帰郷2
翌日、目が覚めたときには、既に日は高く昇っていた。
起床ラッパの鳴らない朝だった。
黒間は自分が下士官室の固い寝台ではなく、座敷のふとんの中にいることに気がつく。
そのまま暫し、天井を見上げる。シミだらけの天井。古ぼけた白熱電灯の電球。視線を真横へ向ける。庭で母が出来上がったうどんを天日干しているのが見えた。
青空、白んだ夏の日差し、風鈴の音、入道雲、日に焼けたすだれ、既にしおれた朝顔。汗だくになって働く母の後ろ姿。
黒間は、この瞬間を決して忘れるまいと思った。
「あら、起きたの」
「おはよう。お母さん」
黒間が布団から這い出すと母がこちらに気付いた。
「朝ごはん食べちゃいなさい」
「うん。みんなは?」
「もうとっくの昔に済ませてるに決まってるじゃない」
それなら起こしてくれればいいのに。
しかし、二度寝させてくれたのは母の思いやりであることは直ぐにわかった。
軍隊では決して許されない贅沢だった。
「今日はいい天気ね。散歩でもしてきたら?」
「いいよ。別に。それよりも何か手伝うことはない?」
「いいから、いいから」
母は黒間の手から出来立てのうどんを取り上げた。
笑う母を見てるとまた泣いてしまいそうだったので、黒間はさっさと朝食を済ませることにした。
朝食は麦飯と味噌汁だった。それに生卵が一つ。
朝食に生卵がでるなど、信じがたい贅沢であった。これが黒間のために特別に用意されたものであることは容易に想像がついた。
お櫃から、既に冷えてしまっている麦飯をよそって、生卵を茶碗に落とした。
醤油を垂らせば、卵かけご飯の出来上がりである。
暑くて食欲がないときにはこれが一番である。
ちなみに軍隊では、卵かけご飯は絶対にでない。衛生管理に問題があるからだ。食中毒で部隊が全滅したりしないように、あらゆる食材は加熱調理される。
魚介類や肉、生野菜も同様である。煮物、焼き物、蒸し物はあるが、生物は決してでない。暑くても、寒くても、熱々のものを食べるのが軍隊というところだった。
部隊が常夏の南方にいくことを思うと、黒間はウンザリする。
そして、そういうことならどうしても買い揃えておくべきものがあることに気が付いた。
黒間はそそくさと朝食を片付ける。
「お母さん。ちょっと行ってくるよ」
普段着に着替え、作業場に顔を出すと父と母、兄と姉が小麦粉と格闘していた。
「お昼は?」
「外で食べるよ。夕方までには戻る」
「早く帰って来なさいよ。今夜は、すき焼きだからね」
黒間は母の言葉に目を見開いた。
黒間にとってすき焼きというのは、年に1回だけ正月に食べるものであった。
そんなことをして、我が家の家計は大丈夫なのだろうかと黒間は心配になったが、そんな心配は無意味であること気づく。
家族が揃って食事ができるのは、ひょっとすると今晩が最後になるかもしれないのだ。
それが分かっているから、母はすき焼きを炊くのだ。
「・・・なるだけ、早く帰るよ」
「気をつけていってらっしゃい」
黒間はやっとそれだけ言葉を絞り出し母に見送られ駅前に出た。
探しものは幾つかあった。特に重要なのはふりかけであった。黒間の好みは紫蘇ふりかけであった。南方に行くならおかかふりかけよりも断然、紫蘇ふりかけである。ふりかけが素晴らしいのは嵩張らないことである。それでいてしっかりと日本を感じさせる味がする。
前世でも、食欲がないときに乾燥味噌や乾燥醤油を粉にしてご飯にふりかけて食べたものである。その時に、酸味の効いた紫蘇ふりかけがあったらどんなにいいだろうかと夢想したものだった。
ちなみに戦前の食卓にもふりかけは存在したが、ふりかけという名称が浸透したのは戦後のことである。この頃は「ふりかけ」ではなく「ご飯の友」というのが一般的だった。
意外なことかもしれないが、ふりかけの食品としての歴史は浅く、今日的なふりかけが誕生したのは大正時代である。
ふりかけは駅前の乾物屋で直ぐに手に入る。
だが、カメラ屋は駅前になかった。
黒間はカメラが欲しかった。それも戦地に持っていける頑丈な奴を。
記録を残すべきだと思ったのだ。前世の戦いでも、カメラが欲しいと思うことが何度かあった。
浮ついた物見遊山のような気分で言っているのではない。黒間の精神はそういうところから遥か遠いところにある。
戦争は悲惨だ。
だからこそ、後の世にそれを伝えていかなければならない。そのために人間にはカメラという魔法を手に入れた。カメラはファインダーに時間を切り取る。プラスチック製のフィルムは、100年先に、その時起きた出来事を伝えてくれる。まさに魔法である。
問題は金がないことである。
銀行に寄って、貯めた金を全て引き下ろしたが、それでも50円しかない。ふりかけの値段はたかが知れてるが、カメラはそうもいかない。他に幾つか揃えておきたいものもある。
小銭もその一つである。
「すいませんが、これを5銭玉に両替してください。全部、新品でお願いします」
黒間は行員に5円札を渡して言った。
「千人針ですか?」
「いや、チップに」
若い女性行員は小首を傾げた。
きっと意味が分からなかったのだろう。しかし、両替は笑顔で請け負ってくれた。よく躾の行き届いた行員である。
この時代に新品の5銭玉を大量に両替するなら用途は大抵の場合、千人針だった。
死線(4銭)を越えるという意味である。ある種の言葉遊びのような趣があるが、込められた願いは切実だ。同じような用途で10銭玉をよく使われた。苦戦(9銭)を越えるという意味である。
だが、黒間が欲していたのはチップとしての五銭玉だった。
南方の現地人に配るために使う。あちらは欧州列強の植民地である。チップの文化が根付いて、何か物を頼むときにはチップが必須である。チップを出さないと喧嘩になったり、途端に愛想が悪くなる。
そんな時に重宝するのが5銭玉だった。あちらでは真ん中に穴が空いている硬貨は珍しく、新品の5銭玉は美しい黄銅色を放つのでハッタリが効く。
前世の経験から学んだテクニックだ。
これで残り45円。
黒間はカメラが買えるのか不安になってきた。
そこで黒間は思い出したかように笑う。
45円の使い道でこんなに頭を悩ませる日が来るとは思わなかったのだ。平成の世なら、缶コーヒー一つも買えやしない。
しかし、昭和の世なら45円あれば家族が5人、6人いても1ヶ月は暮らしていける。
恐ろしい話だと思った。
まるで別の国みたいじゃないか。
「いや、アレは別の国か」
銀行を後にした黒間は、街辻のあちこちに翻る日の丸を見て、そう独り言ちた。
日本人が国旗を掲げることを憚るようになったのはいつからだろうか。戦後も暫くは祝日になると普通にどこの家庭でも国旗は掲揚されていた。
ある時から、日本人はそれを憚るようになった。黒間自身もそれをしなくなった。
それが何時からか、何故なのか思い起こそうとしているうちに、市電がやってきた。
名古屋市電だ。
市電=路面電車とは限らないが、名古屋市電=路面電車だった。
地下鉄路線とバス路線の拡充で廃止される1974年まで名古屋市民の足として活躍した歴史と伝統溢れる路面電車である。
黒間も小さいころから何度も世話になってきた。もう一度市電に乗れるかと思うと感慨深いものがある。
大曽根から、カメラ屋がある今池までは市電が通っていた。
各駅停車しながらゆっくりと走る市電の車窓は、記憶の中にある名古屋そのままだ。
しかし、何となく道行く車の数が多い気がした。気のせいかと思ったが、時折渋滞に巻き込まれて市電が止まることがあったので気のせいではない。
大型のボンネットトラックや満州で乗った軽トラックも多かったが、どのように見てもスバル360としか思えない丸っこいボディの小型車が沢山走っていた。
スバル360が生まれたのは戦後のはずである。
黒間が最初に買った自家用車もスバル360だった。だから、見間違えるわけがない。
何故、スバル360が昭和15年の名古屋の街をこんなにも沢山走っているのか。
それは当然、誰かがそれを作っているからに決まっている。
スバル360のバンパーには、東亜重工の風変わりなロゴマークがあった。トランジスタ・ラジオを作ったり、戦闘機用のエンジンを開発したり、手広く商売をしている日本有数のコングロマリットだ。
この会社は一体何なのか?
疑問に思った黒間は探りを入れてみたことがある。あくまで仕事の片手間にできる程度だ。分かったことはあまり多くなかった。
東亜重工は極端に秘密主義な組織で、商品の広告は大々的に打っていたが会社そのものの露出は不可思議なほど少ない。会社そのもの紹介するパンフレットの類もなかった。ハルビンにある東亜自動車(東亜重工の子会社)のショールームに行って、会社そのものについてアレコレ質問してみたが、店員も自分の会社がいつ、どのように始まったのかは知らなかった。
自分の勤め先の詳しい来歴など知らなくても今日、今必要な仕事はできる。しかし、大抵の大企業はその創業の苦労や成功を讃えて止まないものだし、社員も触りぐらいは知っていそうなものだった。
戦後にバイクメーカーから日本第2位の自動車メーカーに発展した某企業などは、その創業者の仕事ぶりが神話化されているぐらいだ。
そう考えると創業者や会社の来歴について音沙汰がないのは奇妙なことである。
意図的に情報を統制していると考えるのが自然だった。
しかし、日本の国家予算の10年分の資産を持つと揶揄される巨大企業のトップの名前を隠し通すことなどできるわけもない。
「山本五十六」
黒間は声に出して見て、その言葉のもつ意味を改めて反芻した。
会ってみたいとは思わない。
しかし、彼が今どこで、何を考えているのかは知りたいと思った。
今池には老舗のカメラ屋があった。
創業は明治37年、1904年である。日露戦争開戦の年にあたる。
昭和15年現在でも既に歴史ある名舗であるが、黒間が記憶している限りでは21世紀になっても暖簾を守っていたはずである。
つまり創業100年。カメラの小売店としては最長不倒であろう。
そうした店が立つ今池は、名古屋でも古くからある繁華街一つである。昭和15年現在でもそうだった。21世紀になっても変わらない。
平日の昼間でも、人通りはそれなりにあった。
市電が降りると左右に立ち並ぶ芝居小屋や映画館から出てくる人の波にぶつかる。
大曽根には駅前に一つしかない映画館も、今池には四つも、五つもあった。飲食店も多く、胃袋を刺激する匂いが立ち込めている。
冷房が効いたカフェーやミルクホールも多かった。そういう店は大抵は満席で、若いカップルが二人だけの世界を作っていた。
野暮ったい格好の空軍パイロットには無縁の世界である。
一瞬だけ、末永く爆発しろと呪いの言葉を吐きそうになる。しかし、黒間は寸前のところで思いとどまった。
彼らの幸福を邪魔する権利など、誰がもっているのだろう?
幸せな彼らが眩しかった。
今まさに戦争の坂道を転げ落ちようとしている国家の日常風景とはとても思えない。目の前に戦争という断崖絶壁が転がっていることを知っているのは黒間だけだった。
果たして、何人の恋人たちが、あの戦争を生き残ることができるのだろうか。
時が止まって欲しい。黒間はそう思った。
この一瞬が永遠になってしまえばいい。
そうすれば、戦争が恋人たちを引き裂くこともなくなる。
この幸せな空間に爆弾が落ちてくることもない。
黒間がそこまで考えたところで、正午を告げるサイレンが鳴った。
「分かっているさ、そんなことできないってことぐらい。そう急かすなよ」
黒間は踵を返し、カメラ店に入った。
カメラ店はこの時代の店としては広く、ガラス製の陳列棚にはところ狭しとカメラが並んでいた。
日本製のカメラもあったが、目に付くのは宝石のように飾られた舶来品の数々だ。
アメリカはコダック、アーガス、グラフレックス。ドイツはライカ、コンタックス、レチナ、ローライ、イハゲー、フォクトレンダー、リンホフ。数はドイツ製とアメリカ製が半々といったところだ。
しかし、値段は半々どころではない。
特にライカは冗談のような値がついていた。家が買える。
「いらっしゃいませ。今日は何をお探しですか?」
品の良い感じの老店主が黒間に声をかけた。
カメラの知識など全くない黒間にとって、これは好都合だった。
「カメラを探しています。頑丈な奴を」
「頑丈な奴、ですか」
一瞬だけ、老店主は探るような視線を黒間に向けた。
それも直ぐに柔和な笑みの中に消える。
「はい。戦場に持っていっても滅多に壊れないカメラはありませんか?」
「貴方は従軍記者なのですか?」
黒間は頭を振った。
本当のことを言うべきか一瞬迷う。
「私は空軍の戦闘機パイロットです。最後の休暇をとるために日本に帰国しました。部隊に戻ったらおそらく、南方に派遣されます。その後のことは、正直どうなるか分かりません。私はこれから起こる様々な出来事をできるだけ後世に多く伝えるためにカメラが欲しいと思っています」
精一杯の誠意を込めて黒間は言った。
老店主は接客用の笑みを消して黒間の話に耳を傾けた。
そして、言った。
「なるほど、分かりました。それなら持っていくカメラは外国製のものがいいでしょう。海外では、国産品は部品が手に入らないので修理が難しいでしょうから」
老店主はカメラの一つを手にとった。
「戦場に持っていくというのなら、やはりこれが最適解だと思います」
果たせるかな、そのカメラはドイツ製のライカⅢだった。
クローム仕上げの軍艦部が眩しい手の中に収まる土地付き一戸建て住宅である。
「ご冗談ですよね?」
「いたって、私は真剣ですよ」
老店主は楽しそうに笑った。
「このカメラこそは、戦場の錆に耐える貴方の戦ま友、カメラの中のカメラと言えるでしょう。戦禍の泥に耐え、高温多湿に挫けず、厳寒厳冬を越えて、最後まで貴方に付き従うことでしょう」
「予算は40円まででお願いします」
「40円ですか・・・」
老店主は少し呆れたらしい。
「安かろうと悪かろうという言葉をご存知ですか?」
「知っていますが、これでも私の一ヶ月分の給料と同じなんですよ」
「兵隊さんの給料ってそんなに安いんですか?」
老店主は少しだけ意外そうな顔をした。
この頃そこそこ裕福なサラリーマンの給与が月収100円ぐらいである。
パイロットは飛行手当がでるので、これでもまだ多く貰っているほうだった。下士官より下の兵隊になると俸給は悲惨極まり、笑いを誘うほどだ。兵役は義務だから、給料が出るだけでもありがたく思わなくてならない。
ちなみに月収100円貰えるのは大尉以上からだった。
軍隊に何か幻想のようなものを抱いて志願してくる保守的な若者は数知れないが、あまりの俸給の悪さに嫌になって辞めていくことが多かった。
将校ならともかく、下士官はまともな人間がつく仕事とは思われていなかった。月給30~40円とは、そういう人間が貰う給料なのだ。
21世紀の感覚なら、安い派遣か、ちょっと多く貰っているフリーターか、そんなところだ。
それでも志願者が後を絶たないのは、それよりももっともっと貧しい生活をしている人々が山ほどいたからである。
貧困は社会問題だった。青年将校がクーデターを起こすぐらいに。
黒間もそうした貧者の一人だった。
「そういうことなら、いいものがあります」
老店主は一度店の奥に引っ込んで、紙箱を持って戻ってきた。
「それは?」
「フェイクライカです」
老店主が紙箱を開くと中から金メッキが眩しいカメラが出てきた。
「フェイクライカ?」
「ライカの偽物ってことです。戦争でドイツからライカの輸入が止まったせいで、ライカの価格が暴騰しているのですが、これはライカそのものの価値も去ることながら、投機筋の影響も大きいのです」
眉に皺を寄せて老店主は言った。
「おかげで偽物のライカを作って一儲けしようとする人間が現れる始末です。このカメラもそういう不心得者が作った贋作の一つです・・・比べて見てください」
老店主はフェイクライカと本物のライカを並べて置いた。
違いは一目瞭然である。
本物のライカの軍艦部(カメラの上部構造部)は銀色のクロームメッキだが、フェイクライカのメッキは金色である。フェイクライカのレンズキャップにはハーケンクロイツの刻印があったが、本物には付いていない。張り皮の色や質感も全く違う。
しかし、細かい作りはかなり似せたものに仕上がっていた。
下手な偽装を施したせいで、却って偽物らしく見える。これでは本末転倒だ。
「非常に程度の低い偽装です。しかし、一度も本物を見たことがない素人を騙すにはこれで十分だと思ったんでしょうね」
「これを幾らで売るつもりだったんですかね?」
「600円です。顧客の一人が被害に遭いまして、ライカを手に入れたと大喜びで今朝、これを私のところに持って来ました・・・本当のことを言うべきか、とても悩みました」
老店主は寂しい笑みを浮かべ、黒間は顔を背けた。
「詐欺はよくありません。しかし、このカメラはとてもいいものです。こんな陳腐な偽装を施されてしまったせいで、本来の価値が損なっている。これはライカでもないし、もはやFEDでもない。何者でもない無い物になってしまった」
老店主は残念でならないという顔をしていた。
「FED?」
「このフェイクライカは、ソ連製のコピーライカ。FEDをベースに作られたものです」
黒間にはコピーとフェイクの違いが分からなかった。
同じ偽物なのではないか?
それを言うと老店主は笑って頭を振った。
「違います。コピーとフェイクは似て非なるものです。FEDはライカⅡの猿真似ですが、決して自らをライカⅡとは名乗りません。FEDはFEDです。己を偽るようなことはしない」
そういうことなら理解できる。
「まぁ、特許を無視して堂々とコピーを生産するのはどうかと思いますがね」
老店主は苦笑して言った。
黒間も釣られて笑った。
「しかし、これが意外とバカにできないものです。オリジナルのライカⅡよりも実用性、特に耐久性はFEDの方が勝るかもしれません」
「私もそう思います」
黒間はソ連が戦後に作ったアサルトライフルのことを思い出した。
非常識までに頑丈作られたそれは戦車に踏まれた後、泥に埋めて海水で洗ってからでも故障せずに作動するらしい。
「フィルムもライカ判がそのまま使えます。貴方のご予算ならこれがベストでしょう」
「ありがとうございます」
黒間は心の底から老店主に感謝の言葉を述べた。
同時に、この店が21世紀まで続く理由が分かった気がした。
カメラを手に入れると途端に何かを撮ってみたくなる。
幸いに撮りたいものは無数にあった。
黒間にとって、目に映る全てが遠く過ぎ去り、二度と戻ってこない景色だった。これら全てを21世紀まで残しておくことはできない。
それでも、35mmフィルムには残る。
19世紀末に生まれたカメラが20世紀半ばまでに今日的な形に発展、進化したのは偶然ではない。
カメラの進化は必然だ。黒間はそう思った。
移ろいやすい浮世もフォルムには後の世まで変わることなく残る。
思えば、21世紀までに日本製カメラが世界市場を席巻したのはそういう理由があってのことかもしれない。技術的なことは黒間にはわからない。経済政策や、経営戦略の巧緻ももちろん影響しているだろう。しかし、それ以前に無意識的な、形而上の理由があって、人々はカメラを求めたのではないか。
東欧の大国ポーランドは、戦災で破壊され尽くした首都ワルシャワを戦後再建するに当たって、破壊された建築物の罅や落書きの一つ一つまで生存者の証言を集めて修復したらしい。
それはそれで意義のあることだ。
だが、変化のないところに進歩はあるのだろうか?些かならず疑問である。
むしろ進歩に逆行する行為だと黒間は思った。日本人は焼け跡に焼ける前の街を再現するようなことはしなかった。
むしろ日本人は積極的に過去と決別し、新しい街を作った。
歴史や伝統を投げ捨てるところに、戦後の奇跡的な発展があった。
だが、失われていくものを惜しむ気持ちはあったはずだ。それが日本人にカメラを求めさせた。
敗戦から半世紀の間にあまりにも多くの物事が変わってしまった。忘れ去られていく多く物事を後世に残すために、日本人にはカメラが必要だった。
必要なものを作るために、技術が生まれ、進歩した。
こんなことは考えすぎだろうか?
しかし、必要は発明の母という格言もある。
ファインダーに名古屋城の天守閣をおさめた黒間がつらつらとそんなことを考えていた。
加藤清正が組んだ石垣の上に築かれた五層の名古屋城天守閣は国宝に指定された第一級の文化財だ。銅瓦は緑錆を吹き、白い漆喰と相まってとても美しい。
天守の頂上に輝くのは名古屋のシンボルとも言える金の鯱である。
元は陸軍や宮内省が管理していたが、今は名古屋市に管理が移り、公園として整備され一般公開されていた。
これらの殆どが戦災で焼失する。
それを思うと黒間はため息しか出ない。
自分が全知全能を尽くし、死力を振り絞って戦えば、これらを護ることができるのだろうか?
もちろん、無理に決まっている。
前世でもそれは失敗したシナリオだ。力の限りを尽くしても、できないことは存在する。帝国陸海軍は自殺攻撃まで繰り出して戦ったが、それでも勝てなかった。1945年になれば、アメリカは原子爆弾を完成させる。
たった1機でも、アレが本土上空に侵入すれば、全てが終わる。
だが、それでも、人間やってできないことはないと黒間は考えていた。
まだ出来ることは残されている。はずだ。
「帰るか」
今の黒間にできることは、家に帰ってすき焼きを食べることだ。
今晩の夕飯の味を想像するとツバが出てきた。
絶対、ご飯は大盛りで食べよう。
そんなことを考えながら、フラフラと市電の駅まで歩くとすっかり日は傾いていた。
夏の夕暮れは長い。小さい頃は永遠に続くほど長く感じられた。今は、それほどではない。一日はあっと言う間に過ぎ行く。しかし、暑さのせいか、今日はいつまでも日が落ちる気配がなかった。
市電はなかなか来ない。
太陽が地平線まで傾き、街路樹が地平線まで影を伸ばしていくようだった。それを追いかけるように自分の足元から影が伸びる。
黒間はそれをぼんやりと見ていた。
そんな時、同じ市電を待つ人々の列に、見覚えのある顔を認めた。
眼鏡の女が、手で西陽を遮りながら熱心に文庫本を読んでいる。文庫本のタイトルは、夏目漱石の「こころ」だ。
小説の舞台は明治末期。二人の下宿生と一人の女性の話だ。黒間も読んでみたことがある。感想は特にない。一体、何の話なのかよく分からなかった。友人に裏切られ、恋人を盗られたKが自殺するのは理解できないことではない。しかし、先生が死ぬ理由は分からなかった。書評では先生は明治の精神に殉じたとされていたが、それなら、そもそも明治の精神とはなんぞやと問うところから始めなければならない。
いや、そもそも、Kも先生も自殺するほどの止むに止まれぬ理由があったのだろうか?
死んだところで得られるものなど何もない。
違う。問題はそこではない。
問題は、文庫本を読む女のことだ。
「あれ?ひょっとして黒間君?」
女が黒間の視線に気づいて振り向いた。その拍子に、近視用の分厚いメガネがずり落ちかける。
どこかで見覚えのある顔だと思ったら、小学校の同級生だった。
そして同時に、黒間の亡妻、或るいは未来の嫁、黒間(旧姓佐藤)素子。その人だった。
たしか、今は学校の教師をしているはずである。
「あ・・・うん。そうだね」
「そうだよね!どうしたの?仕事帰り?あれ、軍隊に行ってたんじゃなかったけ?」
亡妻の若々しい声に、黒間は圧倒された。
二人が一緒になるのは4年後の話だ。結婚は見合いであった。それも、写真見合いだ。
内地から送られてきた写真を見て、婚姻届を書いて軍事郵便で送り返した。書類を送り返した後は、そんなことはさっさと忘れた。黒間自身はその時ビルマにいて、一式戦を駆ってP-51やスピットファイアと激闘の日々を送っていたのだ。甘い新婚生活を想像する余裕など一切ない。
二人が幾らか時間をとって顔を合わせたのは、敗戦直前のことだ。本土防空のために内地帰還命令を受けた時に、初めて黒間は小学校の同級生を妻に娶ったことを思い出したのだ。
酷いと思わないで欲しい。戦時中の話だ。
黒間以外にもその手の見合い婚をしていたパイロットは多かった。
高確率で死ぬパイロットは刹那的なものの考え方をする人間が多く、結婚について真剣に考えている人間はどちらかと言えば少数派だった。
黒間もその一人で、敗戦で除隊してから家に帰ると妻がいて、扶養家族がいることに目眩を覚えた。
空戦のやり方しか知らない戦闘機パイロットが、敗戦後の焼け跡でどうやって暮らしていくべきか、妻とはどんな風に付き合っていけばいいのか。誰もそんなことは教えてくれなかった。
結局、我武者羅に働くしかないという結論に至るわけだが、彼女がいなければきっと自分は自暴自棄になって死んでいただろう。敗戦が納得できずに、荒れた時期があるのだ。
その結論に至るまで、娑婆では無能以外の何者でもないポツダム少尉を支えていたのは彼女だった。
敗戦の混乱の中で、女一人で酒を飲んで暴れる大の男を食わせていく。その苦痛、苦労、絶望は、どれほどのものだっただろうか。
敗戦のショックで泣き喚く黒間を見て、彼女は何を思ったのだろう。不安で泣きたいのは、きっと彼女の方だったに違いないのに。
感謝しても、しきれなかった。
それが愛情に変わったのは何時だったのだろうか。
「あの、大丈夫?ものすごく顔色が悪いけど?気分が悪いなら、早く休んだほうがいいよ」
思い出に現実逃避していた黒間は強制的に再起動させられた。
「いや、大丈夫だ。ちょっと、いろいろあって、内地に帰ってきたんだ」
「ふうん。じゃあ、直ぐに外地に戻るの?」
「ああ、明日の朝一で」
黒間はまともに素子の顔を見ることができない。
若い頃の妻は、それはもう美人というわけではナイジェル・マンセル。
いや、つまり、セナの最高のライバルは、シューマッハではなくマンセルだと思うのだ。シューマッハって要するにライバル不在のお陰でチャンピオンに成れたのであって、実力というより運の要素がありおりはべりいまそがり・・・
「いまそがり?」
どうやら、口に出していたらしい。
黒間はとても混乱していた。
「ごめん。深い意味は無いんだ」
「別にいいけど。電車来たよ?」
二人揃って、同じ電車に乗った。
それからしばらく世間話などをした。
黒間が話したのは、満州やハルビンなど主に外地の話だ。特にロシア人が作った欧州風の街であるハルビンは、素子の興味を引いたらしい。
「へぇ、いいな。私も行ってみたいな」
「行ってみたらいい。綺麗なところだ」
「どうやって?黒間君が連れて行ってくれるの?」
素子が挑発的な物言いに、黒間は鼻白んだ。
妻がこんな風に話すことなんて、少し意外だった。新鮮だと言ってもいい。
そういえば、前世で妻と話をしたのはいつが最後だっただろう?
風邪をこじらせ、肺炎と診断されてから入院まで僅か3日足らずだった。あまりにも展開の早さに黒間は全く理解が追いつかず、入院の準備が済んだと思ったらもう葬式の用意をしなければならなかった。
子供たちに、母さんが亡くなったと電話したときは直ぐには誰も信じてくれなかったほどだ。
そうだ。俺は彼女の最期に何もしてやれなかった。
臨終を看取った時も、何の言葉も交わすことができなかった。
正直に言えば、老いた妻の入院の付き添いに、不平や不満がなかったわけではない。勝手に倒れてしまった妻に愚痴をこぼしてしまった。
黒間はずっと前から、自分の浅はかさや身勝手さに後悔していた。
妻の元に旅立つときが来たら、謝ろうと思っていた。
そして、自分の心からの気持ちを正直に伝えたかったはずなのだ。
その機会がとても不可思議な形で、今ここに現れた。
「黒間君、なんで泣いてるの?」
黒間は止めどもなく流れる涙を拭った。
苦労して息を整える。
はっきりと、これだけは言っておかなければならないことが、黒間にはあった。
「俺は、君のことをあい・・・」
「あい?」
不思議そうな、奇妙なものを見るような目で素子は問いなおす。
そこで黒間は急に冷静になってしまった。
よく考えてみれば、まだ二人は結婚すらしていない。半世紀に及ぶ結婚生活を覚えているのは黒間だけで、素子は何も知らないのだ。
二人の関係はこの時点では、ただの小学校の同級生に過ぎない。
黒間は、心臓の早鐘をなんとか落ち着かせようとする。
「ねぇ、黒間君。今なんて言ったの?あい?ってなに?」
興味津々に、何かとてつもなく面白いものを見るように素子が言った。
「えーっと、それは、だな」
まだ危機は終わっていなかった。
なんとか誤魔化す方法がないか、黒間は必死に考えた。
ここで変に思われては、歴史が変わってしまう。
「その、なんだ。これは誤解だ。その、あいというか・・・あい」
その時、黒間の脳髄に電光の如くアイデアが閃いた。
「アイーーーーーン!」
右手を水平に、笑顔と共に顎を突き出す。
それは21世紀初頭に流行したとあるお笑いタレントの持ちネタだった。
ちなみに今は昭和15年8月である。
翌日、黒間は日が昇る前に母親に起こされた。
このまま永眠してしまいたい気分だったが、母は容赦しなかった。
家族全員で朝食をとり、そのまま氏神様に参拝した。
父は紋付き袴、兄は背広。弟、妹は学生服。全員が正装をして、古式ゆかしい作法に則り、武運長久祈願した。
二礼二拍手一礼したとき、黒間の脳裏に去来したのは虚無だけだった。
神社には駅前の写真屋が待機していた。参拝が終わるとその場で記念写真を撮った。
そこで黒間は、昨日買ったカメラをあの場に忘れてきたことを思い出す。だが、全ては今更だった。
あの後、黒間はどうやって家に帰ったのか覚えていない。
ただ一つ確かなことは、黒間が全て放り出して走って逃げてきたということだけだった。
「あのー、兵隊さん。もうちょっと・・・しゃきっとした顔をしてくれませんかねー?」
写真屋の親父がフードから顔を上げて言った。
そんなに締まらない顔をしているのだろうかと、黒間は首を傾げる。
「以蔵。何があったか知らんが、しゃきっとしろ」
兄に怒られた。
「兄ちゃん」
「なんだ?」
「死にたい」
兄が目をむいて怒り狂った。
「ふざけんな!」
一発、腰の入ったいいパンチを喰らって、黒間は少しまともに物を考えられるようになった。
きっと全て運命だったのだ。
黒間はそう思うことにした。運命なのだから仕方がない。
考えていることはひたすら後ろ向きだったが、そうでもしなければやっていられなかった。いっそ気が狂ってしまえば楽になれるのだが、黒間の精神は至って頑健にできてきた。
決して壊れないのだ。それは前世で証明済だ。
ビルマやフィリピンで狂死する部下や上官を何度も見送ってきている。
黒間は前世の大戦末期に、爆撃の最中、笑いながら防空壕から出て行った上官の一人を思い浮かべた。何となく、彼の気持ちが分かるような気がしたのだ。
怒り狂った兄を母がなだめ、なんとか記念撮影を終える。
そして、大曽根駅に出ると既に列車がプラットホームで待っていた。
駅前には国防婦人会や在郷軍人会が立てた旗や幟が翻っていた。盛大な見送りである。
和服に白エプロンの婦人会の面々が黒間に千人針を渡してくれた。
黒間は乾いた笑みを浮かべて、それを受け取った。前世でも、同じものを貰った記憶がある。いつの間にかどこかにいってしまった。
結論、あってもなくても同じ。
在郷軍人の顔よりも、腹の方に威厳がある敬礼に送られて汽車に乗り込んだ。
車窓から、家族を見る。
父、母、兄、姉、弟、妹。
何が起きているのか分かっていない弟を除いて、皆、強張った顔をしていた。
これではいけないと思って、黒間は笑みを浮かべて言った。
「行ってくるよ。心配しなくていい」
黒間は自分がこの戦争で生き残ることについて、さほど疑問に思っていなかった。
だが、誰も黒間の言うことを信じないようだった。
母は今にも泣きそうだし、妹は今の一言で泣いてしまった。
思わぬ逆効果に黒間は動揺する。
「恵子。おいで」
妹を呼び寄せ、黒間はオカッパ頭を撫でくりまわした。
「大丈夫。すぐに帰ってくるよ。ちょっとの辛抱だ」
「ほんと?」
「ああ、本当だよ」
黒間は妹の鼻と涙で濡れた渋面を手ぬぐいでふいてやった。
「お兄ちゃん。おみあげ買ってきてね」
あまり状況を把握できていないらしい弟が言った。
黒間はその丸っこい坊主頭を掴んで締めあげた。
「お前は少し自重しろ」
「痛いよ。離してよ!」
突然の謂れ無き暴力に弟が抗議する。
「ちゃんとおとなしく、良い子にしていたら買ってきてやる」
「ほんと?」
「ああ、ほんとだ。お母さんの言うことを聞いて、しっかり勉強するんだぞ」
分かったと頷く弟に黒間は目を細める。
本当に分かっているかどうかは問題ではなかった。
「以蔵。しっかりやんなさいよ」
「ああ。姉ちゃんも、がんばれよ」
流石に姉はタフだった。
無理にでも笑ってみせ、いつもと何も変わらないことをアピールしていた。だが、目が笑っていない。
こんな負担をかけて、お腹の子供に障らなければいいがと黒間は心配になった。
そこで、あることを思い出す。
「お姉ちゃん。悪阻がひどくなったら、サイダーを飲めよ」
姉は悪阻が酷く、思い出話にそのことを話すことが多かった。
何も食べられない時期に、確かサイダーで栄養を補給して切り抜けたらしい。
「よく分かんないけど、分かったよ」
姉がどこか呆れたように言って、笑って頷いた。
今度の笑みは心からの笑みだった。
「兄ちゃん。さっきは悪かった。少し血迷っていた」
「もういいさ。俺もカッとなって悪かった」
黒間はまだ痛む頬を軽く撫でた。
「でも、本気で殴ることはないだろ」
「だから、悪かって言っただろ?」
少しも悪く思っていないことは明らかだった。
確かに、兄は何も悪くない。
時と場合によって、言っていいこと悪いことがある。
「アイーンか・・・」
「あい?なんだって?」
兄が聞き返してきた。
「別に何でもない」
どうしてあんなことを言ってしまったのか、黒間にもよく分からなかった。
最後に、父と母に話す時間が残った。
母の顔は、今にも降り出しそうな空模様だった。気丈にも耐えているが、痛ましくて見ている方が辛い。
黒間は大抵のことに恐怖を感じない。精神年齢が高すぎるからだ。80年も生きていると大抵のことに人間は恐怖を感じなくなる。
だが、母の涙を想像すると黒間は空恐ろしい気分になった。黒間にとって、この地上に残った恐怖は母の涙ただ一つだけだった。
「お母さん。体に気を付けてな」
母が皺の多い顔にさらに皺をつくって頷いた。
黒間は母の顔を忘れないようによく見ておくことにした。前世でも、確かそうしたはずだ。
こんな風に母の顔を見るなんて、そうあることはでなかった。
もしも、機会があるのなら、一度やってみるといい。とても温かな気分になるだろう。
「お父さん。これを」
黒間は父に一通の封書を差し出した。
タイトルはない。
遺書ではなかった。黒間は死ぬつもりは少しもなかったから。
だが、父はそうは思わなかったらしい。峻厳そのものの顔を一層強張らせて、封書を受けった。
「今は開けないでほしい。4年後に、その時まだ戦争が続いていたら、開封してくれ」
「どういうことだ?」
「開封すれば分かる。そして書いてあるとおりにしてくれ。それまでに戦争が終わっていたら、この手紙は開けずに焼き捨てて欲しい」
封書には黒間が知るかぎりのこれから起きることが記してある。
謂わば、黙示録だ。
結局、黒間は父に本当のことを言うことができなかった。
言葉では上手く伝えられるとは思えなかったし、信じてもらえるような話でもない。特に父の性格からして、受け入れて貰えるとは思えない。
だから、手紙にして預けることにした。
父が手紙に書いてあるとおりに、早期に名古屋から一家で疎開してくれれば、父が戦災に遭う確率は大幅に軽減できる。
理想なのは、それまでに戦争が終わっていることだが。
「じゃあ、行ってきます」
出発の時間だった。
車掌の笛がプラットホームに響き、蒸気機関車の警笛がけたたましく鳴った。
国防婦人会や、在郷軍人会の列が一斉に日の丸を振り、万歳三唱を叫んだ。半世紀ほど前に、当たり前のように行われていた出征兵士を送る儀式だった。
これが良いことか、悪いことか、黒間は判断がつかなかった。
戦争反対のプラカードを掲げる平和主義団体による抗議活動に見送られるのが幸福なことだとは思わないが、これは過剰ではないかと思えてくる。
だが、悪い気はしなかった。そういう気分にさせるのが、儀式の意味だとは分かっていたけれど。
ある種の熱気に包まれたプラットホームを汽車がゆっくりと加速していく。
次第に遠ざかっていく家族の顔を黒間は見ていた。前世でも、同じ構図だったことを思い出す。見送られるのはこれが2回めだ。前と同じ絵だった。
だがその時、前と違うことが起きた。日の丸の列をかきわけて、袴姿の女が飛び出してきたのだ。
黒間は目を見開く。
素子だった。どうして、彼女がここにいる?
「黒間君!これ、忘れ物!」
差し出された紙袋を慌てて黒間は受け取った。
既に汽車は動いていた。素子は小走りに叫ぶ。
「家に行っても誰もいないし!近所に人に聞いて!走って来たの!」
黒間が紙袋を覗くと、昨日買った雑貨とカメラ。そして、軍人手帳が入っていた。
これを紛失したら、懲罰ものである。
「ありがとう!でも、どうして!?」
黒間は理由が思いつかない。
「なんとなく!」
なんとなく、か。
だが、愛の始まりはいつだってなんとなく、なのかもしれない。
愛なんて、たまたま知り合った男女が、たまたまお互いを訳も分からず好きあうことだ。だから、もしも運命というものがあるのだとしたら、これはまさしく運命そのものだ。
黒間はたまらず叫んだ。
「会い行くよ!絶対に、君を迎えに行くから!」
プラットホームエンド。
立ち止る素子に、黒間はその姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
今回からタイトルを変更しました。
作品のコンセプトをより分かりやすくするためです。