第九十一話「田舎の恋愛観」
ベル家の居間で、ロベルトとマルタが向かい合って座っていた。夕食後の片付けも終わり、若者たちは思い思いに過ごしている時間帯。二人は声を潜めて話し合っていた。
「なあ、母さん」
ロベルトが葡萄酒のグラスを傾けながら切り出した。
「ガランのやつ、随分と……その、なんというか」
「ええ、私も思ってたのよ」
マルタが微笑みながら頷く。
「ニーナちゃんも、ねえ?」
「暇さえあれば、あの子はガランについて回ってるしな」
ロベルトが顎を撫でる。農作業で日焼けした顔に、親としての期待が滲んでいた。
「料理の時も『ガランさんはこれが好きなんですか?』って聞いてくるし」
「ほう、そうなのか」
ちょうどそこへ、長女のソフィアが通りかかった。
「あら、何の話?」
「ガランとニーナちゃんの話よ」
マルタが手招きすると、ソフィアも興味深そうに腰を下ろした。
「ああ、あの二人ね。見てて分かるわよ」
「やっぱりそう思う?」
「当然でしょう。ニーナちゃん、兄さんを見る目がキラキラしてるもの」
次女のカレンも顔を出した。
「何々? 恋バナ?」
「カレン、声が大きいわよ」
マルタが窘めるが、カレンは気にせず座り込む。
「でもさ、その気がなければあんなにベタベタしないわよね」
「ベタベタって言い方はどうかと思うけど……」
ソフィアが苦笑する。
「でも確かに、ニーナちゃんは兄さんの傷の手当てとか、率先してやってるし」
「今日なんか、兄さんの剣の稽古をずっと見てたわよ」
三女のマリアも加わってきた。
「それだけじゃないわ。洗濯物だって、兄さんのシャツを丁寧に畳んでたし」
「へー、そうなんだ」
リリーまでやってきて、すっかり女子会の様相を呈してきた。
「でも兄さん、カッコつけのくせに奥手なのかな?」
「そうよねー、もう30歳でしょう?」
カレンが指折り数える。
「普通ならとっくに結婚してるわよ」
「いや、それは……」
ロベルトが咳払いをした。7年前の家出騒動を思い出したのだろう。
「まあ、過去は過去よ」
マルタがフォローする。
「問題は今でしょう? せっかく可愛い女の子を連れてきたんだから」
「でも歳が離れすぎてるから、遠慮してるんじゃない?」
ソフィアが心配そうに言う。
「10歳以上違うでしょう?」
「若い分にはいいだろう」
ロベルトが断言した。
「物覚えもいいし、働き者だし、何より美人だ」
「父さん!」
娘たちが一斉に非難の声を上げるが、ロベルトは肩を竦める。
「事実だろう? それに、あの子もその気があるから、ついてきたんだろう」
「それはそうかもしれないけど……」
マリアが考え込む。
「でも、ニーナちゃんは元軍人でしょう? 普通の農家の嫁になれるかしら」
「大丈夫よ」
マルタが自信を持って言う。
「あの子、料理も上手だし、何より素直でいい子じゃない」
「確かに、お人形さんみたいに可愛いしね」
リリーが夢見るような表情で言う。
「私の義理のお姉さんになってくれたら最高!」
「気が早いわよ、リリー」
ソフィアが窘めるが、リリーは聞いていない。
「ねえねえ、そういえば明後日、街でサーカスがあるのよ!」
「サーカス?」
「そう! 年に一度の大きなやつ! 二人で行かせてみましょうよ!」
「おお、それはいい考えだ」
ロベルトが膝を打った。
「よし、ガランには俺から言っておく」
「じゃあ、私はニーナちゃんに探りを入れてみるわ」
マルタも乗り気だ。
「でも、さりげなくよ? 露骨すぎると逃げちゃうから」
「分かってるわよ、父さん」
その時、廊下から足音が聞こえてきた。慌てて全員が口を閉じる。
「あ、皆さんいたんですね」
現れたのはモニカだった。手には空のグラスを持っている。
「ちょっと水を……って、何か深刻な話でした?」
「いえいえ、農園の話よ」
マルタがさらりと嘘をつく。
「今年の収穫について話してたの」
「そうですか。じゃあお邪魔しました」
モニカが台所へ向かう。その後ろ姿を見送ってから、カレンが小声で言った。
「モニカさんは知ってるのかな? ニーナちゃんの気持ち」
「きっと知ってるわよ」
ソフィアが頷く。
「あの二人、姉妹みたいに仲良しだもの」
「じゃあ、モニカさんにも協力してもらう?」
リリーの提案に、マルタが首を振る。
「いえ、これは家族だけの秘密にしましょう。自然に任せるのが一番よ」
「でも、兄さんは鈍感だからなあ」
マリアがため息をつく。
「昔から、女心に疎いのよね」
「だからこそ、少し後押しが必要なのよ」
マルタが優しく微笑む。
「さて、そろそろ寝ましょうか。明日も早いし」
全員が立ち上がる中、ロベルトが呟いた。
「しかし、まさかガランにあんな可愛い子が……」
「何か言った?」
マルタの鋭い視線に、ロベルトは首を振る。
「いや、何でもない」
廊下に出ると、ちょうどガランが通りかかった。肩には濡れたタオルをかけている。
「おう、まだ起きてたのか」
「ガラン、ちょっといいか?」
ロベルトが息子を呼び止める。
「明後日、街でサーカスがあるんだが」
「サーカス? ああ、あの年に一度のやつか」
「そうだ。ニーナちゃんを連れて行ってやったらどうだ?」
「は? なんで俺が……」
「あの子、街に慣れてないだろう? 案内してやれ」
「いや、でも……」
「何だ、都合が悪いのか?」
父親の真っ直ぐな視線に、ガランは肩を竦めた。
「分かったよ。聞いてみる」
「よし、頼んだぞ」
ロベルトが息子の肩を叩く。7年ぶりの、父親らしい仕草だった。
一方、女性陣の部屋では——
「ニーナちゃん、ちょっといい?」
マルタがニーナの部屋をノックする。
「はい、どうぞ」
部屋に入ると、ニーナはベッドに座って何か考え事をしているようだった。
「どうしたの? 悩み事?」
「あ、いえ……」
ニーナが慌てて首を振る。その仕草が可愛らしくて、マルタは思わず微笑んだ。
「ねえ、ニーナちゃん。うちでの生活はどう?」
「とても楽しいです。皆さん優しくて……」
「それは良かった。ガランはどう? ちゃんと優しくしてくれてる?」
「え? あ、はい。とても優しいです」
ニーナの頬がほんのり赤くなる。マルタは内心でガッツポーズをした。
「そう。あの子、不器用だけど、根はいい子なのよ」
「知ってます。本当に……優しい人です」
その言い方に、深い感情が込められているのをマルタは見逃さなかった。
「明後日、街でサーカスがあるのよ。行ってみない?」
「サーカスですか?」
「ええ。きっとガランも誘ってくれると思うわ」
「ガランさんが……?」
ニーナの目が輝く。その反応に、マルタは確信した。
(この子、本当にガランのことが……)
「楽しみね。じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
部屋を出たマルタは、廊下で待っていた娘たちに小さく頷いた。
「間違いないわ。あの子、ガランに恋してる」
「やっぱり!」
リリーが小躍りする。
「じゃあ、明後日のサーカスで進展があるかも!」
「そうね、期待しましょう」
ソフィアも微笑む。
その頃、ガランは自分の部屋で頭を抱えていた。
(サーカスか……まあ、たまには息抜きも必要か)
窓の外を見ると、満天の星空が広がっている。
(ニーナも、きっと喜ぶだろうな)




