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第九十五話「身分の露見」



朝から、ベル家の農園は慌ただしかった。


「よし、テーブルの配置はこれでいいか!」


ロベルトが指示を飛ばす。雇われの農夫たちが、せっせと長テーブルを並べていく。


「ワインは冷やした?」


「はい、旦那様! 特に十年物は地下蔵から出したばかりです」


「よし、あれは出来の良かった年だ。必ず振る舞え」


マルタも厨房で指揮を執っている。


「シチューの味見して! 塩加減はどう?」


「完璧です、奥様」


「パンは?」


「窯から出したてです」


「果物の盛り合わせも忘れないで」


広場では、若い農夫たちが飾り付けをしていた。


「もっと高く! 旗がたるんでるぞ!」


「この花輪、どこに掛ける?」


「入り口だ! 華やかにしろ!」


そんな中、見張り役の少年が叫んだ。


「来たぞ! ベオルブ家のお嬢様たちだ!」


一瞬、空気が引き締まる。


「よーし、やるぞ!」


ロベルトが気合を入れる。農夫たちも背筋を伸ばし、それぞれの持ち場につく。


馬車から降りてきたのは、ベオルブ家の三女・セシリアとその夫だった。絹のドレスに身を包み、宝石が陽光を受けてきらめいている。


「ようこそ、セシリア様」


ロベルトが深々と頭を下げる。


「今年も豊作で、良いワインができました」


「それは何より」


セシリアが優雅に微笑む。しかし、その笑みには、領主の娘特有の傲慢さが滲んでいた。


「相変わらず、よく働いているようね」


「恐れ入ります」


ガランも母親に促されて前に出る。帽子を取って、丁寧に頭を下げた。


「お久しぶりです、セシリア様」


「あら、ガラン」


セシリアが興味深そうに見つめる。


「そういえば、あなた……雷牙号の船長をしているんだったわね」


「はい」


「ブレイドと一緒に、何か大きな仕事をしたと聞いているわ」


セシリアの夫・レオナルドも頷く。


「塩化爆弾の一件だろう? 首都中で噂になっている」


「大したことではありません」


ガランが謙遜すると、ロベルトが誇らしげに胸を張った。


「息子はこの度、良い嫁をもらいまして」


「まあ」


セシリアが片眉を上げる。


「ガランが結婚?」


「はい、ご紹介させていただきます」


ガランがニーナの手を引いて前に出す。


「ニーナです。これからは二人で、この農園を盛り立てていきます」


ニーナは深く頭を下げた。水色のワンピースに、マルタが貸してくれた真珠のネックレス。田舎の令嬢といった風情だった。


「よろしくお願いいたします」


顔を上げた瞬間、セシリアの表情が凍りついた。


(この顔……!)


金髪、赤い瞳、陶器のような白い肌。どこかで見た記憶がある。いや、見たというより——


(四大家の会議で、話題になった……)


ボム家の隠し子。アジョラ9世の娘。次期女帝候補第一位。


(まさか……)


「どうぞ」


ニーナが優雅な手つきでワインを注ぐ。マルタの指導の賜物だろうか。


セシリアは、ニーナの顔をじろじろと見つめた。


「あの……」


ニーナが不安そうに見上げる。


(他人の空似? いや、でも……)


「どうした?」


レオナルドが妻の様子に気づく。


「顔色が悪いぞ」


「い、いえ……」


セシリアは混乱していた。しかし、ここで騒ぎ立てるわけにもいかない。


「素敵なお嫁さんね」


なんとか笑顔を作る。


「ガラン、お前も幸せ者ね」


「ありがとうございます」


(気づいた……)


ニーナは直感した。この女性は、自分の正体に気づいている。


静かに、しかし素早く身を引いた。


「失礼いたします」


にこやかに微笑んで、厨房の方へ下がっていく。


セシリアは、その後ろ姿を見送りながら、頭の中で必死に情報を整理していた。


(確か、ニーナという名前だった。年齢も一致する。そして、この容姿……)


「セシリア様、こちらへどうぞ」


ロベルトが特等席へ案内する。


祭りは賑やかに進行していく。音楽が流れ、料理が振る舞われ、ワインが注がれる。しかし、セシリアの心はここになかった。


「ちょっと、失礼」


夫に断って立ち上がる。


「どこへ?」


「お手洗いよ」


実際は、街の通信施設へ向かった。


公衆通信機の前で、震える手で実家の番号を押す。


「もしもし、母様?」


『セシリア? どうしたの、祭りの最中でしょう?』


イナンナ・ベオルブの声が響く。


「母様、大変なことが……」


『落ち着きなさい。何があったの?』


「例の、ボム家の隠し子の件です」


『……何ですって?』


母親の声が鋭くなる。


「その子が、ここにいるんです」


『どこに?』


「うちの農園です。ベル家の……」


セシリアは深呼吸をした。


「ガラン・ベルが、船で匿っていたみたいです」


『船で? 雷牙号のことね』


「はい。でも、それだけじゃないんです」


『まだ何か?』


「その子が……」


セシリアは言葉に詰まった。どう説明すればいいのか。


「ガランの、花嫁として紹介されました」


長い沈黙が流れた。


『……なんて?』


「次期女帝候補第一位の女の子が、我が家のワイン農家の嫁になってます」


『え?』


イナンナも混乱しているようだった。


「私も、よく分からなくて……」


『本当に、その子なの?』


「容姿は完全に一致します。金髪、赤い瞳、ニーナという名前も」


『他人の空似という可能性は?』


「それも考えましたが……」


セシリアは振り返って祭りの様子を見た。遠くで、ニーナとガランが仲睦まじく話している姿が見える。


「あの雰囲気を見る限り、本気みたいです」


『本気?』


「恋愛関係として、です」


『……前代未聞ね』


イナンナの声に呆れが滲む。


『帝国始まって以来の珍事だわ』


「どうしましょう?」


『とりあえず、様子を見なさい。下手に騒ぎ立てても仕方ない』


「でも——」


『確証を得てから動くわ。写真を撮れる?』


「分かりました」


通信を切って、セシリアは祭りに戻った。


夫が心配そうに見ている。


「大丈夫か?」


「ええ、ちょっと気分が……」


「無理するな」


レオナルドの優しさに、少し心が和む。


ガランが新しいワインを持ってきた。


「これは五年物です。香りが良いんですよ」


「ありがとう」


グラスを受け取りながら、セシリアは複雑な表情でガランを見つめた。


(この男、何も知らないのかしら?)


おそらく知らないのだろう。知っていれば、こんなに堂々と紹介などしない。


(それとも、知っていて匿っている?)


いや、ガランはそこまで政治的な人間ではない。純粋に、恋に落ちただけなのだろう。


「美味しいわ」


ワインを口に含む。確かに、良い出来だった。


「ニーナさんは、どこの出身?」


さりげなく聞いてみる。


「孤児院育ちだそうです」


ガランがあっさりと答える。


「軍にいたんですが、退役して、今はうちの船員です」


「そう……」


(やはり、本人ね)


夕方になって、セシリアたちは帰路についた。


馬車の中で、レオナルドが言った。


「いい祭りだったな」


「ええ……」


「ガランも、良い嫁をもらったようだ」


「そうね……」


セシリアは窓の外を見つめる。


葡萄畑が夕陽に染まっている。平和な田園風景。


しかし、この平和も、もうすぐ終わるかもしれない。


(あの子が本当に次期女帝なら……)


大きな嵐が、この農園を襲うことになるだろう。


ガランも、ベル家も、巻き込まれることになる。


(可哀想に)


セシリアは小さくため息をついた。


恋に落ちた相手が、よりによって帝国の後継者だったなんて。


これほど残酷な運命があるだろうか。

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