は?
息を切らせながら路地裏を通り住宅街まで辿り着いた。
時々後ろを確認してはいたが、尾行などは無いようだ。完全に巻けたみたいだ。
俺は住宅街にある一つの家のインターホンを頭で押した。ヒロシを背負ったままなので、両手が使えないのだ。
程なくして中からはーいと言う声とバタバタと近づいてくる足音が聞こえてくる。
ガチャとドアが開く。
「あれ、お兄ちゃん?インターホンなんか使って……わ、ヒロシさんどうしたの?血だらけだよ」
家の中から出てきた少女は捲し立てる様に質問を投げかけ、玄関先でドタバタしている。
ここは俺の家、この喧しいのは俺の妹だ。
隠れる場所も思い付かなかったし、ヒロシは目を覚まさないし、ここしか来る場所が無かったのだ。
「ちょっとな……両手塞がってるんだ、そのままドア開けといてくれ」
妹はそれを聞くと素直にドアを開けながら玄関先に立った。
「今誰か居るか?」
靴を脱ぎながら妹に聞く。
「ううん、ママも出掛けてるしパパもまだ帰ってないよ」
よし、ラッキーだ。一応俺は家では優等生で通っている。こんな血だるまの友達を家に連れて来たらどんな騒ぎになるやら……
一安心しながらリビングに行き、ソファーの上にヒロシを投げ捨てた。
怪我人に対してこの対応は我ながらどうかと思うが、本当に投げ捨ててしまった。
だって重いんだもの。
「うっく……相変わらずでかい家ですね」
ソファーの上で顔を歪めながらヒロシが呟いた。
「目が覚めたか、ヒロシ。えっとあの後な……」
俺は、あの時逃げた経緯を話そうとしたがマサミチの事をどう伝えようかと口を噤んでいると、ヒロシ俺を見つめながら頷いた。
「あの時微かに意識はあったんです、身体は全く動きませんでしたけどね。……声は聞こえてました」
「そうか」
「マサミチ君……」
ヒロシはソファーの上で仰向けになったまま両手で顔を覆った。
「こんな時、漫画とかなら這ってでも助けに行こうとしてナオさんに首の後ろを手刀で打たれて気絶する場面なんでしょうね」
顔は見えないが声が震えている。
「情けないですよ、友達が酷い目に合ってるかも知れないのに這う力すらも残ってないなんて……」
掛ける言葉が見つからなかった。
ヒロシは例えどんな目に合おうともあの場に残りたかったのだろう。
だが、俺はその気持ちを踏み躙る行為を。だけど、だとしても俺は……
「いえ、ナオさん。ここまで連れて来てくれて有難うございます、そんな顔しないでください。助けてくれた事は素直に感謝してますよ。問題は自分の力量不足だったってだけの事です」
そんな妙な表情してたのか、怪我人に気を使わせる程に。
「そ、そうか。まぁ動ける様になるまでユックリしていけよ。寝るなら俺の部屋まで連れてってやるしさ」
俺は出来るだけ明るく話しかけた、それ位しかしてやれる事が思い付かなかった。だが……
「その事なんですけどね、ナオさん。悪いんですけど救急車呼んで貰ってもいいでしょうか。足と……肋骨も何本かやられてしまったようです」
「えええ?!ひょっとしてヒロシさん骨折れちゃってるんですか?牛乳飲みます?」
俺が息を飲むと代わりに妹が絶叫した。
「アユミちゃん、僕は普通の人間ですからね。君のお兄さんみたいに牛乳飲んでも骨折治りませんよ」
俺だって治らねぇよ、と言いかけたがヒロシの表情を見ると冗談で無いのは明らかだ。
俺は直ぐさまアユミに救急車を呼ぶように頼んだ。
「悪い……助けるのが遅れた俺の責任だ、何て詫びたらいいのか」
「何言ってるんですか、ナオさんが助けてくれなければこんなもんじゃ済みませんでしたよ」
ヒロシは柔らかく微笑みながら言った。
「でも、そうですね。僕は格闘技をやっているから強い、やって無いから弱いなんて思っていませんし、自分が誰よりも強いとも思ってません」
ヒロシは手で顔を隠し話しを続けた。
「でも……それでも、あんな奴等に負けたくありませんでしたよ。悔しい……です」
自分だけでなく全力で闘った友達をも同じ目に合わされているんだ、ヒロシの無念はただ負けただけよりもずっと大きい傷になっているに違いない。
俺は暫く一人にさせてやろうと席を立とうとした。
「カズ達にも電話して伝えてくるよ、ユタカも心配してるだろうしな。救急車来るまで大人しくしとけよ」
俺はヒロシを残し部屋を出た。
それから五分も経たずして救急車が来た、担架を持って家に入ろうとした救急隊員に対し、ヒロシはそこまでするほどじゃないと俺に肩を借り自分の力で救急車に乗り込んだ。
苦悶の表情を浮かべながら救急車の中のベッドに横になるヒロシ。
「付き添いは君だけでいいのかな?ドアを閉めるよ?」
救急隊員の人が俺に話しかけてきた。心配そうな顔でアユミがこっちを見ているが、アイツは付いてくる筈も無い。俺はその人にはいと頷いた。
「いや、付き添いなんて無用ですよ。そんな大した……」
「こら、君は喋っちゃ駄目だ。大人しくしていなさい」
救急隊員のおじさんは何かを言いかけたヒロシに呼吸器をつけ、強制的に黙らせた。
そこまでしなくても……と目で訴えて来るヒロシ。
「さっきユタカに電話してヒロシが入院って話したら直接病院に来るってさ。だから病院で落ち合う事にしたんだ。ユタカも心配して町中走り回って俺達を探してくれてたみたいだぞ」
俺は喋れないヒロシをなだめるように言った。
ヒロシはそれなら……と言う表情を浮かべ頷いた。
「だけど気になるのがな、カズとタケシが二人とも連絡つかないんだよ。ユタカも二人に電話したけど繋がらなかったらしい」
ヒロシが目を見開いた。
「あの二人も病院に行っているはずだ、何事も無ければそこで落ち合える筈だけど……」
ヒロシは不安気な顔を見せ俯いた。
ヒロシが不安に思うのは当然だ、何しろ今し方俺達が賞金首として狙われたんだ。
あの二人も同じ様に狙われても不思議じゃない、しかも揃って携帯が通じない。偶然では片付けられない気がする。
嫌な予感を感じながら救急車が動きだす。
友達が大怪我をして不謹慎かも知れないか、信号も対向車も物ともせず加速するのは快感である。
前一度乗った事はあるが、今のヒロシの様に寝かされていたので景色を楽しむ余裕は無かったのだ。
そのまま景色を楽しんでいると俺の目に妙な二人組が飛び込んできた。
「は?!」
思わず声を上げてしまった。何?と目で話しかけて来るヒロシ。
「えと……カズとタケシがいた」
何だ、良かった。といった感じで溜め息を吐くヒロシ、そしてまた俺を見つめる。
二人は何してんの?と聞きたいのだろう。だが俺も説明して欲しいくらいだ。
仕方がないので見たままをヒロシに伝える事にした。
「んと……殴り合ってた。結構マジな感じで」
は?
喋ってはいないがヒロシの心の声がハッキリ聞こえた。
「えっと、取り合えず病院着いたら迎えに行って来るよ。幸いもう病院の近くだし、走っても五分かからないだろ」
俺の問いかけにこくこくと頷くヒロシ。
本当は今ここで降ろして欲しい所だが、タクシーじゃあるまいしそんな事言えないな。
俺は救急車の後ろの窓からカズとタケシを見続けていたが、どんどん小さくなり、そして見えなくなった。