20XX年6月1日
人物 羽若部悠三朗
場所 オリンピア遺跡付近
解説 発掘調査の依頼でギリシャにやって来た羽若部悠三朗。
未開の地で発掘された謎の箱に遭遇する。
何故、自分があの遺物にそれほど興味を惹かれたかは分からなかった。だが、あれを見た途端私は何としてでもあれを自分のものにしたいと思ったのだ。
巨大なテント内には折り曲げ式の椅子やプラスチック製のテーブルが置かれ、アルバイトで雇われた作業員や、考古学者達がコーヒーを啜りながら寛いでいた。羽若部悠三朗も、考古学者の一人として分厚い本を斜め読みしていた。
正直、本の内容は全く頭に入っていなかった。
それよりも、この巨大テントの中にいる他の考古学者達の自分を見る目が気になった。周りの考古学者は、ヒソヒソと後ろ指を指し、「インチキ考古学者」、「考古学者失格」などと呟いているのが、離れていても顔を見るだけで手に取るようにわかった。
そう呼ばれるようになったのは、数か月前オランダの山脈で発掘した恐竜の化石を研究中に破損させてしまったのだ。一躍そのニュースはメディアに大きく取り上げられた。
それ以来、羽若部悠三朗の考古学者としての信頼度はガタ落ちした。
そんな中、数日前にギリシャから発掘調査依頼が入った。汚名を返上する為にと、遥々この地に足を踏み入れたのだが、このギリシャでも自分は有名人だった。周囲からの侮蔑に耐えながら、発掘現場に居座るのは辛いことだった。
羽若部は、本の見開きを片手で押さえながら、缶コーヒーに手を着けた時だった。
「ガツン」と金属が何かに接触する音と共に、発掘現場から一人の作業員の歓喜の声が響いた。
手にしていた缶コーヒーを投げ捨て、読んでいた本から手を放し、羽若部は椅子から立ち上がる。そして他の作業員を押しのけて声のする方角へ向かった。テントの入り口を強引に開けて這い出ると此処からすぐ近くにある洞窟の穴に目をやった。半径10m程のぽっかりと明いた洞穴まで一直線に駆け抜け、その洞穴を滑り降りる。僅かな木漏れ日を頼りに洞窟内を手探りで歩きはじめる。そして、羽若部は古いカンテラを所持していたことに気が付き、そのカンテラに灯りを灯した。オリンピア遺跡から数キロしか離れていないこの発掘現場で早くも歴史的遺物に出会えるなどとは思っておらず、些かの期待しか抱いてはいなかったにせよ、羽若部の胸は躍った。
ここ数ヵ月、スランプ気味で“当たり”に出会っておらず、例の事件を起こして以来テレビにも碌に出れていない。数年前まではその積み上げた功績の甲斐あって、ドキュメンタリー番組まで放送されていたというのにだ。
羽若部は、胸にジワリと広がる期待と欲望を抑え、広い空洞に出た。歴史的文献か、それとも地球上最古の遺物か。羽若部の目は血走っていた。空洞内は土埃が舞い、羽若部はマスクを付けざる負えなかった。
普通、発掘というのは表面から掘るだけで、洞窟を掘って内部から発掘など、危険過多で行われないが、このギリシャの会社はどうやら異類らしかった。高給料という代わりに作業現場はハードな場所が多く、危険がつきもので、毎年30人以上は死者が出る、誰もが見てもブラック企業だった。その会社から羽若部に考古学者の一人としての調査依頼が来たのは、偶々であったが、これは一世一代のチャンスだ。
洞穴の奥、空洞の埃っぽい地面に座り込む作業員が両手に触れていたのは紛れもない・・・、目に狂いが無ければその古代の遺物は遥か昔、それこそまだ人類が誕生して数百年かそこらのものだろう。
発掘した作業員の声を聞きつけた他の作業員たちが続々と洞窟内に駆け付けてくる足音がした。
羽若部は恐ろしい形相を浮かべ、発掘して間もない放心状態の作業員からそれを引っ手繰ると、「この宝は他の考古学者の・・・他の誰にも渡さん!」と本能的に声を発し、奥の方へ走り出す。
後ろから困惑と絶望に染まった作業員の奇声が聞こえた。洞窟内は暗くてあまりよく見えなかったが、カンテラの灯りで土を被ったそれは姿を現した。走りながらチラリとそれを目視する。
木箱だ。
それも真っ黒に塗装されている。所々腐食しており、木材に穴が明いていた。その穴からは木材ではない別の素材が見えた。羽若部は息を切らしながら理解した。
木箱にしてはやけに重たいと思ったら、どうやら内側は頑丈な金属で覆われているようだ。外側は木材、内側は金属で加工されているという奇妙な構造らしい。
羽若部は先程よりも相乗してこの箱に興味を抱き、ゆっくりとこの箱の魅力に憑りつかれていった。
闇雲に洞窟内を走り続けていると奥の方から光が見えた。光に一点集中しながら箱を抱きかかえ、羽若部は洞窟の外側に出た。
ギリシャの暖かい気候が彼を迎え、発掘現場を吹き抜ける風が箱に被さった土を払い落とす。追っ手が来る気配は無く、羽若部は土と砂が混ざった発掘現場をとぼとぼと歩いた。
が、理性を取り戻していくに比例し、徐々にスピードを上げる。
そうだ、たった今、私は遂に巡り会えたのだ。
私の将来を明るく照らす光に・・・。
羽若部は目をトロンとさせて、犬の様に舌を出した。だが、自分の置かれた状況を再認識し、再び羽若部は走り出した。
羽若部悠三朗はまた罪を犯そうとしている。それでも、駆ける足はストップが掛からず止まろうとしない。それよりもそうだ、この箱を一刻も早く日本に送り届けなければならない!
羽若部は砂地からアスファルトの道路に出ると、通りかかったベンツの前に出る。仰天するドライバーはハンドルを大きく旋回させ、車は急ブレーキをかける。高級車を危うくぶつけそうになったドライバーが怒声を上げて、車から出てくる。だが、それを気にも留めず羽若部は間髪入れずドライバーの顔面を殴りつけた。ギリシャ人のドライバーは、顔を両手で覆いながらギリシャ語で何か言った後アスファルトの地面に倒れ込んだ。
羽若部は表情を綻ばせながら、車を奪って逃走した。
エンジンを吹かしながら、猛スピードで走行する車両の助手席には、当然の様に箱が置かれていた。