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帰郷


 1940年8月25日


 

「内地に帰って、戦闘機をもらってこい」


 中隊長の篠原弘道中尉が投げやりな調子で言った。

 そのままマッチで紙巻煙草に火を点け、一服すると器用に片手でマッチをへし折る。

 季節は盛夏を迎えていた。

 中隊長室には扇風機が持ち込まれ、ぬるい空気をかき混ぜている。湿度はそれなりに高い。降水量が多いからだ。しかし、日本とは違って蝉は鳴いていない。満州の冬はとても寒いので蝉の幼虫は凍死してしまう。

 しかし、だらしなく肌着を着崩して団扇を仰ぐ篠原はどこまでも日本の夏の風景だ。

 ちなみここは満州国のハルビン郊外である。


「特別に好きな奴を選んで取ってきていいぞ。何か質問は?」

「自分だけですか?」


 紫煙を吐き出し、片眉を上げて篠原は答えた。


「ああ、そうだ。そのまま内地で三日間の休暇をとれ」

「命令ですよね?」

「命令だ。休暇をとっていないのは、後はお前だけだ。規則を守れ、上が五月蝿いんだ」


 黒間は会話の出口を求めて視線を彷徨わせた。

 それがたまたま、汗が書類に落ちないように事務机に敷いた手ぬぐいに止まった。綺麗な藍で、朝顔の模様を染め抜いている。


「綺麗な手ぬぐいですね」

「ああ、帰郷した時に、おふくろがもっていけと渡してくれたんだ。で、お前は何が言いたいんだ?」


 篠原は呆れたように言う。


「そんなに日本に帰るのが嫌なのか?他の奴なら感謝感激雨あられ、だぜ?」

「別に嫌というわけではないのですが」

「じゃあ、なんだ?親父と喧嘩でもしたのか?それなら悪いことは言わない。仲直りしておけ。後悔、先にたたずって言うじゃないか」

「そうじゃないんです」


 じゃあ、なんだ?と篠原が言うので、黒間は愛想笑いするしかなかった。

 ずっと前に死んだ父と母にもう一度会うのが怖いとはとても言えなかった。

 もう一度人生をやり直すことになったあの日から恐れてきたことだ。ちなみに、黒間は次男で、兄と姉が一人ずついる。妹が1人、弟が1人。典型的な貧乏子沢山だった。

 姉はこの頃には嫁に出て実家にはいない。兄は長男なので戦争には行かずに済み、随分長生きして戦後に癌で亡くなった。妹と弟はまだ小学生ぐらいなはずだ。

 母は、子供達が全員一人立ちするのを見届けると病を得てこの世を去った。

 父は・・・・

 もう50年以上も昔の話だ。

 それでも父と母の顔はきちんと鮮明に思い出すことができるので不思議だった。

 

「とにかく行け、どうしても帰りたくないなら、女のところで居つづけでもして散財してこい。なんでもいいから、とにかくキリをつけろ。俺達はもうすぐアレだからな」

「分かりました」


 敬礼。

 黒間は空席が目立つ中隊事務室を後にした。

 他に何人も内地に戻っている者がいた。内地に戻れない事情がある者でも、休暇を得てハルビンや大連、新京に足を伸ばして娑婆の空気を楽しんでいる。大抵やることは決まっていて、酒を浴びるほど飲むか、派手な女遊びをするか、どちらかだった。

 相棒の斎田は金髪の女を抱きたいという腐った理由で内地に戻らず、ハルビンに宿をとって、稼いだ金を売春婦につぎ込んでいるらしい。

 黒間も誘われたが、あの男と穴兄弟になるつもりはなかった。そんなことは嫌過ぎる。そもそも、金髪の女を抱きたいなどとは思わない。

 なら、どんな女ならいいのかと考えたところで、黒間は声をかけられた。


「クロ。内地に帰るのか?」


 下士官室で同部屋の島軍曹だった。


「命令だそうで」

「帰るがの嫌なんだってな。珍しい奴だよ。俺なんか、北海道だから帰るに帰れなくて悶々としてるって言うのに」

「帰りたいですか?」

「当たり前だろ。アレの前に、一度は家族の顔を拝んでおきたいと思うさ。普通は」

「そうですね。もうすぐアレですから」


 アレとは、部隊移動だった。

 どこに行くとはまだ聞かされていない。そもそも部隊移動の話さえない。しかし、正式な命令よりも早く噂が広がり、部隊が南方にいくことは周知の事実になっていた。

 一体、何のために?

 それはもちろん、戦争のために決まっていた。

 仏印進駐である。黒間の知る歴史どおりの展開だった。ただし、黒間が知っている歴史とは違うこともいくか起きている。

 例えば、史実ではドイツの攻撃を跳ね除けたイギリス空軍は、8月初旬には殆ど壊滅し、この程ドイツ軍はイギリス本土に上陸した。

 上陸作戦は成功し、既に戦いは内陸部に移っている。ドーヴァー市やポーツマス市などの港湾もドイツ軍の手に落ちた。ドイツ軍自慢の装甲師団の幾つかも既にイギリス本土に上陸しているらしかった。

 イギリス軍はロンドンを死守する構えを見せているが、制空権を喪失した上で、ダンケルクから撤退で殆どの装備を重装備を失っているイギリス軍の戦線崩壊は時間の問題だった。

 黒間は想定外のドイツ軍の奮闘を恨めしく思った。

 この戦いで、黒間はイギリスが勝つ方に賭けていたからだ。失った賭け金は少なくない。ただし、殆どの者がドイツの勝利に賭けていたので一人あたりの配当は雀の涙ほどでしかなかった。

 大英帝国が誇るロイヤル・ネイヴィーももはや虫の息である。

 ドーヴァー海峡突入を図ったイギリス本国艦隊はドイツ空軍の猛攻に遭い、戦艦ネルソン、レナウンを失って退却した。

 黒間の知っている歴史では、航行中の戦艦が撃沈されたのはマレー沖海戦が初めてだったはずだが、今回はこれが最初の実例になった。

 しかも撃沈されたのは、戦艦ネルソンだ。世界最強の戦艦の一つとして、ビック7と称された巨大戦艦である。ナポレオンの侵略からイギリスを守った英雄の名を引き継いだ戦艦が沈んだことで、イギリスの負けは確定したようなものだった。

 イギリス海軍にはまだ戦艦も空母も残っているが、それを動かす人間の心が折れてしまったのだ。

 逆にネルソンを撃沈したドイツ軍の士気は天を衝くほど高まった。

 戦艦ネルソンの沈没が齎した衝撃はそれだけに留まらず、世界に一大センセイションを巻き起こした。

 センセイションである。一生の間にそうな何度も使うことのない言葉である。

 その衝撃はユーラシア大陸の東の果てまで届いた。部隊が仏印に展開するという噂が広まったのも、戦艦ネルソンが沈んだ後からだった。

 全く、迷惑な話である。

 

「そういえば、クロ。お前の故郷ってどこだっけ?」


 島は急に思い出したかのように言った。


「愛知県ですよ。名古屋です」


 それを聞いた島が怪訝な顔をする。


「お前、名古屋弁とか喋れるのか?」

「当たり前だがね」

 

 


 


 翌日、定期便の輸送機がやって黒間は機上の人になった。

 機内には内地に戻る人間がちらほらといた。席が埋まるほどではない。しかし、指定された席は相席だった。窓際の席に、酷く酒臭い息を吐く陸軍大佐が座っている。

 黒間は自分の運の悪さを呪ったが、陸軍大佐は黒間に気がつくと破顔して言った。


「おい、若いの。一杯付き合え。俺は今日で退役だ」


 おかげで黒間は空の旅をそれなりに楽しむことができた。

 正午には、朝鮮の平壌に着陸して給油。それからは一気に朝鮮半島を南下して、日が暮れる前に北九州の飛行場に降りた。

 そこで一泊し、翌日には岐阜県の各務原飛行場に到着した。

 平成の御代でもそうだが、各務原は日本航空産業の中心地の一つで、陸軍航空隊が作った最初期の飛行場だった。

 隣接地には川崎航空機の工場があり、そこで生産された軽爆撃機などが飛行試験を受けていた。三菱重工愛知工場で生産された零式戦もここで試験を受ける。試験に合格した零式戦が空軍に受領され、各々の任地へ向かって飛び立つ。

 飛行場には飛行試験が済んだ零式戦がずらりと並んで軍への引渡しを待っていた。

 黒間はその数に圧倒された。

 優に100機はある。格納庫にある分を加えたら200機はあるかもしれない。こんなに沢山の零式戦がずらりと並んでいるのは前世でも見たことがなかった。

 それと同時に、ここから好きな機を選ぶことなど、とても出来そうにないと思った。1機1機見て回っていたら、日が暮れてしまう。

 そもそも好きな機を選んだところで、ずっとその機に乗れるわけでもない。搭乗機は固定されていなかった。急な故障があれば、予備機に変えて飛ぶ。オーバーホール中でも同じだ。搭乗機が固定されているのは中隊長以上からだ。

 小隊長やその列機は日替わりで、空いている機があればそれで飛ぶのが普通だった。


「すいませーん」


 黒間は近くで作業をしていた整備兵を呼び止めると事情を説明した。

 満州から来たこと。好きな機体を選んでいいと許可を得ていること。その上で、この中で特に具合のいい機体はどれか尋ねた。


「はぁ・・・好きな機体を取ってきていいですか。そういうのって困るんですよね。何のための規則だと思ってるんだか」

 

 兵隊というよりは役所の係員のような調子で整備兵は言った。

 その物言いに思わず、ムっとしかけたがよく考えるともっともな話だったので、黒間は黙っていた。


「まずは書類の提出を事務室でやってください。受領書にちゃんと責任者の押印はありますか?」

「ああ、確認してあるさ」

「そうですか。たまに書類がないって大騒ぎになって、テレタイプで送って貰ったりすることがあるんですよね。こっちも暇じゃないっていうのに」


 上級者に対する敬意の欠片もない口ぶりに黒間は段々腹が立ってきた。

 しかし、黒間はここに喧嘩をしにきたわけではなかった。それに、階級に物を言わせて偉ぶるのは黒間の趣味でもない。

 前線から遠のくとこういう人間が増える。黒間はそう思った。

 最前線の修羅場にはこういう人間はいない。戦争は人間を正直する。強いものは強く。弱い者は弱い。価値の序列は前線に近づくほど、ぞっとするぐらいにシンプルになる。物を言うのは単純な力だ。前線では誰もが力の信奉者になり、強者はとても単純に尊敬される。

 黒間は心底、この緊張感のない顔をした整備兵を軽蔑し、哀れんだ。

 きっとただの一度も前線に立ったことがないのだろう。

 ここには血で血を洗うような死闘も、魂まで凍るような緊張もない。食料の補給がなく、食べられそうな雑草を探す苦労もなかった。

 もちろん、内地がそんな風になってほしいとは決して思わないけれど、前線帰りの実戦経験者には敬意を払うべきだと思った。

 黒間の胸に輝く国境事変従軍記章にはそれだけの価値があるものだった。


「じゃあ、案内します。迷子になられちゃ困りますからね」


 その背中に蹴りをぶち込んでやろうかと思ったが、黒間は我慢した。望んで得た休暇ではないが、休暇を営倉で過ごすのは御免である。

 そこで黒間はあることを思い出した。

 ここに来たら一つ聞いておこうと思っていたことがあったのだ。


「一つ質問なんだが、ここにある零式戦って、牛車で名古屋から運んでいるって本当なのか?」


 そういう話を戦後に聞いたことがあった。

 ハイテク技術の塊である戦闘機を牛車に乗せて名古屋にある三菱の飛行機工場から岐阜の各務原まで運んでいたらしい。

 もちろん、牛車に乗せるときは分解梱包する。折角組み立てた戦闘機をもう一度バラして、しかも牛車で運ぶなど正気の沙汰だと思えないが、実際に行われていたことだ。

 大型の爆撃機の類が生産された時は特に悲惨で、牛が数頭がかりで荷車を引っ張る。おまけに道が狭いので牛車が曲がる時には、あちこちに頭を下げて電信柱や看板やら取り外しながら進んだらしい。戦争末期には飛行機の増産で、輸送に酷使された牛が病気になってしまい生産がストップしてしまったこともあるのだという。

 何故、牛車を使うのか首を傾げるところだ。トラックで運べばいいだろうと思う。

 しかし、これにはそれなりに合理的な?理由があった。道が舗装されていないので、トラックに乗せて走ると震動で飛行機が破損する可能性があり、敢てのろまな牛車が選ばれたのだ。

 震動が気になるなら道を舗装すれば済む話なのだが、戦艦や戦闘機を作る金はあっても道路を舗装する金はないのが戦前の日本という国だった。

 最も合理的な解決方法は、飛行機工場と飛行場を併設してしまうことだ。そうすれば、作ったそばから飛行試験ができる。しかし、そういう発想はなかったらしい。

 来る日も来る日も牛を連れて名古屋と各務原を往復した関係者の努力を貶める意図は全くないが、とてもやるせない気分にさせられる話だった。

 前線でパイロット達がボロボロの機体で必死に戦っているとき、新品の戦闘機を乗せた牛車がノロノロと田舎道を進んでいくのだ。

 バカも休みや休みやってくれと言いたい。

 

「あぁ・・・少し前まで、そういうことをやったらしいですね。でも、今は名古屋の工場から直接、鉄道でここまで運んでますよ。当たり前じゃないですか」

「ああ、そうかい」


 黒間は胸の支えがとれた気分になった。

 しかし、溜飲は少しも下がらなかった。





 各務原から名古屋へは戦前から鉄道が走っていた。

 もちろん、電車ではなく蒸気機関車だ。

 白煙を勢い良く吐き出す黒塗りのD50型機関車が鉄路を南へ南へと走る。

 窓の外に流れる景色は、中世から延々と続く尾張、岐阜の水田地帯である。

 時々、人の姿も見えた。みんな野良着を来て、腰を窮屈に曲げて田んぼに向かっている。夏の草取りだ。この時代に除草剤なんて便利なものはない。

 水田の作業というものは全てが大変だが、その中でも最も大変なのは夏の草取りである。太陽が照りつける夏の一番暑い時期に泥の中に膝まで突っ込んで、雑草を一つ一つ手で抜いていくのだ。

 それだけでも十分な苦役だ。しかも、泥の中には蛭が潜んでいる。蛭がふくらはぎに鈴鳴りになることも珍しくない。土地改良が進む前の湿田だと、田舟を使わなければ胸まで浸かることだってある。

 とにかく田んぼの草取りほど大変なものはなかった。

 その為、百姓の間では「タノクサ野郎」というのは最大級の侮蔑表現であった。

 そうした百姓のあまり目にすることのない苦労を脇に避けて見れば、車窓の風景はとても美しかった。

 8月だ。

 空には入道雲と青々とした若い稲が空に向かって真っ直ぐ伸びている。


「おお・・・」


 思わず、感嘆の声が漏れるほどだ。

 もはや記憶の中にしか存在しない昭和初期の日本の夏だった。

 自動車の排気ガスで汚染されていないとても純度の高い青い空の下をSLが疾走している。

 蒸気ピストンと鋼鉄のギアが混ざったSL独特の走行音が驚くほど耳に馴染んだ。

 しかし、全開の窓から遠慮なく石炭灰が入り込んでくるのには閉口した。エアコンがないから窓は全開でないと蒸し風呂になってしまう。

 座席もまるでクッションが効いていないので、削岩機の上に腰掛けているような有様だった。そして、そこには沢山の人間がすし詰めに押し込められている。

 黒間は改めて戦後50年の科学と社会の発展の有り難さを痛感し、自分がいかに贅沢に慣れていたかを思い知る。

 3等客車の固い座席に尻が痛くなって我慢できなくなったころ、降車駅の大曽根についた。

 実家はここから歩いて30分ほどである。

 時刻はまだ昼下がりだ。人通りはあまり多くない。

 戦前から大曽根は鉄道の駅があり、名古屋の繁華街の一つであった。駅前にはモダンなコンクリート製のビルが立ち並び、道の両脇には商店がずらりと並んで商店街を形作っていた。

 駅のそばに映画館もある。現代的なシネマコンプレックスのように大きなものではないが、子供の頃に何度か見に行ったことがある。

 夜になると大通りの左右にびっしりと屋台が並び、大勢の人で賑わう。

 

「・・・・」


 黒間は改札から数歩も歩かない内に立ち尽くした。

 こみ上げてくるのは郷愁だった。

 空気の匂いが違うなどと、そんなことを自分が考える日が来るとは思わなかった。

 息を吸って、吐く。ただそれだけを何度か繰り返した。この空気の味は、格別な気がした。今まで呼吸したどんな空気よりも、体に馴染む気がする。

 黒間は駅前を行き交う人々を見た。

 みんな普通だった。少し古めかしい格好をした人々が、少しだけ忙しそうしていた。和服を着ている人間が多く、若者がジーパンを履いていないことを除けば、ありきたりな日本の駅前の風景だった。

 笑っている人はいたが、泣いている人はいなかった。険しい顔をしている人はいたけれど、誰もそのことを問題にはしていない。

 小さな子が歩いていた。

 小学生ぐらいだ。学校帰りかもしれない。友達とアレコレおしゃべりに興じている。

 黒間の視線に気がついたのか、子供が不思議そうな顔で見つめ返してきた。

 

「どうしたの、おじちゃん」


 黒間はほんの少しだけ傷ついた。

 まだおじちゃんと呼ばれるような歳ではない。少なくとも肉体的には。 


「何でもないんだ。学校帰りかい?」

「そうだよ」

「おい、さっさと行こうぜ」 


 呆けたような顔で答える黒間を気味悪く思ったのか、友達の一人がその子の袖を引いた。

 

「お腹いたいの?」

「いや・・・別に、大丈夫だ」

「でも、泣いてるよ」


 そこで黒間は落涙に気がついた。

 

「これは、違うんだ。何も痛くない」

 

 痛くないはずだった。

 しかし、猛烈に胸が締め付けられるように傷んだ。

 心が痛かった。形のないものが痛むはずないのに、どうしてか心が痛いと思ってしまった。

 

 これからどうしようか。

 

 黒間は泣きながら途方に暮れた。 

 まだ、最寄りの駅についただけなのに、こんな有様だった。実家の前に立ったら卒倒するのではないだろうか。

 少なくとも、泣かないでいる自信は全くなかった。

 今でも涙が止まらないのだ。

 基地に帰ろうと思った。もしも、家に帰ってしまったら、自分はどうかしてしまうのではないか。

 だが、しかし、運命とは多くの場合、否応ないものである。


「イの字。そんなとこで何やってんの?」


 黒間は振り返って、その場で無様にもひっくり返った。


「ね・・・ねーちゃん」

「うん。久しぶり。鼻紙いる?」


 黒間が姉の藤沢(旧姓黒間)貴子と再開したのは、そうした戦闘機パイロットらしくない、締まらない状況でのことだった。






 黒間の実家は、うどん屋だった。

 正確には、うどんの麺をつくる製麺所である。

 黒間の記憶が正しければ、この頃には既に店を畳んでいたはずだった。支那事変と国家総動員法で小麦粉が手に入らなくなったからだ。製麺機も鉄の供出で国に取り上げられ、家族は軍需工場で働いていたはずである。

 しかし、支那事変がないおかげなのか、黒間製麺所の暖簾はまだ残っていた。

 よって、夕食は常にうどんである。売れ残りや仕損じた麺が家族の食卓にあがる。

 黒間は卓袱台の上の深皿を見た。

 冷やしうどんである。

 井戸水で冷やした麺に刻みネギとシラス干しがふりかけてある。これに麺つゆをかけて食べるのが黒間家の夏の定番である。

 どこからどのように見ても冷やしうどんであった。

 あまり美味しいものではないが、これ以外に食べるものがなかった。文句はない。食べるものに文句をつけないのは、黒間家の食卓における鉄則である。

 いや、この時代の日本の家庭における共通した鉄則であろうか。

 

「以蔵。食べないのか?」


 長兄の黒間勉蔵が言った。

 まだ若い。今年で27歳だっただろうか。製麺所で小麦粉相手に日夜奮闘する腕はとてつもなく太く、肉と骨がしっかり詰まっているように見えた。

 兄のたくましい二の腕を見て、黒間は再びこみ上げそうになった涙を全身全霊で抑え込んだ。

 半世紀後に市立病院の病室で癌との苦痛に満ちた戦いを終えて逝った兄の腕は、枯れ木のようにやせ細っていたことを思い出してしまったのだ。

 

「ああ、うん。食べるよ」


 碗に入った麺つゆをかけ、黒間は冷やしうどんに向きなおった。

 うどんの味はよく分からなかった。

 夢を見ているような気分だったから。


「家族が全員揃うなんて、何年ぶりだろ?」


 姉の貴子が天ぷらのナスに醤油を垂らしながら言った。

 黒間の意識からすれば、半世紀ぶりということになる。


「2年か、3年ぶりじゃない?」


 母の黒間美幸が答えた。

 黒間は母の顔をまともに見るのが辛かった。

 あまりにも嬉しそうで、幸せそうだったからだ。自分がどれだけ母に心配をかけてきたのか、母の笑顔はそれの裏返しだった。

 

「以蔵。帰ってくるなら、ちゃんと連絡してから来なさい。そうしたら、ごちそうを用意したのに」

「これで十分だよ。おふくろ」


 黒間は母が慌てて近くの揚げ物屋に買いに走った野菜の掻揚げをかじった。

 こんな贅沢品が黒間家の食卓にあがることは滅多にない。

 この天ぷらは黒間のために用意されたものだった。母は、黒間の帰還を殊の外喜び、歓喜という他ない笑顔でこの食卓を囲んでいた。


「姉ちゃんは、どうして帰って来たの?」

「ああ、私はこれだから」


 貴子は少し膨らんだお腹を撫でさすった。その顔は幸福そのものだった。

 黒間は未来の甥っ子の顔を思い出した。

 もうそこに居るのか。


「ねぇ、ねぇ、お兄ちゃん。いつまでお家にいるの?」


 下の弟、黒間才蔵が甘えた声で言った。

 黒間はこの鼻垂れ小僧が貿易商として大成し、アメリカ人と国際結婚して、20年後にカナダに移住してしまうなんて全く想像もできなかった。

 鉄砲玉か、糸切れた凧のような、まるで突風のような男だった。黒間や家族と衝突したことも一度や、二度ではない。最後には家を出て、それから一度も帰ってこなかった。父と母の葬儀にも、だ。

 そんな男にも、こんな甘ったれた時代があったのだ。


「そうだな。明後日の朝までかな。朝一の汽車で各務原に戻るつもりだ」

「ふぅん。じゃあ、次はいつ帰って来るの?」


 才蔵の一言に、食卓が凍りついた。

 子供がやることは時として、正気を疑うほどに残酷である。

 黒間は答える言葉を持たなかった。視線を冷やしうどんに落とし、片眉を少し上げて曖昧に微笑むのが精一杯だった。


「ねぇ、お兄ぃ」

「さいぞう!余計なことは言わないの!」


 舌っ足らずながらも、断固たる調子で妹の黒間恵子が言った。


「なんで?」

「いいから!はやく食べな!」


 恵子は才蔵を睨みつけて言った。才蔵はビビる。

 三つ子の魂百までも、雀百まで踊り忘れず、そんな言葉が黒間の脳裏をよぎった。

 妹の恵子は気が強い子だった。それは後々まで変わっていない。

 だが、決して乱暴者ではなかった。逆に思いやりのある優しい子だった。仕事で忙しい父母に代わって弟の才蔵の面倒を一番よく見たのは恵子である。

 そして、聡い子だった。

 黒間が何のために戻ってきたか、この歳で既に悟っている。

 

「ごちそうさま」


 食卓で父、黒間伝蔵が発した言葉はそれだけだった。

 振り返りもせず、押し黙ったまま仕事場に戻っていく。これはいつもの事だった。明日の朝一に卸す麺をこれから仕込むのだ。

 父は、明治の漢であった。

 

「お父さんは相変わらずね」

「あれでも本当は喜んでるのさ」


 兄と姉は好き勝手に言った。


「俺も、ごちそうさま」


 残った冷やしうどんを掻き込んで、黒間は父の後を追った。

 黒間はどうしても父に言わなければならないことがあったのだ。





 黒間製麺所の作業場は、黒間の記憶の中にあるとおりだった。

 小麦粉の微粒子が漂う粉っぽい空気の中で、父は製麺機に小麦粉をセットしている。

 暗い、ぼんやりとした白熱電球の下で、父は黙々と働いていた。それは黒間が記憶している最も古い父の姿と同じだった。


「親父。少しいいかな」

「後にしろ」


 にべもなく父は言った。

 一瞬、黒間は父の怒りの爆発を恐れて首を竦めた。

 仕事の邪魔をすると父は容赦なく怒り狂った。あまり父に怒られた記憶はないが、一度怒った父はそれはそれは恐ろしかった。

 地震雷火事親父とはよく言ったものだ。

 おかげで、入営直後のシゴキも大して恐ろしいとは思わなかった。父の怒りに比べたら、どうということはない。

 

「大事な話なんだ」

「言わんでいい」


 黒間に背を向けたまま、父は言った。

 頑なに拒絶の意思を表す父に黒間は困り果てた。

 どうしても、黒間は父に伝えなくてはいけないことがあるのだ。だが、それをどうやって伝えるべきかは、黒間自身もまるで見当がついていなかった。

 今から5年後の1945年5月14日、深夜未明。B29の編隊が夜間低高度で名古屋市中心部に侵入。市街地に対する無差別絨毯爆撃を行った。

 国宝の名古屋城も被災炎上。民間人にも多数の犠牲者が出た。

 被災者の名簿の中に、黒間伝蔵の名前が載っていたことを知るのは、終戦後に帰郷してからだ。黒間が戻ったときには、既に葬式まで済ませてあった。

 遺体は兄と母の懸命な捜索にも係わらず、見つからなかった。あまりにも多くの死体が散乱していて、どれが誰のものなのか分からなくなっていたらしい。そうした遺体の一部は、軍が纏めて片っ端から焼却処分していた。防疫のためだ。死体は病原菌の塊であり、急速に腐敗する。

 帰郷した時、名古屋は一面の焼け野原だった。

 家も何もなくなっていた。黒焦げになったコンクリートビルディングの残骸が、あちこちにポツンポツンと残って、浮浪児の溜まり場になっていた。

 こんな有様になって、日本はどうなるのかと絶望したものだ。

 そして、父にもう二度と会えないことに黒間は例えようのない悲しみを覚えたのだった。

 しばらく、黒間は伝えるべき言葉が見つからず、立ち尽くした。

 先に口を開いたのは、父だった。

 

「お前に返すものがあった」


 小麦粉まみれの手で父は作業場の事務机から何かを取り出した。

 無言のまま突き出されたそれをを見て黒間は首を傾げた。

 預金通帳である。


「余計なことをするな。お前から小遣いを貰うほど耄碌しちゃいない」


 射抜くような視線に、黒間は怯んだ。

 通帳を開くとかなりの額が溜まっていた。一度も引き下ろした様子がない。

 黒間はかなりの金額を毎月実家に送金していた。パイロットには様々な危険手当がつく。衣食住が保障されている軍隊では使い切れない。実家が貧しいものは皆、仕送りするのが普通だった。


「使ってくれよ。俺が持っていても仕方がない」

「要らんと言った」


 父はさっさと黒間に背を向けて、仕事の続きに戻った。


「親父」

「くどい!」


 父の本物の怒声が響き渡った。

 さきほどまで賑やかだった食卓を囲む声がぴたりと静まる。よく訓練された兵士のような完璧な気配の消し方。ニトロセルロースのように過敏な空気が作業場に充満した。

 だが、黒間はここで引き下がるわけにはいかなかった。

 これくらいどうってことはない。

 ここにいるのは世間に出たばかり若造ではなく、戦争を生き延び、戦後の混乱をくぐり抜け、妻と子と孫まで得た人生の長老であった。

 父の2倍も長く生きている。

 しかし、その知見は黒間に何かを齎すことはなかった。

 作業場に響くのは嗚咽だけだった。

 やがて涙の向うから、胸の奥のさらに向こう側から答えが現れた。


「・・・俺は親孝行がしたいんだ」

 

 だって、親父はもうすぐ死んでしまうから。

 生きている間に、俺は何も貴方にしてあげられなかったから。

 必死に戦い、必ず護ると誓ったはずなのに、貴方を護ることができなかったから。


「男が泣くな、バカタレ」


 父は静かに言った。

 黒間が今まで恐れ、慄き、家に帰ることを頑なに拒んできたのは、何も出来なかった自分を責める自分がいたからだった。

 戦争だから仕方がなかった、と何もできなかった自分を慰めてきたことを指弾されたくなかった。

 奇跡が起きて、贖罪の機会が与えられた。しかし、贖罪には、まず罪があることを認めなければならなかった。

 黒間は罪を認めることが恐ろしかった。

 だが、父はそんなことはないと黒間を庇うように微笑んだ。

 黒間は父が笑うところなんて、数えるほどしか見たことがない。

 父は、黒間が落とした通帳を拾い上げ、それを自分の懐に収めた。


「使うつもりはないが、これは預かっておく。いいな?」


 黒間は泣きながら頷いた。


「軍隊に行って、少しマシになったかと思ったが、お前はしょうがない次男坊のままだ」


 小麦粉まみれの手で、父が頭を撫でてくれた。

 頭が真っ白になったが少しも気にならなかった。

 



 

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