猫の教え
次の日の学校、授業が終ると俺はシンゴに屋上に呼び出されていた。
「寒くなってきたな。もうすっかり雪景色だ」
シンゴが柵に薄く積もった雪を払いながら山のほうを見つめていた。
「本当に寒いよ、何だよ話なら教室でしようぜ」
俺は身を縮こまらせ忙しく動き回る。止まってると寒いのだ、動いてても寒いけど。
「ちょっと人前じゃしにくい話なもんでな。昨日のヨウイチって奴との試合見てて思ったんだけど、ナオ戦い方変えたんだな」
「ん、まぁな。昔に比べてどうよ」
俺は少し得意気に言ったがシンゴからの返答は逆の言葉だった。
「弱くなったな」
え?俺の聞き違いだろうか、少なくとも去年から連戦に次ぐ連戦。強くなっていても弱くなったなんて有り得ない。
「ま、そう言われても納得いかないわな。昔のナオは体力とガタイにモノを言わせたダンプカーみたいな戦い方だった。で、今は投げへの意識が有りすぎる」
「なんだよ、それじゃダメなのかよ」
ちょっとムッとして言い返す。昨日もそうだが今までの奴等だって弱くなって倒せるほど甘くは無かった。そんな言い方されたら腹も立つ。
「ダメじゃないさ、だが投げへの意識は消さなきゃダメだ。言葉で言っても理解できないだろ?まずは俺をぶん投げてみろよ。俺は手を出さないから」
制服を着たまま俺に向かって両手を突き出す。
シンゴはインターハイに出るほどの柔道家、少なくとも投げに関しては俺達の誰よりもそのノウハウを知っているだろう。
だがそれでも実戦で鍛えた俺の合気は甘くないはずだ。そこまで言うならやらせて貰おうじゃねぇか!
俺はシンゴの腕と奥襟を取り、引っ張って腰に乗せようとした。
しかしシンゴは動かない、体勢を元に戻し今度は背負う。しかしそれでも動かない。
何だこれ?ビクともしない。イクオやヨウイチを投げようとしたのと同じくらい……いや、それ以上に動く気配が無い。
「どうだ、投げれないだろ?」
冷ややかにシンゴが言う。クソ、意地でも投げてやる。
手を変え品を変え色んな方向からの投げを試みるが全く動かない。
しまいには仕掛け続けていた俺の体力が無くなり肩で息をするようになってしまった。
「これは柔道の自護体と言ってな。詳しい説明は端折るけど要は投げられないように踏ん張るって事だ」
「き……汚ねぇぞ、そんな柔道の秘奥義を使いやがって……」
「基本だよ。んでその踏ん張っている状態では人はなかなか投げられない……今度は俺が投げてやる、堪えてみろよ」
「へっ、今そのジゴタイとやらを教えてもらったんだ、いくら体力無くてもそれくらい余裕だぜ」
俺は重心を後ろに置き力を入れて踏ん張った。
「そうだ、そうやってる人間を同じくらいの体重の人間が投げるのは中々難しい……だがな」
シンゴはそう言いながら足をひょいっと引っ掛けて後ろに倒そうとしてきた。
何の!投げだけを警戒してたから後ろに倒されるのは確かに無警戒だった。だがそれでも踏ん張れる。
その刹那、俺の体は急に無重力になり宙に浮いた。
ズッドン……
踏ん張っていた筈の俺は何故か背負われ薄く積もった雪の上に叩きつけられた。
「…………!?!?!?」
息が出来ない。死ぬ、死んでしまう。
「柔道では基本のコンビネーションだ、大外を仕掛けて体重を前に来させて背負いで引っこ抜く。これが……」
「ぜはっ、ぜはっ、やっと息できた。はぁはぁ」
「ん、馬鹿だな。受身くらいちゃんと取れよ」
「馬鹿はオメーだ!冬のコンクリに叩きつける奴が居るか!」
本当に死ぬかと思った。一分くらい呼吸できなかった気がする。
「ま、俺が言いたいのはだな。ナオは腕力で投げに行こうとしすぎてるんだ。そりゃナオは腕力に自信はあるだろうし高校生でそんだけ締まった体の奴はそうそう居ないだろう。でもだからって力だけじゃ投げは無理だ、今から投げるぞって相手に悟らせないようにし、崩しを使うんだ」
崩しか、前もなんか似たような事言われたような。
「昨日の試合、最後に投げが決まったときどうしたか覚えてるか?」
「えっと、どうだったっけ」
シンゴがやれやれと言った感じに短い溜め息を吐き話し始めた。
「両手を持ったまま頭突きを決めたんだよ、あれはいい所に決まったみたいだな。膝が抜けるほどのダメージだったみたいだぞ。あの頭突きで体制を崩し、見事投げが決まったって訳だな」
ああ、アレか。確かにいい手ごたえだったな。
「投げってのは徒手空拳と言われながら地面ってドデカイ武器を使う分威力も強い。その分技術も必要なんだ。組んだ時に投げられるかどうかは決まってるんだ。忘れるなよ」
俺は頷き、尻についた雪をパンパンと払いながら立ち上がった。
「しかしシンゴもよく見てるよな。頭突きで膝が抜けるのとか見ててわかるもんか?」
「俺も試合でよくする手だしな」
シンゴがケラケラと笑いながら言う。
「え?試合で?柔道の試合でそんな事したら失格だろ?」
「公式ではな、だが柔道も格闘技だ。ルール以上のルールが有る。いわゆる喧嘩柔道。バレたら失格だが巧くやったら武器になる」
言葉を失った。インターハイで名を馳せたシンゴが実は反則魔だったとは。
「おい、誤解すんなよ?確かに反則は反則だがそれを含めての格闘技だ、お嬢様のやるテニスとは訳が違うんだよ」
「例えばどんなのがあるんだ?」
「そうだな……」
そう言うとシンゴは俺の胸倉を掴み、服を掴んだまま顎へのパンチ。そして引き寄せる反動を使い頭突き、更に背負う瞬間に肩で顎を跳ね上げる。
背負い投げのワンモーションで計三発。しかも脳震盪を引き起こし易い顎先への攻撃。
勿論手加減されたので利いてはいないが、これで流れるように投げられたら……
「えげつないな」
「別に相手が誰でもやる訳でもないさ、そういう相手だったらの話だ」
にこやかに笑ってはいるがその笑顔が逆に怖い。
でも覚えといて損はないかもな、喧嘩柔道か。
「よーし、寒いし帰るか。帰りラーメン食っていこうぜ」
「ん、そうだな」
腕力で投げずに崩しを使う。俺は心の中でさっきまで事を反芻しながら帰路に着いた。
しかし帰ってみるとその事を忘れる程の衝撃を受けた。
試合の告知が届いたのだ。
相手チームは折れぬ魂。チームリーダーはミスターエックス。
ついにこの時が来ちまったか。俺はベットに横になりながらその告知を見つめていた。