第九十四話「顔見世と密議」
収穫祭の前祝いは、村を挙げての盛大な催しだった。
広場の中央には巨大な鍋が据えられ、シチューの香りが辺り一面に漂っている。テーブルにはベル家のワインが何十本も並び、村人たちが思い思いに杯を傾けていた。
「ガラン!」
ロベルトが息子を手招きする。隣には近隣の農家の主人たちが集まっていた。
「ちょうどいい機会だ。みんなに紹介しろ」
「紹介って……」
「お前の嫁さんだろう?」
ロベルトの言葉に、ガランは咳き込んだ。
「まだ嫁じゃ……」
「細かいことはいい」
ロベルトが手を振る。
「大農家の長男に、ようやく嫁が来たんだ。顔見せしなきゃならん」
周りの農家の主人たちも口々に言う。
「そうそう、みんな待ってたんだぞ」
「ガラン坊が落ち着くのをな」
「あの金髪の可愛い子だろう? 早く紹介してくれ」
ガランは観念したように肩を竦めた。
「分かったよ。ニーナを呼んでくる」
その頃、ニーナはマルタと一緒に料理の準備をしていた。
「ニーナちゃん、その野菜の切り方、上手になったわね」
「マルタさんのおかげです」
「いいえ、あなたが器用なのよ」
マルタが優しく微笑む。
「今日は大事な日なのよ。村のみんなに、正式に紹介するから」
「紹介?」
「ガランの新妻として、よ」
ニーナの手が止まった。
「で、でも、私たちまだ……」
「この辺りじゃ、もう決まったも同然よ」
マルタが肩に手を置く。
「大丈夫、みんな優しい人たちだから。でも、ちゃんとしなきゃいけないこともあるのよ」
そう言って、マルタは農家の嫁としての心得を説き始めた。挨拶の仕方、酒の注ぎ方、年長者への敬意の示し方……
「覚えることが多くて大変だけど、すぐに慣れるわ」
「はい……」
ニーナは頷きながら、胸の奥で不安が膨らむのを感じていた。
(私は、この人たちに、ものすごい迷惑をかけている)
口には出せない真実。自分が皇族関係者だということ。いつか絶対に、このことが彼らにもばれる。そうなった時の大混乱は、想像するだけで恐ろしい。
(でも……)
マルタの優しい手が、頭を撫でる。
「緊張してる?」
「少し……」
「大丈夫よ。あなたなら、きっと素敵なお嫁さんになれるわ」
その言葉に、ニーナの決意が揺らぐ。
(この甘すぎる日常を、一日でも長く続けたい)
いや、もしかしたら——
(案外バレずに、ずっとこのままの生活が続くんじゃないか)
奇妙な希望が、真実を語ることを拒絶させる。
「ニーナ」
ガランが迎えに来た。
「みんなが待ってる」
「はい」
ニーナは深呼吸をして、ガランの手を取った。
広場の中央に立つと、村人たちの視線が一斉に集まる。
「紹介します」
ガランが朗々と言った。
「ニーナ・クロウ。俺の……大切な人です」
一瞬の静寂の後、歓声が上がった。
「よくやった、ガラン!」
「可愛い嫁さんじゃないか!」
「幸せにしろよ!」
次々と祝福の言葉が飛び交う。ニーナは頬を赤らめながら、深々と頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ!」
村の女性たちが寄ってきて、ニーナを囲む。
「本当に可愛いわね」
「お人形さんみたい」
「ガラン君は幸せ者ね」
男たちはガランの肩を叩く。
「やるじゃないか」
「これで跡継ぎも安心だな」
「早く孫の顔を見せてくれ」
賑やかな祝福の輪の中で、ニーナは幸せと罪悪感の間で揺れていた。
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一方、その頃の首都エリドゥ。
四大家の代表が集まる会議室は、緊張した空気に包まれていた。
「要するに」
イナンナ・ベオルブが鋭い声で切り出す。
「その『正当な後継者』とやらは、どこにいるのです?」
エンキドゥ・ボムが重々しく答える。
「現在、捜索中だ」
「捜索中?」
エレシュキガル・イシュタルが眉をひそめる。
「つまり、行方不明ということですか」
「一時的に連絡が取れないだけだ」
「一時的とは、どの程度?」
ギルガメシュ・ナブが皮肉な笑みを浮かべる。
「もう二週間になるのでは?」
エンキドゥが唸る。
「確かに時間はかかっているが——」
「そもそも」
イナンナが机を叩く。
「今まで民間で育てられてきた、いや、民間で育てられてすらいない若い女性に、女帝などという重責が担えるはずがないでしょう!」
「しかし」
メルベルが口を開く。
「過去にも民間で育てられた女性が、実際に女帝になった例はいくらでもある」
「例えば?」
「第七代のマリア・ベオルブは、商家の養女として育てられた」
「それは特殊な例でしょう」
「第十二代のソフィア・イシュタルは? 農村で発見されたはずだ」
エレシュキガルが不快そうに顔を歪める。
「それは三百年も前の話です」
「伝統は伝統だ」
メルベルが冷静に言う。
「むしろ、民間で苦労を知った女帝の方が、名君になる可能性が高い」
「詭弁です!」
イナンナが声を荒らげる。
「第一、その娘は本当にボム家の血筋なのですか?」
「疑っているのか?」
エンキドゥの声が低くなる。
「血縁鑑定の結果は明白だ」
「書類など、いくらでも偽造できます」
「何を言っている!」
「まあまあ」
ギルガメシュが仲裁に入る。
「熱くなっても仕方ない。問題は、その娘をどうするかだ」
「どうするも何も」
メルベルが言う。
「見つけ次第、保護して、正式な手続きを踏む」
「保護?」
エレシュキガルが鼻で笑う。
「逃げ回っている娘を?」
「事情があるのだろう」
「事情?」
イナンナが皮肉たっぷりに言う。
「責任から逃げているだけでしょう」
「それは——」
「そもそも」
ギルガメシュが指を立てる。
「なぜアジョラ様は、その娘の存在を隠していたのです?」
重い沈黙が流れる。
「それは……」
エンキドゥが言いよどむ。
「保護のためだったと聞いている」
「本当にそれだけですか?」
ギルガメシュの目が光る。
「もしかしたら、何か問題があったのでは?」
「何が言いたい」
「例えば、法力に異常があるとか」
「そんなことはない!」
メルベルが断言する。
「彼女の法力は120。四大家の当主クラスだ」
「120!?」
全員が驚愕の声を上げる。
「それは……異常では?」
エレシュキガルが呟く。
「17歳で、そんな数値……」
「そうだ、諸君らよりも高い数値だ」
メルベルが力を込める。
「彼女こそが次期女帝に相応しい」
「しかし」
イナンナが食い下がる。
「教育は? 礼儀作法は? 政治の知識は?」
「それは、これから——」
「これから?」
イナンナが嘲笑する。
「帝国の危機に、『これから』などという悠長なことを」
「では、あなたに別の案があるのか?」
メルベルが睨む。
「私が女帝になればいい」
イナンナがきっぱりと言った。
「ベオルブ家にも、その資格はある」
「それは——」
激しい議論が続く中、ラムザは黙って聞いていた。
(姉さん……)
まだ見ぬ姉のことを思う。
(あなたは今、どこで何をしているのですか)




