本当の天才
ヒロシは一歩下がり間合いを開けカポエラのリズムに乗った独特の構えを取る、何度見ても実戦で使える様な動きには見えないが実際に相対してみるとこれほどやりにくい相手は居ないと思うほどだ。
カズの家の前でたまにみんなでスパーリングのような事をするのだが、その時にヒロシとも何度かやり合っている。
当然その時は本気でなく軽く当てる程度のマススパーリングという寸止めのルールなのだが、そんな中でさえカポエラの捌き難さと動きの読みにくさは俺達の中では郡を抜いている。
しかも蹴りの威力もかなりのものだ。
カポエラのその知名度は高いとは言いにくい、その為マイナー格闘技と言われがちではあるが逆に言うと殆どの人はその動きが初見である。
格闘技だけの話ではないと思うが、全く予備知識も何も無い相手と多少であれその動きを知っているとでは大きすぎる程の違いがある。
テストで予習復習した部分が出題されるのと学校を休んでいた時の問題が出る位の差だろうか。俺は予習復習なんてした事は無いが……
とにかく俺はヒロシの強さを十分に知っている。少なくともタイマンでその辺のヤンキーに遅れを取る事はまず無いはずだ。俺の役目は他の奴等に邪魔をさせないこと、変な横槍さえなければヒロシはほぼ確実に勝てる。
だが俺は二人のやり取りを見て衝撃を受けた。
ヒロシの右回りの回転からの後ろ回し、マサミチは冷静にこれに対してヒロシの顔面を右足で蹴りぬいた。
顔面を蹴られたヒロシの蹴りは惰性でマサミチに届いてはいるが、ヒロシの蹴りは一度ブレーキを掛けられたみたいなもんだ、マサミチの背中に軽くドンと当たる程度。ダメージは無い。
マサミチは続いて足を下ろさずにそのまま同じ足で後ろ蹴りを繰り出す。これもヒロシの顔面を打ち抜いた、ヒロシの鼻から血が飛び散る。
「くっ」
ヒロシは撃たれながらもローキックを繰り出す、しかしマサミチはこれも冷静に足でガード。そしてそのまま足を下ろさずに攻撃に転じヒロシの鳩尾を蹴りぬいた。
あの動きはヤバイ。一回の呼吸でで二回攻撃したり、ガードした足でそのまま攻撃できるとは……人間の足ってのはあんなにクネクネ動くもんなのか。
今度はヒロシが右回りに回転して飛び上がった、しかし蹴りは出していない。そのまま着地しその回転の動きのまま下段の後ろ回し蹴り。飛び回しがくると思いきや、ジャンプそのものがフェイントで着地と同時の下段攻撃。端から見ているだけなら反応できるが、目の前でこんな事をされたら普通は引っかかるもんだ。
しかしマサミチはこれを飛んで避け、避けると同時に飛び蹴りをヒロシにヒットさせた。
駄目だ、完全に見切られている。こいつカポエラを……と言うよりヒロシを研究し尽くしている。
カポエラの攻撃の九割はジンガと呼ばれる独特の左右に身体を振りリズムに乗って打ち出す回し蹴りが殆どである。
これは自分の頭を地面スレスレまで下げて、その頭の重みをも利用して繰り出す遠心力を使い威力は並みの格闘技より上を行くだろう、だがそれと同時にモーションは大きめだ。
マサミチはこれに対してモーションの短い前蹴りや横蹴りを多様している。
テコンドーの蹴りのバリエーションは恐らくカポエラ以上であろう、だが敢えて回し蹴り等の大技は殆ど出さず、ヒロシの攻撃に対してのカウンターとして素早く正確な攻撃を続けている。
このやりとりを見て解った、カポエラにはジャブがない。幾ら捌きにくくても威力があろうとも、最初の一発を当てなくてはどうしようもないんだ。
「くくっ、どうしたヒロシ。これが天才の実力かよ?」
マサミチが嫌らしく笑いヒロシを指でコイコイと挑発した。
この挑発に対してヒロシは冷静さを失ったのかカポエラの構えを取らずに真正面から突っ込んだ。駄目だ、撃たれている時こそクールにならなければ……
「ぐ……あ……」
ヒロシは突っ込んだ所に前蹴りを鳩尾に決められ呼吸と動きを止められた。
前屈みになったヒロシに対して、ここで初めてマサミチが大技を出した。ローキックの動きだがそれは当てず、そのまま大きく半月の形に右足を振り上げ、ヒロシの頭上で足を止めた。踵落としだ。
それを前屈みになっている状態で後頭部なんかに喰らっちゃマズイ。俺はヒロシと叫ぼうとしたがその声が出るよりも先にマサミチの足が薪割りをする斧のように振り下ろされた。
「ぐっがっ」
しかし、悲鳴を上げ口元を押さえているのはマサミチの方であった。抑えた手の隙間からボタボタと鮮血が滴り落ちる。
「やっと隙が出来ましたね、マサミチ君」
「こんの……」
ヒロシに踵が振り下ろされたその刹那、当たる瞬間にヒロシは前方宙返りでそれを避け、今度は自分が宙返りをしながら踵落としを決めたのだ。
残念ながら頭にヒットはせず、鼻先に当たっただけのようだがそれでも十分だ。マサミチのあの鼻血の量は折れている可能性が高い。少なくとも鼻の呼吸が出来ない状態でさっきまでの様な素早い攻撃は無理だろう。
この隙を好機と見たのかヒロシは右の回し蹴りで追撃を行う。だがガッチリと上段受けで蹴りを止められ更にズボンの裾を掴まれた。
マサミチはヒロシの右足を掴んだまま木を利用し頭上よりも高く飛び上がりヒロシの顔面を蹴り……いや、踏みつけた。
片足で立っている状態で全体重を乗せた攻撃を喰らい当然の様に吹き飛ぶヒロシ、今度はマサミチがダウンしているヒロシに追撃をしようと殴りかかった。
だが瞬時に立ち上がりその拳を受け止め、手首を引っ張りマサミチの頭を下げさせる。
ヒロシは頭を下げさせたマサミチの背中に自分の背中を合わせコロンと背後に回る、手首を掴まれたまま後ろに引っ張られマサミチが反り返る。ヒロシはその反動を利用し延髄を思い切り蹴りつけた。
「がはっ」
マサミチは先ほど足場に利用した木に顔面を打ちつけ、そのまま顔を木に付けたままズルズルと両膝を付いた。
凄すぎる、アクション映画かよ。
ここで背後を見せているマサミチにトドメを刺すかと思いきや、攻撃したはずのヒロシが立てずに居る。さっきの踏み付けもそうだが、それ以前にずっとカウンターを貰い続けたダメージが貯まっているんだ。
「マサミチ君、確か僕がカポエラしたのを知ってからテコンドー始めたって言ってましたよね?」
「……そうだよ、それがどうかしたか?」
マサミチは木にもたれながらユックリと立ち上がった。
「すると格闘技始めてからまだ一年も経ってないって事ですよね、やはり君は天才ですよ」
「なんだそれ?自画自賛か?俺はお前がカポエラ始めた時期とほぼ同時期にやってんだよ!」
マサミチは額からも血を流しながらヒロシを睨んだ。
「僕はカポエラの前に空手をやってます。こう言っちゃ悪いですが格闘技を始めて一年未満の人と一緒にしないでもらいたいです。……ですが、結果このザマです。本当の天才ってのは君のような人の事を言うんですよ」
マサミチは黙ったままヒロシを見つめていた。
「中学の頃、成績優秀だった君と同じ高校に行けるように必死に勉強し、見事合格した後は君の作ったダンスチームに所属して、足手まといにならぬようにと必死に練習を続けました。わかりますか?僕はずっと君を追いかけていたんだ」
そこまで話すとヒロシは一筋の涙を流した。
「その君に天才だと言われるなんて光栄です。僕は君に全て負け続け喰らいつくのがやっとでした。だけどここだけは……カポエラだけは絶対に負けません、決着を付けましょうマサミチ君」
「ヒロシィィィ!」
マサミチの声を切っ掛けに二人が走り出し、お互いが自分の拳を相手の顔面に叩きつけた。