越しに二人に檄を飛ばす。
「先ほどまでの激しい攻防が嘘のように静かな立ち合いになりました。一体二人は何を狙っているの……」
ミッキーが喋り出した瞬間タケシが動いた。たまたま喋りかけられて気が散った瞬間を狙ったのか。それとも動こうとした瞬間にミッキーが喋り出したのかそれはどちらか解らない、だが先に動いたのはタケシだ。
ジュンはタケシの拳を肩越しに避け、それと同時に自分の拳を振り抜いた。しかしタケシもそれを肩越しに避ける。互いに自分の肩の上に相手の肘がある超至近距離。
その距離から先に仕掛けたのは今度はジュンの方だった。下からの掌低、顎先を狙っている、タケシはそれを反り返る様にして避け、戻ると同時にその反動を利用して肘を打ち下ろした。
ヒットはしなかったがジュンはそれを腕で受け止める。今まで避け続けていたのがやっとガード、これで状況は動く。タケシもそう感じたのだろう、肘を打ちおろすと同時に右の縦拳。しかしジュンはそれをも屈んでかわした。
大ぶりになったその隙は逃さない。ジュンは屈んだ状態からアッパー気味の縦拳を放ち、遂にタケシの顔面を捉えた。
バキィ……
激しい攻防の中、遂に最初の一発が入った。しかもタケシが打たれる形で。
「へっ、残念」
タケシは咄嗟に顎を引き額で拳を受け止めていたのだ。そのまま拳を押し返すように前に出てジュンの顔面に頭突きを決めた。
「よっし、まずは主導権貰った!」
俺の掛け声に呼応するかのように観客も歓声を上げた。