マレー半島電撃戦
1940年12月27日 マレー半島
日本の戦史研究において、マレー半島での戦闘は多くの場合日本軍の快進撃と不甲斐ないイギリス軍が対比して語られることが多い。
しかし、戦闘の実相を掘り下げると必ずしもそうとばかりは言えなかった。
イギリス軍の主力は本国兵ではなくインド歩兵だったが、士気が低く弱兵とされた彼らも陣地に籠もった場合は頑強な抵抗を示した。
陣地というものは物理的な防御機能のみならず、歩兵を一箇所に密集配置させることで士気を維持するという効果があるからだ。
陣地から出て散兵になるとインド歩兵は容易に士気崩壊を起こしたが、陣地内で密集して白人の士官に監督されている限りは日本人歩兵と互角だった。
日本軍はそうした陣地に接触すると正面から攻めるのではなく迂回して背後に回りこみ包囲した。
陣地の弱点は動けないことである。
マレー半島の道路は基本的に一本道で、迂回路はないに等しい。よって、迂回する場合はゴム林やジャングルの道無き道を歩兵と戦車が走破した。
イギリス軍はジャングルやゴム林を歩兵はともかく戦車が走破できるとは考えていなかったので、背後に戦車が現れると容易にパニックを起こした。
日本軍は戦車にドーザーを装着することで道なき場所に道を啓開し、工兵が火炎放射器でジャングルを焼き払って進撃してきた。
だが、いつでも迂回ができるとは限らない。
陣地とは本来、そういう場所に設置されるべきものであった。
その場合は正面攻撃となるが、このような場合に威力を発揮する兵器を日本軍はもっていた。
「道の両脇にトーチカがある。潰してくれないか」
前線から命からがら引き上げてきた歩兵中尉が言った。
戦闘服のあちこちに泥と血が滲んでいる。
彼の率いる中隊はジャングルを抜ける道路をトラックで移動中に機関銃の十字砲火を受けた。結果は散々なもので、殆ど何にもできないままに多くの兵を失うことになった。
先行する偵察部隊を上手くやり過ごしたイギリス軍のトーチカからの攻撃だ。
「分かりました。やりましょう」
頷いた砲兵少尉は簡単な打ち合わせでトーチカの場所を確認すると操縦手に前進を命じた。
小隊長車に続いて、3両の100式突撃砲が前進する。
突撃砲というのはドイツ陸軍の発明品で、歩兵の火力支援兵器の一種だった。よって、砲の一種であるため戦車のように見えてもそれを動かすのは砲兵である。
戦車の車体に装甲化された固定戦闘室と主砲を持ち、主に榴弾の直接照準で歩兵が単独で撃破困難なトーチカを破壊するために使用される。
他国ではこうした任務は戦車の役割とされ、イギリスでは専用の歩兵戦車が開発されていた。
ドイツで突撃砲のような兵器が生まれたのは、戦車が歩兵支援兵器ではなく、騎兵に代わる機動兵器として認識されていたためである。
しかし、第一字世界大戦の戦訓から機関銃に歩兵が対抗するには、機関銃に耐えられる程度に装甲化された自走火力支援兵器が必要なのは明らかだった。
そこで戦車の車体に砲を固定した突撃砲というアイデアが生まれ、それが日独の技術交流で日本陸軍に持ち込まれていた。
ただし、第二次世界大戦の勃発から日本陸軍が制式化する予定だった3号戦車は遂に国産化が果たせず、3号戦車よりも開発が先行していた4号戦車の車体が、日本製突撃砲の車体に使用されていた。
半ば偶然ではあったが、このことから100式突撃砲は車体に余裕があるため、ドイツ軍の突撃砲よりも榴弾威力の大きい10榴を主砲として採用していた。
初速の低い榴弾砲なので対戦車戦闘は不得手だが、榴弾でも上手く直撃させることができれば砲弾重量と爆圧で大抵の戦車は撃破可能だった。装甲が貫通できなくとも、走行装置を破損させたり、爆圧で乗員が死傷する場合があるからだ。
3両の突撃砲は相互支援可能な間合いを維持しつつ前進する。その背後には歩兵が続いた。
突撃砲は歩兵の盾だった。歩兵達は機動力重視で装甲の薄い中戦車よりも、80mmの前面装甲を張った突撃砲の後ろに立つことを好んだ。
ただし、突撃砲はあらゆる対戦車火器の標的にされるので、直後に立つのは危険だった。
既に歩兵中隊との戦闘で位置を暴露していた火点に10榴が振舞われる。
低速で飛ぶ砲弾は人間の目でも十分に追うことができた。
ジャングル中に隠れたトーチカに榴弾が直撃し、丸太と土嚢が簡単にちぎれ飛ぶ。
下草と灌木が爆風と破片でなぎ倒され、次々に隠されたトーチカが顕になっていた。
仲間を散々に痛めつけたトーチカが簡単に破壊されるのを見て、歩兵達は喝采を叫んだが、中隊長ともなると冷静だった。
攻撃開始からイギリス軍の反撃が全くないのだ。
これは明らかにおかしい。
中隊長は小隊長の車体後部に設置された車内通話機の受話器をとる。この手の装備は歩兵支援を第一義とする突撃砲独特の装備だった。
「砲撃中止!砲撃中止!」
中隊長は受話器に向かって怒鳴る。
戦場音楽に負けない程度に大声を出さないと通話機があっても話が通じない。突撃砲のエンジン音だけで耳がどうにかなるほどの騒音なのだ。
突撃砲が砲撃を中止すると歩兵が慎重にトーチカを一つ一つを探索した。
その際にもイギリス軍の反撃はなかったし、最後のトーチカの探索が終わるまで誰も発砲しなかった。
「逃げられたな」
砲兵少尉はキューポラに背を預け、うっそりとつぶやいた。
自分の小隊に損害がなかっただけに彼は冷静だった。安堵していると言ってさえいい。しかし、気のないところを歩兵中尉に見せると気分を悪くされると思ったので、見た目は緊張感を滴らせていた。
空気を読めるところが彼のいいところだった。
「どうしますか、少尉殿」
少尉ほど空気の読めない通信手は、緊張から解放された明るい声で言った。
「どうもこうもない。追撃する」
砲兵少尉は渋い声で答える。
しかし、それが不可能であることは火を見るより明らかだった。
イギリス軍は撤退する際に追撃を遅延させるためにあらゆるトラップを仕掛けているだろうし、街道にある橋はとっくの昔の爆破されているだろう。
今日もまた、イギリス軍は土地を一つ失い、日本軍は時間を失う。お定まりのパターンだった。
「だが、手がないってわけじゃない」
砲兵少尉は、通信手に無線を後方につなげるように命じた。
空軍に航空攻撃を要請するのだ。
鋼鉄のガルーダが、楕円翼を怒らせて急降下する。
九九式軽爆撃機は高度3,000mにて目標を捕捉。背面飛行からダイブブレーキを使い速度を制御しつつ、高度1,000mまで降下する。精密照準はこの高度から行う。投弾高度は概ね400m程度だった。降下角度は60度。
黒間はそれを上空援護していた。軽爆隊の突撃を見守る。そして、半ば呆れ、半ば尊敬していた。
急降下爆撃がこういうものであることは黒間も承知していたが、何度見ても頭がおかしいのではないかと思えてくる。
九九式軽爆撃機の降下速度は時速300~400kmだ。
つまり1分間に軽爆は5~6km移動していることになる。400m移動するのに要する時間は15秒足らずだ。
少しでも引き起こしに遅滞、遅延が生じれば爆弾を抱いたまま地上に激突する。
戦闘機パイロットでは考えもよらない無茶な戦技であった。
意外なことかもしれないが、戦闘機はあのような無茶な急降下や引き起こしは滅多にしない。特に急降下からの引き起こしは速度を大幅に失うので下策である。そして、機体が保たない。
また、1機の軽爆が急降下に入った。石ころのように地上に向かって落ちて行く。
プロペラ回転圏を避けるためにスウィングアームが作動。250kg爆弾を虚空に放り出す。
急降下爆撃は、精密誘導兵器が登場する以前に正確な爆撃を行うためのテクニックである。
発明したのはアメリカ海軍航空隊で、そこからインスピレーションを得たドイツ空軍が初めて実戦で大規模に運用し、1940年春の西方戦役で大戦果を収めた。
ドイツ空軍の急降下爆撃機ユンカース87は、前線部隊に直協し、急降下爆撃による精密攻撃で前進するドイツ軍装甲師団に火力支援を与えた。これがドイツ軍の勝因の一つになった。
ドイツ軍がアンデルヌの森を突破した時、連合国軍首脳部はそれがまだ対処可能な攻撃であると考えていた。何故ならば、さらなる進撃には砲兵の展開が必要不可欠だからだ。砲兵の展開までに防衛準備を整えれば、ドイツ軍の攻勢は頓挫するはずである。そして、砲兵の展開には時間がかかる。猶予時間はまだ随分と残っているはずだった。
しかし、連合国軍の予想に反して、ドイツ軍は航空支援だけで前進を継続。結果、連合国軍はドイツ軍の展開速度に追随できず、パニックから組織崩壊を起こして自滅した。
これに触発された帝国空軍が、マレー半島に投入したのが九九式軽爆撃機だった。
元は帝国海軍が陸上基地に配備しようとしていた陸上爆撃機だ。その前身はドイツ空軍で急降下爆撃機の開発コンペに敗れたHe118である。
ドイツ空軍のコンペに敗れたHe118だったが、輸出先の日本では引き込み脚や爆弾倉の採用等、設計の先進性が高く評価され、制式採用を射止めていた。
ただし、東亜重工でライセンス生産される際に、設計に幾つかの修正を受けていた。急降下爆撃時の運動性不足を解消するため、ダイブブレーキ兼用フラップをSBDドーントレスを参考に穴空け式フラップに改めていた。また、エンジンをダイムラーベンツBD600C12気筒液冷850馬力から、川崎のハ9Ⅲ乙12気筒液冷1,000馬力に換装している。
もっとも、エンジン換装で得た余剰馬力の大半は、防弾装備の追加に充てているので速度の向上は思ったほどではなかった。
即ち、戦闘機の護衛なくしてはまともに運用できない。
「おーおー、当たった。当たった」
黒間は零式戦を背面飛行させ、軽爆部隊の爆撃を見ていた。
上空から見ていると着弾地点一瞬だけ半球状の閃光と衝撃波が現れるのが肉眼で見て取れる。逃げるイギリス軍の車列が吹き飛び、街道からボンネットトラックが転げ落ちるのが分かった。
今日は風が強い。爆煙がなびき、破壊の跡がすぐに顕になった。
250kg爆弾はトラック縦列の中央で連続して着弾していた。爆撃跡が放射状に伸び、そこから20~30mの間にトラックや装甲車、或いは正体不明の物体に成り果てた炭化水素とタンパク質の化合物が転がっていた。
なぎ倒された木々を炎が舐め、濃緑色の大地に赤い華を添える。
まるで木の葉のようだ。黒間はそう思った。
マレー半島の濃緑色の大地走る街道は葉脈のように見える。そして、そこを通ってイギリス軍は南へ敗走していた。
前世よりも1年ほど早く戦争は始まったが、マレー作戦は概ね史実と似たような経過を辿っていた。
コタバル・シンゴラへの奇襲上陸から始まり、孔明の罠ではないかと勘ぐりたくなるほどの逃げ腰なイギリス軍の背中に銃弾の雨を浴びせながら、マレー半島を縦断する電撃戦である。
帝国空軍はその先駆けとして、敗走するイギリス軍の車列を連日爆撃していた。
イギリス空軍の反撃は殆ど無い。
黒間も開戦からこの方、イギリス戦闘機をほとんど見ていなかった。水雷艇の仇討ち合戦の時、一度見たきりだ。
どうやらイギリス軍はマトモな反撃を諦めているらしい。本土を失って戦力の回復も儘ならないのでは戦力温存策も仕方がないのだろう。
だが、爆撃でなぎ倒される兵士たちにとってはたまったものではないはずだ。
立ち上る黒煙を見下ろし、あの場所に立たされたはないなと黒間は思った。
前世では何度か立たされたことがある。
だから、地上で彼らが感じたものがリアルに想像することができた。
まったく、生きた心地がしない。
「卯月1より、火星1へ。集マレ。集マレ。これより帰投する」
最近になって使用を制式化された無線符牒を使って、軽爆隊を呼び出す。
この場合、卯月1が黒間機を現し、火星が軽爆隊の編隊長機を意味した。無線符牒は、概ね上から指示で割り振られる。必ずしも意味がある言葉ではないこともある。ただし、あまり意味不明だったり日本語でない言葉は指定されない。
低空から上昇してくる軽爆と編隊を組み、戦爆連合をつくって進路を北に向ける。
コタバル飛行場まで往復で1時間。
まだ日は昇ったばかりだ。日暮れまで休憩を挟みつつ可能な限り反復攻撃する。
長い一日になりそうだった。
日が落ちると急降下爆撃機は飛ばなくなる。
精密攻撃が信条の急降下爆撃機は目視の光学照準ができなくなる夜間に飛ぶことはない。
ヘトヘトになった黒間は夕食を済ますとそそくさと寝台に入り、さっさと寝付いた。
黒間にはどこでも眠れるという便利な特技はなかったが、日中の疲労が速やかに黒間の意識に麻酔をかけて眠りへと誘った。
嫌な夢を見た。
何者かに追われる夢だ。ここではないどこかの町中だった。どのような訳か不明だが、黒間は誰かに追われていて、街辻をこそこそと逃げまわり、時には民家に押し入って追跡をかわし、時には便所に隠れたりして、必死に逃げ惑っている。
一体何から逃げているのか分からないのが不気味だった。ただ、ひたすら何かから逃げ惑っている。
これは夢だと思っても目が覚めない。
試しに思い切り自分の顔を殴ってみると痛くない。夢だ。だが、覚めそうで覚めない。
つまり、悪夢だった。かなり性質の悪いタイプの。
黒間は夢を見ている時、これを夢だと自覚することがしばしばあった。
しかし、夢の中で自由に振る舞うことは殆どできなかった。もしもそんなことができる方法があるのなら、100万円までなら出してもいいとさえ思う。
だが、所詮夢は夢にすぎない。睡眠中に脳が見せる幻だ。いつかは覚める。
覚醒は一瞬だった。
寝台から飛び起きた黒間は決して広くない兵営の緊張した空気を感じとった。
しかし、混乱はしていない。
皆、既に実戦の洗礼をくぐり抜けた戦闘機パイロット達だ。落ち着いたものである。
警報が鳴っていた。空襲警報だ。
「退避しよう。荷物は置いておけ」
蚊帳をたくし上げ、外に出た黒間は暗闇の中を歩いた。走ったりはしない。走らなくても防空壕はすぐそこにある。
空を見ると月が出ていた。満月に近い月だ。海辺の基地だから、風が爽やかだった。なんとなく、変に今の情景には不似合いである。
防空壕は土を盛って、中を繰り抜いて作られた簡素な土饅頭だ。
爆弾や弾薬の梱包箱の板材と丸太で補強された壕内は、一坪ほどの広さだ。入り口はコの字型に曲がっている。高速で飛散する爆弾の破片が中に飛び込まなようにするための工夫だ。
「点呼をとるぞ」
簡単に点呼をとり、全員が退避したことが確認された。
これでひとまず安心だった。とりあえずは。
壕内の空気は重い。この急造品の防空壕は、爆撃に耐えることができなかった。至近弾でも危うい。衝撃波で壕が崩れた場合、生き埋めになる恐れがあった。
それでも壕に退避するのは、対空砲の破片避けには効果があるからだ。
基地は、88mm高射砲と40mm高射機関砲に守られている。これらの発射する砲弾の破片が空からライフル弾並の速度で降ってくるのだ。直撃すれば即死である。
88mm高射砲は、ドイツ製のFLAK18がライセンス生産されたもので、制式には九八式8糎野戦高射砲といった。ノモンハンでは対戦車戦闘にも活躍した傑作砲である。日本独自の改良が施されていて、オリジナルのFLAK18とは全く別者とされていた。
40mm高射機関砲は、スウェーデンのボフォース社製の傑作対空機関砲で、制式化は88mm高射砲と同じ年だった。こちらも制式化後に日本独自の改良が施されている。
この場合、日本独自の改良とは射撃速度の改善や砲弾の破壊力の向上を意味するものではなく射撃管制装置の追加を意味していた。
即ち、日本が全世界で唯一国のみ量産化に成功しているトランジスタを使用した電子式高射算定具と同じくトランジスタ式の検波、論理回路、岡部式水冷分割陽極型マグネトロン及びパラボナアンテナから構成されるマイクロ波(UHF帯)レーダーを組み合わせた射撃管制システムへの適合である。
この場合、マイクロ波レーダーによる精密な測距と電算機による射撃諸元の高速計算。そして、計算結果を電気的に出力し、各砲座はそれに従って射撃を行う。実際、各砲座の操作要員がすることは射撃管制装置の指示どおりに仰角と方位を合わせ、指揮官の撃てという合図で引き金を引くことだけだった。大戦後半になるとそれすら機械が自動的に行うようになり、人間がやることは弾の補充と引き金を引くことだけになる。
40mm高射機関砲の場合、砲側の光学照準で対空射撃を行ったとき1機撃墜に要する砲弾の数は平均して5,000発だった。これがレーダー射撃管制装置を用いると僅か150発で1機撃墜可能となる。
これは対空戦闘の革命だった。
実際、射撃実験を行った帝国陸軍の担当将校は結果を信じることができず、不正があると考えて3回も試験をやり直したとされる。
射撃管制装置の製造元は東亜重工の電気通信部門で、同じ構成のシステムを下は20mm級の軽高射機関砲から上は100mm高射砲(長10サンチ)まで製造し、日本軍に供給していた。
高射機関砲は通常4門で1個中隊として運用される。1基の射撃管制装置で4つの砲座を統制可能だった。40mm高射機関砲の射撃速度は毎分およそ120発なので、4門同時攻撃の場合は15秒足らずで1機撃墜できる計算である。およそ1分で1個小隊が全滅する数値だ。
なお、同じ40mm高射機関砲を採用していたアメリカ軍は、光学照準の機械式射撃管制装置を用いて大戦末期に900発で1機撃墜可能となるまで射撃精度を高めたが、大戦中に日本軍と同じ地平に到達することができなかったとされる。
88mm高射砲も同様の射撃管制装置を装備していたが、1940年時点では40mm高射機関砲ほどの精度はまだ出ていなかった。高射砲がこれと同じ精度を発揮するには、近接信管が導入される1942年まで待たなくてはならない。
夜間爆撃に出動したブリストル ブレニムMkⅣは自分が連合国軍の航空攻撃を絶望的な水準までに追い込む凶悪な対空攻撃システムに狙われていることに気付いていなかった。
もちろん、黒間もそんなことは知らない。
不安に揺れる心を抑えこみ、平気な顔を装ってタバコをふかしていた。小隊長にもなるとこういう腹芸ができないといけなくなる。
照明は電灯ではなくサイダーの瓶を利用してつくったお手製のカンテラだった。
ゆらゆらと揺れる炎が防空壕に詰めた人間の横顔を照らしている。
皆起きていると思ったが、寝ている者もいた。中隊長の篠原だ。
なんて人だ。黒間は少し呆れる。
それから暫く何も起きないまま時間が過ぎていった。
真空のような静けさだ。皆、息を潜めている。
焦れてきた。しかし、できることは何もない。
「第2見張所。15度。60キロ近づく!」
入り口付近に設置された野戦電話を片手に電信兵が叫んだ。
喉に絡みつくような空気が、さらに粘度を増すようだ。
どうやら敵は海側から来るらしい。
正しい判断だ。黒間はそう思った。
コタバル飛行場はシャム湾に面した海沿の飛行場だ。コタバルに上陸した陸軍部隊が苦労して確保した飛行場で、海から近いので荷揚げに便利だった。
よって、海側から侵入すると対空砲火に撃たれる時間を極限できる。海の上に対空砲は設置できないからだ。
一応、駆潜艇の類が警戒しているのだが、海側から侵入されると発見が遅くなる。
「そういえば、そうだった」
「どうしたんだ?」
相棒の斎田が眠そうに目を擦って言った。
「いや、大したことじゃないんだが」
黒間は慌てて取り繕うように頭を振る。
同時に右手の二の腕を見た。日に焼けた赤銅色の素肌だ。それ以上でも、それ以下でもない。しかし、何故かシカシカと痛むような気がした。
幻痛だ。
黒間は傷ひとつない素肌を揉んだ。
前世にはここに一つ大きな傷跡があった。前世の緒戦のできごとだ。マレー半島のコタバル飛行場に前進してすぐにイギリス軍の夜間爆撃があった。
軽爆撃機が夜間に警戒の薄くなる海側から侵入してきたのだ。
警報が鳴ったのは爆撃が終わってからで、炸裂した爆弾の破片が黒間の二の腕を掠めた。一二針も縫う羽目になったはずだ。
見張りは何をしたいたのかと怒り狂った覚えがある。
しかし、夜間爆撃には目視での見張りでは限界があったし、トランペットの化け物のような対空聴音機もあまり役に立たなかった。
「電探でもあるのかな?」
「練炭?おい、こんなところで七輪なんか炊いたら、みんな一酸化炭素中毒であの世行きだぜ?」
斎田が余計なことを言った。
「練炭じゃない。電探だ。レーダーのことだ」
「レーダー?なんだそれ?」
黒間も上手く説明できる自信がなかった。
電波を使って敵を探す機械ということぐらいしか知らない。詳しい原理など分かるわけもない。
黒間は知らないことだったが、基地から離れた丘の上には八木アンテナを数十も並べた簪の化け物のような早期警戒レーダーが設置され、四方八方に電波を放っていた。
この時期の日本軍の使用する早期警戒レーダーは概ね200km程度の探知距離を発揮した。実用的な探知距離は更に短くなるが、これは他国のレーダーも同様である。
探知距離200kmというのは驚異的な遠距離に聞こえるが、接近中のブレニムMkⅣが最高速力を発揮すると30分程度の飛び去ってしまう距離でしかない。
この頃から運動性の高い双発爆撃機は高高度から侵入して、緩降下によって時速600km近くまで加速して爆撃する緩降下爆撃が常識的になる。よって、レーダーによる探知から爆撃開始まで時間的猶予は概ね20分程度だった。
防空壕に避難してタバコ吸う時間ぐらいはある。
黒間はタバコに火を点け、美味そうに吸った。
しかし、要撃戦闘をするのは如何にも少ない。
スクランブル待機中の戦闘機が離陸するまでに5分。零式戦の場合は高度5,000mまで上昇するのにさらに5、6分かかる。編隊をつくって占位運動にさらに10分程度を要するので、高速爆撃機を阻止するのは極めて困難だった。加えて戦闘効率も甚だしく悪い。
史実において、ドイツ空軍が実用化したロケット戦闘機Me163は計画段階から様々な欠陥を指摘されていたにも関わらず配備が強行されたのは、その驚異的な上昇性能が要撃戦闘の効率化に資すると判断されたためである。
決して、伍長の趣味ではない。
各国の空軍関係者はこの問題を熟知しており、概ね早期警戒レーダーの前進配備で対処時間を伸ばす方向で解決を図っていた。
大陸国のドイツなどがそれに当て嵌まる。
問題は日本のような島国で、しかも大都市が沿岸部にあるような国だった。海の上にレーダーサイトを作るわけにもいかない。艦船を前方配置するという手もあるが効率は悪い。レーダーの探知距離は概ね発信源の高度に比例するからだ。レーダーサイトが概ね山岳部や丘陵地帯であるのはそのためである。
高いところに登れば、遠くまで見渡せる。これは光波であろうと電波であろうと変りない。地球は丸いのだ。水平線までの距離は高度に比例する。
ならば、いっそレーダーサイトを空中に浮かべてしまえばいいのではないかという発想が出てくる。しかし、それはまだ形にはなっていなかった。
さらに強引な解決方法として、超高出力の短波を高空の電離層にぶつけて反射波を得ることで水平線以遠の目標を探知する技術の開発も行われていた。これもまだ形にはなっていない。
少なくとも日本以外では。
「第2見張所。15度。20キロ、さらに近づく!」
電信兵の悲鳴が聞こえたので、黒間はタバコの火を消した。
いよいよ近い。壕の中で一層、皆が息をひそめる。
やがて、降り注ぐような爆音が聞こえてきた。対空砲の射撃音だ。爆音は2種類ある。砲声と爆ぜる砲弾の爆発音だ。
何もすることがないので、黒間はじっと壕の壁を見ていた。
よく見ると壁にヤモリが張り付いていた。緑色のヤモリだ。ひょっとするとヤモリではないのかもしれない。ヤモリは漢字で家守と書く。
この壕は大丈夫だろう。全く根拠はないけれど、黒間はそう思った。
やがて、腹に響く地動がした。
天井から土がハラハラと落ちてくる。生きた心地がしない。
「落ちたな」
パイロット特有の勘で、敵機が撃墜されたのが分かった。
「ああ、落ちたな。近いのかな?」
黒間と斎田は恐る恐る壕から出た。
夜天を赤々と炎が染めてた。ガソリン火災独特の赤黒い炎だ。
「なぁ、見に行ってみないか?なんか戦利品があるかもしれないぜ」
「やめとけ」
黒間は眉を潜めて答えた。
墜落した機が抱えている不発弾が爆発したらどうするのか。
「大丈夫さ。怖いのか?」
「分かった。行けばいいんだろう」
怖いのかと問われて、怖いと答える戦闘機パイロットはあまりいない。
度胸、怖いもの知らずは戦闘機パイロットのステイタスだからだ。
黒間はどちらかと言えば慎重なタイプで、冷静さこそ戦場での生きる術と考えている男だったが、臆病と思われたいわけではない。
墜落地点は思ったほど遠くなかった。
灯火を落とした真っ暗闇の中を歩いて行くと徐々に墜落した飛行機の輪郭が見えてくる。
輪郭といっても粉々になった残骸だった。
どうやら墜落した時に抱えていた爆弾が爆発したのか、敵機は木っ端微塵になったらしい。炎上地点はまだ随分先だというのに、地面のあちこちに敵機の破片が転がっている。
黒間は前世の戦後に史上最悪とされた航空機事故を思いだす。
群馬県山中に墜落したジャンボジェット機もこんな有様だった。
黒間は破片を一つ拾ってみた。まだ熱い。強力な力で引きちぎられたようだった。破片をライターの火にかざしてみた。アルファベットで何かが書かれている。意味は不明だった。
そこら中に似たような残骸が落ちている。
これは片付けが大変だ。黒間はそう思った。
同時に何とも力のない風景だと感じた。無力さが投げやりなままに放り出された
「おい、こっちを見てみろよ。イギリス軍の軍帽だぜ」
斎田が道端に落ちているつば付きの軍帽を拾おうとしていた。
黒間は何故かとても嫌な予感を覚えた。
「待て!拾うな!」
黒間が声を上げる間もなく、斎田が軍帽を拾い上げていた。
そして、悲鳴を上げて飛び退いた。
布製と帽子とは思えないほど重々しい動作で軍帽が落下し、湿った音を立てる。
両手を真っ赤に染めた斎田が目を丸くして慄いていた。
「クロ、俺、今」
「言わんでいい!」
黒間は内側を見ないようにして軍帽を拾い上げ、暗がりの中に放り込んだ。
軍帽の重さはしばらく忘れられそうにない。
「もう帰ろう」
「ああ、そうだな」
やはり来るべきではなかった。黒間はそう思った。
基地に引き返すために踵を返した時、黒間は自分が何かを踏みつけにしていることに気づく。
一瞬、黒間は冷え冷えとしたものを首筋に覚えたが、それが直ぐに紙切れであることが分かった。より正確には写真だ。
「どうしたんだ?」
「写真だ。若い女だな」
黒間は拾い上げた写真を斎田に見せた。
「美人だな。ハルビンの飾り窓を思い出すぜ。白人の女ってのは、肌がいまいちなんだが・・・」
「やめろ。聞きたくもない」
友人の猥談ほど反応に困るものはない。
「その写真、ひょっとしてあの帽子の持ち主のツレなんじゃないか」
「かもしれないな」
写真の中でブロンドの女が何も知らないまま微笑んでいた。
背景は屋外で、ひょっとすると自宅の庭かもしれない。モノクロ写真だが、陰影は柔らかい。季節は春かもしれなかった。
黒間はその写真を懐に収めた。
もしも機会があるのなら、この写真の君に彼が死んだことを伝えてやろうと思ったのだ。
その日が何時来るかは全く想像もつかなかったけれど。