サイキック現象
人物 宇岡初季/木呂場黎司/九條麗香/羽若部晴二
場所 永神学校
解説 緋色の本を開き、中央のページに描かれた絵の箱。その箱から弾ける様に飛び出した黒き靄に、四人はなす術も無く、憑りつかれてしまう。
静まり返った部屋を制したのは黎司の呻き声だった。その声に、他の三人も意識を取り戻した。
どれくらい眠っていたのだろうか。外はすっかり闇に溶け込み、部屋の灯りは窓に反射した廊下側の蛍光灯による光だけだった。初季は立ち上がろうとした。だが、頭がガンガン焼けつくように痛い。ぼやけた視界で周りを窺ってみると、特に変わった形跡は無く、机には例の箱と緋色の本が置かれている。
「今、何時?」
初季が痰の絡まった声で尋ねると、部長がぼそりと、夜の九時と呟いた。
「何だったの、あの黒い靄は?」
麗香が怒った様に誰彼構わず訊いた。
「さぁね、この部屋からは消えてる。」
初季が辺りを見回すと、視界に異変が起こった。目を開いているはずなのに、視界が真っ暗になった。初季は、動揺するように唸ると、廊下からオカルト研究部の部室に向かってくる視界が映し出された。まだ夢でも見ているのか、と思っていると視界が再び部室内に戻った。
麗香が訝しげに初季を見つめ、あなた大丈夫?と尋ねてきたが、初季は首を横に振った。今、一瞬写っていたのは何だったのだろうかと悩ましていると、不意に部室の扉の取っ手が回った。
窓ガラスには黒い影が写っている。
さっきの黒い靄かと四人は警戒したが、扉が開き人の足が見えた為にそれへの警戒は無くなった。
「開いてる・・・?」
という声がして、扉が大きく開けられ、初季にとって見覚えのある顔がそこにはあった。
担任の江森和豊がジャージ姿で立っていた。
「おいお前等、こんな時間まで何をやっている!?」
江森が青ざめた表情で初季を凝視した。
「一年生じゃないか・・・。まさかオカルト研究部の新入部員か?それに、羽若部・・・」
江森は部長を嫌悪感剥き出しの表情で見つめる。
「父親に習って貴様も犯罪を犯すつもりか?ええ?夜中集まって降霊術でもやるつもりだったのか?」
「そんなことは断じてするつもりはありません。」
部長はきっぱりと言った。
「俺達は真面目に部活に取り組んでただけだ。アンタが俺達を邪魔だと思うのなら、さっさと俺達は帰るつもりだぜ。」
「教師に向かってアンタとはなんだ!下校時間から四時間も経っている!さっさと出て行け!」
江森は黎司を中心に怒鳴りつけると、勢いよく扉を閉めて去っていった。
四人は、困惑した表情で顔を見合わせ誰もいない廊下へと出た。
「今日は変な一日だったわ。私はタクシーを呼びつけて帰りますから、今日はこの辺で。」
そう言うと麗香は携帯を取り出して、何処かへ行ってしまった。
「悪いが、俺もあんまり調子が優れないんでな。」
黎司も、大欠伸をしながら下駄箱の方へと向かった。
初季も帰ろうとした時、羽若部部長に止められた。
「宇岡君、今日あった出来事は誰にも言わないでくれるかい?」
部長は神妙な顔つきでそう言った。
「はい」
何故?と聞き返す間もなく部長は二年生の下駄箱の方へと行ってしまった。
初季はため息を吐いて帰路に着いた。
翌日、教室のムードはいつもと変わらなかった。男子生徒と女子生徒はそれが動物の本能であるかのように集団を作り、一人になるのを恐れている。かといって初季は、その動物的本能に抗うかのように、机の前に座り昨日の出来事を思い返していた。
昨晩、四人はとある箱を開けて、緋色の本を見つける。その本には信じ難い話だが、現実の様に立体的に動く絵が描かれており、その絵から黒い靄が飛び出した。
一瞬、靄は自分の体内に入り込んだかと思っていたが、今日に至るまで特に変化はない。あの絵に描かれた女性の顔を再び思い返していると、誰かが初季の肩を叩いた。
初季はビクッと肩を揺らして首を後ろに捻じる。西山がニタリと笑いながら腕組みをして立っていた。
「おい、友達作んなくていいのか?これじゃ、おまえ、ボッチ確定だぜ?」
西山の言葉に、初季は面倒くさそうに応対する。
「いいんだ。僕はなれ合いというか、群れるのが嫌いなんだ。第一、ここは学校だ。集団の輪にいなきゃ命を落とす。なんていう環境じゃないだろう。」
初季の言葉に西山は呆れるように唸った。
「宇岡ぁ、そんなんじゃこの先、生きていけねぇぞぉ。孤立してっと、好きな人も振り向いてくれないぜぇ。」
西山は意地の悪い笑みを浮かべて友達と喋っている佐野藍梨に視線を向ける。
「そんなんじゃない!僕は別に彼女のことをどうとも思ってない!」
「そうかよ。折角友達作りのコツを教えてやろうと思ったのになぁ」
西山は笑うのを止めて、集団の輪の中に戻って行った。
群れに帰る西山を目で追った後、初季は机の上に伏せた。
三限目の授業が始まった時、小テストがあるということを唐突に地理担当の前原善三に告げられた。当然、生徒からのブーイングが起こり、止まるまで数分かかった。
「静かに、静かに。」
前原は生徒たちを制して、プリントを配り始めた。
「授業をちゃんと聞いていれば解ける問題ばかりだ。解けないということは、授業を真面目に取り組まないでいた証拠となる。つまり、居眠りをしていた者が「はい、私は居眠りをしていました」と自白するようなテストだ。これに懲りて次回からは居眠りをしないことだ。」
来年で定年退職である老教授の前原の授業は、その子守唄のような声から全科目中最も眠りに落ちやすい。そして、初季もその子守歌の催眠にかかる生徒の一人だった。
初季は言わずとも焦っていた。
何よりもこの小テストが明らかに内心面の成績に響くことが一目瞭然だった為に損失はデカい。前席の真梶から小テストを受け取る。真梶の目は余裕の目をしていた。真梶は神経質だが誰よりも勉強に熱を注いでいたことを初季は知っている。偶に机の中に、膨大な量の市販で売られている問題集が垣間見えたこともある。
カンニングするならこいつだ。と初季は思った。
隣の佐野さんにカンニングするのは、自尊心が許さなかったし、後列の西山においては論題だ。勉強嫌いの西山の成績なんて、たかが知れている。
小テストの学年番号名前記入欄をさらっと書き終え、問題に目を通す。暗記しなければわからないもの、専門的な公式を使わなければ解けない計算問題等、内容は死滅的だった。
初季は一問も解けないまま、小テスト時間の半分を経過させてしまう。しかも、真梶はテストの上に突っ伏してしまって、カンニングは臨めなくなった。選択記号問題も無いため、空欄を全て当てずっぽうで書くことは出来ない、まさしく絶望的な状況だった。
「残り五分だ。見直しをしておけ!」
前原が声を張り上げる。
一瞬前原が意地悪くほくそ笑むのが見えたが、初季は気にも留めなかった。
何とかならないものか・・・。と初季はギュッと目を瞑る。真っ暗な視界が現れ、テレビのノイズに似た画面が映し出された。
何でもいい、0点を回避する方法を・・・。
そんなことを願っているとき、ノイズの画面が切り替わった。目を瞑っているのに、視界には現実世界が映し出されている。
初季は一瞬夢でも見ているのかと思ったが違った。
現実世界にリンクして、音声が耳へ二重に聞こえてくる。そして、初季の物ではない鼻息が丁度自分の鼻の辺りから聞こえた。
その視界の小テストには、『真梶幸雄』と記されている。空欄は一つも無く、全てパーフェクトとも思える解答欄だ。
初季は瞳と開いた。
テスト用紙には『宇岡初季』と書かれている。先程までの自分の視界だ。たった今起きたことが何だったのか理解しかねなかった。
初季は動揺しながらも微かな期待を胸に、再びギュッと目を瞑った。
真っ暗な視界のノイズ画面が現れると、再び視界が切り替わった。今度は色白の腕と可愛らしいシャープペンシルが見えた。
そして、小テストには『佐野藍梨』と記されている。初季はたった今、自分の身に何が起きているのか把握できた。
自分は、現在進行形で、“他人の視界を盗み見ている”。
現実的に考えればそんなこと出来る訳がない。だが、それが今、自分の目で起こっているのだ。初季は何故こんなことが出来るのかを考え耽って追求したかったが、小テストの時間は極僅かだ。
眼球に力を加える度に、真っ暗な視界のノイズ画面が切り替わり、佐野と真梶の視界が交互に映し出された。
初季は答案を見ては、自分の視界に戻って書き写し、再び他人の視界を盗み見る行為を繰り返した。お蔭で全ての答案が埋まった。佐野と真梶の答案は多少食い違いがあったが、正しい方を自分で見極めることが出来る。初季は実質、佐野と真梶よりも高い点数を取れるという、傍から見れば大掛かりなカンニングである最低な行為をしてしまったのだ。
「止め!それではテストを回収する。」
前原の合図で最後列の生徒が順番に前列の生徒のテストを回収していく。
初季の小テストが回収された時、初季は嘗て味わったことのないような後ろめたさを感じた。
「小テストは採点して業後、返却しに来る。楽しみだなぁ」
前原は銀歯を見せてニタニタ笑いながら教室を後にする。
西山を含めた勉強していないグループは脱力と絶望で喚き散らし、それは嘆きのブルースに聞こえた。
業後、案の定地理担当の老教授、前原善三が杖を突いてやってきた。
「諸君等の実力は重々分かった。如何に勉強に対して熱が冷めているのかも。だが、それとは裏腹に大変努力している真面目な者達がいることもわかった。テストの良かった順番に返していこう。」
前原は、小テストを両手に持ち、機嫌よく名前を呼び上げた。
「宇岡初季、100点!」
生徒全員が仰天した。
誰もが佐野さんか真梶だろうと踏んでいたからだ。仰天したのは生徒だけじゃない。自分もだ。初季は罪悪感を感じて席を立ちあがり、前原から小テストを受け取った。小テストは赤ペンで全て丸を付けられ、イミテーションの100という文字が刻まれていた。
「よく努力した!素晴らしい!皆拍手だ!」
前原は嬉しそうに大拍手し、他の生徒は嫉妬と怪訝が混じった拍手を送った。初季は何とも言えぬ複雑な感情を抱き、席に着いた。
「真梶幸雄!」
真梶は初季を悔しみの混じった目で一瞥して、席を立った。
自分だってこんなことを望んではいない。西山が後ろから初季を褒め称えているのも、佐野さんが尊敬の眼差しで此方を見てくるのも、残酷なほど辛い物だった。
何よりも突然現れたこの能力に対しての恐怖が強かった。そう言えば、昨晩部室にいた時も、江森がオカルト研究部に向かって歩いてくる視界を見た。
あれも偶然見た幻では無かったのだ。
そして、この能力は初季が一番欲しがっていたものだった。中学生時代、とあるホラーゲームで、他人の視界を盗み見て、敵を欺いて目的地に到達するというゲームがあり、このゲームをやってからこの能力に果てしない憧れを抱いたものだ。
他人の視界を盗み見ることが出来たら・・・。
単純な人間は、こんな風にテストカンニングに使ったり、卑猥な目的で使うかもしれない。
だが、初季はあることを思い付いていた。この能力があればギャンブルでイカサマが出来る。
例えばポーカーだ。何の小細工も無しで相手の手札を舐めまわす様に見れる。
そして、この能力の利点であるのは相手の視界から聞こえる環境音が全て此方の耳にも聞こえるということだ。この事実は想定していなかったが、遠く離れている人間の会話も、盗み聞きすることだって出来る。つまり、視界と音声を我が物に出来るという点では、あらゆる欲望を実現させることが出来るのだ。
初季の心は恐怖よりも野心が嵩じた。帰りの挨拶の後は、部活に寄らずそのまま家に帰宅した。
この能力のことは誰にも知られたくなかったのだ。
翌朝、クラスの教室に入る前に瞳を閉じる。ノイズ画面のチャンネルが切り替わり、教室内の生徒の視界が映った。
この生徒は、男友達と席に座りながら恋愛シュミレーションゲームの話をしている。鼻にかかる声で、訊いてる此方が不愉快だったために視界を切り替えた。
次の視界に映ったのは、小説だ。男女が愛を囁き合っている為、恋愛小説だとすぐにわかった。だとすればこの視界の主は女子だろう。
初季はニヤリと笑った。
次の視界に切り替えると、図太い聞き覚えのある男の声が聞こえた。
「でさー、内密な話だけどよ、隣のクラスの斉藤がこのクラスの相沢のことが好きらしいぜー」
西山が小声で男友達と喋っている。初季は教室扉の前に立ち、鼻で笑った。生徒手帳のメモ欄を千切ると、メモを壁に押し付け、そこに『相沢さん、僕は前から貴方のことが好きでした。貴方の返事を待っています。斉藤』と丁寧な字で書いた。そして、メモを丸めて片手で握ると、初季は教室扉を開けて教室に入った。
初季が教室に入っても、誰一人気に留める者は無く、お蔭で初季は行動しやすかった。
女友達とお喋りに夢中になっている相沢の横を通り、さり気無く机の中に丸まったメモ用紙を放る。初季は何事も無かったかのように立ち去り、自分の席に着いた。
その後、昼放課になって漸く騒ぎが起き始めた。隣のクラスの斉藤が相沢に振られたというニュースがこのクラスに流れ始めたのだ。
そして、案の定顔を真っ赤にした斉藤が、このクラスに入り込み、勢いよく西山の胸ぐらを掴んだ。
「誰にも言うなって言ったよな!?」
「おいおい、俺は言ってねぇ・・・」
「嘘付け!じゃあ他に誰がいる!?おまえにしか俺は教えてなかったんだ!」
斉藤は物凄い剣幕で西山を押し倒した。
騒ぎを駆けつけた先生らが、斉藤を抑え込みクラス内は騒然となった。初季は冷静にその光景を横目で見ながら、西山の青褪めている顔を観賞していた。
業後になって初季の心は躍った。この能力があればなんだってできる。今日だって魔法のようなことが出来たんだ。改めて西山の青白い顔を思い返し、初季は肩を揺すって笑った。
初季は帰宅途中、デパートに目を付けた。あそこは欲しい物が何でも手に入る宝の山だ。
ただし、金を払えばだ。だが、初季は見つからずに盗品出来る自信があった。
それはこの能力だ。
この能力さえあれば捕まることなく逃げ通せる。
初季は笑みを浮かべてデパートに入る。店内は、先週のヒットチャートにランクインしていた陽気なJ-popが流れ、夕方だった為に人間が密集していた。それでも、初季は買い物かごをぶら下げて欲しい物を手当たり次第放り込んだ。
ゲーム、菓子、流行の服、ありとあらゆるものを詰め込みレジとは反対方向の出口へ向かう。
出口に続く廊下を歩くたびに初季を緊張が襲った。
あと数十メートル。後数メートル。あと一歩・・・。
そして、店を出た途端警報装置が鳴った。商品の一部にセンサーが着いていたのだろう。
だが、初季は焦ることなく店を飛び出した。一つ目の角を曲がったところでギュッと瞳を瞑る。
・・・だが、ノイズ画面のままでチャンネルは切り替わらなかった。もう一度試してみるが視界は真っ暗なままだった。身体の毛穴という毛穴から汗が噴き出した。他人の視界を盗み見れないというのはここまで不安に陥るものなのか。初季は走りながら何度も何度も目を閉じたが、何の変化も無い。いや、一般的に考えれば普通は変化が無くて当然なのだが。
初季はこのまま逃げるか、自首するか考えた。
人は窮地に陥ったとき在り得ない行動をするという。だが、今自分にできることはこれくらいしかなかった。
来た道を猛スピードで逆走し、警備員が駆けつける前に、再び店内に入ったのだ。
そして、一瞬の後警備員が駆け付けた。
「君、商品を持ったまま店を出たね?」
初季は今自分にできる最大限のことを言った。
「急に気持ちが悪くなって外へ吐きに行っただけです。勿論今からお金を払います。」
そうか、と言いながらも警備員は怪訝そうに初季を見つめたまま、その後も初季の行動を監視した。恐らく初季が商品を全て棚に返せば真っ先に疑いに掛かるつもりだろう。
初季は止むを得ず買い物カゴをレジに持って行った。出費は持ち金のギリギリだった。財布がすっからかんになり、大量の荷物をもって帰宅した。
父親に膨大な買い物袋について難癖を付けられながら初季は自室に向かった。ベッドの上で大の字に両手足を広げて初季は猛省した。
これまでの行いが如何に卑しく愚かであったか。突然手に入った能力に溺れ、我を見失い悪行ばかり行ったことを。
もし、デパートに戻らす、あのまま逃げていたならば、それこそどうなっていたことか。
学校ではなく、刑務所の寮生活か少年院への通学、となっていたことだろう。初季は緋色の本の表紙を飾っていたあの女性の顔を思い返した。
今となれば分かる。
あの女性は、人間達が能力に溺れ、どん底に突き落とされて、泣き喚く姿を想像して、薄らと笑ったのだろう。能力を最も使わなければならない状況で、いきなり能力が使い物にならなくなった人間の動揺を楽しむ為に崖の上で彼女は箱を亡者に開けさせたのだろう。
だとしたら・・・。
初季はガバッとベッドから起き上がった。
あの現場にいた他の三人はどうなる!?
初季は額から冷や汗が流れた。
「他のメンバーも同じように能力を持っているなら・・・!」
人間の感情とは不思議なもので、先程まで私利私欲の為に能力を使っていたのにも関わらず、初季は今、人を助ける為にこの能力を使おうと決心していた。