猫の一進一退
見上げる程の巨体をググッと屈め仕切りの構えを取る。
ある意味次に何をするか見え見えの構えだが、正面から飛び込むという意志を変える気の無い気迫を感じる。
あまり相撲には詳しくは無いがテレビで見た事くらいはある。
考えてみると普通の格闘技でくは次に何をするのか相手に読まれないよう隠すものだが相撲の立ち会いの際にはその意図が全くない。
クラウチングスタートの様に力を溜めて二百キロ近い肉の塊が突っ込んでくる。
それを避けずに受けて立つとは何と過酷な格闘技であろうか。
シンゴは両手を広げ、その一撃を受けようと構えを取った。
シンゴは強い。それは信じている、だが……
「行くぞ……」
「律儀な奴だな、もう始まってるんだ。勝手に来いよ」
シンゴは体格差に全く臆する様子も見せず堂々と言い放つ、それに対して軽く笑みを浮かべヒロキが飛びかかる。
互いの体が交差すると同時にシンゴは右腕を取り半回転し背負おうとした。
しかしヒロキも簡単にはやらしてはくれなかった、あの勢いのままただ突っ込んで来たらいくらあの巨体でもシンゴなら投げられただろう。
だがヒロキは急ブレーキをかけ背負われる寸前に体重を後ろに残した。
「くっ」
背後から腕だけを取っているこの状況は、逆に言うと背中を見せチョークスリーパーをいつでも掛けてくれと言っている様なもんだ。
シンゴは首に腕をかけられ地面に背中を叩きつけたれた。
柔道で聞くようなパーンと小気味の良い音ではなくズンと重い音が響きシンゴが苦痛に顔を歪める。
「相撲が突っ込むだけの底の浅い格闘技だとでも思ったかよ」
直ぐさま起き上がり再び構えるシンゴ。ちゃんと受け身は取ったから見た目程のダメージは無さそうだが返り討ちに合い表情を曇らせている。
「確か柔道では背中を地面に付かせれば勝ちなんだっけか。今のは一本か?シンゴさんよ」
「そうだな、厳密に言うと投げる際に相手の衣服を掴んだままじゃないといけないが……文句無しに一本だ」
ヒロキはまた笑みを浮かべシンゴに向き合った。
「そうかよ、だったら今度はしっかりと一本取ってやるか。あんたも解ってる筈だよな、投げってのは失敗した時が一番の隙を生む事を……次に失敗した時があんたの終わる時だ」
柔道の試合では有るだろうが、路上での戦いでシンゴの失敗なんて初めて見たので気が付かなかったが確かにその通りだ。
事実、今失敗した後のシンゴは隙だらけだった。
「そうかよ、だったら気を付けないとな」
そう言うとシンゴは自ら間合いを詰め襟を取った。
「うぐあぁぁぁぁ……」
襟を取ると同時にヒロキが急に苦しみ出し、身を屈め始めた。
襟を取る様に見えて鎖骨に親指を掛けている。アレは痛そうだ……
更に身を屈めたヒロキ顔面に肘打ちを決めつつ腕を取り一本背負いを掛ける形だけ取り離れた。
出た、喧嘩柔道。
だが今の攻防に何の意味が?チャンスだったんだから一気に決めちまえば良かったのに。
「くぅぅぅ」
するとヒロキが今取られた右肘を押さえながら顔を歪めていた。
今の腕を取って直ぐ離れたのは肘を壊す事だけが目的だったのか。
「うがぁぁぁ!」
ヒロキが奇声を上げながら突進してきた。
シンゴはそれに対し正面から組み合い動きを止めた。
肘を痛めたせいかさっきまでの勢いは無い。
「ふー!ふー!」
辺りは静まり返りヒロキの鼻息だけが響く。
「フッ」
突如シンゴが短く息を吐き大外刈りを仕掛ける。
ヒロキは直ぐに反応し踏ん張った。しかしシンゴの狙いはここからだ。
流れる様な動きで背負い投げに移行する。
後ろに転ばされない為には必然的に体重を前に置く。そのタイミングに合わせて背負いで引っこ抜く、俺がこの前簡単に投げられたあの連携だ。
だがヒロキはこれにも反応し堪え切った。
再びシンゴは背中を取られる状況となり後頭部に頭突きを喰らった。
「がはっ」
無防備な後頭部に重い打撃を喰らい膝が折れる。
更にヒロキはシンゴを担ぎ上げ、そのままぶん投げた。
空中に放り投げられ、文字通り宙に浮いたシンゴは受け身も取れずに地面に激突する。
しかし投げたヒロキの方が肘を押さえ蹲った。
「ヒロキ、もう充分だ。戻ってこい」
相手のコーナーからケースケが腕を伸ばす。
ヒロキはそれを一瞥すると荒い息のままシンゴに目を向けるとシンゴはゆっくりと立ち上がっていた。
「おい!ヒロキ!」
「不粋な事を言うな、ケースケよ」
必死にヒロキに話し掛けるケースケの肩に手を置きエックスが静かに語りだす。
「会場も、そしてリングの上の二人も決着を望んでいる。時には勝利以上に価値のある戦いもあるものだ」
ケースケは口惜しそうに腕を引っ込め叫んだ。
「ヒロキ!テメェ負けんじゃねぇぞ!」
観客も地鳴りの様な歓声を上げ二人の戦いを盛り上げている。
「おおおおぉぉぉ!」
三度ヒロキが仕掛けてきた。仕切りの構えからの突進、そしてその突進に張り手を織り交ぜてきた。
シンゴはその張り手を躱しつつ袖と襟を掴む。
やれるのか?もう既に二回も投げを防がれ手痛い反撃を喰らっている。
やはりこの体格差で投げるのは不可能なんじゃ……
「おおおおお!」
シンゴが雄叫びを上げヒロキを担ぎ足を払いあげた。
「う……うわあぁぁぁ」
ドゴーンと凄まじい地響きと共にヒロキはリングに叩きつけられ、大の字になったままピクリとも動かない。
「ハァハァ……残念だったな。柔道ってのはどんな相手でもぶん投げる為の格闘技なんだよ」
シンゴが寝たまま動かないヒロキにそう吐き棄てると観客も一斉に湧き立ちミッキーも興奮した実況を行う。
「凄い凄い凄い!正に柔よく剛を制す!階級で言えば軽く三階級は上のヒロキ選手を見事投げ飛ばしました」
しかし投げ飛ばした場所が良くなかった。動かないヒロキの腕を取り、無理矢理タッチし今度はケースケがリングインした。
「満身創痍の所悪いが次は俺の相手をしてもらうぜ、ヒロキの頑張りを無駄にする訳にはいかないんでな」
ケースケは言うや否やフラフラになっているシンゴに襲いかかる。
「シンゴ、一旦タッチだ。コッチに来い」
しかしリングを上手く使いケースケはシンゴを俺とは逆の方向に追いやる。
「ぅワタッ」
シンゴの膝の裏に軽く蹴りを当てられ腰が落ちた。そのタイミングでケースケは裏拳を放ち顔面を捉えられた。
ダウンはして無いが体力気力共に限界だ、倒れたらそこで終わる事を理解して意地でも倒れない様にと踏ん張っているんだ。
倒すのは容易では無いと感じたのかケースケは攻め方を変えてきた。
強く握りこんだ拳を開手にしシンゴの両の耳をパーンと叩いた。
動きの止まったシンゴに対し更に追撃を行う、顎と顳顬に掌底を打ちつけた。
シンゴの体がガクッと前のめりに倒れ込む。
普通ならそこでダウンしてしまうのだろうが、シンゴは倒れる瞬間に一歩前に出てケースケにもたれ掛かりダウンを回避した。
ケースケは自分にもたれ掛かっているシンゴに対し膝蹴りを見舞う、根性でダウンを回避しただけの限界のシンゴはこれを喰らい遂に崩れ落ちる……いや、打たれながらも膝を掴んでいた。
「おおおおお!」
シンゴは膝を掴んだまま前方宙返り。ケースケは仰向けに倒され空中で勢いを付けたシンゴが背中で圧し潰す。しかも膝を掴んだままなので股裂きのオマケ付きだ。
「ハッ!ハッ!」
立ち上がったシンゴがフラフラになりながら俺の元に近づいて来る、もうフォールする気力も無いんだ。
ケースケも這ってエックスにタッチをする寸前だ、アイツより先にタッチしなければ。
「後は任せろ。早く戻って来い」
俺はシンゴに向かって手を伸ばす、あと数センチ……
ガシャーン
シンゴにもう少しで触れられるという時に耳をつんざく様な音が響いた。
その音と共にシンゴは膝から崩れ落ち、俺にその身を預けてきた。
倒れたシンゴの背後には赤いマスクを被り鎖を持った男が立っていた。
誰だこいつは……何だか解らんがこいつがその手に持った鎖でシンゴを背後から襲ったのは容易に想像がつく。
「で、でたぁぁぁ!折れぬ魂の五人目のメンバーのグレートシノ選手!彼が出場したゲームでは対戦相手が必ず血の海に沈む呪われた男。遂に彼も出てきてしまった!」
ミッキーの実況に湧く会場。グレートシノ?よく見たらシノか、暫く姿が見えないと思ったら……
俺はシンゴを地面に寝かせリングに入ろうとするとシノは妙な笑い声を上げながら鎖を振り回し俺を狙って来た。
ヒュオンヒュオンと独特な風切り音を立てながら俺の頬を掠める。
「ナオ選手場外です。一応形式に則ってカウントを取らせて頂きますがその前に、プロレスを知らぬ方の為に説明させて頂きますと二十カウントでリングに戻らなかった場合ナオ選手の場外負けとなります。そしてケースケ選手からタッチを受けたのはエックス選手。エックス選手がリングにいる限りは折れぬ魂の方に場外カウントは適応されません。ワン、ツー」
なんだよそりゃ、圧倒的に不利過ぎるじゃねぇか。
この状況で俺の残された道は二十秒以内にシノを倒して、その後エックスからスリーフォールを奪う……
冗談キツイぜ。