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第3小隊


 1940年1月15日 ハルビン


 冬季休暇が終わり、松がとれると内地から補充のパイロットが続々とやってきた。

 各中隊に収容されたパイロット達は、中隊内部の内務班に分かれて兵舎で起居することになる。

 戦隊長の訓示も、中隊長の訓示も簡潔で直ぐに終わった。

 特に新しく第3中隊長に任じられた篠原弘道中尉の訓示は隊史に残るほど短いものだった。それがどのような訓示であったのかは、本人の名誉のために伏せておく。

 誰だって、忘れたい過去はあるものだ。

 新しいパイロット達ははっきりと言って玉石混交だった。

 目についたのは海軍からやってきた補充のパイロット達だ。彼らは軍装からして明らかに異なるので、大いに目立った。

 異なるのは軍装だけではなく、文化もだいぶ違った。

 彼らは自分たちのことを搭乗員と呼んでいた。陸軍ではパイロットのことを空中勤務者と呼ぶので、軽いカルチャーショックだった。

 海軍出身者の多くはベテランで、最初から小隊長クラスとして集められた者達だ。一等航空兵曹や少尉が多かった。一等航空兵曹が陸軍では曹長にあたる。

 少尉は少尉のままでいいとして、一等航空兵曹をこれから何と呼ぶべきか部隊で議論になった。

 陸軍の規則では曹長だが、海軍の規則では一等航空兵曹になる。

 こうした問題は他にもいくつも発生していた。例えば、海軍では大尉を「だいい」と呼ぶが、陸軍では「たいい」だった。海軍は大佐を「だいさ」と呼ぶが、陸軍では「たいさ」である。海軍には准尉がなく、代わりに兵曹長があった。

 また、陸軍では目下な者が上級者を呼ぶ際に階級の後に「殿」をつけるが、海軍では「殿」はつけない決まりだった。逆に「殿」を付ける場合は、相手を侮蔑するニュアンスになる。

 敬礼のやり方も陸海軍で肘を曲げる角度に違いがあり、脇と大きく開ける陸軍式と脇を締める海軍式では全く作法が違う。

 同じ日本軍なのに、何故こんなにバラバラなのか理解に苦しむ話である。

 兵曹という階級を一等、二等、三等で分ける意味も分からない。伍長、軍曹、曹長の方が分かりやすいだろうと思った。「殿」のあるなしが業務に深刻な影響を及ぼすとも思えない。

 しかし、将校たちはこういうことには異常なまでにこだわりがあった。陸海軍のどちらの将校も自分達のやり方が正しく、優れていると一歩も譲らなかった。

 結局、部隊では結論が出なかったので上級司令部に問い合わせたところ、空軍が正式に発足するまでは、現状を維持するように通知があったらしい。

 空軍が正式に発足するのは、日本でしか通用しない官僚制度の理屈で4月1日からになっていて、それまでは今までどおりにやれということだった。

 大尉を「だいい」と呼ぶのか、「たいい」と呼ぶのかも、年度が変わらないと分からないらしい。

 何とも無責任な話であり、黒間や多くの下士官、兵隊にとっては迷惑なことだった。

 罪もない陸軍出身の下士官が、海軍出身者の上官に「殿」をつけて呼んで殴られたり、逆に海軍出身の下士官が陸軍出身者の上官に海軍式の敬礼をして、なっていないと殴られたりすることがあった。

 後になって分かったことだが、概ね階級や敬礼の作法は陸軍式で纏まった。

 これは日本空軍のモデルになったルフトヴァッフェが概ね陸軍式の諸制度を採用していたためである。ルフトヴァッフェの前身は帝政ドイツの陸軍航空隊だった。

 ただし、全てが陸軍式であるわけではなく、階級の後には「殿」はつけなくていいことになった。

 これは面倒がなくて、陸軍出身者からは好評だった。

 しかし、部隊によっては独自にローカルルールを定めているところもあり、「殿」をつけないと殴られる場合があった。これが完全に統一されるのは随分後になってからだった。

 海軍以外からやってきた補充のパイロットもいて、ノモンハンで壊滅的な損害をうけて解隊された爆撃機部隊からの転科者も多かった。

 彼らは一般的に飛行時間が長く、飛行そのものには習熟していたが戦闘機同士の空中戦には慣れていないので、射撃練習からやり直す必要があった。

 飛行第11戦隊は、戦闘第11大隊と名前を変え、3個中隊を擁する戦闘機部隊になった。

 1個中隊は3個小隊から成り、1個小隊は2個分隊からなる。小隊の定数は4機だった。各中隊には中隊本部があり、大隊にも大隊本部があってそれぞれ4機が配備されている。

 よって、戦闘第11大隊の総戦力は戦闘機52機だった。

 黒間が配置されたのは、第3中隊の第3小隊であった。

 この小隊は戦闘第11大隊の中で最も練度の低いパイロットが集められた小隊になった。

 理屈は簡単で、飛行学校や教育飛行隊を繰り上げ卒業したパイロットの中でも飛行時間に差があり、300時間近く飛んでいる者いれば、100時間以下という者がいた。そうした飛行時間が短い者と卒業間近の者と混ぜて使うと事故の元になるだけなので、自然と飛行時間で部隊分けが成された。

 やり方としては、進学校などに見られる習熟度別クラス編成に近い。

 第1中隊には飛行時間が200時間以上の者が集められ、第2中隊が概ね150時間程度。第3中隊はそれ以下の者が配置された。第3中隊の中でも、飛行時間別に小隊が分けられていて、第3小隊が最も飛行時間が短くなっていた。

 問題はこうした飛行時間の短い新米を短期間にどうやって一人前に仕立てあげるかだった。


「では、本日の地上滑走訓練を始める。かかれ」


 中隊長の号令で、一斉に発動機に火が入る。

 除雪が済んだエプロンには、4機の九七式戦闘機改が並んでいた。

 エンジンは既に暖気が済んでいる。ガソリン臭い排気が鼻についた。

 黒間は目が痛くなる前に飛行坊のゴーグルを身につけ、素早く機体の主翼に這い上がり、風防の窓枠をしっかりと掴んで、主翼に腰掛けた。

 今日の黒間の定位置はそこだった。

 反対側から、小隊員の安藤柾上等兵がコクピットに滑り込む。


「よろしくお願いします!」


 安藤が声を震わせて言った。


「緊張するなとは言わないが、もっと肩の力を抜け」

 

 安藤がニキビ顔を紅く染めて頷いた。

 初等練習機の赤とんぼしか乗ったことがない者が、最新鋭戦闘機にいきなり乗るのだから緊張するなという方が無茶な話だった。

 しかし、緊張してミスされても困る。


「ちょっと散歩するだけさ。そう難しいことじゃない」


 訓練のメニューとしては、比較的簡単なものだ。

 地上滑走は、飛行学校でも行う最も初歩的な訓練だ。まず機体に慣れるために、飛行機を使って滑走路を走る。

 ただ、それだけのことだった。

 しかし、これが意外に難しい。何故ならば、常にエンジンの反トルクが作用するからだ。4輪の自動車と違って、3輪の戦闘機は反トルクの作用を非常に強く受ける。

 この反トルクを調整するために、垂直尾翼やエンジンの取り付け角度をオフセットしている場合があり、九七式戦闘機改は1度ほどエンジンのオフセットして装着されている。

 しかし、こうした措置が有効になるのはある程度の速度が出ているときで、低速で地上を滑走する場合はラダーで当て舵をしなければ真っ直ぐ進むことができない。

 現用戦闘機に比べて10分の1程度の馬力しかない練習機でさえそうなのだから、九七式戦改の偏向はかなりキツかった。

 安藤がそろそろとスロットルを押し出すとエンジンの回転計が頭をもたげた。


「もう少しだしていいぞ」


 黒間が指摘すると安藤は恐る恐るスロットルを押し出した。

 アイドルからほんの少しところで、ゆっくりと九七式戦は滑走を開始した。後ろから間隔を空けて残りの3機ついてくる。

 それぞれがコクピットと主翼に一人ずつパイロットを載せていた。

 主翼にはもちろんプロペラ後流が遠慮なく直撃していた。気を抜けば吹き飛ばされそうだが、慣れればどうということはない。

 しかし、九七式戦改は機体側面に推力式排気管を装備していたので、新米がうっかりスロットルを開いたら排気ガスのロケット効果でアポロ並の吹っ飛び方をすることになる。

 1,000馬力級戦闘機が装備する推力式排気管のパワーは強力で、自動車の排気ガスのようなチャチな代物ではなかった。これだけで、戦闘機の速力が10~15km/hは向上するのだから、その力は推して知るべしである。

 新米と黒間を載せた九七式戦改は誘導路を経て、滑走路に向かう。


「よし、ゆっくりと止めろ。ブレーキは急に踏むなよ」

 

 一昨日、迂闊な新米が急ブレーキを踏んで、危うく転落しかけたので黒間は慎重だった。

 黒間は機を滑走路の端に止めさせた。後から、斎田を載せた機がやって来て、停止する。


「今のこの位置が、滑走開始位置だ。第3小隊はいつでもチームで行動する。飛行も、戦闘も、離陸も、着陸も全てだ。2機一組が編隊の最小単位だ。ペアの位置を確認しろ」


 安藤が左後方に振り向き、2番機の位置を確認する。


「確認しました」

「よし。常にペアの位置に注意するんだ。例え敵機を撃墜してもペアを失ったら、その戦いは負けだ。分かったか?」


 安藤が深く頷いたのを見て、黒間は本当に分かったのだろうかと心のなかで首を傾げる。

 きっと分かっていないに違いない。興奮で目が泳いでいる。

 黒間はため息をつきかけるが、最初はこんなものだと諦めて、一つ一つ仕事を片付けることにした。


「スロットルを開け。滑走を開始する」


 軽く手をあげて斎田に合図すると4機の九七式戦改はそろそろ走り始めた。

 

「もっと開けろ」


 黒間が発破をかけるとさらに速度が上がった。

 ふっきさらしの主翼上面では既に限界に近い速度だ。

 黒間は恐怖を覚えるが、単座機では他に教官が座る場所はなかった。

 後年に、こうした不具合を解消するために新型戦闘機には、全て複座型が作成されることになり、訓練が随分と楽になるのだが、今はこれしかなかった。


「ラダーをもっと踏め!」


 プロペラ後流に負けないように黒間は怒鳴った。

 機体が左へ偏向し、滑走路から外れかけている。

 安藤はラダーを踏んで、それを修正するが修正量が大きすぎて今度は機が右に曲がりかける。慌てて左ラダーを踏むが、やはり修正量が大き過ぎて機首が左に振れてしまう。

 結果、九七式戦改は酔っぱらいのように蛇行する。尾輪が左右にふれ、機のバランスが崩れる。横転しかける。


「スロットルを絞れ!左ラダーは踏むな!」


 生命の危険を感じて、黒間は怒鳴った。

 エンジンの反トルクが消えて、スピードは落ちるが機は直進するようになった。

 パイロットと言えば、顔面蒼白で彫像のように固まっている。

 黒間は殴り倒してやりたい衝動に駆られたが、辛うじて思いとどまった。戦後に旧軍の私的制裁にまつわる悪評を散々に聞かされていたからだ。

 この頃の日本軍は、兵隊と畳は叩けば叩くほど良くなると信じていた。

 実際に、黒間も入営したばかりの頃には不愉快な思いを何度もした。

 まぁ、自分はこんなものだと我慢できなくもなかった。新兵に対する私的制裁や陰湿ないじめは日本軍の半ば伝統だった。

 しかし、前世であの戦争が散々な結果に終わったあとは全て変わってしまった。負けた軍隊というものは悲惨だった。特に偉そう顔をして兵隊を殴っていた奴らは報復に怯えた。戦後に現れた私的な報復やリンチを思い出すと今でも血が凍る。徴兵で引っ張られてきたチンピラを殴った教育係の鬼軍曹が、復員した後で闇市で血だるまになって発見された時は他人ごとではないと思った。

 幸いにも、自分はその対象になることはなかったが、内心は酷く怯えていたものだった。全く自分が潔白であるとはとても言えなかったからだ。

 特に戦争が上手く行かなくなった後半はかなり荒れていた時期がある。


「申し訳ありませんでした!」


 とても及第点は与えられないが、何とか滑走路を一周して戻ってくるなり、安藤は叫んだ。

 どう考えても鉄拳制裁コース間違いなしと考え、先制して頭を下げるあたり、安藤はかなり知恵が回るタイプだと黒間は判定した。

 こういうタイプの後輩を見るとからかってやりたくなるのが先輩の心理である。

 黒間はその場で腰を下ろし、下から安藤の顔を見上げた。


「俺の顔を見て話せ。地面に向かって叫んでどうする?」


 安藤はきょとんとした顔をあげた。


「別に怒っちゃいない。最初はこんなもんだ。あんまり気にするな」


 何となく手持ち無沙汰だったので、黒間は安藤の頭を撫でてやった。


「地上滑走の時は左ラダーは踏まずに、右ラダーと機体のトルクを合成して、まっすぐに進むように調整するんだ。分かったか?」

「は、はい・・・」


 ぶん殴る代わりに、背中をバンバンを叩いてやって、パイロット交代になった。

 黒間の計算では、これをあと1週間も毎日繰り返せば、とりあえず地上でもたつくようなことはなくなるはずだった。

 飛行訓練はそれからだ。この方針は中隊の方針として、中隊長の篠原にも許可を受けいていた。飛行の前に、地上での動作を確実にこなせるようにしておかなくてはならない。

 機体にとにかく慣れさせるという意味もある。

 問題は飛行訓練であるが、それについては黒間はある程度楽観していた。

 前世の大戦末期には今ここにいる連中よりも遥かに飛行時間が短い未熟を通り越して無謀の域に達するような素人でも、四式戦に乗せていたぐらいだ。

 四式戦よりも遥かに低速の九七式戦改なら、なお容易であろう。


「おい、クロ。ちょっといいか?」


 中隊長の篠原が呼んでいた。

 だいぶ、難しい顔をしていた。黒間が駆け寄るなり、肩を寄せて囁くように言う。

 

「だいぶ程度が悪いから、もっとゆっくり滑走させろ。機を壊すなよ」

「わかりました」

「それから、ああいう時はもっと怒っていい」


 黒間は篠原の目を見た。

 

「そんな顔するなよ。怒られた分だけ、奴らは学ぶ」

「殴るのは苦手です」

「じゃあ、怒鳴れ。甘さと優しさは違う。志願してパイロットになった奴らだ。遠慮は無用だ」


 黒間はそろそろと息を履き、わかりましたと答えた。

 その日は、夕方までに喉が潰れるまで怒鳴る羽目になった。

 





 昼間の課業が終われば、兵隊は内務班に戻って休む。

 ただし、曹長にもなると下士官室を割り当てられ、内務班での生活もおさらばである。

 下士官室は4人部屋だった。内務班での暮らしに比べれば、よほど気楽だったが同室の年長者への気遣いは存在しているので、さほど自由というわけでもなかった。

 こうした濃密な人間関係が苦手人間には苦痛かもしれなかったが、幸いなことに黒間は戦国時代から続く尾張の農村出身であったので、少しも苦ではなかった。閉鎖的な中世以来の身分制が残る農村の生活は、どこか軍隊的でさえあった。

 よって黒間にとっては、これが常態という方が正しい。

 そう思うと、戦後の都市化で日本人が失っていたものが如何に大きいか分かる。

 この時代でも、都市部出身者の兵隊は兵営の暮らしには非常な苦労をしていた。それが正しいことか、間違っていることなのかは判断がつかないけれど。


「おい、クロ公よ。新しく入ったトウシロはどうだ?」

 

 酒の匂いを漂わせて相田十曹長が言った。

 部屋の隅にウィスキーの空き瓶が転がっている。もちろん、下士官室での飲酒は禁止だ。

 しかし、相田は無類の酒好きで、要するにアル中だったので隠れて酒を飲んでいた。見つかれば、タダでは済まないが、陸軍の飯が長いせいか見逃されている。

 黒間も階級は同じ曹長だったが、昇進は相田の方がずっと早かった。

 ノモンハンにも出動したベテランの下士官だ。飛行時間も長い。

 ただし、スコアは黒間の半分程度だった。


「半年か、1年もあれば、使い物になってくると思いますよ」


 黒間は読みかけの雑誌から顔を上げて答えた。

 内地の出版社が出しているミリタリー雑誌で、「空と海」という月刊誌だった。

 日本のみならず、世界各国の軍艦や戦闘機等を写真付きの記事で紹介する雑誌である。


「その前にロスケが来たら、どうするんだ。あぁ?」


 赤い顔をして絡んでくる先輩に、黒間はどうしたものかと思案した。

 決して悪人ではないのだが、酔っ払うとタチが悪い。


「そうですね。爆弾でも抱いて体当たりでもしますか」


 実際に、前世の大戦末期に行われたことだった。

 水平の直線飛行も怪しい未熟なパイロットが、米軍相手にとれる戦法と言えば、特攻ぐらいしかない。そう思うと、この程入ってきた新人達は恵まれていた。

 特攻隊員とどっこどっこの飛行時間しかない彼らだが、陸軍は彼らを人間爆弾ではなく、ごく普通の戦闘機パイロットとして扱ってくれている。

 しかし、それがいつまで続くかは分からなかった。

 この世界でも、黒間の記憶どおりに歴史が推移した場合、5年後には神風が吹くことになりかねない。

 戦闘機パイロットとして、前世で大抵の任務をこなしたが、その中でも一番イヤな仕事は特攻隊の直援だった。

 沖縄戦で何度か特攻隊と一緒に飛んだが、本当に後味の悪い仕事だった。爆装して重くなった隼戦闘機がグラマンにバッタのように撃ち落されるのを見て、黒間は涙も枯れ果てた。

 特に悲しいのは、明らかに脱出すれば助かる状況でも、特攻隊員の多くが脱出せずに自機と共に落ちて行くことだった。

 気持ちは分からなくもなかった。

 誰だって、2度も死ぬために飛びたいとは思わない。


「爆弾を抱いて体当たりって・・・お前、正気か?」

 

 精神の平衡を疑うような顔で言う相田を、黒間はおかしく思った。

 確かに、あの頃の日本は正気を失っていた。


「クロ・・・お前はつかれているんだ。そういう時は、飲むのが一番だ」


 そう言ってウィスキーのビンを押し付けてくる相田に黒間は閉口した。

 しかし、ここで断ると面倒になるのは目に見えていた。酔っぱらいには常識が通用しない。

 

「クロ。とにかく困ったら、誰かにすぐ相談することだ」


 顔は赤いままだったが、相田はそれなりに真剣な顔をつくって言った。

 どうやら相田に、気を使わせてしまったらしかった。


「お前は、まだ若い。確かに、お前は空の上では、エースパイロットなのかもしれんが、地上ではまだまだヒヨっ子なんだ。わからないことがあったら、俺や中隊長にすぐ相談するんだぞ?」


 言い含めるように言う相田に、黒間は深く頷いた。

 先輩と言っても相田はまだ27だった。前線で勤務するパイロットの殆どが30前だった。

 戦争を生き延び、21世紀を見てきた黒間にとっては孫のような歳の若者ばかりだ。

 しかし、それを知っているのは黒間だけだった。


「よし、言ってみろ。なんでも相談にのるぞ」


 特に相談したいことなどなかったが、黒間は敢て難しい顔をつくった。

 日本型組織の常として、先輩格のこういう発言を無碍するのは身のためにならない。


「実は、新しく入った新人がなかなか小隊に馴染んでくれなくて・・・緊張しているんでしょうか」

「うん。そうだな・・・俺もそう思う」


 こういう場合の対処法は、嘘でもいいから困っているフリをして、相手の説教に調子を合わせることだ。


「まか、最初は誰だってそういうもんだ。初手から上手は誰もいない。その内にコツがわかってきて、だんだと要領よくやれるようになるもんさ。そうだろ?」

「そうですね」

「うん。そうだ。焦っちゃイカン。お前は焦っている。焦りは失敗のもとだ。もっと、ゆっくりと確実に仕事をこなすことが肝心だ」


 なるほど、と黒間は深く頷いた。

 内心では全く別のことを考えていたが。


「だいたいだな、インチとボスるのだって、最初から上手な奴はいないだろう?」

「インチ?ボスる?」


 黒間は首を傾げた。

 

「えーっとだな・・・島と佐権が言っていたんだが、海軍じゃ女と寝ることをボスるって言うらしいぞ」

「はぁ・・・」


 島と佐権とは、同室の海軍出身のパイロットだった。

 偶に二人でしか理解できない言葉で話していることがある。「ケーエー」がどうのとか、「インチ」がどうのとか、シーアールがどうのとか。

 その手の隠語は陸軍にもないわけではないのだが、海軍同士でこそこそ話していることが多いので評判はよろしくなかった。


「海軍さんは妙なことをしますね」

「向うからしたら、俺達も相当に変なのかもしれないがな」


 確かにそのとおりかもしれない。

 しかし、贔屓目に見ても陸軍の方がマシだというのが黒間の考えだった。

 だいたい人間は陸地に住む動物で、船の上で生活するようにはできていない。本来ありえないことをしている分だけで、海軍のやり方は奇形的なはずだ。


「でも、バッターとかは俺はダメだな」

「バッター?野球ですか?」

「違う。海軍では麺棒みたいな奴を使って、新兵に気合を入れるそうだ。信じられるか?」


 これには黒間も引いた。

 あまりにもシュールである。木の棒で人を殴るのか。


「そりゃ、野蛮ですね」

「だろ?俺は陸軍でほんとによかったよ。木の棒で人を殴るなんて、本当に野蛮だ。信じられんよ」


 陸軍では鉄拳制裁やビンタはあるけれど、木の棒で人を殴ったりしない。

 同じ人間を殴るのなら、道具ではなく素手で殴るべきだと思った。

 殴られた方は当然痛いが、素手なら殴った方も当然痛い。それが平等というものだ。


「わざわざ殴るための棒を船に積んでおくんでしょうか?」

「当然そうなるだろうな・・・」


 そういう発想はなかったのか、相田も眉を潜めた。


「島さんと佐権さんって、もしかしてその棒を持ってきているんですか?」

「さぁな・・・」


 なんとなく二人は気まずい気分になった。

 とりあえず、下士官室内にそれらしい木の棒はなかった。

 もしも、そんなものが枕元なんかにあったとしたら、実に嫌な気分になるだろう。


「こんなことで彼らと一緒にやっていけるんでしょうか?」


 彼らとはもちろん、海軍のパイロット達のことである。


「そのうち落ち着いてくるんじゃないか?最初のうちの混乱はある程度は仕方ない」

「そりゃそうですが、異動で空母に乗るようなことになったらどうしますか?」


 海軍航空隊と合併して発足した日本空軍には、空母の航空隊も含まれているという話だった。

 黒間は読みかけのミリタリー雑誌の記事に目を落とした。

 空軍発足の公式発表は既になされていて、内地の雑誌では様々な特集が組まれていた。それによると空軍は陸海軍航空隊が保有する全ての航空機を指揮下におく計画になっているらしい。

 ただし、陸軍師団に配備されている小型連絡機と艦艇搭載の水上機は例外とのことだった。


「そうなったら、醤油でも一気飲みするしかないな。俺、船はダメなんだよな。あの独特の揺れている感じを思い出すと吐きそうだ」


 心底困り果てたという調子で相田は言った。

 調子が悪そうに胃の辺りを抑えている。


「すまん・・・ちょっと飲み過ぎたか。便所に行ってくる」


 前かがみにも係わらず、風のように相田は去っていた。

 黒間はため息をついて、散らかったままの酒瓶を片付ける。アレでは当分帰ってこれないだろう。

 やっと静かになった室内で、黒間は誰にも気兼ねすることなく雑誌を読み進めた。

 今月の特集は、新鋭戦艦飛騨である。

 戦艦、飛騨?

 そんな名前の戦艦は記憶になかった。

 日本の戦艦といえば、わらべ唄にもなっている金剛、比叡、榛名、霧島、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥の10隻だ。

 これに大和、武蔵を加えた12隻が先の大戦で戦った日本の戦艦だった。

 そして、長門以外は全て撃沈され、長門も原爆実験で沈めらた。

 戦後に史上最大最強の戦艦として有名になった大和と武蔵だが、黒間自身もそういう戦艦があると知ったのは戦後になってからだ。

 戦時中にも、そういう新型戦艦があることは噂では知っていていたが、具体的にそれがどんな物なのかは知らなかった。理由は簡単で、軍事機密だからだ。

 もちろん、興味がなかったというのもある。陸軍航空隊の戦闘機パイロットにとって戦艦の大小や有無など割とどうでもいいことだった。一応、沖縄戦の末期に海軍の水上艦が特攻して撃沈されたという話は聞いていたが、殆ど記憶には残らなかった。

 それよりも、宇宙戦艦になってイスカンダル星にいく話の方が印象に残っている。

 

「こんな船あったか・・・?」


 記事を読み進めると意外なことが分かった。戦艦飛騨は、20,000tの小型戦艦だった。

 東洋のポケット戦艦という紹介があり、武装は31サンチ砲3連装2基6門になっていた。最高速力は駆逐艦並の35ktを発揮するという。

 戦艦飛騨と同型艦の肥前は第二次ロンドン海軍軍縮条約締結で廃艦が決まった戦艦金剛の代替艦で、軍縮条約における日本の残保有枠の40,000tあまりを2で割った結果なのだという。

 条約の制限で35,000tまでの戦艦しかつくれないから、残った5,000tが勿体無いのでちょうど良くなるように小型の戦艦2隻を作った結果が、飛騨型戦艦ということだった。

 つまり、今の日本の戦艦は飛騨、肥前、比叡、榛名、霧島、扶桑、山城、伊勢、日向、長門、陸奥の11隻になる計算だった。

 この内の比叡は練習戦艦なので、実働は10隻になる。

 ということは、大和や武蔵はどうなるのだろうと黒間は首を傾げた。

 黒間が戦後に知った詳しい歴史の流れでは、ワシントン、ロンドン海軍軍縮条約から日本が脱退して、戦艦大和の建造が始まるはずだった。

 しかし、第二次ロンドン条約があるということは、まだ日本は軍縮条約を守っていることになる。

 大和や武蔵は建造されていないと考えるべきだろう。

 この2隻の戦艦については、黒間はあまりいい印象がなかった。

 それは多分に戦後のマスメディアの否定的な報道の影響を受けたものではあったけれど、飛行機の時代に逆行するような無駄な買い物だったのも確かである。

 そもそも、真珠湾攻撃やマレー沖海戦で飛行機を使って戦艦を沈めておきながら、世界最大の戦艦を作って浮沈戦艦だとか吹聴するのは一体どういう精神構造なのだろう?

 戦艦をつくる金で、もっと沢山飛行機をつくっておけば、もっと有利に戦えたかもしれないと思うのは、戦闘機パイロットとしては極々自然な発想と言えた。

 黒間は海軍のことは殆ど何も分からないし、この2隻の戦艦がどんな戦略的な意味や価値をもっていたのかも知らない。しかし、大和と武蔵を作らなくて済んだというのは、たぶん良いことなのだと思った。

 少なくとも、ピラミッド、万里の長城、戦艦大和とバカにされるようなことはなくなったのだから。

 

 

 

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