プロローグ
2012年5月12日 瀬戸内海
春の夜釣りは、凪に限る。
黒間以蔵は5月半ばだというのに冷たい風が吹く夜の海にそっと船を漕ぎだした。
ヤマハの船外機が軽快なエンジンを響かせて、小さな彼の漁船を沖へと走らせる。飛沫が顔にかかるが、少しも気にならなかった。
夜の海は酷く凪いでいた。こんな夜はメバルがよく釣れる。
メバルは春告げ魚とも俗称され、春がシーズンだ。ほぼ年中釣れるが、やはり春先が一番よく釣れ、味もこの時期が一番美味だった。
沖のポイントは、小舟でも30分足らずの場所だった。30年以上も通いつめている場所だけあって、勘だけでだいたいの位置が分かる。
黒間は釣り場に着くと船外機を止めるとアンカーを下ろし、釣りの準備にかかった。
三日月夜だったが、仕掛けの準備に苦労はしない。慣れていたし、夜目は効くほうだ。齢は古希に至るが、視力には自信があった。完全な闇夜でも、釣り針に糸を結わえることぐらい楽勝だった。あまりにも視力が良すぎて、若い頃には昼間に星が見えたこともある。
何故、それほどまでに視力が優れていたかと言えば、修行の結果という他なかった。
視力を鍛えるために星空を見上げて夜を明かし、動体視力を強化するために駆け抜ける列車に乗った人間の数を数えた。食べ物にもこだわり、生の人参を馬のように貪り食べたこともある。
そんな修練を積んだのは、黒間が嘗て戦闘機のパイロットだったからだ。
今は亡き帝国陸軍航空隊の誇る隼戦闘機のパイロットだった。
目が良くなければ、パイロットは務まらない。特に戦闘機パイロットは。
空中戦は先手必勝だった。先に敵を見つけた方が、勝つ。空戦の大半は奇襲で始まって、奇襲で終わる。格闘戦というのは、奇襲が失敗した後のゴタゴタにすぎない。
極論すればヘタクソがやることだった。
飛行学校で、お前は目が良いから大事にしろと指導教官に言われた。
その教えを愚直に守り通したからあの戦争を生き残ることができたと思っている。
戦争には勝てなかったが、パイロットとしては充実した日々だった。
敗軍の兵ということで、戦後に生活でいろいろ不愉快な思いもしたこともあるが、既にその多くは時の彼方にあった。
思い出という奴だ。歳をとると思い出という奴は何者にも代えがたい価値を持つものとなる。
独居の老人となれば、特にそうだ。
仕事はとっくの昔に引退していた。家内は随分前に病を得て他界している。
軍にいた頃散々飯炊きをやらされたおかげで、自炊には自信があった。収入は少ないが、恩給と年金があるから食うには困らない。
黒間は孤独だったが、退屈とは無縁だった。娯楽には事欠かない時代だ。テレビの時代劇や、NHKの大相撲だけでも十分だった。趣味の釣りに精を出す事ができる。
今夜も、今夜で夜釣りだった。
釣り糸を垂れながら、水面に移る月を見ている。
空には三日月がある。
魔法瓶のキャップを空けて、熱燗を口に含んだ。体を温めるために持ってきた酒だが、月見酒も悪くないと思ったのだ。
そんなことをツラツラと考えていた時、変化が起きた。
胸に突き刺すような痛みがある。
のろのろと探るように胸に手をあてる。何もなかった。鼓動がない。
体が傾いで床に静かに倒れた。
酸素を求めて口を開くが、体は呼吸の仕方を忘れたようだった。意識が直ぐさま失われていく。
そっと忍び寄る死の気配は、どこか懐かしいものだった。
彼方に迎え火を認めたとき、黒間は全人生等しい時間を一瞬の内に追想した。
走馬灯だ。しかし、走馬灯を見たのはこれが初めてというわけではない。
半世紀ほど前にも、似たような経験をしたことがある。
アレは何だったかなと思った時、黒間の意識は跡形もなく消失していた。
そして、気がつくと天井の木目を見上げていた。
しばらくそのまま天井の茶褐色の木目を凝視してから、黒間はそろそろと息を吐いた。そして、思い切りむせた。激痛が走り、意識が一気に覚醒する。
少しでも身を捩ると激痛が走ったが、首を巡らすと真っ白なシーツが目にはいった。意識がはっきりしてくると消毒液の匂いが鼻についた。
ここは病院か?
どうやらそうらしかった。隣のベッドは空だ。大部屋で、黒間が寝ているベッドを含めて6つあった。その全てが空だった。
とても静かで人の気配はない。
それにしても何とも古臭い感じの病室だった。今時珍しい。
建築は、明治か大正か。病院というよりは文化財という雰囲気だった。壁もコンクリートではなく、木造で漆喰で固めてある。天井にぶら下がっているのは蛍光灯ではなく、裸電球だった。
ベッドの中身は、綿やスポンジではなく藁が入っているらしかった。昔の病院のベッドみたいだった。
昨今の医者不足や医療崩壊はかなり酷いと聞いていたが、こんなオンボロな病院まで現役として酷使しなければならないほど医療界隈は逼迫しているのだろうか?
いくらなんでもそんなことはないと思った。
病院ではなく、博物館に迷い込んで展示品の中でうっかり、うたた寝をしてしまったという方が考えた法が正しいような気がした。
しかし、全身に巻かれた包帯や湿布は間違いなく本物の包帯であり、湿布であった。あちこちが火を吹くよう熱をもって不調を訴えている。
これは全身打撲ではないか。黒間はそう思った。
何となく身に覚えがあるのだ。とても昔に、似たような目に遭ったことがある。
確か、19か、20の頃の出来事だ。
飛行学校で錬成を終えて、実戦部隊に配置されてから直ぐに事故があった。当時の主力機だった九七式戦闘機の発動機が離陸直後に停止した。その頃には、よくある故障だった。飛行そのものが命がけの時代だった。連絡機は滑走路に戻ろうとして旋回したところで失速。錐揉み状態で墜落した。
機体は大破。黒間は座席から放りだされて20m先の民家の壁に激突。全身打撲、骨折十数箇所、出血多量。心停止の後、応急処理で復活。そして、また心停止。後方の病院に担ぎ込まれたときは殆ど死体のような有様だったとそうだ。
その時は、2週間も昏睡が続いて、医者も諦めかけたときに唐突に目が醒めた。
初めて走馬灯を目にしたのも、その時だったと思う。
では、これは走馬灯の続きなのか?
だとしたら、何とも妙な感じだった。夢にしては、あまりにも出来過ぎている。
とにかく、喉がとても乾いている。
「おーい、誰かいないのか」
声を張り上げても誰も返事をしなかった。
叫んだせいか、喉の渇きが酷くなった。水場まで歩くしかないらしい。しかし、全身の重い痛みを思うとあまり賢い方法ではないように思われた。
夢の中ぐらい、もう少し都合良く物事が進んでもいいと思った。
空を飛べるとか、逆に向こうから水が溢れるくらい流れてくるとか、それぐらいのサービス精神があってもバチはあたらないのではないか。
黒間の深刻な、或いはどうでもいい思案は直ぐに終わった。誰かが来る気配がしたからだ。
「はーい、どうしましたかー?」
やってきたのは何十年も前に廃れた古めかしい白衣を着た看護婦だった。
しばし、黒間は時代錯誤な格好をした夢の住人に見入った。
なんとも可笑しい面白みを感じたからだ。夢の続きにしては、変わった趣向である。
次は何が出てくるのか期待していた黒間はそのままじっとしていた。しかし、何も起きなかった。起きたことと言えば、
青い顔をした看護婦が、
「先生!すぐに来てください!!303号室の患者さんが目を覚ましました!!!」
と、叫んだことぐらいだった。
それから大騒ぎになった。
何人もの医者がやってきて、取っ替え引っ替え黒間の体を調べて回った。着ていた寝間着も剥ぎ取られ、検査室と病室を寝たまま半裸で行き来することになった。
レントゲン、心電図、採血、血圧、尿検査。脳波の検査までやらされた。そんな検査は必要ないと黒間は訴えが、医師には一顧だにされなかった。
ひと通りの検査が終わったころには日が暮れかけていた。窓辺からは夕焼けの街が見える。その街並みはどう見ても昭和初期の日本の風景だった。
映画のセットかと思ったが、確かめることも億劫だった。
ずっと寝かされたままだったのに、なんだかとても疲れた。
「これは何なんだ。いつになったら、目が覚めるんだ?」
それともこれは、夢ではないのか。
黒間は看護婦に貸してもらった手鏡を見た。自分の顔が写っている。皺もシミもなく、血色はかなり悪いが若さに満ちあふれていった。
若き日の自分の顔を見て、黒間はとてつもない頭痛を覚えた。
これが、もし夢でないのだとしたら、何かとてつもないことが起きているに違いなかった。
黒間は既に、ある可能性に気づいていたが、それを認めてしまうにはとてつもない勇気が必要だった。
しかし、人生の多くと同じく、それは向こうから否応なしにやってきた。
目覚めてから3日ほどしたある日の午後だった。
黒間は未だにこの世界に慣れることができていなかった。自分でも寝ているのか起きているのか定かではない状態だった。
「おい、クロ!生き返ったって本当か!見舞いに来てやったぜ!」
勢い良く病室の戸を開け放ち、バカでかい声で叫ぶ男には見覚えがあった。
というよりも、忘れたことなど一度もなかった。
黒間は息を呑んで、その男をまじまじと見た。
自分よりも一回り背が高く、剽軽を絵に描いたような三白眼の若者だった。
「なぁ、三途の川ってどんな感じだった?光る花畑は見たのか?臨死体験したんだろ?教えてくれよ」
べらべらとテレビのお笑い芸人のように喋る男は、黒間が絶句していることに気付いた。
「どうしたんだ?幽霊でも見たような顔してるぜ?」
運の良さには自信があるというのがそいつの口癖だった。
馬鹿馬鹿しい意味不明な自信家だった。
その癖、あの戦争ではつまらない飛行事故で死んでしまったバカな奴。
「斎田・・・斎田三矢なのか」
「おいおい、どうしたんだよ。泣くようなことはないだろ。俺に会えて、そんなに嬉しいか?尻尾振ってワンって鳴いたっていいだぜ?」
斎田はニヤニヤと笑って言った。
全く、生死の境を彷徨っていた親友に対する態度ではなかった。
しかし、それがこの男の常だった。親しくなるほど扱いがぞんざいになる。それでも見舞いに来てくれるあたりが、この男の本音の在り処を示していた。
「ああ、嬉しいな。こんなに嬉しいことはない」
嗚咽と共に、素直な言葉が出てきた。
「そうか、クロ。頭を打ったんだったな。しっかり、治療してもらえよ」
「そんなんじゃない!」
黒間は、自分でも驚くほど大きな声で叫んでいた。
「どうしたんだよ。大声出すなよ。軍医殿が来たらどうするんだ?」
「・・・バカヤロウ」
涙が止めどもなく溢れ、枕を濡らした。
「会いたかった、斎田。また会えるなんて、夢のようだ。ここは天国なのか?」
「クロ、本当に大丈夫か?医者を呼んできてやろうか?」
斎田という男にとっては珍しいことに、神妙な顔をして言った。
「いや、いいんだ。大丈夫だ」
激情の涙と共に意識が、はっきりと来るのが分かった。
もはや認めなければならなかった。
これは夢でもなければ、幻の世界でもない。ここは過去だ。昭和14年の夏だ。
どういう理屈か、理由かは不明だったが、自分は過去に戻ってきてしまったらしい。そうとしか考えられない状況だった。
もしかしたら、自分が覚えている70余年に及ぶ人生が、昏睡中に見た夢かもしれなかった。
しかし、アレが全て夢だと片付けるには、あまりにも重すぎる。
戦場の空で過ごした青春。戦場とは別の意味で辛く苦しかった敗戦の混乱に生きた日々。心の底から惚れた女。彼女と共に過ごした日々。幼き日の子供たちの笑顔。夏休みになると帰省する孫たち。
夢幻と片付けるには、あまりにも重すぎる。
そういえば、自分がこんなことになってしまって、子供たちや孫たちはどうなっているのだろう?
「おい、顔が真っ青だぞ。気分でも悪いのか?」
「気分というか、気が変になりそうだ」
黒間は正直に言った。
何言ってやがると斎田は吐き捨て、見舞い品のつもりかバナナをベッド脇の棚に置いた。
この頃は、まだ高級品だったはずだ。一体、どこで手入れてきたのだろう?
斎田という男は不思議な才覚をもっていて、南方戦線のどんなに糧食が不足している戦場であってもどこからともなく甘味を集めてきた。
もしもあの戦争を生き残っていたら、戦後の闇市で嘸かし活躍したことだろうと空想した記憶がある。
「それでも食って元気だせ。小隊長が近いうちに見舞いに来るそうだから、その時までにはその辛気臭い顔をなんとかしろ」
「小隊長が来るのか」
この頃の小隊長とは誰だったか、あまり記憶にない。
「なぁ、小隊長って誰だったかな」
「足利少尉に決まってるだろ。記憶喪失か?」
しかし、それはおかしい。
何故ならば、自分の記憶が正しければ、足利少尉は自分が事故を起こした頃には、支那事変の作戦中に戦死していたからだ。
見舞いに来たのは、新任の新堂准尉だったはずだ。
真面目すぎるところが玉に瑕だが、公平で信頼できる人物だった。技量も抜群だった。
最初は、新堂准尉の3番機、あの大戦前が始まる直前に2機機を任された。
その新堂准尉は昭和17年のフィリピン戦で戦死している。対空砲火が偶然、彼の九七式戦を直撃したからだ。機体は木っ端微塵で、死体も残らなかった。
「・・・なぁ、斎田。変に思わないで欲しいんだが、ここはどこだ?上海の陸軍病院か?」
「上海?何言ってるんだ?記憶をなくしたのか?」
「すまん。とりあえず、何も聞かずに答えてくれないか。重要なことなんだ」
ややあって、斎田は答えた。
「ここは、広島の陸軍病院だが・・・上海ってのはどういうことだ?」
黒間はありえない答えに目を見開く。
「俺の記憶違い、なのか・・・?」
いや、そんなことはありえない。
あれは昭和14年の夏。支那事変の最中に起きた飛行機事故だった。原因は、発動機に燃料を供給するパイプの一つが破断してためにおきた発動機の停止だ。
たしか全治2ヶ月だった。入院先は上海の陸軍病院だった。他にも大勢の負傷兵がいたはずだ。病院は狭くて不潔で、こんなところに2ヶ月もいては、別の病気になりそうだった。
最後は、脱走さながらに2週間あまりで退院した記憶がある。おかげで治療が不完全になり右足に軽い障害が残ってしまった。
それがどうして内地の陸軍病院に入院することになっている?
「斎田、新聞をもってきてくれないか」
「別に構わねぇが・・・なんだか、お前。急に老けたように見えるぜ」
実はそうなんだよとは言えなかった。
それから、検査の時間以外は、ベッドの上で現状の確認と把握に費やすことができた。
どうやら医者は黒間の話から頭部強打により、記憶が混乱していると判断しているらしかった。
新聞や書籍を求めると、それが簡単に手に入るものなら、すぐに用意してくれた。記憶の混乱から回復するための治療の一貫と考えているらしい。
黒間にとっては好都合な話なので、敢て記憶の混乱については曖昧な回答をしていた。
記憶はともかく、混乱しているのは本当のことだった。
昏睡していた間の新聞を全て読み終えるとさらに1ヶ月分の新聞のバックナンバーを取り寄せてもらったが、自分の記憶と大きな違いがあって驚かされた。
まず、驚いたのは支那事変が起きていないことだ。
黒間の記憶では、支那事変は昭和12年に始まる。
当時はあまり詳しい事情を知ることはなかったが、戦後のテレビ番組で毎年8月になると繰り返し似たような特集が組まれていたので、事変の成り行きは掴んでいる。
戦争が始まった原因は、複雑な歴史的な経緯によるものだが、直接的な導火線は昭和12年7月7日の蘆溝橋事件だった。北京郊外に駐屯していた日本軍への攻撃と反撃が雪だるま式に膨れ上がり、日中は全面的な武力衝突へと突き進むことになる。
それが泥沼になって諸外国の介入を誘い、太平洋戦争へ続くことになるのだが、新聞を読む限りは日本と中国は戦争状態にはなっていないらしい。
黒間は戦中の日本が報道管制を敷いて不利な情報を隠していたことを戦後に知らされたので、それなりに疑いの目をもって新聞を読んだが、戦争に関する記事は全く見当たらなかった。
辛うじて、軍隊に関係する記事を見つけても、予科練の募集や兵営の暮らしを伝える当たり障りのない内容ばかりだった。
中国に関する報道はあまり多くなかった。蒋介石の国民党と毛沢東の共産党の内戦が続いていて、難民が満州国や上海の租界に押し寄せているという記事はあったが、日本との武力衝突はおきていない。
満州国は黒間の記憶どおりに建国されているらしかった。
その証拠に新聞には満蒙開拓団の暮らしを紹介する記事が度々掲載されている。しかし、日産20万バレルの生産達成を報じる北満州油田というのは、記憶にはない。
新聞には写真付きで、富み栄える帝国の新エネルギーと題して、見開き1ページで満州国の油田開発について報じていた。
この油田の開発には、同盟国ドイツの優れた技術が活用されており、大連の製油場では様々な石油製品が製造され、莫大な外貨を日本にもたらすとしていた。
そして、ヒトラーとムッソリーニを称える記事を肖像写真付きで掲載していた。
ヒトラーの写真なんて新聞に載せて大丈夫かと思ったが、ユダヤ人虐殺が広く知らるようになるのはドイツが敗戦した後のことだった。
黒間は、ヒトラーやムッソリーニを英雄のように書く新聞には嫌悪感しか感じなかった。しかも、その記事を載せているのが、朝日新聞であることに黒間は二重の憤りを覚えた。
そして自分の記憶どおりにドイツとの軍事同盟に向かう日本の未来に果てしない不安を感じた。
どうやら日独防共協定という軍事同盟が既に結ばれてしまった後らしい。
日本の未来を思うと頭痛がしてくるが、いろいろ自分の前世とは違うことが起きていることも分かった。
おそらく、この新聞記事にある北満州油田とは、大慶油田のことだろう。
大慶油田というのは、1950年代に中国の黒竜江省で発見された大油田のことだ。
図書館で借りて読んだ歴史小説で読んだことがある。あとがきの中で著者がこの油田がもっと早く見つかっていたら戦前の日本は産油国になっていたと書いていた。そうすれば、アメリカの石油禁輸で追い詰められることはなくなり、太平洋戦争は起きなかったに違いないとしていた。
では、あの大戦は起きないのか。
そうとは思えなかった。今一度、人生をやり直すことになったこの世界の日本も、ドイツとの同盟に突き進んでいるらしい。
中国との戦争は起きていないが、このままではヒトラーの戦争に巻き込まれてしまいそうだ。
そんなことはまっぴら御免だった。
「俺はどうしたらいいんだ?」
神か、悪魔か、仏か、鬼か、誰がこんなことを仕組んだのかは分からないが、自分が過去に戻ってきた意味は一体何であろうか。
ドイツに行って、全ての元凶を暗殺して来いということだろうか。
しかし、そんなことはとてもできそうにない。独裁者なんだから、きっと屈強なボディーガードを山ほど用意しているだろう。そもそもドイツ語なんて喋れないし、ドイツにどうやったら行けるのかも知らない。そもそもヒトラーがドイツのどこにいるのかも分からなかった。
もう一度、隼を駆って祖国のためにその身を投げ出せというのなら話は分かる。
しかし、暗殺者の真似事なんて務まりそうはなかった。
前世で兵隊として多くの人間を殺めてきたことを否定するつもりはないが、それは兵士として軍命によって行ったもので、好きこのんで人を殺ししたいと思ったことはない。
そもそも、自分がなんでこんな目に遭っているのだろう?
また、戦争に行かなくてはいけないのだろうか?
戦争が無意味な愚行であることは前の人生で嫌というほど思い知らされている。
あんな苦しい思いをもう一度しなければならないのかと思うと逃げ出したくなかった。
そもそも、黒間が軍隊に入ったのはどうしようもなく景気が悪くて職がなかったからだ。飛行兵になったのは、塹壕を掘るのが嫌で、座ったまま戦争ができる搭乗員というのが楽そう見えたからだ。
実際は、さほど楽な仕事ではなかったわけだが。
「いっそのこと、軍隊を辞めて金儲けでもしてみるか」
前世で敗戦後に覚えた仕事は、自動車の修理だった。
パイロット時代に整備の仕事を手伝っていたことが身を助けた。手先が器用で、機械いじりは小さな頃から得意だったのだ。
戦前、戦後にも自動車はあったし、その修理業は儲かる仕事だった。
この時代の自動車は高級品で、とても壊れやすいものだ。その修理を請け負う自動車整備士はある意味、尊敬される仕事だった。食いっぱぐれる心配もない。
日本三大自動車メーカーの創業者は、戦後にバイクの製造会社を立ち上げるまで、自動車の修理業で身を立てていたことを思えば、自分が彼のようになることも可能かもしれない。
何しろ、これから起きることは全部分かっているのだから、金儲けに徹すれば無敵だ。
自動車整備士なんかにならなくても、株取引でもやっていける。これから成長する会社は分かっているし、その会社の株を買っておけば、株価は絶対に値上がりするからだ。
土地取引でもいい。川崎や千葉の漁村、寒村の土地を買っておけば、あと10年もすると巨大な石油コンビナートが立つ。その前に土地を買い占めておけば、二束三文の土地が大金に化けるというわけだ。
その金でまた土地を買い占めて、転売を繰り返せば、一生使っても使い切れないくらいの金になる。
それも悪くない人生だった。
欲のない人生なんて、灰色だと誰かが言った。
なんでこんなことになったのかわからないが、金儲けに勤しんだとして誰がそれを責める?
誰でも過去に戻って人生をやり直せるならと、一度くらいは空想してみたことがあるはずだ。
しかし、それでいいだろうかと迷っている自分がいた。
そんなことをしたら最後、この奇跡はあっさりと失われてしまうのではないか。
端的に表現すれば、罰が当たるのではないかと恐れていた。
想像以上に小心な自分に呆れる思いだったが、こんな奇跡を体験した後なら、少し信心深くなっても不思議ではないだろうと思う。
過去に戻って、もう一度人生をやり直すなど、奇跡以外の何者でもない。
その奇跡の意味に思い巡らすのは、ある意味常識的な反応だろうと思った。
とにかく、何か目標を立てなければ何も始まらなかった。
だが、自分は何を成すべきなのだろうか?
「黒間さん。検温の時間ですよ」
物思いに耽っていたせいか、黒間は看護婦が来たことに気づかなかった。
「ああ、すいません。気が付きませんでした」
「そうですか・・・元気をだしてくださいね。経過は良好って先生も言ってましたから。直ぐによくなって、また飛べるようになりますよ」
「そうだと良いんですけど」
黒間は看護婦の顔を見つめた。
「どうしたんですか?」
「いえ、ちょっとした例え話なんですけど、聞いてもらえませんか?」
若い看護婦は黒間の問いに困惑したらしかった。
しかし、黒間の態度から他意がないことを感じ取ったのか、素直に頷いてくれた。
まだ幼いといってもいいくらいの顔立ちだが、患者である黒間への受け答えは、既に生命を預かる者として一人前のそれだった。
「看護婦さん。もしも、人生をやり直せるとしたらどうしますか?」
「おっしゃることの意味がよく、分かりませんけど・・・」
深い意味はないんですと黒間は付け加えた。
「仮の話です。もしも、自分が80近い老人だったとして、何かの間違いで若返って人生をやり直せるとしたら、どうしますか?」
「若返って人生をやりなおす、ですか?」
「そうです。人生をやり直すとしたら、です」
看護婦は困ったように額に手を当てた。
「ごめんなさい。やっぱり、よく分かりません。想像もつきません」
「そうですか」
黒間は自分がした質問の馬鹿さ加減に気付いて恥ずかしくなかった。
よく考えてみれば、こんな若者を捕まえて、人生をやり直せるならどうするかと問うなど狂気の沙汰だった。
若い彼女の前には、まだ無限に近い可能性が開けているのだ。
やり直す人生などまだどこにもなく、それはこれから築いていくものだった。
「あ、でも、そうですね・・・」
黒間は変な質問をしたことを謝ろうとしたが、その前に看護婦は付け加えるように言った。
「もしも、そんなことがあるのなら、心残りを片付けたいと思うんじゃないでしょうか?」
「心残りですか?」
そんなものが自分にあっただろうか?
少なくとも前世の自分に、人生をやり直したいと思うほどの不平や不満はなかった。
先立った妻のことは残念だったが、彼女と過ごした最後の日々は決して辛く悲しいことばかりではなかった。死は彼女への愛を再確認するチャンスを与えてくれた。
仕事でも、大きな失敗はなかった。逆に大きな成功もなかったけれど、子供達が独立するまではきっちりと働いた。
悔いなどない、はずだ。
「ほら、きっと、いろいろ長生きしている間に諦めてしまったり、ダメになってしまったことってあると思うんですよ。私も本当はお医者さまになりたかったんですけど、勉強が苦手で看護婦になったんです。でも、小さい頃に戻ってやり直せるなら、今度こそはって思うんじゃないですか?」
「・・・そうかもしれません」
「私は、小さいころ体がとても弱かったんです。だから、大人になったら、お医者様になって恩返しがしたいなって思ったんですけどね」
でも学校のテストがいつもさっぱりでしたと、看護婦は笑った。
その笑みに、沈んでいく太陽が重なった。
強烈な夏の西陽が射していた。窓の外には、街並みを紅く染める昭和14年の夏の太陽がある。
釣られて黒間も笑ったが、その顔からすぐに笑みは退いた。
どうして、こんな簡単なことに気づかなかったのだろうか?
「ああ、なんてこった・・・」
「ちょっと、黒間さん!何するんですか!ベッドに戻ってください!」
全身が不調を訴えていたが、黒間はそれを無視して寝台から立ち上がった。
それだけで目も眩むような痛みが走った。しかし、苦痛は少しも気にならなかった。そんなことよりも確かめなくてはならないことがある。
看護婦の制止を振りきって、窓辺に寄った黒間は、表に広がる風景に心打たれた。
「広島だ。ヒロシマの町だ」
そうだった。自分は広島の陸軍病院にいたのだ。
あの、ヒロシマだ。
自然と涙があふれた。泣くまいと思ったが、止められなかった。
彼方に見える広島城の天守閣。産業奨励館の半球形のドーム。高層ビルなど一つもない。代わりに和洋折衷建築の商業ビルが低く広がっていた。
記憶の中にしか存在しない昭和初期の街並みだった。
アパートやマンションはなく、小さな平屋ばかりだった。江戸時代から続く屋根瓦の古い町並みや武家屋敷も見える。市内の流れる川には、松並木があった。コンクリートの法面はなく、昔ながらの石を丁寧に積み上げた堤防が見える。煙突からたなびく工場の煙が、違和感なく町の風景に溶けこんでいた。
空が広いなと思った。
当たり前だった。この時代にはまだ、電線や電話線は数えるほどしかなかった。それらが街の空を覆い尽くすのはずっとあとの話だ。
遠くから、豆腐売りのラッパや子供たちの遊ぶ声が風にのって聞こえる。路面電車の走る音や数こそ少ないがトラックや乗用車のエンジン音も聞こえた。
夕焼けの中に人々の生活があった。泣き、笑い、喜び、怒り、嘆き、愛する人間の生活がある。
それまで真空のように静まりかえっていた世界に、色彩が甦るようだった。
「綺麗だ・・・とても綺麗だ」
涙が止まらなかった。
こんな美しいものが、永遠に失われてしまったのだ。なんて罪深いことなのか。
「黒間さん、どうしたんですか・・・?」
鬼気迫る御前の泣き顔に、看護婦は呆然と声をかけた。
黒間は知っている。この広島の陸軍病院は、昭和20年8月6日に原子爆弾の熱線によって焼きつくされ全滅するのだ。
熱線のみならず、同時の放たれた放射線によって生き残った人々も次々と原爆症で死んでいく。病院に収容されていた患者はもちろん、軍医や看護婦も例外ではない。
このうら若い看護婦も、きっとその中に一人に違いなかった。
黒間は、原爆の惨禍をこの目で見たことがあった。
本土決戦に備えて飛行禁止命令が出されていたので、翔ぶことはなくなっていた。代わりに、死体の収容と被災者の救護の手伝いをした。
支那戦線から、マレー、ニューギニア、フィリピン、そして本土防空に転戦を繰り返し、様々な戦場を見てきた黒間にも、原子爆弾による破壊は理解の限度を超えるものだった。
焼夷弾の都市爆撃とは明らかに次元の違う、徹底した破壊と殺戮だった。
原因が想像もつかない死に様をした死体がうず高く積み上げられ、終戦を経ても死体の焼却は終わらなかった。熱線で焼かれた路面電車には、炭化した人体が残されていた。河原には皮膚が焼きつくされた人々が、水を求めて群がって死んでいた。子供の死体もあったし、明らかに若い女性と分かる死体も見た。
黒間は、死に対する敬虔さを失うほどに死体を沢山見せられた。
瞼の裏で、この目で焼き付けた黙示録の風景が、夕焼けの街に重なった。
その瞬間に凄まじい寒気に襲われて黒間は震えた。
心残りと言えば、心残りだった。
あの時、B29が単機で広島に向かっていることは、電探の警戒情報で知っていたのだ。
しかし、偵察機と判断されて、迎撃命令はでなかった。一式戦では、B29の迎撃は困難だったし、燃料の備蓄は既に尽きかけていた。
それでも、それがどんなに困難で、無謀なものであっても、あの時、迎撃に出ていれば、原爆投下を阻止できたのではないかと、若き日に悔やんだのは確かなことだった。
あの時の思いを果たしてみろということか。
「そういうことなら、受けてたってやる」
誰に宛てたかも知れぬ独り言は、黒間の静やかな宣戦布告だった。