猫最強の男
「ソー、セイ!オウ!セイ!オウ!」
何を言っているのか解らない掛け声が部屋の一室から聞こえてくる。
俺はその一室のドアの前に立ち軽く深呼吸をする。
ユタカとの試合の告知を見た次の日、学校が終わってから俺はM高のプロレス部の部室に来ていた。
今日の夜にはユタカと戦う。決まってしまった事だ、もうどうしようもない。
だがそれでも俺はユタカに会わずには居られなかった、会って何がしたい訳でも無かったのだが……
「たのもー」
俺は意を決して掛け声と共にドアを開けた。
十人程が狭い部屋の中でスクワットを行っていた、その中の一人が顔を上げ俺と目が合うと近付いてきた。
「ナオさんじゃないですか。どうしたんですか?」
近付いて来た部員の一人はシノか、近くで見ても一年前の面影は全く無いな。
去年試合した時は氣志團みたいな格好してたのに今は爽やかな一年生だ。
「ちょっとな、ユタカは居ないのか?」
部室の中を見回すがそれらしき人物は居ない、シノ以外のメンバーは俺には目もくれず一心不乱にスクワットを続けていた。
「ああ、部長は今部費の交渉に生徒会に……って戻ってきましたよ。部長、お客さんですよ」
シノの目線の先を見ると俺達に軽く手を挙げているユタカの姿があった。
「おし、俺達はランニング行くぞ!」
「押忍!」
シノが部室の中に向かって吠えると負けじと気合いの入った返事が返って来た。
「それじゃ俺等は行ってくるんでごゆっくり!ソー!セイ!オウ!セイ!オウ!」
体から湯気を出した男達はもう寒くなり始めて居るのに半袖のまま掛け声と共にランニングで出て行った。
「見違えたな、あれがシノか」
「ああ、三年は居ないし二年は俺だけだし……一年ながら副部長を任せてるよ。ま、入ってよ」
ユタカに促され汗臭い部室に入る、確実にマネージャーは居ないな。掃除どころか整理整頓すらもされた形跡が無い。
俺は散乱している荷物の中からバケツを取り出し、それをひっくり返し座った。
「ついにこの日が来たね」
俺とは目を合わさずにユタカがポツリと呟く。
「なるべくならこんな日は来ないままでいて欲しかったんだけどな」
もう決まってしまったとは言え本心だ。本気でやってみたいと言う気持ちもあるが、それ以上にやりにくいと言う感情も有る。
「なら、今回は棄権してくれないか?」
「へ?」
ユタカの急な申し出に思わず言葉を失った。
「ゲームに参加したのはカズの事を知りたいからだろ?それは俺が何とかしてみせるからこの場は任せてくれないか?」
ユタカは俺の両肩を掴み真っ直ぐな眼差しで見つめてきた。
「何言ってんだよ、そりゃやってくれるなら任せても良いけど何とかなるのかよ?前の試合見に行ったぞ、理由は知らないがわざと負けたりしてるみたいじゃないか。何考えてるんだよ」
肩に置かれた手を払い除けながらユタカを見つめ返す。
俺に見つめられるとユタカは気まずそうに目を逸らした。
「それは……」
「一体何を考えてるんだよ?お前の実力なら四回戦までは余裕だろうが」
ユタカは目線を戻し喋りだした。
「じゃあ四回戦の次はどうなるんだ?」
「ん……」
言葉に詰まった。五回戦に待ち受けるのはアイツ等、ジャッジメントだ。
確かにそこまでは行けてもその後は……
「この一年、俺は血の滲む様な鍛錬を続けて来た。去年の俺とは比べ物にならない位強くなった自信がある……でもそれでも奴等に勝つ自信は無いんだ」
拳を握り締め悔しそうに俯くユタカ。
「プロレス同好会が正式に部になってからアマレス部のイクオ君との練習もしていない。アイツ等どころか今のイクオ君一人にすら勝てるかどうか……」
「じゃあユタカは勝つ自信無いからってわざと負けてるのかよ、何だよそれは。だったら出なければ良いだろうが!」
正直見損なった。友人として、一人の男として認めていた奴がこんな情けない事を考えているなんて。
思わず声を荒げた。
「だけど何もしなければこれから先もジャッジメントの奴等に食い物にされる奴が増える一方だ。アイツ等の目的は解ってる、ゲームに参加してる強い奴等をスカウトする事だ。……俺がSSSゲーム最強と認識されて誰も俺に勝てないと思われればゲームに参加する人は居なくなる。ゲームの参加者が居なくなればジャッジメントの奴等もこのゲームを終わりにせざるは得ないだろう」
想像を超えた考えを聞かされた。
勝てないからとビビってる訳ではなく勝てなくとも奴等を打ち破る方法を考えていたんだ。
「部員のみんなをジャッジメントと戦わせる訳にはいかない。将来有望な彼等に一生ものの傷を負わせる訳にはいかないからね」
「じゃああそこにリングを作ったのって……」
「あのゲームの凄惨さを広める為だよ。あのゲームの内容を知れば賞金に釣られて興味本位で参加する人はいなくなるだろうからね。でも逆に言うと今参加しているのはそれを見ても参加する猛者ってことになるんだけどね」
力なく笑うユタカ、コイツもカズの行方を捜すために自分のできる事を考えて実行していたんだ。
「だから頼む、今回は俺に任せてくれ。きっとうまく行くはずなんだ」
ユタカが真っ直ぐに俺を見つめる。迷い無く真剣な目で。だが、俺は頷かない。
「ユタカ、お前の気持ちは良く解ったよ。だけど引けないな。確かにうまく行けばそれでゲーム自体を潰す事が可能かもしれない。だけどずっと勝ち続けるなんて無理に決まってるだろう。……それに例え勝ち続けたとしてもそれじゃ時間が掛かり過ぎる。ユタカこそ俺に任せろよ、俺がもう一度五回戦まで勝ち進んであいつらに会ってくるからよ」
「じゃあナオはあいつ等に勝てるのかよ!」
穏やかに話していたユタカが急に激昂した。
「行かせねえぞ……いくらナオでも。いやナオだからこそ、もう友達がやられるなんて見たくないんだ!」
俺はユタカから目を反らし立ち上がり背を向けて話しかけた。
「ありがとうな、だが譲れねぇよ。俺だってユタカだけが辛い目にあってるのなんか見たくねぇんだ。任せとけよ、カズを連れ戻しついでにジャッジメントの奴等に去年の借りも返してくるさ」
俺は敢えて明るく言い放ちわざとらしく背筋を伸ばす。
だがユタカからの返答が何も無い。振り向いてみるとそこにはユタカの姿は無かった。代わりにそこにいたのは……
「フ、私達は格闘家のはしくれだ。言葉で自分の気持ちを伝えようとするのが間違いだったのかも知れんな。ナオの気持ちは解った……今夜の試合楽しみにしているぞ。だが私にも勝てない様ではジャッジメントには絶対に勝てん。全力でお相手しようではないか」
ユタカの姿は無く、そこにはミスターエックスが立っていた。
気迫に気圧され思わず一歩下がってしまった。去年何度も助けられ、誰よりも頼りになる最高の仲間……俺は今ミスターエックスと決別の意を唱えてしまったんだ。
「今夜の試合楽しみにしているぞ、では」
エックスはその姿のままドアを開け出て行った。
そして時間は無常に流れ、試合の時間が来てしまった。
目の前にはエックス率いるシノ、ヒロキ、ケースケの四人。顔見知りにも関わらず相手からは何も話しかけては来ない、四人とも黙々とストレッチを続けている。
俺の後ろにはシンゴ、ユイ、サトシ。こちらも黙って精神集中している。
重苦しい雰囲気だ、俺とエックスだけでなくユイ達とヒロキ達も同級生であり去年のチームメイトだったんだ。簡単な感情であるはずがない。
「伝説対伝説、このカードが遂に実現致しました!片や路地裏猫の最強の男。方やその路地裏猫を束ねていた男。運命は何故この戦いを選んだのだろうか!……さあ、両リーダーのルール設定をお願いいたします」
相手コーナーからエックスがゆっくりと歩いてきてリング中央で立ち止まる。
俺もエックスを見据えながらそこに近付いた。
「申し合わせたかの様に四対四になったな……どうだ、ここは一気に勝負を決める為にスリーフォール制の四対四タッグマッチと言うのは?」