猫とマーシャルアーツ
タケシ、ヒロシ、シンゴの三人がヒデさんを取り囲んでいる。
それに対しヒデさんは正面にタケシを見据え、ヒロシとシンゴを死角に置いている。
然し、二人は後方を取っているにも関わらず攻め込めないでいる。
俺達の中でも最も喧嘩慣れしているタケシが業を煮やし攻め込む、基本に忠実に下段のローキックだ。
ガッゴッ!
「ぐ……ぁ……」
タケシの左のローキックをわざわざ左足で受け、ガードに使った左足を着地させると、同時に半回転しバックハンドブロー。
タケシの顳顬の辺りにヒットした、堪らず片膝を着くタケシ。
「どうした?折角背後を取っているのに仕掛けてこないのかな?」
目線はタケシに向けたままだが、それはヒロシとシンゴに向けた言葉だ。
「ふ、少し意地が悪かったかな。……どうだ、これなら仕掛けられるだろう?」
今度はシンゴの方に向き直る、シンゴはそれと同時に掴みかかろうと間合いを詰める。
「シッ!」
ヒデさんは掴みかかろうと近付いたシンゴの顎を膝蹴りで跳ね上げた、更に同じ足で鳩尾を横蹴りで吹き飛ばす。
「如何に大人と子供の実力差があるとしても、高校トップレベルの柔道家と組み合うつもりは無い。悪いが間合いには入れさせないよ……さ、次はヒロシ君かな?」
そう言いながらヒロシの方に向き直る。そこで初めてヒロシはジンガのリズムを刻み戦闘体勢に入る。
一歩前に出てからの後ろ回し蹴り、ヒデさんはそれを後ろに下がり避ける。ヒロシは更に同じ軌道の後ろ回し蹴りを放つ、二度三度と。
三度目の後ろ回し蹴りのタイミングでヒデさんはしゃがみ込みながらの回し蹴りを放った。ヒロシの蹴りは頭上を掠め、代わりにヒデさんの蹴りが軸足にヒットしバランスを崩す。
その隙に膝の裏側に蹴りを入れられ片膝を付かされ、更に一回転しミドルキックを打った。
軌道はミドルだが膝を着いたヒロシからするとそれは後頭部を狙う危険な攻撃だ、ヒロシはガードも間に合わず思い切り後頭部を蹴り飛ばされた。
「やろぅ!」
立ち上がったタケシが背後から攻撃を仕掛けるが、拳を否されそれと同時にまたしてもバックハンドブローを受けてしまった。
ヒデさんのこの動きがやり難い。攻撃を受け流され、流れる様な動きで反撃に転じる攻防一体の受け身技。
こちらの攻撃を力で受け止めるのでは無く力の方向性を変えられているのだ。勢いの付いた自分の体はバランスを崩し、一方ヒデさんは受け流す勢いを利用しての回転攻撃。
悔しいが芸術のレベルだ。
「君達の連携には重大な欠点がある。それは個々が正面からの戦いに慣れ過ぎている事だ。柔道は元より正面からの戦いを想定した格闘技だし、ヒロシ君は背を向けている相手を攻撃する事を躊躇っている……唯一戦えそうなのはタケシ君だ、俺は彼にさえ注意を払っていれば背後の攻撃を気にしなくて済む」
ヒデさんは言葉通りにタケシに目線を向けながら言い放った。
そういう事か、確かにヒロシはそういうのは苦手そうだ。シンゴはその点は心配無いが背後から攻める打撃の腕が実戦レベルじゃ無いって事か……背後から投げる柔道技があれば何とかなるのかも知れないが。
「あ……甘く見ないで欲しいですね、僕だって戦う意思を持ってここに来ている……ここからは遠慮は……しません」
後頭部を蹴り飛ばされたヒロシがフラフラと立ち上がりジンガを刻む。
「同意見だ。柔道が正面からだけのものだと思うなよ……」
シンゴが鼻をつまみ「フン」と溜まった血を出した。
「そうだ、それで良い。折角ここまで来たんだ思い残す事が無い様に全力で掛かって来い」
ヒデさんが構えると足元に倒れていたタケシが急にズボンを掴み、寝転んだまま腹を蹴り上げた。
「うご……」
金的……じゃない、腹筋と金的の間の筋肉のつき難い下腹部を蹴ったんだ。
「セイヤ!」
それを合図にヒロシがステップからの横蹴りを決めた、当てた場所はタケシと同じく下腹部だ。
ヒデさんはそれを受け俯いたまま数歩後退る、更にシンゴが一気に間合いを詰め片手を取り背中に乗せ投げ飛ばした。俺でも知ってる有名な技、一本背負だ。
「かっ……はっ……」
固い石畳の上での投げ技、背中を打ち付けては呼吸もままならない筈だ。
シンゴは倒れたヒデさんに覆い被さった、寝技を仕掛けるつもりなんだ。
「がはっ」
突然上にいるシンゴが苦痛と共に息を漏らす。
「甘いぜ、喧嘩で寝技仕掛けるなら腕は固めないとな」
シンゴの喉に打撃を与えたんだ、見るとヒデさんの拳は中指と人差し指で親指を握り込んだ奇妙な形の拳になっている。
きっと打撃に重点を置いた握り方では無く喉などのツボを押す握りなんだ。
動きの止まったシンゴを跳ね除けてたちあがる。それと同時にヒロシが前蹴り、狙いは顔面だ。ヒデさんはほんの数センチ下がり前蹴りをセンチ単位で避けた。
だがヒロシはその蹴り足を上げたまま、軸足だけで飛びドロップキック。
前蹴りで死角を作ってまさかの飛び上がり両足蹴り、カポエイラのトリッキーさは知っていても簡単には避けられない、初見なら尚更だ。
「でりゃぁぁぁ!」
それでも倒れないヒデさんに今度はタケシがソファーの高さを利用してジャンプし頭に飛び蹴りを放った。
ヒデさんはズザーっと派手に吹き飛んだが、何事も無かったかの様にハンドスプリングで立ち上がった。
「き……効いたぜ、一瞬このまま寝ちゃおうかと思っちまったぜ……」
「寝ててくれりゃ良かったのによ……」
着地の事を考えない飛び蹴りのせいで背中を打ち付けたタケシが立ち上がる、後ろの方で喉を抑えゲホゲホと咳き込みながらシンゴも立ち上がった。
「休ませはしません!」
ヒロシが一気に間合いを詰め回し蹴り、しかしそれを受け流され逆に後ろ回し蹴りを頭部に喰らってしまった。
「ちっ!」
それを見てタケシとシンゴが駆け寄る、ヒロシに止めを刺されない様フォローする為だ。
タケシがダッシュし、真正面から拳を突き出す。
ガッガッゴッ!
「へっ……やっとコツが掴めて来たぜ、やっぱり俺って天才かも」
タケシの拳を受け流し、半回転してからの裏拳……タケシは更にそれを屈んで躱し、自分も半回転し後ろ回し蹴りを決めたのだ。
「お前は天才だよ、俺が太鼓判押してやるよ」
そう言いながらシンゴは背後から股下に手を入れて後方に投げた、見た感じはバックドロップの様な危険な投げ技だ。
ヒデさんは地面に叩きつけられた。しかし流石は年の功、咄嗟に両手で頭をガードし致命所は避けた様である。
シンゴは更に倒れたヒデさんに覆い被さり首を締めた。
しかしヒデさんはさっきの妙な形の拳を握った、だが今度はそれがシンゴの喉を打つ事は無かった……手が届く前にヒロシが腕を取り腕ひしぎを決めたのだ。
「貴方は天才ですよ、僕は出会ったときから知ってましたよ」
腕を捻り上げながらヒロシが言う。タケシも残った左腕に絡みついた。
「う……あぐ……降参だ……」
ヒデさんが何とか動く手首から上を使ってタケシを叩き降参の意を表す。
「ああ?そんなもん信じられるか、シンゴそのまま絞め落としちまえ!」
タケシが腕を捻りながら声を上げる。
「信じるも……何も……人間三人も組み付かれて……抵抗できるかよ……降参だ」
その言葉を聴き三人が顔を見合わせ力を緩める。
「げほっ、げほっ、がはっ」
自由になったヒデさんは喉を抑え苦しそうに咳き込んでいる。
「それにしても解せませんね。戦いの最中、貴方は僕達に助言をするかの様な立ち振る舞い……一体何を考えていたのですか?」
「確かにな、寝技の事だって腕を固めろだなんて言わなけりゃ最後のもヒロシ達がフォローに入ってくれたことも無かったかも知れない」
ヒロシとシンゴが呟くと、やっと呼吸を正常に戻せたヒデさんが口を開いた。
「別に……ただのハンデだよ、若者相手に本気になってたらオジサン情けないだろ」
まだ喉を抑えているが軽口を叩くヒデさん。言われてみると余裕がある様にも見えてくる。
「言ってくれるな……だったら今度は一対一で勝負だ、今度こそぐうの音も出ない完全勝利してやるぜ」
タケシが立ち上がり、しゃがみ込んでいるヒデさんを見下しながら言う。
「ああ、楽しみにしておくよ」
ヒデさんは上を見ずに項垂れたまま呟いた。
「ま、何にせよ……借りは返したぜ」