猫のヘソと気合い
「フッ、ハッ、ソイヤッ!」
回し蹴りからのソバット、着地と同時にバク宙しながらオーバーヘッドキックを浴びせてきた。
エックスはほぼ俺と変わらない体格。間違いなく高校生の部類では重量級、にも関わらずこの動きはカズやタケシ並みの身軽さだ。
その縦横無尽の動きに付いて行くのが精一杯の俺は何とか防御をしながら機をうかがう。
こいつが規格外の男なのは一年前から嫌と言うほど知っている、この程度で怯むかよ。
「どうした?防戦一方ではないか」
動きを止めたエックスがまた手を前に出し組んで来いと合図する。
ここで乗るから悪いんだ、俺はもうプロレスに付き合うつもりは無い。
手を組む素振りを見せて、寸前でエックスの横面に目掛けて拳を振るった。
しかしエックスはその不意打ちを軽々としゃがんで躱し背後を向けた俺の腰に組み付いた。
ヤバイ、これは開幕に意識を奪われたジャーマンだ。
咄嗟に背面越しに肘打ちを入れる、上手いことヒットしエックスの手が緩んだ。
急ぎ振り返るとエックスは頭を下げて隙だらけで俯いたままになっている。
チャンス過ぎる。これをたった一発殴るだけで済ます訳にはいかない。
俺は頭を下げているエックスの腰の辺りから持ち上げた。
このまま地面に叩きつけてやる!
上まで持ち上げるとフとエックスが軽くなり手応えが無くなる。
頭の上まで担いだタイミングで後ろに着地したんだ。その直後、背中に衝撃を受ける。
二メートル程吹き飛ばされた後にエックスの方を見て、そこで初めて背後からドロップキックを喰らったのだと理解する。当のエックスも寝転んでいたからだ。
「くっそ」
慌てて立ち上がる。見た目程ダメージは無い、いくら重い攻撃でも背中に喰らう分には然程大した問題では無い。
「おおー、素晴らしい!互いに一歩も譲らない攻防でしたが取り合えずはエックス選手の一本といった所でしょうか」
ミッキーの実況を聞き冷静になる、プロレスに付き合うつもりは無いと思っていたはずなのにシッカリ付き合ってしまっている。
あまり良くない流れだな、完全にペースを握られてしまっている気分だ。
「無理もない事だか随分と投げを警戒しているようだな」
「そりゃな。アレを喰らって危うく開始数秒で終わらせられる所だったんだからな」
俺の返事を聞くとエックスはニヤリと笑った。
「私達は互いに重量級だ。重い相手には投げは決め難いものだがその反面一度投げられてしまうと自分の体重がそのままダメージとなり、一撃が致命傷となりえてしまう」
エックスの後ろには未だシンゴに投げられて動かなくなっているヒロキが横たわっている。
正にそのエックスの言葉を体現した姿だ。
「だが投げだけがプロレスの真髄ではない、打、投、極。三種揃ってこその格闘技だという事を教えてやろう」
エックスはダッシュからのローキック、咄嗟に足を上げてガードすると逆の足で足払いをされ尻もちをつかされる。
座り込んでしまった俺の顔面を狙う軌道で回し蹴りが襲ってきた。
後ろに倒れ込み何とかそれを避けるも次の瞬間にはエックスがバク宙をしながら俺の頭上から降ってきた。
転がりながらそれもギリギリ躱す。
危ねぇ。打撃だけでもかなりの腕前だが、その合間に混ぜられるこの空中殺法が厄介だ。
モーションが大きいので見てからでも避ける事は可能だが万が一当たったら痛いじゃ済みそうにない。
こんな大男にのし掛かられたら中身が出てしまう。
「やはり良い勘をしていな、素晴らしいぞ」
そう言いながら俺の腕を取った。
いくらエックスでも合気道家に対して無造作に掴んで来るのは愚策過ぎるだろう。
俺は掴まれた手首を回転させ投げ飛ばした。
しかしエックスは投げられたタイミングで自らも飛び前方宙返りで着地する。
こんな外し方が……
「げふっ」
俺は腕を掴まれたまま延髄に蹴りを喰らう、更に今俺がやった小手返しで投げられダウンも奪われた。
呼吸が止まる程の衝撃と完全にお株を奪われる攻防で頭が真っ白になってしまった。
「取ったぞ、ナオよ!」
エックスはダウンした俺の右腕に絡みつき肘を剃り返される様に引っ張られた。
「うぁぁぁ……」
ギシギシと自分の腕が軋む、ガッシリと凄まじい握力で掴まれた手首も振りほどく事は出来そうにない。
「このリングにはロープは無い、私はこの腕ひしぎを離さんぞ。負けを認めろ」
エックスの言葉通り力強く掴まれたその手は緩む事なく俺の腕を更に捻り上げた。
くそ、どうする。とにかくこの腕を引っこ抜けば良いんだ……俺には寝技でこれを外し逆に関節を掛け返す知識なんか無い。
信じられるのはこの筋肉だけだ!
「う……ぬ……ぉぉぉぉ!」
全神経を集中させ腕を引っこ抜こうと力を入れる。
「無駄な足掻きだ!寝技は腕力だけでどうにかなるものでは無い、諦めろ」
そうかも知れないな。
だけどよ、完全にやられて負けちまうならまだしも降参なんてカッコ悪すぎるだろう、ユイに会わす顔がねぇよ。
腕でも足でももっていきやがれ、俺に勝つなら心を折って見やがれ!
「んぬぉぉぉぉぉ!」
首と胸に足が掛かっているため上体を起こす事が難しい。だが、逆に上体さえ起こしてしまえば何とかなりそうだ。
俺は腕を引っこ抜くのでは無く上体を起こし立ち上がろうと体制を変えた。
「お、おのれ……」
エックスが腕にしがみつきながら背を反り返らせ更にきつく腕を捻りあげる。
腕がミシミシと悲鳴を上げながらも俺はお構い無しに徐々に上体を起こし、遂に下半身を立たせる事に成功した。
以前エックスは俺の腕に絡み付いているが、ここまで体を起こせれば幾ら腕にしがみつかれていても!
「ぅおらぁぁぁ!」
俺は腕を振り上げエックスごと自分の腕を地面に叩きつけた。
ダスンと重い音と共にエックスが腕から離れ地面を転がる。
「がっは……この化け物め、寝技を仕掛けている人間を力任せに持ち上げるとは。君は常識を知らんのか」
「うるせぇ!テメーに常識についてとやかく言われる筋合いはねぇぞ!」
エックスに対し肩で息をしながら答えるも、確かに無茶をし過ぎたか。酷い筋肉痛の様に指を動かすだけで上腕二頭筋の辺りに激痛が走る。
だが右腕一本を犠牲にした価値は有りそうだ、今まで経験のない投げ方をされて受身もロクに取れず足元がふらついている。
ペースを握るなら今だ。コイツにはそう簡単に大技は決まらない、まずは打撃で体力を奪う。
ふらつくエックスの顎先を狙い拳を振り回した。
「うっく」
シンゴの言葉を思い出す。力だけじゃ投げは無理、相手に悟らせない様に崩しを使う。
俺の拳がいい所に入ったのか更にエックスがバランスを崩す、今がチャンスか。右手で胸倉を掴み左手で襟の辺りを掴みそのまま反転し背中に背負う。
ここで投げちまえばいくらなんでも決まる!
しかしまるで岩かと思うほどズッシリとした重量感を感じピクリとも動かない。
やっぱりコイツは甘くない、まだ余力を残してるんだ。
「甘いぞ……その程度ではやらせはせん、投の基本はへそと気合いで投げるものだ!」
エックスは背後を見せた俺の腰辺りを掴みグッと力を入れた。
マズイ、これは……
ズン……
重苦しい音と共に俺の後頭部は地面に叩きつけられた。
っく~効いた。目がチカチカしやがる。
「ワン、ツー……」
またもやフォールに繋げられた様だ、俺はカウントを聞いてから体を反転させフォールを振りほどいた。
エックスはマスクごしでも解る程に驚きの表情を浮かべる。
「ナ……ナオよ、貴様平気なのか?」
「あ?平気なわけあるか、頭はガンガンするし目の前はチカチカするよ」
何言ってんのか解らんが動揺してるのは確かのようだ。今度こそ決めてみせる。