夏景色
最後に祖父と会ったのは何時だっただろうか。
ふと、葬儀の時にそう思った。
私が大学2回生の時だった。
悪戯に時を消費しているだけの私に突然、実家から電話が掛ってきたのだ。
祖父の死は余りに突然で、そして驚かなかった。
祖父は私が大学生の頃から床に伏せ、毎年のように覚悟しておくよう祖母に言われていたからだ。
だからだろうか、祖父の死よりも外の蝉の五月蝿さの方が気になっていた。
私がその日の内に田舎へ戻ると、既に準備を初めていたのだろうか、父が忙しそうにしている以外はいつも通りだった。祖母もだ。
泣いた様子は全く無く、ただ無理をしているようではあったが、葬儀の準備を父と話し合っていた。
葬儀はなかなか大きく開かれた。父方の祖父という事もあったのか父の上司やらが大勢来ていた。
その時私は祖父の死よりも長男として、葬儀の時にはきちんとしなければなぁ。などと、まるで悲しむ様子はなかった。
葬儀の時もその悲しみは、やはりやってこなかった。
ただ泣いている姉妹を冷めた目で見つめていたのだった。
自分が嫌になりそうな式だったのだけはよく覚えている。
お経の最中も、椅子の座り具合ばかりが気になり、祖父との思い出など全くと言っていい程思い出さなかった。
ただ、ただ、父が静かに泣いていたのが私の心を揺がした。
粛々と葬儀を進めていた父がお経の最中に静かに泣いていたのだ。
祖父の遺影を正面に見つめ、真っ直ぐなままに、涙が頬を伝い下に流れていた。
母からハンカチを差し出された時、自分でも泣いている事にようやく気づいたと言う様子で伝った水を拭っていた。
その時ばかりは私も目が潤んだが、自分の悲しみか、父の悲しみかは結局分からなかった。
葬儀の後多くの人に強い息子さんですね。と言われたが、全く持ってその言葉の通りには受け取れなかった。
その事を家族にも言えないまま葬儀は終わった。
お盆になり、私はまた田舎に戻っていた。
葬儀の後も少しの間家に残ったが、自分に嫌気がさしていた私に優しすぎる家族は毒な気がしてならなかったからだ。
一周忌の為に買った花も自分で選ばず店員に用途を言い、選んで貰ったものだ。その事を思い出すとまた自分に嫌気がした。
田舎は考える事が多過ぎる。都会は考えずとも行動して行けた。
そんな事を考えていると、どうやら祖母や父達も着いたのか駐輪場が騒がしくなる。
久々に会った祖母は随分と痩せていたが、私を見ると嬉しそうにしてくれた。その姿がまた、義務のようにこの場にいる私を虚しくさせた。
閑散とした夏にしては涼しい、緑の多い墓地の一角に、祖父の墓はあった。
砂利道で緑が多いのは祖父と祖母の家を思い出させた。とても心が落ち着く所だった。
葬儀の後から気を張っていたのだろうか、とても風が心地よかった。
皆で手を合わせ目を瞑ると、懐かしい事を思い出している自分がいた。
無口で正しく、頑固な祖父の事だった。
何故だろうか、今頃になって祖父の事をボロボロと溢れるように思い出していく。
ランドセルを買ってくれた祖父に担いで見せたとき、祖父はいつもの無表情に見えたが、父と祖母は祖父を見て笑っていた。
後になって喜んでいるんだと教えられ、得意な気分になったものだ。
中学に上がったとき祖父は私にボールペンのセットをくれた。
高そうなボールペンとシャーペンが箱に大切に入れてあった。
それはまだ私の都会の部屋に飾られている。
高校入学の時、祖父は既にベッドから動けずにいた。しかし私が有数の進学校に入学した事を笑って喜んでくれた。
大学入学の頃、祖父は既に私と父の判別が出来なくなっていた。父の名で私を呼ぶ祖父を見て、父は私とともに病室を抜けた。
何故だろうか、こんなに時間が経ってからようやく私は祖父の事を思い出していた。
もう、二度と会えない人なのに、私はどうしようもなく祖父に焦がれていた。
二度と会えないのだ。理解はしていた。しかし、どうしようもなく心は揺れた。
思い出すのは無表情な祖父ばかりなのに、何故か笑っているように見える。
何故だろうか、二度と会えない祖父の記憶はこんなにも美しい。胸が締め付けられ、息が苦しくなる。
嗚咽が漏れ、私は泣いていた。
他の人の姿なの気にならなかった。ただ、どうしようもなく溢れる涙を止められなかった。
父は私につられたのか目を潤ませ、祖母は悲しそうに笑っていた。母は私に無言でハンカチを差し出す。
下の子たちは私を冷めた目で見つめていたが、その内下を向き嗚咽を漏らしていた。
号泣する私の手の紫苑と、飾られた百日紅が美しく揺らいでいた。
大好きだった作品を思い出して
その本の題名すら思い出せない
尊敬。忘れない
紫苑は少し時期がはやかったです。すみません