第八十二話「家族の再会」
雷牙号の食堂で、船員たちが遠慮のない会話を交わしていた。ブレイド隊員がいなくなった今、彼らは普段の調子を取り戻している。
「まったく、迷惑な話だよな」
トムがビールを片手に憤慨する。ジョッキを勢いよくテーブルに置いて、泡が少し飛び散った。
「船長が危険すぎる任務を断ったら、家族に嫌がらせかよ。どこまで腐ってんだ、あいつら」
「本当、軍のお偉いさんってのは、下の人間を道具としか思ってないのよ」
モニカも頷きながら、辛辣な言葉を続けた。機関部の修理で油まみれになった手を拭きながら、苛立ちを隠さない。
「命令書にサインさえもらえれば、実際に死ぬのが誰かなんて気にもしない。私たちの命なんて、書類の文字以下の価値しかないってわけ」
「へっ」
ジャックが鼻で笑う。腰の銃を無意識に撫でながら、吐き捨てるように言った。
「紙しか見てねえんだよ、連中は。命令が絶対だと思い込んで、自分の頭で考えることをやめちまってる。まあ、元々大した頭じゃねえから、考えても無駄かもしれねえけどな」
「そうそう」
アザリアも同調した。手元の法石機器をいじりながら、呆れたような表情を浮かべる。
「現場も知らないくせに、安全な場所から指図だけして。『前進せよ』『攻撃せよ』って、簡単に言うわよね。自分は絶対に弾の飛んでこない場所にいるくせに」
「船長の判断がなかったら、あの基地で全滅してたかもしれないのに」
アティが静かに付け加えた。普段は無口な彼女も、この話題には黙っていられない。
「対空砲が300門以上あるって聞いたぞ」
トムが指を三本立てて見せる。
「雷牙号がいくら頑丈でも、あんなところに突っ込んだら、5分と持たない。俺たちは今頃、雲海の底で魚の餌だ」
「それでも書類上は『任務遂行中の事故』で片付けられるんだろうな」
ジャックが皮肉っぽく笑った。
「『勇敢に戦った』とか何とか、美辞麗句を並べられてさ。死んだ奴には何の意味もねえのに」
ニーナは食堂の隅で、干し肉を齧りながら小さくなっていた。硬い肉を噛み締める音だけが、彼女の存在を示している。
(私も......そうだったのかな)
自分も最近まで軍人だった。上官の命令には絶対服従。それが正しいことだと信じて疑わなかった。今の悪口は、かつての自分にも向けられているような気がして、肩身が狭い。
(でも、確かにそうかも......)
あの時、ディアス隊長の命令に従って突撃していたら、今頃どうなっていただろう。考えたこともなかった。いや、考えることを放棄していたのかもしれない。
「......」
干し肉が喉に詰まったような感覚。水を飲もうとコップに手を伸ばすが、震えている自分の手に気づいて驚く。
「あ、ニーナちゃんは別よ」
モニカが慌てたように付け加える。ニーナの様子に気づいて、慌てて席を移動してきた。
「あなたは現場で戦ってたんだから。汗と血にまみれて、本当の危険を知ってる」
「そうそう、上の連中とは違う」
トムも優しく肩を叩いた。
「お前は俺たちの仲間だ。あいつらとは違う」
船員たちのフォローに、ニーナは曖昧に笑った。でも、心の奥では複雑な思いが渦巻いている。
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「そろそろだな」
ガランが操縦室から声をかける。声には緊張が滲んでいた。窓の外には、見慣れた丘陵地帯が広がっている。幼い頃、よく駆け回った懐かしい風景。しかし今は、苦い記憶と共にある故郷だった。
法石通信機を手に取り、震える手で番号を回す。ダイヤルの音が、やけに大きく響く。
『兄さん! もうすぐ着くわ』
ソフィアの声が響いた。いつもの明るい声だが、どこか疲れている。
『みんな一緒よ。父さんと母さんも......説得するの大変だったけど』
「......そうか。すまねえな、面倒かけて」
複雑な心境だった。両親と会うのは、あの夜——父の大切にしていた小型飛行機を奪って家を出て以来だ。7年。長いような、短いような。
『兄さん......父さん、すごく怒ってる』
「分かってる」
合流地点に指定した平野に、雷牙号がゆっくりと降下する。エンジンの音を絞り、できるだけ静かに着陸した。地上には、古い輸送車が一台停まっている。実家で使っていたオンボロだ。まだ動いているのかと、少し驚く。
「行ってくる」
ガランは深呼吸をしてから、一人で下船した。
車のドアが開く音。そして——
「この、船泥棒が!」
父親の怒声が、平野に響き渡った。
黒髪に褐色の肌、農作業で鍛えられた太い腕。初老の男性——父親が、血走った目でガランを睨みつけている。額には怒りの血管が浮き出ていた。
「今更のこのこと何の用だ! 恥知らずめ!」
「親父......」
ガランは言葉を探すが、何も出てこない。
「7年だぞ、7年! お前が勝手に出て行ってから7年だ!」
父親の声が震えている。怒りだけではない、何か別の感情も混じっている。
「他の家から笑い者にされて、『ベル家の跡継ぎは飛行機を盗んで逃げた』って! どれだけ肩身の狭い思いをしたと思ってる!」
母親も車から降りてきた。かつては美しかった黒髪に、白いものが混じっている。
「あんたのせいで、ベル家の名前は地に落ちたのよ! お葬式にも顔を出せなかった! 親戚の集まりでは、いつも隅っこで小さくなって......」
声を詰まらせる母。その姿に、ガランの胸が痛む。
「俺だって好きで出て行ったわけじゃねえ!」
ついにガランも怒鳴り返す。7年間溜め込んでいた思いが、堰を切ったように溢れ出す。
「あんたらが俺の人生を勝手に決めようとしたからだろ! 農園を継げ、隣の家の娘と結婚しろ、子供を作れ——俺の気持ちなんて、一度でも聞いたか!?」
「それが長男の義務だ!」
「義務? 義務で人生を縛るのか!」
「兄さんは悪くないわ!」
三女のマリアが割って入る。栗色の髪を振り乱して、両親に食ってかかった。
「農園を継がせようとして、兄さんの夢を潰そうとしたのは父さんたちでしょ! 兄さんは小さい頃から空に憧れてたのに!」
「黙りなさい、マリア!」
母親が娘を制するが、他の妹たちも口を開く。
「兄さんの気持ちを考えたことある?」
「いつも兄さんばっかり我慢させて!」
「もういいじゃない、過ぎたことは!」
船内では、船員たちが興味深そうに様子を窺っていた。
「おい、望遠鏡貸せ」
ジャックが手を伸ばす。
「いや、収音マイクの方がいいぞ」
トムが別の機材を取り出した。
「おいおい、家族の喧嘩に首突っ込むなよ」
アザリアが一応たしなめるが、自分も窓に張り付いている。
「いや、でも気になるだろ? 船長の家族だぜ」
「声でかいな......ここまで聞こえてくる」
外では、まだ言い合いが続いている。父親の怒鳴り声、母親の泣き声、妹たちの擁護の声が入り混じって、まるで劇場のようだ。
「とにかく、今は危険なんだ」
ガランが必死に説得する。声が枯れそうだ。
「しばらく船で暮らせ。安全が確認できるまで。頼むから」
「お前の尻拭いをなぜ私たちが——」
「父さん、もういいでしょ」
長女のソフィアが間に入った。いつも冷静な長女が、今日は違う。
「軍服の人たちが家の周りをうろついてるのよ? 末っ子のリリーなんて、怖がって外に出られなくなってる。今は家族の安全が最優先よ」
「そうよ、父さん」
次女のカレンも援護する。
「兄さんを許せとは言わない。でも、このままじゃ本当に危ないわ」
父親は唸るように黙り込んだ。母親が小さくため息をつく。
「......分かったわ」
母親が折れた。
「でも、これからはこんなことはなしにしてちょうだい」
「ああ」
ガランは静かに頷いた。
結局、渋々ながらも全員が船に乗ることになった。
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タラップを上がってくる家族を、船員たちが出迎えた。緊張した空気が流れる。
「えーと、うちのクルーだ」
ガランが気まずそうに紹介する。額には汗が浮かんでいた。
「モニカ、うちのメカニック。トム、機関士。ジャック、砲手。アザリア、法石技術者。アティ、操舵手補佐......」
妹たちは目を輝かせていた。
「すごい!」
四女のエマが飛び跳ねる。
「兄さん、本当に船長なのね! こんなにたくさんの人を従えて!」
「農園なんか継がなくて正解だったじゃない」
マリアが両親を睨みつけながら言った。父親は不機嫌そうに顔を背ける。
「当たり前だ」
ガランは照れくさそうに帽子を直した。そして、食堂の隅で小さくなっているニーナに気づく。
「あ、それとこいつがニーナ。新入りだ」
末っ子のリリー——20歳だがまだあどけなさが残る——が、ニーナを見て目を丸くした。
「うわあああ! 何この子!? お人形!? 生きてるお人形!?」
思わず駆け寄って、ニーナの頬を両手で挟む。
「ほ、本物だ......柔らかい......」
「あ、あの......」
ニーナが困惑する。金髪に赤い瞳、陶磁器のような白い肌。ベル家の黒髪褐色の肌とは正反対だ。まるで異世界から来た妖精のよう。
「きれい......天使みたい......」
リリーがうっとりとした声を出す。
「ちょっと、兄さん」
カレンが疑いの目を向ける。腕を組んで、じろじろとニーナを観察した。
「こんな小さな子を船に......まさか、誘拐とか」
「おい!」
「冗談よ。でも......」
カレンがニーナの周りをぐるぐる回る。
「どう見ても貴族のお嬢様よね。こんな子がなんで貨物船に?」
「俺が何したっていうんだよ」
ガランが渋い顔をすると、ニーナが慌てて説明した。
「あの、私、ガランさんに命を救ってもらったんです!」
「え?」
5人の妹が一斉に振り向く。
「詳しく聞かせて!」
エマが目を輝かせる。
「敵に捕まって、もうダメかと思った時に......ガランさんが一人で助けに来てくれて......」
ニーナは照れながらも、救出劇の概要を話した。もちろん、ガランが重傷を負った部分は省略して。
「すごい......」
妹たちの目がキラキラと輝いた。
「兄さん、英雄じゃない!」
「かっこいい!」
「映画みたい!」
「もっと詳しく! どうやって敵をやっつけたの?」
「ちょ、ちょっと待て」
ガランが慌てて制止するが、妹たちの勢いは止まらない。
「ねえねえ、ニーナちゃん」
ソフィアが優しく微笑む。
「兄は優しくしてくれてる? 乱暴じゃない?」
「はい! とても優しいです!」
ニーナは力強く頷いた。
「料理も作ってくれるし、剣術も教えてくれるし、本当にいい人です!」
「料理!?」
妹たちが驚愕の声を上げる。
「兄さんが料理!? あの、卵も焼けなかった兄さんが!?」
「7年あれば変わるもんだ」
ガランがぶっきらぼうに答える。
一方、両親は船長室に案内されていたが、まだ不機嫌そうだった。
「......立派な船じゃないか」
父親が渋々認める。視線は避けたまま、壁の計器類を眺めている。
「盗んだ飛行機を、よくここまで」
「改造に改造を重ねたからな」
ガランは複雑な表情で答えた。
「金もかかった。苦労もした。でも、後悔はしてない」
母親は、息子の成長した姿を見て、何か言いたげだった。手を伸ばしかけて、でも結局引っ込める。7年の溝は、簡単には埋まらない。
夜が更けていく中、雷牙号は再び空へと舞い上がった。ベル家の農園から、安全な場所へと家族を運ぶために。
食堂では、妹たちがニーナを囲んで質問攻めにしていた。
「軍人だったの? すごーい!」
「法力はどれくらい?」
「兄さんとはどういう関係? 恋人?」
「ち、違います!」
ニーナは真っ赤になって否定する。
「じゃあ、チャンスありってこと?」
リリーが茶化すと、みんなが笑った。
ニーナは戸惑いながらも、初めて味わう「妹たち」との交流を楽しんでいた。
(これが、本当の家族の賑やかさ......)
温かくて、うるさくて、でも心地いい。孤児院では決して味わえなかった感覚。
ガランは操縦室から、その光景を温かい目で見守っていた。
「いい光景だな」
モニカが隣に立つ。
「家族っていいもんね」
「......ああ」




