猫の焦り
「さて、これは頂いて行きますよ」
ヒロシはシンゴの懐を探りあっさりと玉を奪い取った。
「何と前回の戦いでは獅子奮迅の戦いを見せてくれたシンゴ選手がアッと言う間の敗北。これがトーナメント形式の戦いの為せる業か、はたまたヒロシ選手が強すぎたのか。どちらにしろチーム猫、苦しい出だしとなってしまいました」
倒れたシンゴにユイとサトシが駆け寄り助け起こす。
「大丈夫ですか?シンゴ先輩」
「すまね……手も足も出なかった……」
シンゴの姿を見て改めて今の自分の状況がマズイものだと思い知らされる。
目の前の試合に勝つ事は当然必要だ、それに負けてしまったら次も何も無い。だからと言ってトーナメントでは次もそのまた次も戦いは続く、目の前の試合だけに全てを注ぎ込んで次の試合の事を疎かにしてはいけなかったのだ。
「もう大体解った、次は俺が出るぜ。このゲームには怪我人の出る幕は無いって事を教えてやるよ」
そう言いながらリングに上がったのはタケシだ、やはり出て来たか。性格的に人の試合をジッと見てるタイプじゃ無いのは知っていた。最初に出て来ないなら次に来るだろうなとは思っていた。
「やはりあの人が出て来ましたか……ここは僕が……」
「待てよ、ユイは去年万全の状態でもあの人に負けてるんだぞ。勝てる訳無いだろ」
サトシが出ようとするユイの肩を掴みそれを止めた。
「確かに僕は彼に負けた、だけど僕は去年のままじゃ無い。次は勝つよ」
「去年のままじゃ無いのは相手も一緒だ。隠しても無駄だぞ、一昨日のシノさんとの戦いで利き腕を痛めてるんじゃ無いのか?そんなザマで出るなら一昨日の試合で早々にリタイアした俺がコンディション的には一番マシな筈だ」
ユイは肘の辺りを掴み顔を曇らせる。
「サトシ、解っているのか?ここで負けたら全てが終わるんだぞ」
「解っているからこそ俺が出るんだ、元々ユイはプレッシャーに弱い方だろう。お前には出来ない戦い方ってのもあるんだ、それを見せてやるよ」
二人が余りにも重く考えているのを見るに見かねて俺も口を出す。
「なぁ、別にタケシとの戦いに負けたって……ついでに言えばこの試合負けたってまた出場もできるんだぞ?少し深刻になり過ぎだ、もう少し軽く考えろよ」
盛り上がるつもりで言った言葉なのだが二人はそれを聞くと複雑な表情を浮かべ俯いた。
「とにかく、ここは俺が行くよ。ナオ先輩も良いですよね?」
「ん……まぁ、確かに前の試合の疲れが一番抜けてそうなのはサトシだしな。良いと思うぞ」
「ありがとうございます……」
サトシはそう言うと俺達に背を向けた。
「サトシ、もう止めないよ。その代わり勝ってくれよ」
「解ってる……コレ預かっててくれるか?」
サトシがそう言いながらポケットから玉を取り出しユイに手渡した。
「そっか……そうだな、ナオ先輩のも預かりますよ。先輩も出て貰わないといけなくなりそうですし」
「ん?別に良いけど」
俺も胸元から二つの玉を取り出しユイに預けた、それを見届けるとサトシは意を決したようにリングに歩を進めた。
「なぁ、何だか二人ともこの試合に入れ込みすぎて無いか?何かあったのか?」
「いえ……そんな事無いですよ」
ユイはそう答えるが表情が曇っている気がする、やはりこの試合に対して思う所があるみたいだな。
「やっと来たか、随分順番で揉めてたみたいだな」
「お待たせしてすいませんね、早速始めましょうか」
サトシは互いの間合いの中まで歩み寄りスッと手を出し握手を求めた。
「これは御丁寧にどーも……」
タケシも手を伸ばすとその瞬間ガスッと鈍い音が響いた。
「へっ、お前今悪い顔してたぜ。お前の師匠と同じだ、変な事企む時はそんな顔するんだ」
サトシのトンファーがタケシの顔面を狙っていた、しかしタケシはそれを見抜いていたのかその攻撃をいとも簡単に受け止めたのだ。
「ちっ」
奇襲が失敗したサトシは一足飛びで間合いを空けた。
「何と握手を求めたサトシ選手ですがそれはフェイクで本当の狙いは不意打ちだった!しかしタケシ選手それを簡単に受け止めてしまいました!……このゲームに反則は存在しません、ですが観客からはブーイングが投げかけられております」
これは確かにユイには出来ない戦い方だ……だがそれすらも簡単に返されちまうとはな。
「おら、動きが鈍いぜ。師匠があんなもんじゃ弟子もこの程度が限界か?」
タケシは間合いを空けたサトシにぴったりくっつく様に接近し息もつかせぬ程のパンチのコンビネーションを見せる。
何とか喰らい付いているかに見えるがガード仕切れなかった拳が何発かヒットしている。
「くっそ!」
サトシはコンビネーションの合間を縫って反撃を試みるが綺麗なクロスカウンターを喰らい何とか耐えたが膝が抜けそうになる。
「どうしたどうした?あいつに何を習ったんだ?そんなんじゃカスリもしねぇぞ」
一瞬の隙を突かれボディを打たれ足を止められる、そこに渾身の右フック。冗談抜きでカスリもしない、ここまで実力差があったのか?
始まって数分しか経って無いのにもうボロボロのサトシに向かってタケシが言う。
「お前は悪ぶってる割に素直過ぎるんだよ。戦いに置いて感情を読まれるってのは手の内を晒してるのと同じだと知れ……この状況じゃ焦るのも無理は無いけどな、だからって簡単に相手の挑発に乗りすぎなんだよ」
サトシは顔を上げタケシを見上げる。
「お前はこんなもんじゃねぇだろ、負けるのは恥じゃ無いが自分の全力も出せずに負けちまったらあいつに笑われるぞ」
サトシはそう言われるとスッと背筋を伸ばしタケシに背を向けて深呼吸しはじめた。
完全に隙だらけで後ろから蹴り飛ばしてくれと言っているようなもんだが、タケシは深呼吸しているサトシをジッと見つめているだけだ。
「ふぅ……優しいんですね、最初の不意打ちの分、今返されても文句言うつもり無かったんですが」
「別に優しいつもりはねーよ。ただ俺は男の相手も女の相手も正面からがスキなんだよ」
タケシが舌を出し、イヤらしい顔で答えるとサトシも軽く笑う。
「ならついでにもう一つ……何故わざわざ俺を挑発し落ち着かせる真似を?どんな事になろうと俺相手に負けるはずがないとでも?」
「それも深い意味はねーよ、どうせやるなら楽しまないとなって思っただけだ。それにお前を侮ってるつもりもない……去年のある時まで俺は自分で自分が一番強いって思っていたけども上には上がいると思い知らされた。俺は相手を侮る程自惚れちゃいないさ」
サトシが顔の前で十字を切り深く礼をした。
「そうですか、侮って貰ってれば楽だったんすけどね……この戦い、負ける訳にはいかないんです。色々教えて貰ったのは感謝していますが試合となれば話は別。全力で行かせてもらいます」
「当然だ、次に無様な姿を見せたら容赦なく終わらせるからな。あいつに教わった全てを俺に見せてみな!」
二人は両手を出し顔をガードする感じで構えた、そしてそこから息もつかせぬタイミングでサトシがダッシュする。
ガィンと鈍い音が響く、見るとカウンターでタケシが前蹴りを合わせていた。しかしサトシもそれをトンファーでガッシリとガード。
「へっ、それでいい……じゃ、準備運動は終わりだ。楽しませろよ」
互いに足を止めて打ち合う、手数はサトシの方が有利か?最初は打ち合いだったが徐々にサトシが押し始め、遂にはタケシは避けるだけになった。だがこれは……?
「くっ!」
最早目で追うのがやっとのサトシの猛攻撃を足を止めたまま上半身だけを動かしスウェーで避け続ける。
「何とタケシ選手、超インファイトにも関わらず全く退かずに攻撃を避けている。何という反射神経か」
タケシの奴いつの間にあんなディフェンスが上手くなってたんだ……あんなもん簡単に身に着く技術じゃないぞ。
全く当たらない攻撃に焦りを感じたのかサトシはトンファーの軌道を変えボディに打ち込んだ、しかしその攻撃も受け止められる。
「やっぱり素直な奴だ、スウェーで避けられてるなら動かないボディ……甘いんだよ!」
タケシはガードしたまま腕を引き寄せ回転する勢いを利用し肘を当ててきた。
思わずよろけるサトシ……ヤバイ、実力差があり過ぎる。