ノモンハンの風 後編
1939年8月20日 ハルハ河
同年5月から3ヶ月に渡って小休止を挟みながら続くノモンハン事変は、この日に境に一気にクライマックスへと向かっていた。
先手をとったのは、ソビエト軍である。
ハルハ河の朝もやを切り裂いて、ソビエト軍の砲兵が攻勢に先立って猛烈な準備砲撃を開始した。
ソビエト軍総司令官ゲオルギー・ジューコフ大将が攻勢開始までに集めた兵力は、総兵力55,000人。機甲3個旅団(装甲車385両)、戦車2個旅団(戦車498両)、砲・迫撃砲542門だった。砲火力の集中は凄まじく、攻勢開始の初日だけで15,000発の砲弾を日本軍陣地に降らせた。
この攻勢に際してソビエト軍が用意した砲弾は18,000tに及ぶ。すなわち18キロトンである。これは初期型原爆の破壊力とほぼ同等だった。
もちろん、これだけの砲弾が日本軍の頭上に一度に降り注いだわけではないが、鉄の暴風に晒された日本軍は心身ともに打ちのめされることになった。
ただし、日本側の兵力増強のチキンレースには負けておらず、総兵力は70,000人を数え、戦車250両、砲・迫撃砲353門を集めていた。
ソ連軍が仕掛けてくる物量作戦に、真っ向から対抗する構えだった。
歩兵の数では日本軍が勝り、砲と戦車ではソビエト軍に分がある。これはこれまでのノモンハンの戦いと同じだった。
日ソ双方がこれを支える兵站組織を有し、莫大な数のトラックとタンクローリーを後方に走らせていた。ただし、ソビエト軍側は最寄りの鉄道駅から750km以上も離れた場所を戦場にしていたのに対して、日本軍は最寄りの駅から200km程度しかないので、相対的に日本軍の方が補給の負担は軽いと言えた。
ソビエト軍の作戦は戦線正面に砲火力と歩兵戦力を集中し、日本軍の主力を拘束しつつ、南北から機械化部隊を渡河させ、日本軍を包囲殲滅することだった。
基本構想は7月に日本軍が実施した両翼包囲作戦と同じだった。包囲を担当する両翼が機械化部隊であることも同じだ。しかし、投入された兵力が段違いだった。
その為、ソビエト軍は作戦にかなり楽観的な見通しを抱いていたとされる。
それが大甘だったことをソビエト軍は攻勢開始すぐに思い知らされることになった。
「操縦手、停車しろ」
突撃の先頭を任されたソビエト軍戦車部隊の一つを預かったとある中隊長が叫んだ。
中隊長車が停まったので、部下の戦車も次々と停車した。中隊の隊列は各小隊ごとに数珠つなぎに伸びており、お世辞にも理想的な進撃隊形とは言えなかった。
何故こんなことになっているかと言えば、ソビエト軍戦車にはコマンダーキューポラがないからだ。一度、突撃が始まりハッチを閉じてしまうと周りで何が起きているかわからなくなる。外部を偵察する手段がないので、前の車両の後ろをついていくのが精一杯だった。例えるならば、板金鎧を着た重装騎兵に近い。真っ直ぐにしか勧めないし、急な方向転換ができない。できなくもないが、それをしてしまうと途端に戦力として無力化されてしまう。小回りとは騎兵に必要な突撃衝力とは相反するものだからだ。
この点が、コマンダーキューポラを装備する4号戦車D型を国産化した九八式中戦車の優位点であり、双方向通信可能な高性能な無線機と相まって、チームワークにより多数のソビエト軍戦車を討取る原動力になるのだが、今は視点をソビエト軍戦車部隊に戻そう。
中隊長の手元には12両のBT-7戦車があった。
BT-7は装甲や火力よりも速力を重視した快速戦車であり、スピードを要求される機動戦の先鋒に用いるには打って付けの戦車だった。
彼の中隊は砲兵の支援を受け、歩兵と共に渡河した直後には満州国軍の歩兵部隊を蹴散らし、戦線の突破に成功していた。部隊はそのまま南東に進出し、日本軍の後方を蹂躙することを求められていた。
グズグズしていると日本軍が緒戦の衝撃から立ち直ってしまうので、作戦成功の鍵はスピードだった。そのことは事前のブリーフィングでクドいほど念押しされている。
それにも係わらず中隊長が戦車を止めたのは、これみよがしに設置された針金製の障害物を見つけたからだ。
簡単に踏み潰してしまうことができるが、こうしたものが存在するということはその周辺に日本軍の歩兵が潜んでいることを示している。
戦車が止まった時点で、戦車に鈴なりになっていた歩兵が戦車が飛び降りて散開している。草むらに潜んでいる歩兵を始末するのは彼らの仕事だ。
しかし、潜んでいたのは歩兵だけではなかった。
音もなく唐突に、先頭にいたBT-7の砲塔正面装甲に穴が空いた。
次いで車内に突入した砲弾が、コンマ数秒後に遅動信管を作動させて炸薬を車内で爆発させ、高速で飛散した破片が砲塔内部の即応砲弾の薬莢を貫いて内部の炸薬を誘爆させる。結果、密閉された空間である車内で爆圧が高まり、逃げ場を求めた末に砲塔が天高く舞い上がった。衝撃波とスプリンターが放射状に広がり、戦車の周りにいた歩兵を一纏めになぎ倒す。
びっくり箱のように吹き飛ぶ戦車の砲塔を見て、中隊長は腰を抜かした。
その為、轟音に混ざって響く甲高い砲声を聞き逃してしまった。無理のない話だったかもしれない。高初速砲特有のその響きは、2km先に音源があったのだから。
中隊長がそんな具合だったから、ソビエト軍戦車部隊は混乱し、士気が下がった。
逆に、先頭の戦車を初弾で仕留めたことで、日本軍対戦車砲部隊の士気を大いに上がった。
日本軍の対戦砲部隊とは、日本軍高射砲第10連隊から抽出された高射砲中隊だった。九八式8糎野戦高射砲(FLAK18のライセンス生産版)を4門持っていた。
この場に展開したのはその内の2門で、平原を見下ろす高地に急ごしらえの陣地を設けて戦線を突破したソビエト軍戦車部隊を待ち構えていたのだ。
日本がライセンス生産するFLAK18はスペイン内戦でも、BT-7を相手に対戦車戦闘で活躍していたので、今起きた一連の出来事はその焼き直しだった。
それ故に、ソビエト軍の対応もまた定まったパターンがある。
初弾で1台を撃破し、ソビエト軍が次の行動に移る前に3台のBT戦車が血祭りにされたが、それ以降は命中がなかった。
高速のBT-7が全速でジグザク走行していたからだ。高初速の88mm高射砲は目標が静止していれば、2km先からでも命中弾を出すが、動いている目標には当たらない。この時点で、ソビエト軍は自分たちが大口径のカノン砲に狙撃されていることに気付いていた。対処法は高速で肉薄して、BT-7の主砲である45mm砲の有効射程距離に持ち込むことだった。
しかし、日本軍部隊は冷静だった。
まるで予期していたかのように一旦、砲撃を停止して、その時を待った。
やがて、高速で走行していたBT-7が動きを止める。履帯に針金が絡まって、動けなくなったのだ。
こうした対戦者障害物は、7月の日本軍の攻勢でソビエト軍が使った手だった。日本軍戦車部隊は履帯に針金が絡まって動けなくなったところ、対戦車砲で次々に撃破された。日本軍はソビエト軍の8月攻勢に際して、それをそっくりそのままコピーしてお返ししたのだった。
そして、装甲貧弱な軽戦車が88mm高射砲の前で静止するということは速やかな自殺に他ならない。
結局、ソビエト軍先鋒部隊は戦車を全てを失って後退を余儀なくされた。
彼らが後退して体制を整え、砲兵を支援を受けて再度進撃した時には、88mm高射砲はとっくの昔に陣地転換し、影も形もなかった。
数門の88mm高射砲が10倍近い戦車を遠距離から一方的に撃破し、素早い陣地転換で敵の砲兵射撃から逃れるというのが、日本軍の常套手段だった。
歩兵部隊も、九四式37mm速射砲と豊富に供給される対戦車地雷でソビエト軍の戦車を迎え撃った。
ソビエト軍は7月の日本軍歩兵との戦いで、ガソリンエンジン装備のBT-7が歩兵の火炎瓶攻撃で容易に炎上することに気付いており、ディーゼルエンジンに載せ替えるという手間暇をかけていたが、8月の日本軍はそうした簡易な装備ではなく、本格的な対戦車地雷を多数投入し、歩兵の肉薄攻撃の攻撃力を強化していた。
そして、戦線北部で高射砲と歩兵が時間を稼いでいる間に、再配置を終えた戦車6個連隊による反転攻勢が戦線南部で始まった。
ソビエト軍の狙いが両翼包囲であることは既に明らかになっており、そうであるが故に片翼のどちらかを潰せば、攻勢は頓挫するはずだった。
反撃に向かう戦車部隊を支援するため砲兵が一斉に砲門を開き、チチハル飛行場から数百機の戦爆連合が飛び立った。
黒間以蔵は、緊密な編隊を組んで進撃する数百機の戦爆連合の編隊を見ていた。
「壮観だな」
思わず漏れたのは、感嘆の呟きだった。
これほどまでに大量の戦闘機と爆撃機が集まったのは、7月のタムスク空襲の時だけだ。その時も、これほどの数ではなかった。
黒間は編隊の中央に位置する九七式重爆撃機と肩を並べて飛ぶ九六式陸上攻撃機を見た。陸攻は魚雷型の胴体に吊るせるだけの爆弾を吊るしている。
そうした機体が200機以上も集まり、編隊を組んで飛ぶ光景は見る者の目を奪うものがあった。
黒間は陸軍の重爆に目をやり、太ましい胴体とそこから突き出す対空機銃を前から順番に見ていった。
銃座のプレキシグラスが太陽を反射している。機銃手を手に緊張した顔で周囲を監視していた。少しでも不審な行動をしたら、即座に撃たれそうだ。爆撃機周辺の空気はとても熱い。
今から、そんなに緊張していたらもたないぜ?
そんな風に声をかけてやりたかったが、そういうわけにもいかない。
声をかけたところで、届くはずもなかった。風防は閉めていたが、エンジン音とペラの回る音が機内にも浸透していた。
数百機のレシプロ機が轟々と、青いばかりで何もない空間に単調な音の波を放っているのだ。
陸攻の周りには、雁行編隊の九六式艦上戦闘機が飛んでいた。こちらも数知れないほど飛んでいる。
真っ白な機体に乱雑な調子で塗料を吹きかけ、仮の迷彩塗装をしてあった。
しかし、あまり効果はなさそうだった。特に、今日のように真っ青な天気の日には。
雲量は0。快晴。目が痛くなるほど真っ青な青空だ。
夏のノモンハンの空だった。
外界は一面の緑だ。高度3,000mで進撃する戦爆連合を隠すものなど何一つない。
海のようにも見える草原に、眩く陽光を反射するものがあった。ハルハ河だ。さざ波が光を反射して、輝いて見える。
その流れを辿って行くとボイル湖にたどり着く。そのほとりにタムスクの市街と飛行場群があった。
黒間はコクピットを見回して、異常がないことを確認した。Revi2b光像式照準器のスイッチを入れ、作動を確認する。手袋を締め直し、操縦桿を握りなした。
前世の記憶が確かなら、そろそろ来る頃だった。
その時、1機の九六式艦上戦闘機が増速して編隊から飛び出した。機体をバンクさせ、風防の無いコクピットから手を伸ばして、何かを訴えている。
黒間にはそれが何だか直ぐに分かった。編隊長の篠原准尉もそれに気がついた。
「無線封鎖解除。2時方向に敵機だ」
抜けるような青空の中に、ゴマ粒をぶちまけたかのような黒い粒が見えた。
敵の戦闘機だ。もの凄い数だった。こちらも数百機単位だ。味方と同じぐらいいる。
「さぁ、おいでなすった」
斎田が弾むような声で言った。
黒間は一度だけ息を飲み、酸素マスクの冷たい酸素を吸った。
「黒間、斎田。一番槍をつける!ついて来い!」
編隊長の篠原が増速し、密集編隊を離れる。
それを合図に、一斉に敵味方の戦闘機が散開して空戦が始まった。
黒間は、篠原機の後方上空に機をつけて援護可能位置を保持した。斎田が反対側にいる。生き残りたければ、とにかく篠原機から離れないことだった。
しかし、黒間は篠原機についていくことに多少の疑問を覚えないわけではなかった。
篠原は敵編隊のど真ん中を抜こうとしていた。
一見しただけで敵機は前後左右に散らばった100機以上はいる。
前世のニューギニアや本土防空戦でも、こんな大編隊を相手に正面から突撃したりはしなかった。普通は編隊同士の連携で切り崩し、優位な位置を得るための機動をする。
黒間は一瞬だけで、直属の上司の顔を思い浮かべ、真性の天才の考えることは凡人には理解不能であることを確信した。
篠原機が発砲する。正面反航戦。4丁の98式固定機関銃を火を吹いた。敵も撃ち返す。曳光弾が交錯し、機がすれ違う。
相対速度は時速1,000km近い。
それでも篠原機の銃撃でエンジンを撃ちぬかれたI-16が凄まじい速度で墜落していくのが見えた。
敵の矢衾を掻い潜った3機は、インメルマン・ターンで敵機の後方上空につける。
敵編隊を一望にできる視点を手に入れて、黒間は笑みを強くした。
「選り取り見取り!」
篠原機は上昇で失った高度を降下で、速度に変換する。黒間と斎田がその後に続いた。
九七式戦改はスロットルを全開にして、45度の角度で降下する。プロペラピッチのセレクターを切り替える。高ピッチから低ピッチへ。九七式戦改の可変ピッチ機構はスロットルを連動した自動式だが、急降下時の操作は手動で行う必要がある。
スロットル全開にするとプロペラピッチが自動的に高ピッチになってしまうからだ。高ピッチのプロペラはブレーキそのものだ。自動化が常に正解とは限らない。
九七式戦改は動力降下。
篠原機はI-16の編隊に狙いをつけた。黒間は敵の二番機を狙った。
照準器のクロスヘアにI-16に大写しになる。黒間は銃把を握り、弾丸を送り込んだ。九八式固定機関銃が作動する。シャワーのように弾丸が敵機を包むのが見える。
八九式固定機関銃とは段違いの射撃速度だった。火力が倍どころか、3倍にも増えたように思える。
全身を撃ちぬかれたI-16がバランスを失って落ちていく。3機編隊はそのまま降下しつつ、増速して次の目標に向かう。
今度は、上昇攻撃だ。
戦闘機の死角は背後ではなく、下方にある。どんなに視界の優れたコクピットの戦闘機であろうと真下は見えない。
動力降下で得た速度を使って、3機は急上昇。
下から上の戦場を見た。そして無防備な敵を見つけ出し、そこに向かって下から忍び寄る。
再び照準器のクロスヘアに敵を捉えた。上昇しつつ銃撃する。弾丸が敵を捉えた。真下から撃たれた敵機は、右急旋回した。
それで敵機は速度を失った。機体を捻り、後方上空に付けて、もう一度狙って撃った。
I-16のエンジンから煙が吹き出す。それで十分だった。
黒間は篠原機を探し、再び機を援護可能な位置に寄せた。しかし、斎田機が見つからない。
「斎田。どこだ。応答しろ!」
黒間は冷や汗が噴き出すのを覚えた。
「6時方向。援護してくれ!後ろにつかれた!」
「ドジめ!」
篠原が短く罵り、九七式戦改を右急旋回させた。黒間が後に続く。
I-16の追尾を受ける斎田機が見えた。2機に追われている。だが、それ以外にもソ連軍機の追撃を受ける友軍機は山ほどいた。逆も同じぐらいいる。どちらが優勢なのか、まるで分からない。
斎田機は旋回を繰り返し、I-16の追尾を振り切ろうとしている。あわよくば、そのまま敵の後方につけようという腹だ。
しかし、それは無理だ。敵機は2機だった。1機の後ろをとっても、そのまた後ろから撃たれる。
篠原機は敵機に向けて牽制の銃撃を送った。撃たれたI-16は斎田機の追尾を断念し、上昇。篠原機はその追撃。敵の二番機がバレルロールして、篠原機の後方に占位しようとしている。
黒間の獲物はその二番機だ。
「斎田、ケツを守ってくれ!」
「分かった!」
本当に援護位置に斎田機が移動したのか一瞥して黒間は敵機を見た。
綺麗なバレルロールだった。飛行姿勢に乱れがない。腕の立つパイロットだと思った。滑らかな軌跡で速度を殺すことなく篠原機の後ろにつけようとしている。
黒間は敵の意図を妨害することから始めた。牽制の銃撃を送り、敵機を篠原機から引き剥がす。
弾丸は虚空に消えたが、敵機は篠原機の後方から離れた。そのまま、右急旋回してくる。
敵機が目と鼻の先を掠めた。撃てる間合いではない。
そのまま切り返してくる。旋回を繰り返すシザース戦だ。敵機の狙いは黒間に移っていた。黒間は殺気を感じ、そのままシザース戦に応じる。
基本的に、水平旋回を多用するシザース戦は旋回性能の勝る九七式戦改が優位だった。そういう意味では、敵のパイロットは腕がいいが、経験が足りてない。
数順のうちに敵機の後方につけた。タイミングを見て、機を捻りって敵機の上に被る。そのまま狙いをつける。
射撃前に、後方を確認して銃把を握った。
黒間は機首機関砲の発砲炎に目を細めた。細いが高速の火線が敵機に向かう。4丁の機関銃が敵機を穴だらけにした。それでも、火を噴かない。頑丈な飛行機だ。しかし、敵機はバランスを崩して落ちていった。パイロットが死んだらしい。
射撃速度が速く、一度に大量の弾丸を浴びせられる九八式固定機関銃の4丁装備は九七式戦改には理想的な武装だ。
装弾数が多く、弾切れの心配もない。20秒以上連続で射撃が続けられるほどだった。ただし、主翼のガンポッドのせいか、若干旋回性能が落ちた気がする。
黒間はスロットルを開き、緩降下しつつ失った機速を回復する。
シザース戦の間に、戦闘の形勢はさらに混沌としたものとなっていた。敵にも味方にも秩序や統制が見られない。闘志を剥き出しにして、目の前の敵を追いかけている。
そうした混乱の最中に、一番機の姿が消えていた。
「隊長はどこへ行った!?」
「分からない!」
黒間が怒鳴り、斎田が怒鳴り返す。
酷い乱戦だった。地上を見やると墜落した数十機の飛行機が炎上して、黒煙を上げている。
まるで八幡製鉄所のようだ。一体どれだけの機が落ちたのか検討もつかない。敵も味方もちりじりになってドッグファイトに興じている。
黒間は焼けるような焦燥を覚える。
はっきりした記憶ではないが、前世での篠原の命日がそろそろ近いはずだったからだ。
「隊長を探すぞ」
「後方に敵機!」
その時、右後方上空にI-16が見えた。
高偏差にも係わらず、機銃弾をばらまきながら突進してくる。
危なかった。斎田の警告がなければ不意打ちを食らっていた。
黒間はフットバーを蹴り飛ばし、体当たりするかのように機首を敵機に向けて弾丸を回避。敵機は追撃してこなかった。そのまま下方に抜けていく。一撃離脱戦法だ。乱戦の最中にこれをやられるとよほど警戒していない限り、不意打ちを食らう。
内心の焦りが汗をなって滝のように頬を伝った。
黒間は意味もない旋回を繰り返し、目をむいて篠原機を探したがどこにもその姿は見当たらない。
「篠原准尉殿、応答してください。篠原准尉殿!」
空中電話機での呼びかけも虚しかった。
見れば、爆撃を終えた重爆と陸攻が大きく旋回し、帰投しようとしている。
これ以上の長居は無意味だった。
単座の九七式戦改では、深い追いすると機位を失って帰れなくなる恐れさえある。地上の飛行はランドマークがあるので洋上航法よりは遥かに容易だが、それは比較の話であって機位を失って未帰還になる事故は少なくない。
爆撃機の離脱が契機となり、戦闘は急速に収束に向かっていった。
だが、黒間の戦闘はまだ終わっていない。
必ず篠原を生きて連れて帰ると決めていたからだ。
「斎田。お前は編隊に合流して、隊長がいないか確認しろ。俺はもう少し残って探してみる」
「無理するなよ!」
黒間は、斎田機が帰投する編隊に合流したのを見届け、高度を落とした。
高空に篠原機は見当たらなかった。低空にいるか、不時着している可能性があった。最悪、撃墜されている可能性もあったが、その場合でも落下傘降下しているかもしれない。
高度を下げ、風防を開け放つと冷たい外気が吹き込んできた。
そこで黒間はやっとコクピットの中が、蒸し焼きに近い状態だったことに気がつく。
戦場になった空は草原の上にある。
低空に降りると緑の海に、点々と炎上する飛行機の残骸が見えた。飛行兵達の煙の墓標だ。
黒間は鎮痛な気分でそれを見回した。ソビエト軍機の残骸が多かったが、友軍機の残骸も同じぐらいあるように見えた。特に、重爆や陸攻の残骸は大きく目立った。
その一つ一つを観察し、落下傘の白布がないか血眼になって探したが、篠原准尉はどこにも見当たらなかった。
黒間は深い後悔に襲われた。シザース戦に巻き込まれ、篠原を見失ったことは致命的な失策だった。あの時必要だったのは、篠原の援護だけで敵機を撃墜する必要などなかったのだ。
あの無茶な飛び方を好む天才肌の撃墜王から、決して目を離してはいけないことを知っていたはずなのに、何故それが忘れてしまったのか。
迂闊だったとしか思えない。
だが、迂闊といえば単機で敵地上空を彷徨くほど迂闊なことはなかった。
気がついた時には、30機以上のI-16が上空から被さっていた。
前世でもこんな絶対絶命な状況に陥ったことはない。
風防を閉じて、エンジンを一杯に吹かしても、黒間は寒気しか感じなかった。死ぬのかと自問し、死ぬかもしれないと思った。
だが、考えるより先に体が動いた。
黒間は機を超低空まで降下させた。もともと高度はさほどない。降下での加速は期待できなかった。 しかし、超低空に降りたことで攻撃の難易度が大きく上がる。
地面を這うように飛べば、上空からの一撃離脱は不可能になるからだ。
ソビエト空軍のパイロットは、平均的な練度を思えば、超低空を飛ぶ戦闘機に正確な射撃を浴びせるのはかなり困難なはずだった。
敵機は代わる代わる降下してきた。
黒間はタイミングを読んで、機を滑らせる。敵機は射撃を補正してくるが、射撃時間は短かった。あまり長く撃ち続けると引き起こしができず地面とキスをする羽目になる。
射撃に失敗して敵機が離脱する僅かな時間を使って、黒間は機を直線飛行に戻し、再加速させる。
じりじりと速度があがり、包囲網が円から楕円に変わって行く。九七式戦改をI-16は追尾できなくなりつつあった。エンジンを換装した九七式戦は、水平飛行で270ktは出せる。エンジンの加速だけで、I-16を振り切ることが可能だった。
黒間は真っ暗闇に薄っすらとした希望を差し込むのを感じた。
同時に敵機はとてつもない焦りを覚えたらしい。1機ずつではなく、一度に6機も降下してきた。
今度は黒間がとてつもない焦りを覚える番だった。I-16の機銃は4丁だ。6機同時に火を吹けば、24丁で弾幕を張ることことができる。
機を滑らせるだけではとても逃げ切れない。
やむなく黒間は機を左急旋回させた。折角貯めこんだ速度が急速に失われる。しかし、突然の急旋回にI-16は追尾できなかった。
弾幕の殆どが外れた。しかし、数百発の7.62mm弾で作られたの矢衾だ。全て回避するのは不可能だった。操縦席裏の防弾板にも2、3発当たった。座席のシートを通して鈍い打撃が背筋を走った。
改良前の九七式戦なら、パイロットはこれで即死だった。しかし、1.3糎の防弾鋼板が弾丸を受け止め、弾き返した。
その身で防弾板の有効性を立証することになった黒間だが、危機はまだ去っていなかった。
再び、敵機が降下してくる。今度も6機だ。
しかもかなり編隊の間隔を開けている。どちらに黒間が旋回しても、確実に弾幕で絡め取ることができるようにする配置だ。
もう旋回しても逃げられない。
一か八か、上昇して敵編隊を突っ切るか・・・
黒間は自棄になりかけている自分を見つけた。
そんなことをしても上昇で速度を失ったところを、滅多打ちにされるだけだった。
打つ手がない。
絶体絶命の窮地だった。
前世では随分と長生きしたものだが、今世は何とも短くあっけない幕切れになりそうだった。
もしも、今ここで死んだらどうなるのだろうか?黒間は疑問に思った。
またあの広島の病院に逆戻りさせられると思えなかったし、そんなことは願い下げだった。死ぬのは、1回だけで十分だ。
だが、黒間の恐れた最後の瞬間は結局やってこなかった。
上空にかぶさっていた敵編隊が散る。上空から1機の味方機が機銃を連射しつつ急降下してきた。
降下で得た速度で、再び上昇し、優位から一撃離脱を繰り返す。30機はいる敵機の包囲網に対して、たった1機で突撃を繰り返す味方機には見覚えがあった。
「隊長!」
篠原准尉だった。見間違えるはずもない。
黒間は思い切って、機を上昇させた。後方から降下する6機は追尾するが、上昇力は軽量で発動機の出力が勝る九七式戦改に分がある。
追跡してくる敵機に目掛け、一番機が降下してくる。敵機は慌てて散開した。
その隙に、黒間は包囲網を突破する。
再び、敵機は追尾してきたが、上空から急降下する篠原機が追い払った。
完全に敵機を振り切ったことを確認し、黒間は編隊を組み直した。
「隊長、ありがとうございました!」
黒間は無線で呼びかけたが返事がない。
見ると風防を開け放った篠原が、右手で電話機の形を造り、それを小さく振っていた。
無線機の故障らしい。この時代には、しばしばあることだった。
篠原は不敵に笑って、右手を二回結んで開き、さらに指を二本立ててから親指を下に向けた。
「12機も・・・」
笑うしかないスコアだった。姿が見ない間に、随分と派手に暴れていたらしい。
一度の空戦で12機の敵機を撃墜したのは古今東西、例のないことだった。
東洋のリヒトホーフェンが新しい伝説を作り上げたこの日、地上でも新たな伝説が作られていた。
ノモンハン大戦車戦と呼ばれる一大会戦だった。
日ソの彼我合わせて500両に及ぶ戦車が平原で激突した大規模戦車戦は、両軍の主力が軽戦車だったこともあり、後年の独ソ戦車戦のような派手さには欠けるもの第一次世界大戦以来初めての近代的な戦車を使った大規模戦闘になった。
日本軍の主力は九五式軽戦車であり、ソビエト軍の主力はBT-7だった。
お互いが自身の戦車砲に耐えることができない貧弱な装甲しかなく、被弾しても砲弾が貫通して爆発せず、そのまま戦闘を続ける珍事が頻発したが火力に決定的な差はなかった。
日本軍はこの戦いにおいて、7月攻勢で威力は発揮した九八式中戦車を40両投入して、これを決戦兵器と位置づけて運用した。
九八式中戦車はその期待を違えず、戦勢を左右する決定的な役割を果たした。長砲身の75mm砲は遠距離からソビエト軍戦車を大量に撃破し、全く寄せ付けない活躍を見せた。
最終的に、日本軍は3個戦車連隊が壊滅するという損害を被ったもののソビエト軍の撃退に成功した。
ソビエト軍の意図した両翼包囲作戦は南部で崩壊し、北部で突出した部隊が日本軍の逆包囲を受ける危険な状況に陥った。
そこから先の戦いはソビエト軍にとって過酷な撤退行であり、日本軍にとっては敵の背中を撃つ追撃戦になるはずだったが、日本軍は追撃をしなかった。
何故ならば、独ソ不可侵条約が締結され、日本はノモンハンで火遊びをしている場合ではなくなってしまったからだ。
年末ですので、1ヶ月ほど更新が止まります。悪しからずご承知おきください。