電光石火のタックル
俺の目の前の男は明らかな敵意……いや、殺意を込めながらジリジリと間合いを詰めて来る。
M高のアマレス部期待の星にして神童とまで呼ばれる男、イクオだ。
偽イクオとは圧倒的に体の作りも対峙した時の気迫も違い過ぎる、何故アイツはよりによってこんな化け物の名を騙ったのだろうか。
ふとそんな事が頭によぎった瞬間、神童は瞬間移動したかの様に間合いに飛び込んでいた。
「うっお……」
思わず手を出す。だがこれは出したのでは無い、出させられたのだ。
俺の拳は無様に空を切る、目の前に居た筈のイクオをまたしても見失ってしまった。
突如、心臓を鷲掴みにされたかの様なゾクリとする感覚に襲われた。
イクオが俺の右足にしがみついていた。
「くっ」
俺は足に組み付いているイクオの頭を打ち抜こうと思い切り拳を振り下ろした。
しかし、その拳が届く前に景色が反転し、地面にうつ伏せに叩き付けられ首を後ろから押さえ付けられた。
これは確かヒロシとM高で絡まれた時に助けて貰った……
俺は咄嗟に脇腹をガードした。
その瞬間ガードした腕越しに胴にズシンとした衝撃が走る。
俺は自分の背中に馬乗りになっているイクオめがけて上半身を捻り裏拳を放った。
どこに当たったかはわからないが手応えはあった。
イクオは転がる様に俺の背中から離れる。
ガードした腕がジンジンと痺れている。
危なかった。一度見ていなければ、あの一瞬で肋骨をへし折られていたかも知れない。
「何なんだコイツ等、いきなり始めやがったぞ」
「別に良いだろ、やれやれー」
「こりゃ見物だな、四天王の神童と路地裏猫のマスクマンの喧嘩かよ」
回りが無責任に囃し立てる。ふざけんな、人の気も知らないで。
「君、やめたまえ。巻き込まれて腹が立つのは解るが今私達が争っても……」
俺の言葉を遮り、またしてもイクオの瞬間移動の様なタックルだ。
コイツは突っ込んでくる時も冷静にこっちの動きを見てやがる。闇雲に拳を振り回したってまた組み伏せられるのがオチだ。
俺は蹴りを出した。この凄まじい突進スピードに前蹴りを合わせられたらひとたまりも無いだろ。
自爆しやがれ!
だが、手応えがない。イクオは俺の蹴りの間合いのギリギリで止まり、出した蹴りを掴まれた。
あのスピードで突っ込んで来たくせに急ブレーキだと……やっべ……
足を掴まれたままくるんと右回りに一回転された、俺は咄嗟に同じ方向に回転しうつ伏せに倒れた。
まずい、またしても倒された。またさっきと同じ様に脇腹をガードする。
しかし今度は打撃が来なかった、代わりに腹を両手で掴まれた。
何を……う、おおおお。
うつ伏せで丸まっていた俺を力任せに引っこ抜き、宙に浮かされその勢いのまま地面に背中から叩き付けられた。
今度は仰向けにされた俺に向かって更に追撃を行おうとするイクオ。
だが大人しくしていたら一瞬でやられる。近付いてきたイクオを思い切り蹴り飛ばした。
俺は体重六十五はある。高校生にしてはそこそこの体重だ、横になっている俺を力任せに引っこ抜くなんて同じ高校生に出来る芸当じゃないぞ。
背中の激痛に加え呼吸まで一瞬止められた、俺は体力回復のため、弱ってる事を悟られない様にイクオの回りをゆっくりと回った。
コイツは神童なんて呼ばれてはいるが、そんな崇高なもんじゃない。例えるなら猛獣だ。
今俺が背中を見せて逃げ出したり、片足を引きずったり弱い部分を見せたりしたらたちまち襲い掛かられるだろう。
この男の本質が対峙してみてよく解った。
途中フェイントを混ぜたり等をして時間を稼ぎ、何とか呼吸は整った。
さてどうするか、とにかくあの電光石火のタックルを何とかしないとどうしようもないか。
これ程の男だ、攻める手立てがタックルの一択なんて事は無いだろうが主力武器の一つなのは間違いない。
向かって来る最中に打撃で迎撃するのが悪手なのは今の二手で理解した。ならば組んだ後の投げか締めか……
打撃に対しての受け流し方は合気道で習ってはいる、だが道場では組みに来る相手をそのまま投げ飛ばすなんて離れ業は習っていないのだ。
投げも締めも一通りは習ったことはある、だがその為には一度組まなくてはならないのだ。
俺はアマレスに対してそんなに知識がある訳ではないのだが、果たして組んだ後優位に立ち回れる程度のものなのだろうか。
そしていつまで経っても仕掛けて来ない俺に焦らされた様に三度目のイクオのタックルが襲い掛かってきた。
今度は打撃を打たない、正面から組み合う。イクオもさっきまでは打撃を避けつつのタックルだったので下半身に組み付いて来たが今度は上半身を掴んできた。
イクオは俺の首の後ろと右手を、俺はイクオの胸倉と左手をつかみ合っている。
時間にしてほんの数秒だろうが二人の動きが止まる。
イクオの頭はかなり低い位置にある、俺のヘソの上辺りに頭を擦り付けて来ている感じだ。この位置なら……
俺は膝蹴りを放った、しかしイクオは持ち前の反射神経で素早く避けながら背後を取ろうとする。
膝を避けられるくらいは想定内。俺はイクオの胸倉を掴んだままだ。本当は十字投げを極めてやるつもりだったが、このままでも十分。
背後に回ったイクオに背負い投げを仕掛けた。
しかし、イクオはビクともしない。なんだこいつ、足に根っこでも生えてんのかよ。
俺は背負い投げを諦め、背中越しに押し潰してやろうと後ろに倒れ込んだ。
しかしイクオはその勢いをも利用するかの様に掴む部分を腰に持ち替え俺を背面越しに持ち上げた。
これはバックドロップ?こんなもん地面で喰らって起きてられる程丈夫に出来てねぇぞ。
投げを今から外して逃げ切るのは不可能だと直感した俺は自ら後ろにジャンプした。
するとイクオのバックドロップのスピードと俺のジャンプが相まって勢いがつき過ぎバク宙の要領で着地した。
バク宙なんてした事も無いのに……そんな事を考えてる場合じゃ無い。イクオの顔が目の前だ。
俺は目の前にある顔面めがけて拳を打ち下ろした。
初のヒット、気色の悪い感覚が腕を伝う。この一発で終わる奴じゃない、俺は寝ているイクオに更なる連撃を加えた。
七、八発は殴れただろうか。突如頭を両手で掴まれ脳天に膝蹴りを喰らう。
重い衝撃に思わず身を引いてしまった。
やはりこの程度じゃ終わらないか、顔面は血だらけだが少しも心が折れた様子が無い。
「君、もう良いだろう。落ち着きたまえ」
「君いいよ、最高だ!」
話し掛けても全く噛み合わない。この脳筋の何処が神童なんだよ。
イクオがまた仕掛けて来ようとジリジリと間合いを詰めてくる、アマレスの構えってこんなに野生的だったっけ。最早二足歩行のライオンにみえてきたぞ。
どう切り返すか、打は全く駄目だった。
投はたまたま上手く行ったが、あんな偶然もう二度と無いだろう。すると極か……
この野獣に関節技を仕掛けるのは正直言って怖いのだが、もう手は残ってない。やるしか無いか。
「コイツ等すげぇ」
「どっちも負けやがれ」
「おらおら、どうした。何お見合いしてやがる」
外野はまだ勝手な事を言いまくしたてている。
よし、コイツ等を使ってみるか。
俺は突如イクオに背を向け、俺達を取り囲んでいる一団に突っ込んだ。イクオは予想通り追い掛けてきた。
よし、俺は目の前の一人の胸倉を掴みイクオの方に押しやった。イクオはこれがどうしたといわんばかりに裏拳一発で弾き飛ばす。
俺はその最中、更にもう一人を背中からイクオに向かって蹴り飛ばした。
今度は咄嗟にそいつの首を脇に挟み、腰に乗せてぶん投げた。
チャンス。
俺はその隙を突いてイクオに背後から組み付きチョークスリーパーで首を締め上げた。
あんまりこういう小細工は好きじゃ無いんだが怪我もさせられないし、こっちが怪我する訳にもいかない。
我ながら卑怯だとは思うが悪く思うなよ、締め上げている腕に力を入れた。
すると徐々に俺の足が浮き始めてきた。
嘘だろ、重心を落として背後から締めてる俺を力任せに持ち上げてるのか。なんて背筋だ。
改めてアマレスの……いや、イクオの培ってきた鍛錬の日々を脅威に感じた。
体を少し浮かされ急に後ろ向きに猛ダッシュしだすイクオ、やる事はもう想像付く。
来やがれ、この手は緩めないぞ!
その辺にいたギャラリーを数人吹き飛ばしながらボロい倉庫に激突した。
凄まじい衝撃音とともに激突した数メートル先のガラスまでもが割れる音が聞こえる。
そして間髪入れず背中に担ぎ上げられ、そのまま背負い投げの要領で投げ飛ばされた。
やられる事は予想していた、ちゃんと覚悟も決めていた。なのに予想を上回る攻撃力の高さに手を緩めてしまった。
背中から思い切り肺を打ったようで呼吸も出来ず、体も動かない。今追撃されたら終わる。
だが追撃は来なかった。イクオも片膝を付き俯き喉を押さえている。
呼吸を止められた状態での猛ダッシュ、そりゃ呼吸困難にもなるか。流石の神童も人間だったんだな。
俺はやっと動く様になった体を起こしイクオを見やる、同じくイクオの方も何とか立ち上がれる位は回復したみたいだ。
お互いもう後が無いのは理解している。
どう転んでも次で最後だ、イクオが電光石火のタックルを仕掛けてくる。だが、さっき迄の目で追いかけるのがやっとのタックルでは無い。これなら迎え打てる。
しかし、俺の体も動きが鈍い。
さーて、どっちが強いのかな?俺は祈る様に拳を突き出す。
ーー。
イクオのタックルは俺には届いてはいなかった。
そして、俺の拳もイクオには届かなかった……。