第八十八話「狂気と正気の狭間」
「俺も行く!」
レイが腰の剣を抜いて飛び出した。
「待て、レイ!」
ガランの制止も間に合わない。レイは勇敢にも女性に斬りかかった。
しかし——
「あら」
女性は優雅な動作で、レイの剣をいなす。そして流れるような動きで、自分の曲刀を振るった。
「ぐあっ!」
レイの腕に赤い線が走る。続いて太ももに刃が沈み込んだ。
「がはっ——」
レイは膝をついて、そのまま倒れ込んだ。わずか数秒の出来事だった。
「おい! もっと練習しとけよ!」
ガランが叫びながら、再び女性と対峙する。
「くそ! なんでこうなるんだ!」
剣と剣がぶつかり合う。火花が散り、金属音が響き渡る。
女性は楽しそうに微笑んでいた。
「ねえ」
剣を交えながら、会話を始める。
「見たところ軍人じゃなさそうね。お名前は?」
「名乗るわけねえだろ!」
ガランは必死に応戦する。技量は互角に見える。しかし、剣が触れ合う度に、相手の異常な怪力が伝わってきた。
(手加減されてる......)
相手は明らかに力をセーブしている。同じくらいの力で、このやり取りを楽しんでいるのだ。
「ふふふ」
女性は笑いながら、優雅に剣を振る。
「ねえ、私これを父から教わったの。なんだか、その時を思い出すわ」
その笑顔に、ガランはゾッとした。
(やばい......)
前に戦ったリリスは、確かに危険な敵だった。しかし、ある意味では「まともな悪党」だった。憎しみや怒りといった、人間的な感情があった。
でも、この女は違う。
(人間の笑い方じゃない)
純粋な喜び。剣を交える楽しさだけで笑っている。狂気と正気の境界線上にいるような、不気味な存在。
「私はニイナ・ボム」
女性が名乗った。
「ねえ、あなたの名前は?」
そして、ガランの顔をまじまじと見つめる。
「......なんだか、よく見ると父に似てるわね」
「知るか!」
ガランは相手の攻撃を流して、反撃に転じる。しかし、女性——ニイナはそれも軽やかに受け止め、また反撃してくる。
一見、互角の勝負が続いているように見えた。
「楽しいんだけど」
突然、ニイナの表情が変わった。
「ちょっと急いでるの」
次の瞬間、圧倒的な力がガランを襲った。
「うおっ!」
本気の怪力。ガランは一瞬で防戦一方に追い込まれる。
太ももを軽く剣で撫でられた。鋭い痛みと共に、血が流れ出す。
「くっ......」
動きが鈍くなる。そして——
冷たい刃が、喉元に添えられた。
「ち、ちくしょう......」
ガランは呻いた。今回はRVウイルス治療薬なんて持ってきていない。副隊長は気絶、レイは戦闘不能、モニカは震えている。
(万事休すか......)
最後の賭けに出るしかない。
「な、なあ」
ガランは必死に話しかける。
「あんたにも悪い話じゃねえ。その木箱は爆弾だ」
「知ってるわよ」
あっさりとした返事。
「いつ爆発するか分からねえ、超やばい奴なんだよ。あんたも死んじまう......俺たちに任せりゃ、死なずに済むんだぜ?」
ニイナは首を傾げた。
「え? 何?」
困惑した表情で、ガランを見つめる。
「あなたたち、爆発させに来たんじゃないの?」
「は?」
今度はガランが困惑する番だった。電撃的に理解が及ぶ。
(こいつ......敵じゃないのか?)
「あんた、テロのルカヴィじゃないのか?」
「まあ、そうだけど」
ニイナは肩をすくめた。
「ああー、そういうこと」
何かを理解したように、頷く。
「私の家来がアホでごめんなさいね」
「家来?」
「じゃあ何? あなた、爆弾を止めに来た人?」
ニイナは興味深そうにガランの顔を覗き込んだ。
「私もなの。ちょっと、もう爆発まで時間がないから、せめて持って遠くまで運ぼうと思ってたけど」
「マジか......」
「ねえ、もしかして、どうにかできる?」
希望に満ちた眼差しで見つめてくる。
「あ、ああ!」
ガランは慌ててモニカを指差した。
「ほら、あそこの女! あいつが解除できるんだ! 他のももう解除して、それが最後なんだ!」
深呼吸をして、一気に説明する。
「俺は航空連盟、雷牙号の船長のガランだ! 俺たちの目的は同じだ。その箱を置いてくれりゃ、数分で終わる! あんたはそれを見届けていけばいい......」
ニイナは少し考えてから、剣を引いた。
「そう」
モニカの方を見て、優しく微笑む。
「ごめんなさいね。よかったわ。私も、この死に方はちょっと嫌だなと思ってたの」
そして、急に冷たい声で付け加えた。
「なんとかしてくれる? 早くしないと殺すわよ」
「ひいい!」
モニカは悲鳴を上げながら、箱に飛びついた。
震える手で工具を取り出し、慎重に箱を開ける。中の配線を確認し、順番を間違えないように導線を切断していく。
赤、黄、青——
一本、また一本と、ランプが消えていく。
「......終わりました」
モニカが震え声で報告する。
「何? もう終わり?」
ニイナが不思議そうに尋ねる。モニカはコクコクと頷いた。
「よかったわ」
ニイナは満面の笑みを浮かべた。まるで子供のような、純粋な喜び。
「じゃあ、ありがとうね、ガラン君」
そして、メイド服を翻して——
「待て——」
ガランが止める間もなく、ニイナは窓に向かって跳躍した。人間には不可能な高さまで跳び上がり、窓ガラスを突き破って外へ消えた。
ガラスの破片が、きらきらと舞い落ちる。
静寂が訪れた。
「......終わったぞ」
ガランは深いため息をついて、法石通信機を取った。
『全ての爆弾、解除完了』
通信の向こうで、安堵の声が響く。
ガランは壁に背中を預けて、ずるずると座り込んだ。
「なんだったんだ、今のは......」
モニカが恐る恐る近寄ってくる。
「船長、大丈夫ですか?」
「ああ......生きてる」
太ももの傷を押さえながら、苦笑する。
「でも、もう二度とごめんだ」
レイが呻きながら体を起こそうとする。
「くそ......一瞬でやられた......」
「生きてるだけマシだ」
ガランは倒れている副隊長を見た。顎が砕けているが、まだ息はある。
「医者を呼ばねえと」
廊下の奥から、足音が響いてきた。他の船員たちと、ブレイドの面々が駆けつけてくる。
「船長!」
「ガランさん!」
「無事か!?」
ガランは手を上げて、無事を知らせた。
「くそっ、やってられねえ、また入院だぜ…」
切られて出血している自分の脚を見て舌打ちをした。




