猫の大技
ヨウイチは俺を油断なく間合いの外から見据えている。
軽めに握った拳と縦ではなくベタ足でゆっくりと横に揺れる構え。
見覚えの無い動きだがあのイクオの兄と名乗るからには恐らくアマレス……で、無くとも組み技系の格闘技なのだろう。
イクオ並のタックルをされたら厄介どころの騒ぎじゃ無いが、少なくともアレと同等の動きならば初見で無い分俺の方が有利。
俺もヨウイチを見据え呼吸を読んだ。息を吸った瞬間若干背筋が伸び吐いた瞬間には背が縮む……
ヨウイチがフッと息を飲み俺との間合いを詰める。
粗方は読み通り、息を吐くか吸うタイミングで人は動く。戦ってる最中にそんなものを読む程クールじゃ無いが、始まる前の初弾なら話は別だ。
俺の手か襟か、もしくは下半身か。どこを掴みに来ても逆に投げ返すつもりでいた。
「ブッ」
俺は眉間に思い切り拳を貰ってしまった。
殴ったヨウイチの方が驚いている。
「何だ、不気味な奴だな……避けようともしやがらねぇで思い切りくらいやがって」
立て続けに俺の髪の毛を掴み二発の拳を叩き込み、鳩尾にヒザ蹴りを入れられる。
更に頭を下げた俺に対し手を緩めることなく後頭部への乱撃。
ヤバい、少し気が遠くなりかけた。
倒れそうになるのを堪え足を踏ん張り頭を思い切り上げた。
丁度頭突きを入れようとしたのかヨウイチの額と俺の後頭部がぶつかりガンと鈍い音が聞こえる。
「好き勝手やってんじゃねぇぇ!」
俺は叫びと共に左右の連打の後に前蹴りを繰り出しヨウイチをリングの外まで蹴り飛ばした。
油断していた訳では無い、だがイクオの兄ってだけでアマレスと思い込み更には自分が初見では無いからと優位に立っている気になっていた。
頭を切り替えろ。イクオの印象が強すぎてあいつとの戦いを思い返していたが、顔が同じでもイクオとは別人だ。
勝手に相手の出方を知った気になっていた自分に腹が立つ。
気合いを入れ直す為に俺は自分の頬を思い切り叩き雄叫びを上げた。
「おおおぉぉぉ!かかってきやがれ!」
「訳わかんねぇ奴だな、急にスイッチ入りやがって」
ヨウイチは俺とは逆に冷静になりプッと血を吐き捨てながらゆっくりと立ち上がった。
前蹴りはともかく、左右の連打は完全に顔面を捉えていた。ダメージはあるはず、一気に畳み掛ける。
俺はダッシュで間合いを詰め、その勢いを利用しての振り下ろしの右ストレートを放つ。
ヨウイチはそれを片手でいなし逆に俺の顔面を目掛けて拳を繰り出して来た。
遅い。ヨウイチの拳を見切り、手首を掴んだ。このまま関節決めたままぶん投げてやる……!
「ナオ先輩、そいつ何か握ってます!」
投げの為に間合いを詰めようとした瞬間ユイの声が聞こえたが既に遅かった。
手首は掴んでいたが、その手首のスナップだけで俺の顔に何かを投げつける。
これは……砂?今蹴り飛ばした時に握ってやがったのか。
薄く開けた目に嫌らしくニヤつくヨウイチの顔が見えた。
クソッたれ。イクオと同じ顔でセコイ真似しやがって。
視覚を奪われた俺は飛び膝を喰らった、首に衝撃がかかりガラ空きのボディにも一発貰う。
今し方イクオとは別人だと再認識したばかりなのにまたしても虚を喰らってしまった。
どうしてもこの顔と戦っていると小細工を使ってくるイメージが湧かなくて全部引っ掛かってしまう、双子とはここまでやり難いモノなのか。
だが砂を目潰しに使うなんて小学生の喧嘩でも思い付く幼稚な技だ。
セコイ真似なんかじゃ無い、俺が甘かったんだ。
俺は薄眼を開けて拳を振り回す。しかし当然ながら避けられ反撃を喰らう。
駄目だ、こんな視界じゃ当たる気がしない。今は防御に徹して目の回復を待つしかない。
目を瞬きさせる間にヨウイチの姿が消えたり現れたりを繰り返す。全部防ぐのは無理でも半分程度なら受け切れる、致命傷さえ喰らわなければ反撃の余地は充分にある。
俺は薄眼でヨウイチの動きを観察した。
この際横からの攻撃は敢えて受ける。正面からの攻撃だけでも捌いて時間を稼ごう。
一瞬目を閉じた瞬間にはボディブローやローキックを喰らう、覚悟せずに急に死角からの攻撃は正直堪えるが顔面さえ守れれば何とか……
その刹那、ヨウイチの手が俺の顔に向かってくる。これは拳ではない、貫手……?
俺は咄嗟に右手で顔をガードする。
「ち、勘のいい野郎だ」
顔の前で俺とヨウイチの指が絡み合う。
コイツ……目潰しを狙って来やがった、たまたま顔面の攻撃にだけ注意を払っていたから良いような物を。
「帝王とやらはコレで勝負がついたんだがな」
ヨウイチが肉食動物のように舌舐めずりをする。
その顔を見て直感した、今のはハッタリじゃ無い。本気でえぐる気で仕掛けて来やがった。
本能が俺に危険信号を伝え背筋にゾクリとした感覚が這い上がってくる。
勘が良いなんて問題じゃ無い、たまたま顔面への攻撃だけを警戒していたから反応出来たんだ。そうじゃ無ければ……
俺は絡んだ指にグッと力を入れた。
するとヨウイチも力を入れてくる。互いに右手同士を摑み合い睨み合った。
何のつもりか知らないが上等だ、この間合いは俺の独壇場だ。
自由な左手でヨウイチの顔面を狙いストレートを放つ。
しかし、俺の拳が届く前に摑み合っている右手の肘を曲げ肘打ちを入れられた。
肘は見事に喰らってしまったが腕を引っ張り左手で肩の後ろを押さえつけ頭を下げさせ顔面にヒザ蹴りを決めてやった。
「うぐっ」
ヨウイチが悲鳴を漏らす、手応えあり!
俺は更にガラ空きの後頭部に肘を落とす。
好機、握ったままの右手を背後に捻り上げて肘関節を極める。
「散々暴れてくれたがこれまでだな。降参しろよ」
「へっへへ……何寝ぼけた事言ってんだよ」
この後に及んでまだ負けを認める様子の無いヨウイチ、俺は捻り上げる力を更に強めた。
「良いのかよ、こういう所は一度壊すと元には戻り難いんだぜ」
「うぐあぁぁぁ……」
これじゃ俺が悪役だな、だが例え人の目を平気で狙ってくる奴でも肘をぶっ壊すのは気が引ける。
仕方ねぇ、こめかみにでも撃ち込んで暫く眠って貰うか。
俺が左手を離した瞬間、ヨウイチは前方宙返りをし肘の固めから脱出した。
そしてその動きに目を奪われ、掴み合っていた右手を引っ張られる。
ゴッ!!
俺の顔面に肘が直撃した。引っ張られた勢いと肘を打ち出す勢いが相乗し一瞬気が遠くなる。
な……めんなぁぁ!
右手に力を入れ肘を下に向けさせ左手で脇の辺りを押し上げる様に掴む。
こうすると肘が折られない様に自然と体が浮く……筈なのだがヨウイチは動かない。
今まで散々イクオとは違う所を見せつけられてきたのに、こんな所はイクオと一緒かよ。
投げを失敗した俺は当然のようにその隙を突かれて打撃を受けた。
認めよう、こいつは強い。
戦いに関してのセンスがずば抜けている。よく言えば才能がありすぎる。
更に反則でも躊躇無く行える勘が優れている。見え見えの反則や奇を衒った攻撃なら予測し対応する事も出来るが、コイツの場合いつ何をしてくるのか予測がつかない、恐らくは事前に考えて居た訳ではなくその場その場で咄嗟に思いついた戦術なのだろう。天才だ。
その上人の目をえぐろうとする胆力。そしてポテンシャルはイクオと同等……
ヤバイかもしれない、俺は握った手により力を入れた。
「そろそろ終っちまえよ!」
ヨウイチが握り合った右手を軽く引っ張り少し身体を揺らせ空いた左手でボディを入れて来た。
単純だが効く。互いに右手を握り合っているから左からの攻撃が防御できないんだ。ヨウイチはボディの連打をしてきた。
「ぐ……おおぉぉ……」
膝が付きそうになる痛みを堪え必死に足に力を入れる。ここで膝を付こうものなら容赦なくそこで終らせられる……コイツはそういう男だ。
これ以上撃たれたらマズイ、左手でヨウイチの手首を掴みボディブローを止めた。
「く、離しやがれ」
両手を掴まれたヨウイチは蹴りで反撃を試みるが両手を掴まれている状態ではバランスも取り難く腰も入らない為たいしたダメージにはならない。
きっとマサミチとかヒロシみたいな蹴りに特化した格闘技だったらこの状態からでも蹴り技を出せるんだろうがヨウイチはただの喧嘩屋。その技術がなくて助かった。
「大人しくしやがれ!」
両手を交差させたまま引っ張り顔面に頭突きを決める。
ヨウイチの膝がガクッと抜けそうになる感覚が伝わってきた。チャンスだ。
「おおおおおお!」
俺は両手を交差させたままくるりと反転し肩に担ぎ背負った。
「う……ぐあああぁぁぁ」
ヨウイチが俺に背負われながら悲鳴を上げる。
ドォンと地面に叩きつけるとヨウイチは両肘を抑えて蹲った。
意識は奪えなかったが手応えは十分。両肘決めたまま背負い投げしてやったんだ、靭帯が伸び切ってしばらく両腕は使い物にならないはずだ。
「これはヨウイチ選手立てない!大接戦ではありましたがやはり路地裏猫のリーダーは伊達じゃなかった。サブミッションを仕掛けながらの投げ。凄まじい技を繰り出したナオ選手の勝利です!」
おぉぉぉぉっと観客が沸き立つ。
「おぉぉっし!俺の勝ちだ!」
俺は観客の声援に応えるように右手を高らかに挙げた。